第310話 <リゼ>


 嘗てない程、心臓がバクバクと暴れ狂っていた。


 餐館ゲストハウスで昼食を終えた後、リゼの要望通りにカサンドラと王子は美術館へ。リゼとジェイクは博物館へ――という流れに収まった。


 穴があったら入りたいくらいに恥ずかしかった!

 王子相手に自分は何を口走っているのかと。


 自ら断頭台に上がる決意はあったものの、想像以上に精神にダメージを負ってしまった。



 カサンドラは――もしかしたら呆れてしまったかも知れない。

 そこまでジェイクと一緒に行動したいのかと、出しゃばるどころではない我儘な提案にドン引きしているかも。


 今からでも時間を巻き戻してなかったことにしたい気持ちだが、リゼにはこれくらいしか出来る事が思いつかなかったのだからしょうがない。


 折角市場で楽しく時間を過ごしていたのに自分が動揺してしまったせいで途中で飛び出し、雰囲気を台無しにしてしまった。

 時を遡れば、カサンドラが手編みのマフラーの件を漏洩したのも自分だ。

 このままでは迷惑ばかりかける人間だという烙印をおされかねない。


 いや、自分の気が収まらなかった。

 ――己のしでかしたミスは自分で挽回しなくては。


 市場から餐館に向かう最中、ジェイクとの会話で護衛の仕事の話に触れた。

 美術館には王城顔負けの厳重な警戒態勢が敷かれているのだと聞いて、それで考えついたのが――


 カサンドラと王子、二人きりで美術館作戦である。


 作戦と言う程ではないが、以前デイジーが気を遣っていたように、カサンドラは王子と二人きりでいられる時間がとても少ないのだろうと思う。

 会う頻度が親しさの濃淡を表しているわけではないが、カサンドラが王子の事を好きな気持ちは伝わってくる。

 でも学園内で一緒にいる様子もなく、寮で過ごす王子と会うのは困難だろう。

 休みだって王子達はいつも忙しいと聞いている。

 こうやって外に出る機会は極めて少ないものと推測された。


 しかもただの街中散策でさえ、ジェイクを随伴としなければいけないのだ。

 それをカサンドラが受け入れて善しとしている以上リゼに何か言えることはないけれど。

 自分だったら、デートに出かけるなら二人きりが良い。



 ――カサンドラ様と王子は美術館を回られて――……

 


 王子やジェイク達に変な人扱いされてしまっただろうことに若干後悔を感じないでもなかったが。

 言ってしまった言葉は取り消すことは出来ない。

 どうにかこうにか、聞き入れられたことだけが救いだ。


 もしもそんな非常識な事は出来ないと注意を受けたら、リゼは立ち直れないくらい落ち込んでしまったに違いない。




「この度は、本当に、本当に申し訳ありませんでした……!」


 今日何度目の謝罪だろうか。

 もはや五体投地の勢いで、リゼはジェイクにひたすら頭を下げていた。


 美術館の道を挟んだ向かい、同じように大きな建物が建っている。

 長剣を館内の係員に預けたあと、入館した先にある広大なホール内。


「もう良いって、そんなの謝らなくても。

 俺も美術館は行きたいわけじゃなかったし」


「ジェイク様に協力してもらえて、本当に助かりました」


 彼が護衛役としての職務意識を完全に全うすると決めたら、リゼにはどうにもできなかった。

 だが考え直してくれたおかげで、こうして別行動をすることが出来たのだ。


「はー、要するにカサンドラに気を遣ったんだろ?」


「……も、申し訳ありません。

 その、折角の外出機会なのに、私が近くをウロウロしていたら邪魔かなぁと思ったり……」


 彼の指摘がそのままズバリだったので、リゼは否定も出来ず頷く他なかった。


 博物館の中は静かかと思っていたが、案外人の声が飛び交っていて雑然とした雰囲気だ。

 大声で走り回るような子供の姿はないが、博物館には他では見れない変わった展示物もあるので歴史が好きな人などが行き交っている。

 当然彼らは自分の知識に自信があったり興味があるので、何人かでまとまって行動していると饒舌に語りだす客も多い。


 特に入り口に入ってすぐのホールは”静かに”という注意書きの立て札もなく、ベンチに腰を下ろして休憩する者の姿も散見された。


 そんな中、ジェイクはやれやれと呆れた様子で肩を竦める。


「お前、ホントにカサンドラの事好きだよなぁ。

 なんでだ?」


 直截な質問に、リゼは声を詰まらせた。

 心底不思議そうに、彼は首を傾げてそんな当然の事を聞いて来る。

 好悪の情に、完全に理由をつけるなんて不可能だろうに。


「お前、貴族とかあんまり好きじゃないって言ってたよな。

 フランツとかは別にしても、カサンドラなんか見たまま貴族のお嬢様だろ?

