第314話 大騒動
休みが明けた月曜日の早朝、カサンドラは生徒会室に向かっていた。
王子への手紙を彼の机の上に置くことが一番の目的だ。
そしてもう一つ確認しておきたいことがあった。
目前に差し迫った地方見聞研修、クラス旅行。
そのイベントで誰と一緒に馬車に乗り合わせて移動するのかが少々……いや、かなり気になっていた。
生徒会主催のイベントではないのでカサンドラ達に果たさなければいけない仕事は殆どないはず。
そしてゲームで遊んでいた時にはあっという間に現地に移動していて、最も時間が掛かって過酷と思われる馬車移動は完全にカットされていた。
全員が個人的な馬車で移動するには人数が多すぎるため、騎士団の護衛を考えると数人馬車に乗り合わせるのが正着。
その馬車に乗る班分けについて、果たして誰と一緒に移動するのかが気になった。
いや、もっと言えば異性間の組み合わせがあり得るのだろうか? という話だ。
大きな馬車を使って四人一組でと想像したら、馬車内の空間には余裕があるし男女で一緒に乗り合わせるという場合もあるのではないか?
仄かな期待であって、大方同性で一緒に移動するだろうと思っているけれど。
班行動の組み分けなども去年以前はどのような決め方だったのか、カサンドラは気になって仕方なかった。
何せこのクラス旅行で、カサンドラはとうとう彼に想いを伝えようと決意してしまったのだ。事前調査は大事だと思う。
新学年になってすぐ、王子は主人公にとって仇なす存在として事件を起こしてしまう。
メインストーリーとして決められた運命、だが逆に言えばその事件さえ起こらないように立ち回ることが出来れば――
カサンドラと王子にとってのバッドエンドな未来は回避できるはず。
この三学期が最後のチャンスとなれば、後はいかにしてそのシチュエーションを作りどのように伝えるかに全てが掛かっている。
学園内や王都という見慣れた景色ではなく、クラス旅行という年に一度の解放感溢れるイベントを利用しようと考えた。
彼の油断を引き出す――というわけではないが、彼の本当の気持ち、考えていることが分かれば悲劇は回避されるはずなのだ。
そのための事前確認について、カサンドラに余念などあろうはずがない。
生徒会室に残っているかもしれない報告書、資料などで当日の様子をイメージしやすくしようという魂胆を持っていた。
真冬ゆえ朝起きるのは抵抗があったが、これも毎週のことと気合を入れ直してカサンドラは生徒会室にやってきたのである。
「失礼します」
扉をノックしたものの、中に誰かがいるとは思っていない。
癖のように軽くノックし、カサンドラは間髪入れずに生徒会の中にスッと踏み入った――ら。
油断しきっていた。
「なんだ、カサンドラ。早いな」
「……し、シリウス様!?」
黒い塊がもぞもぞ動いたかと誤認したが、それは黒髪の男子生徒シリウスである。
反射的に腕時計を確認するが、とても一般生徒が登校している時間ではない。
一体いつからここで作業をしているのだと、カサンドラはぽかんと口を大きく開けた。
「おはようございます」
完全に想定外だ。
鞄の中から手紙を出そうと動かしていた手をパッと離して、愛想笑いを浮かべるしかない。
彼の目の前で王子への手紙を置くと言うのはかなり勇気が要る行動である。
別に咎められはしないだろうが、かなり気恥ずかしい。
そもそも王子へ渡す手紙が、ひょんなことから他の生徒にバレてしまった後。
学園内に好きな人に手紙を渡すというブームが女子の間で起こっていたらしく、そのとばっちりを受けたシリウスに「余計な事をするな」と理不尽に叱られたのもも懐かしい記憶だ。
ここでその叱責シーンを
「こんな朝早くに何の用だ?」
「来月の地方見聞研修のことで確認したいことがありまして、もしも生徒会の記録に残っていれば参考にしたいと」
「あの旅行は生徒会はほとんど関与していないから残っているとは思えないが。
一体何を知りたい? 気がかりなことがあるなら私から教官らに連絡しよう」
淡々と紡がれるシリウスの言葉の槍にグサグサと突かれて追い詰められる。
誤魔化そうと思っても、ろくに言葉が思いつかずに諦めた。
「旅行の班分けは、どのように決まるのかと……
その、どなたと共に行動するのか気がかりで」
するとシリウスは眼鏡の奥の目を淀ませ、はぁ~、と重たい溜息を落とした。
呆れ顔としか言いようがない、彼の睥睨に耐えられずにカサンドラはその場に立ち竦む。
役員会議や、他に誰かいる時に話をすることがはあっても――一対一でシリウスと話をするのはとても久しぶりな事だ。
何の覚悟も心積もりもなく彼と対峙し、カサンドラが緊張で手に汗を握る緊張を強いられた。
冬の朝特有の澄み渡った静謐な空気が生徒会室を覆いつくしている。
「そんなにアーサーと一緒に行動がしたいのか?」
「えっ、いえ、あの。その……
な、何故」
急に核心を射抜いて来るシリウスの辟易とした言葉にカサンドラはうしろによろめいた。
「馬車の移動は女子は女子、男子は男子それぞれ少人数に別れて移動する。
その後の行動は教官が決めた班に分かれて行うが、年度によって分け方も違う。
当日の行動は男女混合だろうから――アーサーの班には婚約者のお前も入るだろう、彼らも面倒は避けたいだろうしな」
「そ、そうなのですね。
ご丁寧にありがとうございます」
カサンドラは恐縮し頭を下げた。
そこまで言い切られては過去の報告書を漁るのも彼の言動を信じていないという話になる。
王子への手紙を渡すことが出来ないのは口惜しいが、王子と一緒の班だとシリウスに言われたので心の中でガッツポーズだ。
もしかしたら二人きりになる機会も巡って来るかも?
