第309話 不退転


 まさかこんなところでミランダ達に邂逅するとは思わなかった。

 赤銅色の長い髪を北風に靡かせ颯爽と立ち去るミランダの声が、まだ耳に残っている。


 カサンドラは後姿が徐々に遠のいていく一組のカップルを見送りながら、その場に立ち竦んだまま。


 占いに興味があるだとか、可愛らしい側面もあるのだなぁと微笑ましく思ったのも一瞬の話だ。


 もう一度市場いちばをもう一度回ろうという雰囲気は既になくなっていた。

 そして占い師がこの近くで商売をしていると聞いたものの、既にずらっと女性のお客さんが並んで待っているし。


 王子やジェイク達を待たせてまで見てもらいたいとは思えない。

 また後日、一人だけで来てみようかなと記憶するのにとどめて置いた。


「そうだね……」


 仕切り直しとばかりに、王子が声を上げる。

 腕時計にチラリと視線を馳せた後、にっこりと微笑んだ。


「少し早いかもしれないけど、昼食に向かおうか」


「そうだなー、まぁ、こっから歩けば丁度いい時間になるだろ」


 王子の提案にジェイクも賛同の意を示した。

 既に昼食をどこで摂るか、彼らに用意があるらしい。


 前回王子達と一緒に街に出た時は――ああ、孤児院で食事をいただいたのだと思い出した。

 シリウスが個人的に経営しているという丘の上の孤児院、あそこに住んでいる子供たちは皆元気だろうか。


 身寄りのない子供と言うと、やはり胸が痛く切なくなる。

 だが彼らはまだ幸運なのだ、親がいないことは想像するだに辛い事だが、あの孤児院にいれば食べるものには困らない。

 責任者がシリウスだからあくどいことに利用されることもないだろう、彼らが将来困らないように本を寄贈しているというのも彼らしいと思う。


 エルディム家後継ぎレースにおいて、利益にならない孤児院の運営に関してはあまり加点が無いので出来るだけ伏せておきたいという意向だが。

 彼にとっては切り捨てる事も出来ない、大事な場所だ。

 院長先生も優しそうな人だったなぁと思い出す。


 あの場所で豪華ではない、ちょっと量が少なめの食事を分けてもらった後にカフェに寄った。

 そこで……


 ちら、と隣に佇むリゼの横顔を眺める。


 開店以来千組目の記念カップルだと言われ、わけもわからない間に王子と奥の席で二人にさせられたことは良く覚えていた。

 今思えば絶対にリゼやデイジーのはかりごとだったに違いないが、あの時は凄い偶然もあったものだと心底吃驚したわけで。


 ……でも、王子と二人きりで話が出来た時間は楽しかったな。

 彼と腰を据えてゆっくり話す機会は今でも多くないし、特別な事が無ければ週に一回放課後に会うだけなのだから。


 仲良くなりたい、彼の事をもっと知りたいと思っても――未だに王子の本質はようとして知れず、ミステリアスな人である。

 ただ、彼は少なくともカサンドラを蔑ろにするようなことはないし、基本は紳士だ。

 恥を掻かせるような言動をせず、正式な婚約者として対外的にも扱ってくれている。


 彼のその根っからの紳士で優しい部分が、逆に彼の本音をカサンドラから遠ざけているともいうのか。

 顔も見たくない程嫌われているとは思えないが、じゃあ好かれているのかと聞かれると首を傾げざるを得ない。


 相手の事をもっと知りたい、好ましく思っているのなら……

 カサンドラに直接話しかける機会はいくらでもあるだろうし、接触する頻度も多いのではないかと思う。

 そこまでする程思い入れも興味もない、という程度の好感度なのか。


 改めて、キリキリと胃が痛くなってきた。



「昼食はどちらで食べるんですか?」


 リゼは若干不安そうに表情を曇らせる。

 腰に下げる剣とは反対のウエストポーチをさりげなく触って落ち着かないのは、支払いの事を気にかけているに違いない。


 男性が全てのお金を出すのが当然だなどとは思わないが、相手を見て欲しい。

 誘った相手の財布を開けさせるような真似をさせる人たちではない、むしろ下手に払おうとでもすれば顔を潰すようなものだ。


「リゼ君も行ったことがある場所だよ、東地区の餐館ゲストハウスだよ。

 ジェイクと一緒だったと思うけれど」

 

「あ……ああ、覚えてます!