 お前が仲良いのが、わりと疑問なんだけど」


「それは……カサンドラ様は良いかたですし」


「悪い奴じゃないのは分かるけどさ」


「私も、明確に言語化するのはとても難しいんですけど。

 ……カサンドラ様はどこか身近な存在に感じると言いますか……

 生粋のお嬢様であるのは間違いないんですけど、でも、私にとっては親しみやすく思うんですよね」


 いつでも親身に話を聞いてくれて、自分の立場を自覚して相応に振る舞いつつも、決して自分達を見下すようなことはない。

 持たざる者に対する施しにしては身が入り過ぎているようにも思える。


 ……貴族――なのだろう。


 でも凄く、違和感がある。

 まるで彼女は貴族ではなかった、普通の生活水準を生きていた時間があったのではないか?

 不意に、そう思う瞬間がある。


 そんなはずはないのに。


 彼女が自分達に話しかけてくれる時に生まれる親近感は、敢えて歩み寄ってくれているからというよりも彼女のに近い感性に拠ると感じる。

 深いところで微かに同調シンパシーが存在するような、不思議な気持ちになる。


 他人ではないと言えば彼女は嫌がるかもしれないが、リゼはカサンドラのことをただの大貴族のお嬢様という目で見れないのだ。

 こんな気持ちはジェイクには分かってもらえないだろうが。


 いや、そういう親近感を抜きにしてもリゼは彼女の人間性が普通に好きだ。

 自分の価値観を押し付ける事も、相手を否定する事もない、本当の意味で冷静で懐が広い人だと思う。

 固定概念に凝り固まった自分とは対照的に、彼女は柔軟性がある。

 

「私はいつもカサンドラ様に助けて頂いてますし、私にはこの程度の事しか出来ず……

 しかもジェイク様まで巻き込んでしまって、今は少し反省もしてるところです」


 勢いって怖いな、と自分でも思う。

 もしももう一度同じことを言えと言われたら出来る自信なんかどこにもない。


「過ぎた事をああだこうだ言ってもしょうがないだろ。

 あいつらと別行動でもいいやって決めたのは俺だし」 


 ジェイクは騎士という特別な立場ゆえか、本来一般人が剣を帯びて入る事が許されない場所でもいつも通り装備したままだ。

 ハッと気づくと、そうか、自分はジェイクと二人で博物館を見て回ることになるのか、と。


 ようやく自分の置かれている現状を客観的に認識し、堪えていた羞恥心が再度大きなうねりとなってリゼに覆いかぶさってくる。

 言うに事欠いて、どうしてもジェイクを引きはがしたいからと、『二人で一緒に行きたいです』なんてよくも言えたものだ。


 カーッと顔が紅潮しそうになるのを気合でなんとか押しとどめる。

 変な事を口走りそうになる口を強く引き結び、腹の底に力を籠めて動揺を鎮めようと頑張った。


「ほら、いつまで突っ立てるつもりだよ。

 もう行くぞ」


 良かった。

 気分を害しているようでもないし、一緒に行動するのが嫌だと思っているわけではなさそうだ。


「……はい!」


 彼の言う通り、しでかしたことを恥ずかしがったところで時間は巻き戻らない。

 どういう経過であれ自分の目的は果たせた、善しとしよう。


 カサンドラが王子と二人でゆっくり過ごすことが出来ているなら、この身を切った甲斐があるのだけど。




 ※




 王都散策の行き先として『博物館』を選んだのは、リナの話を思い出してしまったからだ。

 どこか行きたいところはあるかと言われ、王都の施設にさして詳しいわけではないリゼは困った。

 妹がシリウスと赴いたという博物館が真っ先に脳裏に思い浮かんだのは僥倖だ。

 好きな人と一緒にデート、しかも博物館だなんて羨ましい……そう思っていた自分が。


 まさか結果的にジェイクと二人でここを訪れることになるとは、一月前からでは考えられない状況である。

 自分が我儘を言ったという経緯さえ度外視すれば、二人きりで一緒にいられる今は二度と過ごすことが出来ないかもしれない貴重な時間とも言えた。


「へー、馬にも色々種類? があるんですねぇ」


 リゼは多数の小部屋をジェイクと一緒に回っていたが、一室に展示されているものの前で足を留めた。


 そこには軍馬に纏わる詳細な歴史が小さな文字で書かれており、馬は馬でもこの西大陸には多くの種類の馬がいるらしい。軍馬として採用されている馬はロンバルド家が管理しているのだと記されている。

