第312話 祭りの後で


 美術館は思った以上に広く、また王子と一緒にいるとあっという間に時間が過ぎてしまう。

 当初は博物館と美術館を皆で見て回ろうという予定だったそうだが、両方楽しむのは慌ただしい話になったかも知れない。

 別行動になったのはそう言う意味でもじっくり見て回れて僥倖だった。


 何にせよ、カサンドラは誰の目も気にすることなく、王子と一緒の時間を長く過ごすことが出来た事に感動している。

 こんなに一緒に二人でいられたのはカサンドラの誕生日以来だろうか。


 時が経つのを忘れるなんて大袈裟な表現だと思っていたが、本当に忘れてしまうのだから人間の感覚器官は凄い。

 ふと気づけば館内に入って二時間が経過していた事に驚きを禁じ得ないカサンドラ。


 王子との話は和やかに進むが、基本的に彼は立場に忠実で真面目な人だ。

 ふざけた物言いをするような人でもなく、自然と話は来月に迫った地方見聞研修の話や卒業パーティの話になる。

 彼個人の話を突き詰めて聞きたいという欲求はあるのだが、一問一答形式で彼を知りたいわけでもない。

 さりげない普段の会話のやりとりの中で、彼の価値観に触れることが出来ればそれが一番自然なことだと思う。


 そしてカサンドラもクラス皆で旅行という話は、どうなるのかと色んな意味でドキドキしている。


 ゲームで遊んでいる時には好感度が最も高い相手のスチル回収イベントと呼んで差し支えない状態だった。


 ジェイクとラルフはルート入りしている時期なのでそれに沿ったイベントになるが、シリウス狙いの場合はこの時期はまだルート未突入。

 この旅行でシリウスと会話イベントが発生することがルート入りの条件の一つ。時期柄ゆえ、シリウスのみ変則的な行事だった。

 スチルはそれぞれの主人公ごとに別で用意されているから有難かったことを思い出す。

 いくらなんでも同じスチルをキャラ周回ごとに見ないといけないのは辛い。


 とにかく、攻略対象との学園外で過ごすイベントを視覚的に楽しむだけだった事は確かだ。

 だが自分が体験するとなると話はまるで変わってくる。

 クラス単位での地方への移動、そして皆で一緒の館に泊まる――考えるだけで相当非日常で、心が躍ってしまう。


 馬車での移動になるだろうが、全員同じ馬車というわけにはいかないから少人数で分かれて乗り合うはずだ。

 そうなると一体誰と一緒になるのだろう、とか。


 三つ子はアルコールに弱いので、ワインを飲んで酔っ払い過ぎないように注意しないと……


 何より、王子と遠出なんて初めての機会。

 クラスでの移動とはいえども、開放感溢れる旅程でどんなことが起こるのだろうか。

 未来が視えない、未知の領域。


 でも分からないからこそ、待ち受ける来月の旅行での出来事に期待してしまう。


 まぁ、期待するだけしておいて特に何も関係性に進展がない、という事態は十分想像できる。

 でもいい加減カサンドラも、勇気を出して一歩前に進めなければいつまで経っても王子と今以上の関係を築けない。

 一緒にいると、こんなにも楽しい。

 でもどこかお客さん待遇、果たして彼の真意はどこに在るのか。

 仮に言葉にすること全てが真実だとしても、結局王子は自分を婚約者として相応に扱っているだけに過ぎないのだ。


 彼に何かが起きる、彼が何かを起こす前に。

 どうにか、それを止めるだけの力が欲しい。

 信頼と言う名の力が。


 