そんな喜色がカサンドラの背後に立ち上っていたのだろう、シリウスは軽く鼻を鳴らし再び手元の書面に視線を戻す。
「このような朝早くから、生徒会のお仕事ですか?」
「ああ、本当は休みに終わらせておきたかったが……
王城に出仕する用事が出来てしまってな、そちらの面倒ごとに時間をとられてしまった」
彼が心底疲れたと言わんばかりに言い置いて――
もはやトレードマークとも言える眼鏡を片手で外し、机の上に乗せた。
片方の手の親指と人差し指で眉間のあたりをぎゅぎゅっと揉み解す。
疲れ目らしい仕草だが……
「……!」
ほんの一瞬だが、眼鏡を外したシリウスのご尊顔を拝めてしまった。
攻略対象の中でどのキャラが一番好みの顔かと言われれば、前世の自分は眼鏡オフのシリウスと断言する。
眼鏡属性がないせいか、ギャップというものに弱いのか。
絶対眼鏡が無い方が今より美形に見えるし、王子とは別のベクトルでミステリアスで美しい、アンニュイな影を背負った青年だ。
月曜朝に早起きした自分へのご褒美か、とカサンドラは眼福の心境だったわけだが。
「なんだ?」
この上なく怪訝そうに、眼鏡を再度装着したシリウスがこちらを見返す。
しまった、彼の顔をガン見していた事に気づかれてしまった……!
普段あまり目を合わせないように行動しているカサンドラが、急に眼をかっぴらいて自分を凝視しているなんて。シリウスからしたら気味が悪い感じてもしょうがない。
「あ、あの。シリウス様。
ご迷惑でなければ、コーヒーでもお淹れしましょうか?」
するとシリウスは珍しく口元を笑みの形に変えて「そうしてくれ」と頷いたのだ。
給仕のために生徒会室で雑用をする係を辞めさせたのは、元をただせばカサンドラ自身である。
お茶くらい自分で淹れれば問題あるまいと思って手を挙げたのだ。
彼らが不便をしているなら、コーヒーの一杯や二杯淹れるくらいは造作もない事。
話が弾む相手ではないが、逆に沈黙も苦にならない。
わざわざ話す内容を考えなくても良いのは気楽だった。
黙々と書き仕事を続けるシリウスの横顔を見ているとやっぱりこの世界では特別な人間なのだなぁ、と思わずにはいられない。
コポコポ……と、サイフォンが泡を立て香ばしい香りと湯気を充填させている。
生徒会室がある場所は教室から離れている場所なので生徒達の声が明確に聴こえてくることはない。
だがもうそろそろ、教室に生徒が登校してくる時間になるなぁ、とぼんやりと考えていた。
これでは今日は王子に手紙を渡すことは出来ないかもしれない。
土曜日のお礼を書いたものだから、是非受け取って欲しかったのだけど。
明日またチャレンジしよう。
生徒会室ではなく、教室の彼の机の方が安全……かな。
「はい、召し上がって下さい。
わたくしは先に教室に向かいますね」
「すまないな。
始業に間に合うよう、私も向かうつもりだ」
残念な気持ちと幸運を感じる気持ちを綯い交ぜに、カサンドラは生徒会室を後にした。
※
教室に辿り着くと、何故かざわざわと騒がしい。
王子達の姿はまだ教室に無かったが、教室に登校してきた生徒の多く、いや全員が信じられないと言った様子で興奮気味に話をしているではないか。
パッと見た限り、先週と何も変わらない普通の教室だ。
外観に変化は見られない。では何があったのか?
生徒達がざわめいている原因が全く分からず、カサンドラは首を傾げながら自分の席に鞄を置きに行った。
王子もいないのにこんなに騒々しい教室も珍しい。
「カサンドラ様、おはようございます」
戸惑い、教室の雰囲気に気圧されるカサンドラに近づいてきたのはリゼだった。
土曜日に同行してくれたお礼を言おうと思っていたのだが、リゼも何故かそわそわと落ち着かず、いてもたってもいられないという様子でその場に立ち尽くしているのだ。
のんびりお礼を言っている場合ではなさそうに、困惑する彼女。
ただただ驚き戸惑っているとしか言いようがないリゼに、カサンドラは何が起こったのか尋ねてみる事にした。
「――カサンドラ様はご存じないですか?