 蹄の形や毛の模様など、馬は十何種類かにカテゴライズされているのか。

 馬はどれも同じ馬――と思っていたが、犬でも猫でも全く顔や毛並みの違うものを総称した大雑把な分け方に過ぎない。

 人間は人間という種族だと十把一絡げにするのは乱暴だが、動物にも色々種類があるのだなぁ、と。

 柄や剥製などが並んでいるこのブースは興味深い。


 ただ、魂の籠っていない馬の剥製にさえ、下に見られ馬鹿にされる感触を思い出し、顔を顰めてしまった。

 乗馬は、未だに得意だとは言えない。

 フランツに指導してもらって以降触れていないから、また一から練習し直さないと乗れないのではないかと危機感を抱くリゼ。


「そうだな、まぁウチが持ってるのは丈夫で頑丈で図体もデカいって奴だけど、その分良く食べるし気難しいから管理が大変だとかよく聞くな」


「ジェイク様が乗ってる、あの黒い馬ですか?」


「そうそう」


 普通に馬と言われて想像するものの一回りも二回りも大きくて逞しい、光沢のある馬だったなぁ。

 一回だけ乗せてもらった事がある……と、思い出しかけて記憶のイメージを手で追い払った。

 冷静さを見失うような記憶を、よりにもよってジェイクの前で思い出したら――急に変な表情になる変な女子生徒としか思われなくなる。


「剣術大会も終わったし、そろそろ乗馬の訓練をやってもいいよな。

 またフランツに言っとくけど、良いか?」


「はい! 勿論です、宜しくお願いします!」


 騎士団の参謀補佐官の試験には実技で乗馬が必須だったはず。

 これは完璧にマスターしなければ、貴族の血をひかない庶民のリゼは騎士団に関わる仕事に就くことが出来ないのだ。

 有難い申し出に、一も二もなく飛びつく。


 フランツに教えを乞えるなら慣れている相手だし、とても助かる。


 浮き浮き気分で博物館を回るリゼは――急に視界に飛び込んできた『それ』に目を奪われた。





 「――『聖女』……」




 今まで見た中で、最も広い部屋だった。

 リゼやジェイクよりももっと大きな真っ白い聖アンナ像が部屋の中央に屹立し、厳かな雰囲気を醸し出す。


 クローレス王国の建国からの歴史が刻まれている部屋だ。


 大理石の壁に囲まれた部屋だが、そのツルツルした滑らかな壁にはクローレスという国の成り立ち、その後の歴史、代々の王の名が整然と美しく彫られ後世の世に伝えられている。

 その壁はまだ半分ほどしか彫られておらず、半分以上が余白。

 これからも歴史を連綿と綴っていくのだという明確な意思、ただの大理石の壁にここまで圧倒されるとは思わなかった。


 昔々、この大地を襲った『悪魔』を斃す、唯一の力を女神により授かった人間。

 それが聖女アンナ。

 この国の礎を作った偉大な初代の王である、と。


 聖女アンナ像は創造神ヴァーディア像と並んでどこにでも建てられている見慣れた像である。

 だがただの石でできている像のはずなのに、表情は凛々しく、それでいて優しさに溢れるという不思議な像だった。



 今の自分達が在るのは、彼女がその身を賭して悪魔を退け平和を齎してくれたおかげである。

 その功績は大きい。


「相変わらずデカい像だよな」


 コートのポケットに手を突っ込んだまま、ジェイクは純白の像を見上げる。

 台座自体が既にリゼの腰まで高く、立派な造りだ。

 常に綺麗に磨かれている彫像は、神の寵愛を一身に受けた人間の存在をここに表している。

 既に百年以上も前に没した人間なのに、未だにこうして国民から敬われ像を立てられ、崇拝されるのか。


 正直、ぞっとする話だと思う。


 女神に選ばれた人間だからと、多くの命や希望、期待を背負って魔物と対峙せざるを得ない――それが普通の少女だったという言い伝えだから余計にモヤモヤする。

 自分だったらと想像したくもない。

 死んだ後にまで延々と語り継がれるとか、いくら立派な功績を残したとしても嫌だ。

 

「聖アンナって、私の故郷の近くでは少し前まで『男』だったって言い伝えが残ってたりしましたよ。

 超改変された歴史に吃驚したの覚えてます」


「はぁ!? 男!?」


「田舎特有の閉鎖的環境のせいで、ちゃんとした情報が残っていなかったのか――

 誰かが面白がってそれらしくついた嘘が真実だとまことしやかに囁かれていたって感じですけど」


「聖女っつってるだろ、何で男になるんだ」


 ジェイクは呆気にとられた表情になる。


「んー、聖剣……だからでしょうか?」


 アンナ像が掲げる、同じく純白の剣を指差す。


「剣で悪魔を斃すとか、女性がそんなこと出来るわけないって理由だったらしいですけどね」


 伝承とは結構面白いもので。

 西大陸全てを統べる王国とは言っても、あまりにも広大な領土だ。

 中央なら正確な歴史がこうやって残っていても、地方の僻地となればそうはいかない。

 伝言ゲームの要領で、いつのまにか聖女の性別さえ変わっているのだから恐れ入る。


「あ、でも王子って聖女の末裔じゃないですか」


「そういうことに……なるのか? 血は凄い薄まってるよな、他人の域まで。

 何代も前の話だろうし」


「もし今、物騒な悪魔だなんだって襲ってきたら、王子が聖剣で倒すって事になるんでしょうか」


「そんなの分かるわけないだろ……そもそもあれって血縁が関係あるのか?

 その手の話は全然興味ないから分からん」


「ですよね、実際英雄なんていない方が、世界は平和だし幸せですよ。

 このまま何事もなく生きていけたらいいですよね」


 こんな像を立てて崇め奉らなければいけない、そんな存在を必要とする時代なんて来なければ良いと思う。

 




 真っ白なけがれ一つない美しい聖女の像を、二人は同時に見上げていた。


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