第305話 勘の良い人


 先週末リタの訴えを聞き、彼女の様子を心配していたカサンドラ。

 そろそろリタにも攻略対象とのイベントがある時期だ、恐らく近々進行するだろうと分かってはいるものの……

 やはり数値が見えない、攻略情報を確認しながら進める事が出来るわけではない状況ではヤキモキするばかり。


 一発勝負のこのイベントで、もしも発生しなかったらどうしようと手に汗握る緊張感を味わっていた。


 もし自分が主人公だったら違った心境だろうが、元はお邪魔キャラという役回りのせいで全く生きた心地がしないのだ。

 どうか彼女の今までの決意や努力が喜びに変わりますように。


 その願いが聞き届けられたのだろうか。

 週が明け早々、カサンドラが仰け反ってしまうくらいリタは元気を取り戻していた。

 取り戻すどころが何割か増している。


 キラキラ効果エフェクトを周囲にまき散らさんばかりの機嫌のよさで、先週のあの落ち込みぶりは夢か幻だったのかと唖然と見守るしか出来ない。


 ああ、きっとラルフから偽装婚約者の話の打診を受けたのだな……


 事情を知っているカサンドラはともかく、当然他の生徒達は急な彼女の上機嫌さに怪訝顔だ。

 勿論当人もあまり浮かれていては良くないという自覚があるのか、キリッと真顔になって浮かべる笑みを堪えようと努力している姿が見える。

 残念ながらその努力は持続しないようで、すぐに頬が緩んでしまう。


 ニヘラ~、と一頻り怪しい笑みを浮かべた後に思い出したように気を引き締め。

 物思いに耽るような態度を見せたかと思えば、身を捩らせたり。

 リタの様子の可笑しさに気づいた周囲の生徒は、彼女から若干距離を取っているような気がする。


 リゼやリナの閉口っぷりを見ると、彼女が誰にも口外しないという鉄の約束をしっかり守っていることは分かるのだけど。

 さぞや彼女の不審な様に呆れているのだろうなという空気は伝わって来た。


 リナは元気になったのなら良かったと胸を撫でおろすが、リゼの険しい視線は決して緩むことはない。

 三つ子でもここまで性格や行動に差があるのは傍から見ていれば興味深く面白いが、当人はさぞ疲れることであろう。


 このままイベントが無事に終われば、彼女もラルフの攻略ルートに入ったということでしばらくは安泰に違いない。

 そうであることを祈りつつ、様子が全く一定しないリタの様子を教室の後方から眺めて苦笑いのカサンドラだった。


 メイドのアルバイトという、冬休みに駄目押しの気品パラメータ上げを頑張ってきたのだ。

 彼女の努力は絶対に報われると信じている。




 ※

 



 昼休み、カサンドラは生徒会室を訪ねていた。

 先週末借りた資料を返却するためだ。卒業パーティの規模や企画の事などを考えると頭が痛いが、とりあえず王様からのお祝いの言葉を戴かなくては始まらない。国王が来賓するに足る格式のパーティを催さなくてはいけないというプレッシャーに頭が痛くなる。


