第315話 『フランツ教官、疑念を抱く。』
「本当にすまない!
まさかこんなことになるとは……!」
顔を合わせるなり、土下座でもせんばかりの勢いで知人が謝罪攻撃を繰り返してきた。
その勢いに圧倒され、フランツは引きつった表情で何があったのかと――王城で文官を務める壮年男性の肩を叩いた。
午後からは学園で剣術講義の教官として振る舞わなければいけない。
応対する生徒はリゼ・フォスターだけであるが今のフランツにとっては週に一度の楽しみと化している。
ロンバルド家の兵卒訓練場を後にしようとしていたのだが、旧くからの知人が青ざめた顔で自分を訪ねてきたもので。その勢いに目が点になったところだ。
あまり時間を取られていると遅れてしまうという若干のひっ迫感を感じながらもフランツは彼を見下ろした。
剣をとって戦うことを生業とする自分と、毎日デスクワークで書類と格闘している彼とでは体格からして全く違う。
どうどうどう、と彼の肩を掴み宥めるとようやく謝罪攻撃が終わった。
「折角うちの部下もその気になったというのに、今回の件で全てパァだ。
……申し訳ない」
「話が見えないんだが、一体何のことだ」
フランツは首を傾げ、狼狽ゆえに要領を得ない彼の発言を自分なりに解釈することにしたのである。
ええい、この忙しい時に。
知人である彼は以前から、男性に全く興味がない仕事命の女性部下を大変心配し、お節介にも見合いを推奨している者であった。
そしてこの度、とある貴族の次男坊が彼女のことを気に入ったとかで会って話をしたいという打診を受けたそうだ。
しかも何という偶然か、その次男坊の弟――つまり三男坊がフランツの教え子であるリゼとクラスメイトだという事実が判明した。
三男坊はリゼ・フォスターの事をかなり気に入っているという話。
互いに知らない仲ではない、どうせなら四人一緒に会う機会を作れば、年頃の男女同士話が弾んで付き合ういいきっかけになるのではないか。
あまりにも都合の良い話ではあった。
だがフランツには悪くない提案で、駄目で元々という気持ちでリゼに話を勧めてみたりした記憶も新しい。
フランツはとにかくジェイクに”諦めさせたかった”。
リゼが良い娘で彼が気に入って好きだというのは、おかしな話ではない。が、彼とリゼを関わらせるのは嫌だった。
不幸になる未来しか見えない。
いくらジェイクでもリゼに恋人が出来てしまえば諦めざるを得ないだろうと、思春期の男女の恋愛などこの上なくどうでもいい話を、いつになく乗り気で話を受けたわけだ。
まぁ、結局……
リゼ本人が大の貴族嫌いで、紹介などとんでもない。取り付く島もないくらい嫌がって拒絶反応を示したのを見て、「この話は駄目だな」と溜息を落とすと同時に……
心底、ホッとした。
ジェイクはロンバルド侯爵家の嫡男で、貴族以外の何だというのかという立場の人間だ。
まかり間違ってもリゼが彼を異性として気にすることはないだろうと安堵し、結果的に頓挫した『見合い』の話をどう断ろうかと逆に気が重たかったくらいだ。
意気揚々と見合い話を持ってきて、それを跳ねられてしまった。
自分一人だけならまだしも、知人を巻き込んだ話なので彼にも迷惑をかけてしまうなぁ、と憂鬱だったフランツ。
謝るべきは自分なのに、謝罪攻勢を受けて面食らった。
「ドゥーエ家が……爵位剥奪、当主が捕縛されてしまった」
「……はぁ?」
いきなりとんでもない話を聞かされ、フランツの思考は一層混迷する。
ドゥーエと言えばエルディム派の一つ、男爵家だったか。
今回是非ともリゼや、部下のお嬢さんに会いたいと話を持ちかけてきたのはドゥーエ家の坊ちゃんだったなぁと思い出す。
……ん?