 カサンドラ様やリタやリナも一緒になったところですよね」


 ポンっと彼女は掌を叩く。

 アイリスに招待を受けたガーデンパーティの後、たまたま王子が誘ってくれた餐館で――まさかの全員集合という凄い絵面になったことを思い出す。

 皆それぞれバラバラの流れでひとところに集まって、結果的に一緒に夕食を共にした。


 学園で食べる食事とは全く違う、穏やかで和気藹々とした空気。

 ラルフだけでなくシリウスまでも食事中にあんなに雑談をすることがあるのかと驚いてしまった。

 


「少し距離があるけど二人とも大丈夫かな?

 もし足が疲れるようなら、先に馬車で向かってくれても構わないよ」

 

「王子は馬車で移動されないのでしょうか」


 ここからシャルローグ劇場近くまで歩くということは、ゆうに三、四十分はかかるはずだ。

 リタは毎週劇場まで歩いて向かっているというが、本来気軽に行き来できる距離ではない。

 カサンドラが首を傾げて問うと、彼はしっかりと頷いた。


「折角街を歩いて回れる機会だからね、馬車の上からでは見えない事もあるかもしれない。

 ……いつも王城と寮を往復するばかりだから、歩いて向かえる事も楽しみにしていたよ」


「承知いたしました、どうかわたくしもお供させてくださいませ」


 まさか王子を徒歩で歩かせた上で、自分は馬車で先に到着なんてありえない。

 そして彼と一緒に会話を交わしながら街を歩くと考えただけで高揚する自分がいる。

 そもそも前回の教訓を生かし、最初から多く歩く可能性を見据えヒールは控えめで歩きやすい格好で臨んでいるのだ。

 劇場近くまで歩くくらい、どうってことない。

 孤児院に行くのに比べたら平坦な舗装された道を歩くのだから楽なものだ。


「お前はどうする? 歩くか?」


「当然歩きますよ!? 私一人だけ馬車とか勘弁してください!」


 ジェイクとリゼも歩くらしい。

 ……入学したての頃のリゼなら、こんな長距離を歩くなんて言われたら良い顔をしなかったに違いない。

 だが今は全くこの程度どうということはないという様子だ。

 人間変われば変わるものである。


 リゼは剣と言う重量のありそうな得物を下げたまま、片腕を天に突き上げ大きく伸びをした。





 ※




 長い道程だと思っていた餐館まであっという間に辿り着いてしまった。

 体感時間で言えば十分にも満たなかったと思うと、かなり名残惜しい。



 既に過去幾度か訪れた、王子やジェイク達が共有して管理し利用している特殊な建物。

 わざわざどこかの店に立ち寄る必要もなく、自由に出入りして休憩も出来るし時間も潰せる――プライベートな館を王都にいくつも所持しているということが恐ろしい話だ。

 便利は便利だが、体制を維持することを考えたら相当予算がかかっているだろうな、と。

 同じ造りの屋敷を訪れる度、カサンドラは想像を超える彼らの財力に慄いてしまう。

 王都だけでなく別荘やら飛び地にある領地などいくつも所有しているのだろうし、並みの貴族とは位相が違う。



 使用人の案内を受け、王子に伴って屋敷内へと入っていく。



 思ったよりも疲れてしまった。

 カサンドラは椅子に座った後こっそり足を掌で撫で擦りながら、皆と同席して食事が運ばれるのを待つことにした。

 豪華なシャンデリアが高い天井に吊るされ、煌々とした灯りで照らす。

 多くの『輝石』をふんだんに利用したシャンデリアの存在感は見事なものだ。

 テーブルの上にも、金の燭台に火が灯っている。




 街中を王子と一緒に歩けて、楽しかった。

 それはごく簡単な、すぐに叶いそうな望みでありながらカサンドラにとっては夢のような話だから。


 学園内ではいつも他の生徒達に囲まれて、カサンドラは彼のそんな様子を後ろから眺めるしか出来ない。

 自分が王子に話しかければ、皆を追い払ってしまう。折角の王子と話す機会を奪われたと逆恨みされては敵わないし、王子も囲まれている状況を甘んじて受け入れているから余計な行動をとれない。

