第308話 遭遇
露店の前の人だかりを抜けたところにリゼとジェイクは立っていた。
向かい合って立っていると言えば聞こえはいいが、ただひたすらリゼが頭を下げているだけとも言う。
「――申し訳ありません」
急にあらぬ方向へと足を踏み出してしまった事をジェイクに謝っている最中、ようやくカサンドラ達も人だかりを抜けて合流する。
人混みを脱すると同時に王子の手が離れ、急に指の先が凍り付くような冷たさを感じる。
彼らと合流できたなら、手を繋いでいる必要もない。
分かってはいるが、未練がましい自分に呆れた。
「そんなに欲しいのがあるなら買えば良かっただろ」
何故彼女が来た道を引き返したのか、原因を作った張本人は全く分かっていないのだから救えない。
呆れたような表情のジェイクにこっちの方が呆れる場面だが、彼らのやりとりに外野が口を出すのも野暮である。
第一、彼にそれを言及するのはリゼを追い詰めるということになる。
リゼも米つきバッタのようにぺこぺこと頭を下げていたが、王子の姿を見るや否や顔を青くしたり赤くしたり、未だに冷静ではいられないようだ。
カサンドラに言われるまでもなく、動揺し逃げ出したことを恥ずかしくてしょうがなく思っているだろうし――
死人に鞭打つような突っ込みを入れる気にはなれなかった。
だが一度人垣の内側から飛び出してしまうと、盛況度がどんどん増している露店の列に再突入をチャレンジするのも躊躇われる。
まだお昼前だというのに、人が人を呼ぶのか今日が市場だと知らない層も物見遊山の気分で寄ってくるのだから。訪れる人の規模は膨れ上がる一方だ。
「わ、私はここで待っていますから。
皆さんは続けて回って下さい」
完全に恐縮しきったリゼの提案を受けても、まさか彼女一人で置いていくわけにもいかない。
どうしたものかと王子と顔を見合わせた瞬間――知人の人影を見つけた。
こちらをチラリチラリと覗き見ているような感じだから、逆に自分達の様子を伺われていたのかもしれない。
リゼの事が気になって、彼の視線に気づかなかっただけで。
目が合ってしまった以上は話しかけるべきだろうか。
だが呼びかける程親しい間柄ではなく戸惑っていると、代わりにジェイクと王子が気づき、反応してくれた。
「やぁ、アンディ」
自分達と同じように、露店前の人だかりの列から少し離れたところ。
街路樹にもたれかかっていた美青年に、王子は親しみを込めた声を掛ける。
騎士の制服ではなく、完全に私服姿のアンディ。
ナイフ以上に重たいものは持ったことがありませんと言わんばかりの優男風。パッと見ではしっかりとした技量を伴った騎士には見えない線の細い美青年だ。
「――これは王子、ご機嫌麗しく。
今日はお出かけの日だったのですね」
にっこりと爽やかに笑う年上の美青年は、姿勢を正す。
片手を胸の前に掲げ恭しくお辞儀をする様もサマになる容姿に恵まれた男性である。
斜陽貴族の長男とは聴いていたが、この度ウェレス伯爵令嬢のミランダと婚約が決まって騎士団内でも将来の幹部を約束された出世頭の一人らしい。
騎士団の階級や所属、制度など詳しいことはカサンドラは分からないのでふんわりとしたイメージだが。
「お前も今日非番だったっけ。
こんなとこで何してるんだ?」
同僚かつ、気易い間柄のアンディということで、ジェイクも普段通りの友好的な態度で彼に話しかける。将来の自分の右腕のような信頼の置ける騎士なのだから、ただの友人以上の関係には違いない。
「ミランダを待ってるだけだよ」
「あー、はいはい。そうだと思ってたわ」
ジェイクは大袈裟に肩を竦め、そう苦笑した。
どうやらアンディはミランダと市場で待ち合わせてデートでもする予定なのだろう。
全く以ておかしなことは何一つない。
だが僅かたりとも何かしらの障害も憂うこともなく、ニコニコと爽やかに恋人との逢瀬を楽しむアンディには内心複雑な想いである。
彼らの状況こそ、普通の仲の良い、恋人から発展した婚約者の”あるべき姿”なのだ。
見せかけでもお家事情だけでもなく、純粋に好きで付き合っているからこそ頻繁にデートもするし共に行動するようになるわけで。
誰かの赦しが必要なこともなく、隠すことも後ろめたさもなく素直に一緒にいられる恋人同士。
いいなぁ、と。
客観的に見ればカサンドラと王子も同じはずなのに、根本的に違う関係性過ぎて。
その差に打ちのめされる。
カサンドラとリゼは彼と知り合いと呼べる程親しいわけではないので、アンディと目が合った時に挨拶を交わすにとどめて置いた。
予期せぬアンディの存在に、彼らの話は楽しそうに弾んでいる。王子も彼の事は信用しているのだという事が見て取れた。
まだミランダの姿は広場内にはどこにも見えず、周囲をきょろきょろと見回す事を早々に諦めるカサンドラ。
当然彼らの間に割って入る事も出来ず遠巻きにするのみだった。
腰を入れて――という程でもない王城関係組の軽い雑談を小耳に挟みつつ、サンドラは微笑みを浮かべてその場に佇む。
自分には無関係な話を傍で繰り広げられ、その間退屈だという素振りを一切見せずに待機するのは慣れっこだ。
今までも、それからこれからも手持無沙汰な状況など何度経験することになることか。
そんなカサンドラの傍近くまで、リゼがスススと肩を寄せ近づいて来る。
「……カサンドラ様、重ね重ね、本当に申し訳ありません」
彼女は顔面蒼白状態のまま謝罪してきた、その様子に面食らって
「気になさらないでください、リゼさん」
予想の範囲内と言えば、そうだったかも知れない。
元々彼女は予期しないジェイクとのやりとりで混乱する事も何度か目の当たりにして来たので。
あの人混みの中でかたまって行動していれば、そんな事故は十分起こり得た事だ。
「吃驚して頭が真っ白になってしまいました。
……折角の機会を台無しにしてすみません」
彼女に謝られなければいけないようなことでも無い。
カサンドラだって役得な想いが出来たのだから、彼女が全てを台無しにしたなんて思うはずがなかった。
「剣術絡みのことだったら、随分慣れて来たんですけど……!