 入学式の時さえ国王は姿を現わすことはないが、卒業生の前にようやく初めて姿を現わすクローレス王国国王陛下。

 カサンドラは先に彼に個人的に会ったことはあるが、貴族といえども国王の面と向かった経験がある生徒は少ないだろう。


 その貴重な機会を瑕疵無く演出する必要もあるのだなぁ、とカサンドラは分厚い資料を両手に持って生徒会室の中に入っていく。

 両手が塞がっているので、とりあえず片方の腕に書類の重心を移した。一瞬空けた片手で軽くノックを行い、返事が無い事を確認。

 素早くノブを回し――少々はしたない事を承知の上で、左半身をドアの間に滑り込ませることにした。

 ノックの反応も無かったし、無人の室内なら第三者に見咎められることはあるまいと。


 思った通り、手ではなく身体をねじ込むように無理矢理押し開いて入った生徒会室の中は人の気配が無い。

 ホッと胸を撫でおろし、資料の束を机の上に置く。


 資料内での必要な個所は書き写している、後は書棚にこれを返却すればミッションは完了だ。



「………っ…」



 だが安堵したのも束の間の話。

 いつぞやの過去が蘇るように、カサンドラの耳にピアノの音が聴こえてくるではないか。

 生徒会室の奥の扉、役員のみが立ち入ることの許された休息所、サロン。

 もう少し暇な時期には、シリウスや王子が優雅に午後のティータイムを堪能している事もあったが……


 ここでピアノを弾いているということは、中にいるのはラルフに違いない。

 立ち去ろうと思っても、足が床に縫い留められたようにピタッと貼り付き身じろぎできず、カサンドラは動揺した。


 扉の向こうから漏れ聞こえる曲は、ラルフが弾いているのだから当然聴きごたえのある美しい調べである。


 今までカサンドラが聴いたことのない心が惹きつけられるものだったせいか、全く意識が離せないのだ。

 その場から動いてしまえば僅かに音を見失ってしまうのではないかと、全神経を集中させてそれらの音を拾う。


 全体的に柔らかく、優しい曲だ。

 何故か聞いているとドキドキする、心地よいはずなのに胸が締め付けられるような切なさも込み上げてくると言うか……

 こんな曲を彼が弾けるのか、と衝撃を受けた。


 今まで演奏する曲は主に壮大な曲が多かったラルフである。

 厳かで古典的な雰囲気の重々しさをはらむものとは正反対で、あくまでも明るい曲調。

 ともすれば軽佻浮薄とも解釈され得るようなふわっとした響きでありながらも、儚さや切なさを低い音階を混ぜることで表している。

 

 普段耳にする有名で知れ渡った曲とは様式を異にする彼のピアノの音は、聴いていて心地いい。




  ――……。



 だが曲の途中、フッと途切れてしまう。


 肩透かしを食らった気分だ。

 ここから徐々に盛り上がっていくのだろう前段階で、先の小節ごと消去されてしまったとでもいうのか。

 軽快にスタッカートで弾かれていた音階がピタッと消え去ってしまい――かなり消化不良である。


 聴きたいのはその先なのだけど、とカサンドラは続きが演奏されるのを心待ちにしていた。

 だがその期待感も、彼がサロンから姿を現したことで一瞬で霧散して消えてしまった。


「……今度は君か、カサンドラ」

 