あの、私もさっき聞いたばかりなんですけど」
「いいえ、わたくしは何も」
「このクラスの男子生徒が一人、退学になったって、吃驚して」
ひゅっと息を呑んだ。
そんな話は初耳だ。
貴族や良家の子女が通う特別な学び舎、王立学園において『退学』なんてあるはずがないと思っていた。
素行が悪くて停学、卒業できないということはあったかも知れないけれど。
カサンドラのクラスは王子が在籍しているからか、皆比較的真面目で素行も良好な生徒が揃っている。
一発で即退学! なんて事態を引き起こす生徒など誰一人想像がつかない。
「い、一体どなたが」
リゼは周囲の様子をきょろきょろと確認し、こそっとカサンドラに耳打ちする。
他の生徒もその退学の話題でもちきりなのだろう、騒然としている理由がようやくわかった。
生徒の名前を聞いて、二度驚く。
リゼが何とも言えない微妙な顔で落ち着かない理由も理解できる。
以前、リゼに声を掛けていたクラスメイトの男子の名が聴こえたから。
リゼと席が近く、何かと話しかけたい素振りはあったものの――彼女の一切誤解の余地もない鉄面皮と素っ気ない態度で取り付く島もない状況だったのは知っているが。
どうやらリゼに気があるらしいと知ったのは武術大会のことだったが、今になって急に彼が退学と聞くと動揺を隠せない。
仮に他の生徒でも驚いただろうが、よりにもよって……というのがカサンドラに衝撃を与えたのだ。
「そりゃあ私も……色々話しかけられるし、面倒だなぁと思ってたのは事実です。
でもだからって、何の前触れもなく退学になるなんて思わないじゃないですか!?」
うーんと眉根を寄せてリゼは腕組みをする。
平穏で何事もないはずの学園生活。そこに突如として退学者の名前が出たことに、クラス中が疑問の嵐。
「一体何故退学になったのでしょう」
「話を聞いた限りだと、爵位を失ったからだとかなんとか」
お家取り潰し……?
貴族が貴族と呼ばれるのは、国王陛下に賜った世襲制の『爵位』という称号に拠るものだ。
親から爵位が取り上げられてしまえば、子供は当然爵位を継ぐことが出来ないのだから――没落、斜陽と言うレベルではなく、貴族である資格を失った状態。
貴族の子ではないから要件を満たさず、退学……?
薄気味悪さを感じるリゼに、カサンドラも同意見だ。
何者かの大きな力が働かないと、そんなことは通常起こり得るものではない。
家を一つ潰すという事の影響の大きさなど、想像しただけでぞっとする。
「後味が悪いです」
別にリゼが何かをしたわけではないのだから堂々としていればいい。
そう口に仕掛けて、全身に悪寒が駆け抜けた。
リゼは貴族に何か出来る力など持っていない。
本当にそうだろうか?
彼女は――この世界では『主人公』だ。その存在の強さ、運命に導かれた豪運をカサンドラは一体何度見かけた事だろう。
彼女達にちょっかいを出そうとする存在が攻略対象以外にいた場合。
この世界の
いや、ゲームを正しくなぞるということがあるべき姿と言うなら、悪役をしていないカサンドラなどとうの昔に淘汰されているのでは。
もしくはカサンドラの存在はゲームの中で存在が確立した登場人物の一人だから、今回退学に至った男子生徒とは異なりお目こぼしされている?
万が一この騒ぎが、ゲーム内で確認できない
背中が凍り付くような話だとも思う。
別にリゼ達が何か悪いことをしたわけではないのに、勝手に世界が面倒な要素を消すだなど。
この想像が正しいとして、真実を知ったらリゼは自分を責めるだろうか。
そんなことは望んでいなかったと、罪悪感で圧し潰されるかもしれない。
カサンドラが顔を青くしていると、教室前方の扉が開いた。
シリウスはいないが、王子達が登校してきたことで一層教室は騒々しい。怒涛の勢いで事実を確認に行く生徒達で出入口がごった返す。
王子と共に教室に一歩踏み入れたジェイクの姿を確認し、もしかしたらという疑念も抱く。
もしや彼が何かをしたのでは?
……いや、いくらなんでもそんな事までしない、出来やしない――はず。
リゼに近づいたという理由だけで爵位を取り上げるような人間ではあるまいし、流石にそこまでの権力はないだろう。
王族なら可能かもしれないが……
教室前の出入口付近で、既に彼らは生徒達に囲まれていて身動きが取れない様子だ。
クラスメイト退学の理由が爵位を失ったからという貴族社会で最もスキャンダラスな話題なのだから、大騒ぎにもなるだろう。
困ったように苦い笑みを浮かべる王子の姿をカサンドラは視界に入れる。
……王子がそんな事をするわけもないか。
リゼの言う通り、後味の悪さだけが残る騒動だった。
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