当主が捕まって爵位が取り上げられるとなれば、お家取り潰しってことになる。
こんな平和な時代にあり得るのだろうかと、己の耳を疑った。
「何の前触れもなかったって、そりゃひでぇ話だな」
「いや……
前から多少黒い噂があったとは後になって聞かされたことだ。だが、そんなのはドゥーエに限った話でもない」
「まぁなー、清廉潔白で後ろ暗いところが何にもない家の方が珍しいだろうよ」
ははは、とフランツは笑った。
金や権力を維持することが綺麗ごとだけで終われないことくらい、この歳まで生きていれば嫌でも分かる。目の当たりにして、呑み込まざるを得ないことは多々あった。
悪貨は良貨を駆逐するとも言う、今は平和だとフランツは言ったが、大国として成熟し発展の余地を奪われたこの国は腐った拝金主義者に徐々に食らいつくされていくのだろう。
法の穴をくぐるような黒に限りなく近いグレーなやりとりなど、少し目を凝らせばどこにでも転がっている。いかにうまく誤魔化すかだけ、皆上手になっていく。
要するにドゥーエが下手を打って、お上に目をつけられたと。
男爵家ということだし、もしももっと上の話が絡んでいたとしても――トカゲの尻尾を切るように捨てられたとしか思えない。
いやはや、思い余ってリゼを紹介しなくて良かったと胸を撫でおろす。
下手をしたら悪評、醜聞に彼女が巻き込まれるところだった。
「一族離散だという話だ。
今回、お前に振った話はもう無理だ、無かったことにしてくれないか」
「そりゃーそうだろうな」
当然のことだと、フランツは頷く。
神妙な顔であったが、こちらから話を断らずに済んで良かったと、そんな薄情なことを考えていた。
他派の貴族、詳しい事情は知らないのだし。
「やはり紹介するということになれば、きちんと背後関係を調べなればいかんな。
……ドゥーエの次男が私の部下に会わせてくれと執拗に言っていたのは、恐らく彼女の持つ財産を見据えてのことだったのだろう。
なんともはや、彼の情熱に押されてしまった。
私は彼女に春が来るものだと浮かれていただけだったよ」
はぁぁぁ、と彼は顔を覆ってこれ以上ない痛恨の吐息を漏らす。
話を聞くと、彼の部下は地方の先代子爵を祖父に持つお嬢さんらしい。
祖父に可愛がられた彼女は、ラズエナという一等避暑地の広大な部分を権利として有する。
それを売り払えば財政が傾きそうな家くらい、ものの数日で救うことが可能だろう。
清々しいまでの財産狙いだな! とフランツは苦笑した。
「危うく君の教え子まで巻き込んでしまうところだ」
「紹介前に分かって良かったってことにしようぜ。
ま、火のない所に煙なんか立たない、瑕疵の無い家を屠るなんざできるわけないしな。
……紹介前で、ギリギリセーフだ」
「そう言ってくれると少しは救われるよ」
悄然と肩を落として去っていく知人の背中に手を振り、時計を見上げて時間がヤバいとフランツは慌てて馬を駆ることにした。
何度も遅刻をしていたら教師の任を解かれてしまうかもしれない。
フランツは今の生活が存外気に入っているので、せめて彼女が卒業するまでは成長を見ていたいと心底思っているのだ。
だが心の中で引っ掛かるモノがある。
シコリとなって胸の裡に転がる、違和感。
ドゥーエがお家取り潰しという話は、フランツにとっても度肝を抜かれるものであった。
成程、界隈が俄かに騒がしいわけだ。
下位貴族と
彼の家と交流があった家もあるだろうし、巻き込まれないかビクビクする人間も多くいることだろう。
その日のリゼは何となく元気がないように見えた。
殆ど交流が無いクラスメイトとはいえ、急に退学になりましたなんて聞いたら心が穏やかではいられないのだろう。
家を潰されるような家の息子を紹介しかけたということで、フランツも少々リゼと会うのは気まずい想いだ。
剣を振っていれば余計な事を考えなくなる、だから彼女に対する要求はいつもよりも大きかったと思われる。
――もう駄目だと言葉に出す代わりに、地面に倒れ伏すリゼの様子を見下ろして「やり過ぎた」と後悔した。
「ちょっと休憩するか」
「はい、助かります……」
ぜぇぜぇと肩で息をするリゼは、重たそうに上半身を起こす。
足を地面に投げ出したまま、薄い蒼が広がる空を仰ぎ深い呼吸を幾度も繰り返して空気を口の中に取り込んでいく。
それにしても、リゼに粉をかけていたらしい男子生徒が退学だなんて。
誰かさんにとっては凄く都合の良い話だよなとフランツはモヤモヤした感情に表情を険しくした。
ジェイクがリゼの事をどう考え、何を望んでいるのかなど当然自分が分かることではない。
ただアンディが言う通り、彼が彼女に対して執着心を持ってしまったのなら?
物凄く嫌だ。彼女をこんな世界に引きずり込みたくない。
「これから
貴族が嫌いだと言いながら、リゼはジェイクと話をするのは嫌ではないらしい。
フランツから見れば矛盾した行動原理に見えるが、そもそも騎士団に携わる参謀補佐官の試験を受けたいというところからして、権力に
苦手は苦手だが、それはそれとして逆らったら立場が悪くなるし仲良くしている分には自分にとって有利だ。
ただ嫌いだから嫌悪感を持って憎み近づかないというわけではなく、自分に害をなさない範囲で利用しようというしたたかさを持ち合わせている――と考えていいのか?