 かと言って学園の外で彼と会える機会など、とても限られた特殊なイベントでもないとありえない。


 ……構内から学園外門までの僅かな距離でも一緒に帰ることが出来たら嬉しかった。


 

 それが今日は、すぐ真正面に王子が歩いていて。

 誰もそれを見咎める事もないし、文句を言うわけでもない。


 護衛役として同行しているジェイクも、自分達から数歩離れた影を踏まない程度の距離でリゼと話をしていた。

 本当に彼女がいてくれてありがたい、としみじみと実感したものだ。

 ジェイクも何かと機会があればリゼに声を掛けているのは分かる。

 今回もまさかのリゼの随伴を希望されたわけで、はからずもカサンドラにとっては有り難い結果になった。


 王子と肩の力を抜いた、とりとめのない雑談をした。

 たったそれだけの事がこんなにも嬉しいかった、少しずつでも彼がどういう人柄を持っているのか分かって来たから会話のラリーも長く続く。

 きっと王子も、初対面の頃と比べればカサンドラの発言傾向を理解してくれているのだろう。


 また年度末試験の前には勉強会が開けると良いねと彼が提案してくれた事が、とても嬉しかった。


 時計は昼を回り、大通りからここまで歩いて丁度良い時間だ。


 四人揃って温かい湯気の立つ美味しい料理を食していると――

 カサンドラの隣に座るリゼが、遠慮がちにある質問をした。



「あの、王子。……お聞きしたいことがあるのですが」

 