 目に見える数値や、明確な達成条件が分かれば全力で努力するのに。

 本来は自分の内に秘しておきたいという気持ち、それに焦点を定めて触れようとするのはこんなにももどかしい。


 うーん、と頭を悩ませながらカサンドラ達は最初のホール段差に辿り着く。

 足元に気をつけて建物を後にし、頬に叩きつけてくる風に長い髪をさらわれた。




「カサンドラ様!」


 美術館を出ると、入り口すぐ真ん前にリゼとジェイクが並んで立っていた。

 どうやら自分達をずっと待っていたようだ。

 遅くなってしまって申し訳ないという想いが浮かびかけたのだが。


 こちらの姿を確認して手を振るリゼの表情は明るく、彼女は彼女の方で楽しんでいたのだろうなと伝わって来て罪悪感が薄れた。

 びゅうびゅうと風が枯れ葉を舞い上げるような寒い空の下なのに、二人とも飽きもせず話を続けているのだから。


 ……実際、この姿だけを見れば付き合っていないと言う方が不自然だとも思う。

 休日に約束して異性と遊びに行くなんてただのデートだし。


 ゲーム上では当たり前のように誘ったり誘われたりで休日を過ごせるようになるのだが、その状態を付き合っているというのでは?


 素朴な疑問を感じていたのは、前世の自分だけではなかったと信じたい。

 まぁ、それが乙女ゲームだ。

 好きです、付き合って下さいと明言しなければ親しい友人止まり。

 ――宣言されることで初めて関係に名前がつく。


「お待たせいたしました。

 ジェイク様、そしてリゼさん」


「いや、俺らもさっき来たところだし。

 結構時間が潰せるもんだよなぁ」


 ジェイクはそう言って、肩越しに後ろに聳える博物館に視線を遣った。

 彼らも楽しめていたのなら良いのだが、まぁジェイクはリゼと一緒なら別にどこでも良いのだろう。

 つまらなさそうにしている可能性も脳裏を過ぎっていたが、完全に杞憂らしい。


「じゃあ餐館に寄って帰るか」


「え、またですか!?」


 解散するには微妙に早く、だが余った時間で別の場所をアクティブに過ごせる程でもない。

 これから徒歩で戻れば丁度良いくらいだと考えていたのだが。

 リゼが驚いて声を上げ、カサンドラも同様に大きく頷いた。


 昼食をご馳走してもらったのにその上また寄って帰るのか、と瞠目してしまった。


「お前ら甘いモノ好きだろ?