……それが理由でジェイクと仲良くしているというのなら何と世渡り上手な事か。
※
「――悪いな、ジェイク」
彼にとっては大変イラっとする事だろうが、家庭教師のバイトとやらが終わった直後、ジェイクを捕まえた。
放課後の勉強が終わった後一緒に寮まで帰る予定だったのに、機会を潰された。それが彼にとって機嫌を損ねるものだったようだ。
若干ムスッとした顔のジェイクを見ていると、抱いていた疑念が少しずつ確信に変わっていく気がして眉根を寄せる。
「あーもう、なんなんだよ一体。
こないだはバルガスに捕まるし……
まぁ、丁度良いっちゃ丁度いいか」
「ほう、俺に何か用事でも?」
帰り際に呼び留められて不機嫌だったジェイク。
だが何か思い出したのか、学生鞄を肩に掛けてこちらを見据える彼の表情が緩んだ。
「ああ、剣術大会も終わったし、リゼが馬術の練習に入りたいって言ってるから。
どうにか都合つけてやってくれないか?」
「構わんが……
お前は口を開けばアイツの事ばかりだな?」
「そんなこと無いだろ」
こちらを小馬鹿にするような顔はとても年上に対して見せるものではない。だが大上段から構えたような態度の癖に、視線が一瞬動揺して横に逸れたのは見逃さなかった。
そんなことはないと言いながらも、実際はジェイクと話をするときは必ずリゼの話になる。
自分にとってじゃ唯一の受け持ちの生徒で、共通の知人だからジェイクも気兼ねなく話を振ってくるのだろうけど。
いつだって話すことと言えば彼女の事。
一度そうだと気づけば、成程確かに。
――アンディに指摘されるまでその違和感に気づけなかった自分もどうかと思う。
間違いなく、ジェイクの中で普通のクラスメイトと言う領域を越えた存在になっているのだろう。
目に余る、だから長兄のバルガスあたりにチクりを釘をさされたに違いない。
ジェイクの信念として、例え相手が誰であろうが将来のパートナーは一人だというものがある。
それは強迫観念に等しく、経緯はフランツも理解は示す。一夫一妻が基本、それが今のこの社会の『常識』だから間違っているわけじゃない。
山を隔てた他の国では違い風習の国もあるというが、ここは他の国ではない。
例え誰かに執着しても見ているだけしか出来ないのは、さぞもどかしかろう。
まぁ、そんなに”自分達”が足枷になって負担に思うなら、躊躇わず捨てて駆け落ちでもしてくれや、とフランツは心底思っているわけだが。
そういう物わかりの良い者ばかりではないのもまた事実。無責任に全部を放り出して好きな女性と逃げ出せるような人間なら、もう少し自由に生きていただろうよ。
第一、女性関係が原因でジェイク以外が後継ぎにという話になったら、またロンバルド内で揉める。後継者争いを起こしたいとはジェイクだって思っていないだろう。
無駄に責任感だけは強い人間だ、諦めなければいけないと理解している。
でも感情の落としどころが無い。
そんな不安定な場所に彼は今立っていた。
見守ることしか出来ないとなれば、逆に――
”誰も近づけさせない”ことくらいは、出来るよな?
考えすぎか、自分が疑い深いのか。
「今回、ドゥーエの件の顛末を聞いたがな」
「残念な話っつーか、馬鹿らしい話だよな、俺も聞いて驚いたけど」
彼は話題が変わったと思ったのか、苦笑いを浮かべてそう返答する。
「まさかお前が関わっちゃいないよな?」
「……はぁ? なんで俺が」
「………。」
言葉に出すのも億劫だ。それくらい会話の流れで悟れとばかりに無言の圧力で彼を睨んでいると、彼は天井を仰ぎ大袈裟な溜息をついたのだ。
「俺に何ができるって言うんだ?
無関係だし、そもそもアレはエルディムの枝だろ」
だが都合が良すぎるのではないか。
十年に一度あるかないかの爵位を取り上げて家を潰すなんてとんでもない強権が発動、しかもそれがたまたまリゼに関心を持っていたクラスメイトの家に関わることだと?
偶然にしては出来過ぎている。
誰かが裏で絵図を描かないと、ジェイクにとってこんなにも都合の良過ぎる顛末に辿り着けるとは思えない。
「偶然だろ、偶然。
元々目をつけられてたっぽいし、このタイミングだったってだけで。
……それとも何だ?
お前はドゥーエの当主が捕縛された件を冤罪だって騒ぎ立てるつもりか?」
いや、と首を横に振る。
実際に衛士が動いたのなら、罪は確かにあったのだろう。
冤罪の可能性も無くはないが、冤罪だとフランツが主張する根拠は持っていない。
知人の口ぶりから察するに、清く正しいお家柄ではなかったようだし。
「そういうの面倒だからマジでやめろよ。
――お前の話はそれだけか?」
辟易し、肩を竦めるジェイクの仕草がいつにもまして苛立ちを与える。
彼の言う通り下手に騒げばエルディムの事情に単身首を突っ込む形になる、それで揉めたら火消しに走るのは
「じゃあ、リゼの件は頼んだぞ。
……お前が何を考えてるのか知らんけど、アイツはただのクラスメイトだ」
「その言葉、
フランツは舌打ちした。
自分に言い聞かせるように言ったって、説得力など欠片もないわ。
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