 会話の切れ目に、緊張に背筋をピンと伸ばして声を出すリゼ。

 ナイフとフォークを一度皿の上に置き、両手を膝の上に乗せた彼女は覚悟を決めたという様子で、真っ直ぐに王子に向き直る。

 彼女の醸し出す緊張感がこちらにまで伝播してきた。


「何かな?」


「これから訪れる予定の美術館と博物館は、とても近距離だと聞いています」


「そうだね、近距離――向かい合わせで建っているよ。

 移動も簡単で良かった」


 このあたりは劇場だけではなく、美術館や博物館と言った大きな展示場が集まった区画でもある。

 主にヴァイル家が関わっている建物だからだろう。


「そして美術館は常に警備が厚く、猫の子一匹入り込めない厳重なものと思いますが、いかがでしょう」


「美術館は価値の高いものが常設されている。

 リゼ君の言うとおり、良からぬ事を考える者が入館できないように造られているし、館の外もしっかり警備が敷かれているはずだね」


 芸術的価値が高かったり、値段がつけられないような品が同じ建物に集まっているのが美術館だ。

 盗まれたり壊されては困るから、警備体制が厳重になるのは極めて当然の事。

 一体何故、リゼはそんな当たり前の事を確認しているのだろうと、カサンドラが不思議に思って彼女を眺める。


 意を決し、大きく息を吸うリゼ。

 彼女はハッキリと言った。



「あの、実は私、美術関係には疎くって、ですね。

 確かジェイク様も苦手だとかおっしゃってましたよね?」


「……まぁ、俺も絵を見たところで「ふーん」としか思えない人間だけどさ」


 芸術を解する感性の無い人間と名指しで言われ、ジェイクは憮然とした顔になる。


「私、美術館には寄らずに博物館だけ見て回りたいと考えていまして。

 カサンドラ様と王子は美術館を回られて、私とジェイク様は博物館……と言うのは駄目でしょうか」


「……え?」


 三人の視線が彼女に一斉に集中する。

 ここで二手に別れたいという提案はあまりにも唐突な事だったので、数瞬誰も発言しない空白の時間が生じた。


 リゼの顔はかなり緊張して、大それたことを言ってしまったという畏れを感じるものだ。


「美術館は、元々警備も厳しいとのことですし、その、ずっとジェイク様が一緒じゃなくても……

 いいんじゃないかなと……」


 それぞれの視線を一気に受けて、リゼの語尾は震えていた。


 そんなにもジェイクと一緒に行動したいのかと誤解しかけたが、恐らくそれは違う。

 この場で唐突に、我儘を言い出すような人でないことはカサンドラも良く知っている。

 非常識ともとれる彼女の言い分は、彼女の表情からも察せられるように自覚しているはずのこと。


 リゼは俯いたままもじもじと忙しなく指先を動かす。


「……リゼ君の言わんとすることは分かるよ。

 言われてみれば、美術館の中にまでジェイクに同行してもらう必要はないかもしれないね。

 いつも私の事情に付き合わせているわけだし」


「そりゃ、俺も美術館って聞いて気乗りはしなかったけどさ。

 良いのか?」


「構わないよ。

 あの警護体制の美術館でも個人行動が不可能となれば――城内、学園、寮、どこも一人歩きさえ出来なくなる。

 私もそこまで窮屈な生活は送りたくないかな。

 美術館自体を粉微塵に吹き飛ばされるなら、流石にどうにもならないけど。

 それを実行に至らせた段階でお手上げだ、ジェイクがいても同じことではないかな」


 ジェイクはしばらく考える素振りを見せた。


 この提案は王子の気遣いでもあるのだろう。

 自分の用件のために友人が気乗りしない場所に連れていくのは、王子だって嬉しいはずがない。

 仕事の一環と言えば仕事の一環だが、カサンドラと一緒に出歩くという用件は公的なものではない、完全に私的な話だ。それに逐一付き合わされるジェイクに息を抜いて欲しいと王子が考えても、おかしくない。


 ヴァイル家所有のお宝がわんさかと陳列されている、ある意味ヴァイル家の家宝展。警護面では信頼できる。

 それに厳重な警備が敷かれている区域さえ別行動できないなら、一人になる時間さえ持てないという王子の立場も――少々、酷な話だと思う。



「うーん……でもなぁ」


 だがジェイクは難渋を示す。


 これ以上ない別行動できる好条件なのだから黙って頷けばいいものを。

 ジェイクも立場上そう簡単に従うわけにもいかないのか、最後の最後で渋っているようでもある。

 一応、仕事の一環という理性が残っているのだろう。

 安全な場所と分かっていても、護衛役の自分が同行しないのは――例え当人の希望があってもしてはいけない事ではないか、と。



「ジェイク様!」


 それはリゼの血を吐くような迫真の声だ。少なくとも、カサンドラには彼女の決死の覚悟が伝わって来た。 



「私、どうしてもジェイク様と二人で博物館に行きたいです……!

 お願いします!」




 何が何でも別行動にしたい。その意志が執念に変わり、リゼを衝き動かしているかのようだ。

 そしてそれが自分のためという事情よりは、カサンドラのため、なのだろう。



 ……かつて、シンシアまで抱き込んで王子と二人きりの時間を作ってくれた彼女だ。

 そして今、気にしなくても良いと何度言っても、彼女は自分がカサンドラに対して失態を繰り返しているから何とか挽回したいと思っているらしい。

 ジェイクを王子から引きはがすために、わざとこんな発言を……?


 確かにカサンドラだって、可能なことなら近くに知った者のいない静かな空間で王子と一緒に過ごしたいと思っていた。

 相手の立場を全く考えない自分勝手な希望を出せば、王子に疎まれたり呆れられるかもしれない。それが怖くて口を噤んでいただけだ。 

 二人きりでいられるメリットより、好感度大幅ダウンの可能性を秘めたデメリットが大きい。割に合わないお願いだ。


 でも言えるものなら、二人が良いと言いたかった。


 当然リゼだって、自分からそんな風に素直に二人になりたいなんて”言える”性格ではない。

 我儘な人間だと呆れられる覚悟、そして死ぬほどの恥ずかしさと戦っている。


 己の精神羞恥心を犠牲に……!




「しょうがないな。

 アーサー、カサンドラと二人で大丈夫か?」



 基本的に、お願いされたら断れない系攻略対象である。

 しょうがないと言いつつ物凄く嬉しそうな顔で横に座る王子に確認を入れる。



 王子は苦笑しながら頷いていたが、「分かりやすいな」と彼が言葉を飲み込んでいるのがカサンドラにも分かってしまった。







   王子の抱いている”本心”を知りたいとは思っているが、これじゃない。

   知りたい内容のカテゴリが違う。




 

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