 用意させてるから寄っていけよ」


 さも当然とでも言わんばかり、コートのポケットに手を突っ込んだままの姿勢のままジェイクはこちらに提案してくる。

 言われてみれば、喉も乾いているしちょっとだけ甘いデザートを食べたいなぁという気持ちになるではないか。


 狼狽を隠しつつ、カサンドラは平然とその提案を受け止める王子に視線を向ける。

 こちらの遠慮を籠めた戸惑いに気づいた彼はにっこりと微笑んだ。


「私達にはお店に寄るという習慣がなくってね。

 窮屈かも知れないけれど、同行してもらえると助かるよ」


「はい、承知いたしました」


 ああ、この人たちはそうだった。


 カサンドラやリゼなら、小腹が空いたらカフェに寄ろうと思うし。

 通りで売っている露店のデザートを買って食べる事だって、リゼなら抵抗が無いだろう。


 しかしそんなカサンドラ達と違い、休みたいときやコーヒーの一杯でもと思えば彼らはあの館ゲストハウスに寄ってその欲求を満たすのだ。

 カフェに入ったこともなく、メニュー表を見て注文したことがないと言っていたのは伊達ではない。


 その方が安心だし、周囲に気を遣わなくても済むという事情があるのだろう。

 よくもまぁ、あの日にカフェに立ち寄ることを承諾してくれたものだと背中にドッと汗を掻く。


 向かいの博物館の上方に大きく掲げられた時計は三時過ぎを示している。

 午後のティータイムには丁度良い時間だろう、そのまま四人で元来た道を戻った。


 王子と一緒に過ごせた時間という大切な記憶を持って帰る事が出来る、それはとても幸せな事だとしみじみと思う。




 ※





 この四人で一緒に行動することが、すっかり馴染んでしまっている。   


 だがリゼにとっては普段過ごしている世界とは別空間であることは変わらない。


 いくら聖女として神に選ばれた存在であったとしても、それはまだカサンドラ以外誰も知らない事だ。

 つい一年前まで片田舎で暮らしていた普通の女の子が王子だの貴族のお坊ちゃんだのと会話をするなど、あまりに『日常』とかけ離れた状態ではないか。


 昼食の時は身を斬る想いで別行動を提案しその場を一時騒然とさせたリゼも、今回ばかりは貝になるとばかりに口を結んで黙々とショコラケーキを口に運んでいる。

 もう余計な事は何も言うまいという固い決意が、彼女の俯いた姿勢から感じられてカサンドラも苦笑を浮かべる。


 彼女の発言は確かに驚くべき事であったが、カサンドラにとってはとても有難い申し出だった。

 王子もこっそりと胸を撫でおろしていたしジェイクだって喜んでそれに乗っかったわけだし。


 そんな実情を知る由もないリゼは、出来る限り言葉を差し挟まないように目の前のケーキを食べる事に意識を集中させていた。

 向かいに座る王子や、その隣のジェイクはあたたかい湯気の立つコーヒーを給仕に用意させ、かなりリラックスした様子だった。

 彼らにとってこの餐館という場所は自分達のテリトリーだ、自分の部屋にでも戻って来たかのような心境なのだろう。


「そちらはどうだった?」


「……ん? まぁ、結構楽しめた。

 良い時間つぶしにはなったな」


「リゼ君はどうだったかな、ジェイクに振り回されていなかったらいいのだけど」


「おい。」


 完全に空気と同化しようと息を潜めているリゼを気遣ったのか、王子は話を彼女に差し向ける。

 急に話を振られ、リゼは横を向いて盛大に咳き込んだ。ゴホッとケーキのスポンジを喉に詰まらせたのか。


「え、ええと。とっても楽しかったです!」


 彼女は口を掌で押さえ、落ち着いた後慌てて王子の問いに頷いた。


「博物館も見て回るのに時間を要する大きな施設だね。

 ――王都の散策という話で博物館や美術館という場所が挙げられるとは想定していなかった、中々に文化的な提案だ。

 時間的な問題はあったけれど、それぞれの希望に添うことが出来て良かったよ」


 王子は文句のつけようのないアルカイックスマイルを浮かべてそう言った。

 後光が眩しすぎ、目を塞ぐ動作を理性で押し留める。


 美術館を見て回っている時も、どんな芸術的価値があるものより彼の方が輝いて見えたが、それは錯覚ではなく事実そうなのだろう。

 あの王子の肖像画、出来る事なら屋敷にお持ち帰りしたかったと今でも思っているくらいだ。

 オークションにでも出ればカサンドラは有り金全てを使い果たしても手に入れようとしたに違いない。


 この世界に映像記憶装置がないことが惜しまれる。


「博物館昔行ったきりだったから懐かしかったな。あんまり真面目に見てたつもりはないけど、覚えてるもんだな。

 まぁ、リゼ。なんでまた博物館なんか行こうと思ったんだ?」


 ジェイクはコーヒーを一口嚥下した後、恐縮しきって引きつった表情のリゼに軽く尋ねる。

 