その、ただぶつかるだけなら耐えられたんですが」
ぼそぼそ、とリゼは口ごもる。
再び蒼い目をぐるぐると回しながら、頭を抱えて何度か首を横に振った。
「きゅ、急に、……ぎゅって……び、吃驚して」
ただ背中からぶつかっただけなら、本当に突っ立った大木に当たった程度の認識で済んだだろう。
だが咄嗟の事で彼も腕が動いて受け止めようとした動きは完全に後ろから抱きすくめているようにしか見えなかった。
それはカサンドラもバッチリ両目で確認しているから知っている。
そりゃあ倒れ込んでくる相手を支えようと思ったら腕が出るのは当然だが、相手がリゼということでどうにもカサンドラには故意に思えてしょうがない。
「……それに……
ジェイク様にマフラーの話をしてしまったせいで、王子の耳にも入ったしまったようで……
ご、ごめんなさい」
完全にしょぼんと肩を落とし、悄然とした様子になってしまったリゼ。
折角の楽しい一日が、己の失態を並べるだけで終わるというのは辛い。
それに彼女のお陰で図らずも自分にとって齎された都合の良い幸運だってあるのだから。
彼女の主人公パワーのお裾分けのようなものかも知れないが、彼女が恥じ入って俯く必要などどこにもない。
「そのような事を仰らないでください。
わたくしはリゼさんとご一緒出来てとても心強いですし楽しいです。
それにジェイク様の一言が無ければ、あのマフラーを渡す勇気が無かったでしょう。
王子が身に着けて下さる姿を拝見できたのです、あの日にお渡し出来て良かったと自分の幸運に感謝しています」
「……あ! もしかして、今日王子が巻いているマフラーってカサンドラ様の手編みですか?
凄いですね、とっても上手で気づきませんでした」
彼女は笑顔になって、やや興奮気味に手を叩く。
色々な偶然などが噛み合って、こうやって今日一緒に過ごすことが出来ているのだ。
ほんわかとした雰囲気が漂い始めた頃であった。
「まぁ、皆様お揃いで。
ごきげんよう」
肩にかかった赤銅色の長い髪を掌で払いのけ、レースをあしらった蒼いリボンを頭に着ける可愛い女の子がカサンドラ達の前に姿を見せた。
アンディの待ち人、ミランダだ。
急にどこから現れたのかと不思議に思った。視線をずらすと、白い幕を張った即席の小屋が市場の傍に立っている。まるでテントだ。
幾人も並んで中に入る順番を待っているようで、どうやらその幕の中から出てきた直後ということらしい。
立て看板や案内もなく、小さな白いテントの中で一体何が行われていたのだろうと首を傾げる。
「あちらで占いをしてもらっていたのです。
市場が立つ日に現れる、有名な占い師だとか。まあまあ、それなりに信用は出来そうに思いました。
……たまたま今日、アンディと一緒に市場を回ろうという事になって……
気になって占ってもらったまでです」
占い師、と言われてカサンドラは内心で大きく頷いた。
ゲームの中で相性占いだの相手との恋の進行状況、攻略対象の好みなどをダイレクトに教えてくれるというあの情報屋ならぬ占い師!
そうか実在していたのか、とカサンドラは白い幕を眺めて得心がいったように頷いた。
「占い……ですか。
ミランダさんって、そういうの好きなんですね。意外です」
恐らくこの世の恋する乙女として、最も占いだのおまじないだのの根拠薄弱な感性でモノを言う現象から程遠い女の子、リゼ。
彼女は物凄くうさんくさいものを見るかのような目で、占いが行われているであろう天幕とミランダとを交互に見やる。
「た、たまたまです!