「私、王都の施設には不案内で何があるかも分からなかったので……

 以前リナが、シリウス様に博物館に連れて行ってもらったと聞いたことを思い出したのがキッカケです。

 王国の歴史の詳しい話や、絵図や模型を使った説明、とても楽しかったですよ」 


「は? シリウスが?」


 ジェイクは完全に虚を突かれたのか、大きく身体を仰け反らせ。

 王子もコーヒーカップを手に取ったまま空中で僅かたりとも動かさない程静止している。

 表情はニコニコしているけれども、随分と驚いていることは間違いなさそうだ。


「おい、あいつそんな事する奴だっけ?」


 俄かには信じられないけれどもリゼが言うのだから本当なのだろうと、ジェイクが若干混乱しているのが伝わってくる。


「……ああ見えて面倒見が良いから、そういうこともある……のだろうか」


「今年の冬がやたら寒いのはアイツが似合わない事やってるせいで起こった天変地異とかじゃないだろうな?」


 リナとシリウスが博物館を訪れたことがある、正真正銘のデートのような話は寝耳に水。

 二人とも何とも言えない様子で、小声で動揺を抑えようとしている。

 その気まずくも不穏な空気を作ったのがまた自分だと気づいたリゼの顔が徐々に蒼くなっていく。


「い、いえ。私も聞いた話なのでシリウス様の真意は分かりませんし。

 どうか聞かなかったことにして下さい……!」


 カサンドラや王子、そしてジェイクともこうして一緒に出掛けるくらい仲良くしてもらっている状態とリナが同じことだと考えていたらしい。

 だが完全に単独行動でジェイクはおろか王子にも一切知らされていなかった事、それをつい暴露してしまった形になってリゼの精神的ダメージが更に増加した。


「いや、良いんだよ。

 私もシリウスがリナ君に放課後試験勉強を教えているという話は聞いたことがある。

 きっとその延長だろうね」


 王子は当然のようにフォローする。


 こういう時、カサンドラとしては中々発言しづらい立場である。

 シリウスの事を語ったところで「お前がシリウスの何を知っているのか」と冷たい視線を食らいそうだし。

 かと言ってリナとシリウスの仲が良い事をアピールするのも不自然極まりない。


 饒舌は銀、沈黙は金。


 ただ微笑みを浮かべて「そうなのですね」と頷くにとどめておくことにした。

 下手に言及すればリゼももっと慌てて、想いも寄らないことを口にしてしまうかも。



 つくづく、こういう集いの場に同席して思ってしまう。

 二人きりだったり、同性の友人同士なら和気藹々と気軽に話しかけられることも、こうして顔を合わせる場面では発言に大変気を遣う。

 もしもリゼとジェイクが二人きりでこの話をしたとしたら、「そういうこともあるのか」なんて不思議に思う気持ちを呑み下せたかもしれない。

 第三者ならぬ、他の人物の目や耳があると話がややこしくなったり深みにハマることがあるのだなとカサンドラも襟を正す。


 それも踏まえ、やはり二人きりと言う特別な時間を作ってくれた彼女には感謝したい。




「………。

 ま、あいつのことは関係ないしな。

 紅茶、もう一杯飲むか?」



 ジェイクの言葉に呼応するように、部屋の端で澄ました顔で直立不動状態だった給仕の一人がサッと動く。

 彼女の空のティーカップに琥珀色の液体が注がれる様を眺めながら、来月のクラス旅行の話題に移った。







 ※






 帰り際、カサンドラはそっと彼女に耳打ちをする。



「ありがとうございます、リゼさん。

 貴女のおかげで、とても楽しい一日を過ごすことが出来ました」



 彼女の表情がパッと明るくなり、「私も楽しかったです」と大きく首肯する。





 リゼにとっては複雑な心境になった事も多い一日だろうが、二人共有の大切な思い出になったことは間違いない。





 そしてカサンドラは思った。

 主人公である三つ子は、卒業パーティまでそれぞれの想いを伝えることは出来ない。彼女達がこの世界の主人公として存在する以上、根幹的な運命とも言える。


 だが自分は違う。

 時間もない、明確に示された道筋シナリオもない。


 あるのはただ、時間がないということだけだ。



 来月の地方見聞研修が勝負だ。

 互いに非日常の空間。開放的な環境の中、王子に想いを伝えよう。

 彼の”真実”が今存在するならば、それを知りたい。


 



    ”二人きり”になれたら、きっと言えるはず。


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