たまたま目についただけで、そこまで本気にはしておりません」
「そうかな。
どうしても占ってもらたいと、長い間並んでいたと思うけど。
もう用件は終わったかな、ミランダ」
冬でも爽やかで、春の穏やかな陽光の如き存在のアンディ。
彼は腕を組んで口を尖らせるミランダに寄り添い、ぽんっと彼女の肩に手を置いた。
猫が毛を逆立てるように、びくっとミランダの身体が跳ね上がる。
「え、ええ……お待たせいたしました」
確かにアンディはミランダを待っているとは言っていたが、待ち合わせで待っているとは言っていなかった。
占い師に見てもらっている最中、同行せずに外で待っていただけだったとは。
並んでいる人は妙齢の女性ばかりだ、まぁ、恋占いが有名な占い師なのだろう。
ゲームでの役割を考えればさもありなんといったところだ。
市場に行って占いをするだけで一日が経過してしまうが、そんなに時間がかかることでも無いだろうと考えていた事を思い出してしまった。
確かにこの長蛇の列、一人一人に長い時間……となれば半日がかりになってもしょうがないかも知れない。
「占い、ねぇ……」
若干含みを持たせたジェイクの声に、ミランダはムッと顔を顰めた。
まるでそんな乙女じみた行為は似合わないとでも言いたげな雰囲気だったからミランダが気分を害するのは当然だ。
別に悪いことをしているわけでもないのだし。
「ああら、ジェイク様。
こんなところでお休み中の貴方とお会いするなど思ってもいませんでしたわ。
――どうやらアンディが貴方達のダブルデートをお邪魔してしまっていたとは、申し訳ございません」
意趣返しとばかりに、慇懃無礼にミランダは頭を下げる。
ホホホ、と悪役お嬢様バリに手の甲を口元に当てて笑う仕草が大変堂に入っていた。
「俺はアーサーの護衛にいるだけだ、いつも通りな」
あまりその辺りの事情には触れて欲しくないのだろう、曖昧な空気が伝わってくる。
彼からしてみれば、この状況はグレーなのだ。
敢えてリゼを巻き込んだ、その理由を掘り下げられるのは大変都合が宜しくない。
そしてアンディもミランダも、完全に把握しているように見えるのはカサンドラの気のせいではあるまい。
「あれ? 護衛だったの?
王子と別行動で彼女と一緒にいたのを見てたから、てっきり」
「違う。」
アンディの疑問をかなり食い気味に、ジェイクは否定した。
あまり
こと、ジェイク関係についてはお互いに分かり合っていると言っても良い状況のカサンドラと王子である。
彼との感情のやりとりが進む前に、何故ジェイクの恋愛事情に関して現状を正しくして共有しているのか……
と不思議に思わなくもなかったが。
――触れず、語らず、でも反対はしない。
そのスタンスで行動する王子にとって、この空気は嘴も挟めず微妙な反応にならざるを得ないわけだ。
「違いますよ、今日は私も王子の……というか、ジェイク様の付き人扱いで同行させてもらったようなものです」
アンディもミランダも同時に彼女に注目する。
そして実際にリゼが年頃の女の子には似つかわしくない、カサンドラでさえ二度見しかけた長剣装備状態と一目でわかる出で立ちだ。
ずっと一緒にいたら見慣れてしまったが、ミランダは眉根を寄せてリゼを見据える。
「貴女、こんな状況で物騒な得物をお持ちなの?」
「私、格闘術はまだ自信がないので……
武器が無いとお二人に何かあった時に盾にもなれませんから」
真剣極まりない様子でそう言い切られ、ミランダはそれ以上の詮索を諦めたようだ。
随行の剣士と言われればそれで納得できてしまうだけの実力を持っていることを彼女も良く知っているわけで。
アンディも長居が過ぎたと、すまさそうな表情で頭を下げる。
「カサンドラ様、王子をお引き留めしてしまって大変申し訳ありません。
どうか今日一日、楽しくお過ごしください」
「ご丁寧にありがとうございます、アンディさん。
お二人とも仲睦まじく、素晴らしいことですね。貴方がたも、どうか良い一日を」
話を聞いた限りでは、この青年は本当にミランダのためだけに騎士になって年齢に見合わない地位を貪欲に求めてきたらしい。
どう見ても草食系のか細い女顔の青年にしか見えないのに。こうと決めたら途轍もない、梃子でも動かない芯の強さを持っていると思う。
人は見かけによらないとはこのことか。
……まぁ、リゼの事さえなければミランダもごく普通の可愛いお嬢様だったはずだ。
根が真面目で責任感が強いからこそ、追い詰められていたという側面もあるだろうし。
アンディの手を取ってそのまま別の場所へ移動しようとするミランダ、彼女は傍を横切る際に小難しい顔をして耳元で囁いた。
「カサンドラ様……
あの
心底呆れ返った彼女から放たれた疑問に、カサンドラは何も言うことは出来なかった。
傍にいて、一緒に過ごしていれば彼女はまさしく普通に恋する女の子でしかないはずなのだが。
ただの付き添いという言葉に全くショックを受けた様子もなく、照れ隠しではなく本気で自己申告して彼の言い分を補強する姿だけ見れば――
ミランダの所感通り、恋愛回路が思考にセッティングされているのかと疑問に思うのも致し方ない。
本当の事を逐一説明する事も出来ず、こうやって
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