 溜息交じりで生徒会室に戻って来たラルフは、扉の傍で聞き耳を立てていたカサンドラを見下ろす。

 僅かに嘆息を落とす彼の姿に、カサンドラは悲鳴を上げかけた。

 自分が何か非常識な事をしたわけではないのに、とても気まずさを感じてしまう。

 扉にべったりと貼り付いて盗み聴いていたわけではないのに。


「ほ……ホホホ、ごきげんようラルフ様」


 両手に抱える資料の束を強調するように掻き抱き、カサンドラは引きつった笑みを浮かべる。

 だがあの一学期の頃と比べ、彼らに対して遠慮ばかりしている自分ではない。

 生徒会の活動を経て会話を交わす機会も多かったし、以前よりは態度が柔らかくなったと思うし。


 ここで盗み聞きめいたことをしたと狼狽える必要はない。自分で自分にそう言い聞かせる。


「ラルフ様。大変厚かましい事をお伺いしても宜しいでしょうか。

 今し方サロンでお弾きになられていた曲は、何という題名タイトルなのでしょう」


 ここでそそくさと退出するのも癪である。

 まるで体よく追い払われたような形になってしまうのは釈然としないし、何より……

 先ほどぶつ切りになってしまった曲のことが耳に残って離れない。


「題名?」


 ラルフの紅い瞳が真っ直ぐにカサンドラを映す。

 どことなく王子に似ている綺麗な顔に見つめられると不覚にも動悸が激しくなってしまう。

 元々攻略キャラの中では公子という立場で、正統派な王子系と言える男性だ。

 ふとした瞬間、ドキッとさせられる。


 そろそろこの美形集団の中にいるのだから慣れても良い頃だろうに。

 やはり彼らはこの世界にとって特別な存在なのだろうな、とも思う。


「先ほどの演奏が途中で終わってしまいましたので、続きが気になります。

 音楽室に向かえば楽譜があるのでしょうか」


「――そんなものは無いよ」


 カサンドラは首を傾げた。

 題名が無い曲というものはこの世にいくつかあるかも知れないが、何も『無い』と明言されて不思議に思ったからだ。


「今の曲は題名をまだ考えていないし、続きもまだイメージが浮かばない。

 試しに弾いてはみているが、中々納得いくフレーズが思いつかずに行き詰っているところなんだ」


「まぁ、ラルフ様が作曲を」


「シャルローグ劇団長の依頼だ、二度目かな。

 こんなに難産になるとは思わなかった、引き受けた以上はそれなりの仕事に仕上げるつもりではいるけど」


 以前王子と一緒に観劇に行った際、メインテーマを作曲したというラルフ。

 初公演時だったので彼自身が演奏している曲の中、劇を楽しんだことを思い出す。

 今度は一体どんなテーマか、想像しただけでワクワクする。

 きっと素敵な曲になるのだろう、招待客ではなかったとしても一般客の一人として観劇に行きたいものだ。


「次の劇はどんな物語をモチーフになさるのでしょう、今から楽しみです」


「……。

 近い内、劇団から発表があるんじゃないか」


 カサンドラはヴァイル派の人間――劇団に関わる人間ではない。

 次の主演目の情報は他言するに及ばない伏せるべきことなのだろう。


 先ほどの曲調を聞く限り、壮大な物語ではないような気がするけれど。

 当てずっぽうで聞いたところで、彼は真面目な人だ。誘導されて答えを言うような軽い口は持ってはいないはず。


 次の演劇も彼の作った曲なのかと思うと一つ楽しみが増えたな、とカサンドラは小さく微笑んだ。



 立ち尽くすのもきまりが悪く、手に持っていた資料の束を書棚に収める。

 彼の作成途中だという曲の詮索や完成への催促も出来ないし、かと言って共通の話題というものも今のところ思いつかない。

 卒業パーティでの楽士隊関係の折衝は全て彼に一任しているので、カサンドラが口を挟むこともできないし。


 軽い雑談を交わす程、彼と友好的――というには及ばない。

 

 日常的にラルフと二人で話をする機会もないもので、どうにも気まずい空気が流れていた。


 彼は作曲作業を今日は諦めたのか、早々に部屋から出て午後の選択講義に向かう算段らしい。

 カサンドラに何か話題を振ってくるわけでもなく、ひんやりと冷たい空気が生徒会室を足元を絡めとる。



「あの、ラルフ様」


 丁度良い、という言い方は彼に対して失礼かも知れない。

 だが、カサンドラは丁度今懸念事項を抱えていた。恐らくこの学園にいる誰よりも助言をもらうに相応しい相手だと思い至り、引き留めてしまった。

 やや不審げな様子で振り返るラルフに、カサンドラは悩んでいた事を一つ、彼に託してみる。


「ラルフ様は王立美術館に足を運ばれたことはございますか?」


「美術館? ……ああ、劇場と同じ区画にあるし、あれはヴァイル家の私物を飾っているようなものだ。

 月に一度様子を確認に行く程度だけど、それが何か」


 この王国で芸術分野にヴァイル家が関わっていない事の方が珍しい。

 音楽関係だけではなく、有形無形の『文化』を彼らは掌握していると言っても良い程だ。

 本来の職にすれば窮するだろう芸術を生業にする者達の後援者パトロンとして、彼らヴァイル派に属する貴族は多くの芸術に秀でた才能の持ち主を囲っている。


 だから王立美術館と言っても、そこに貸し出し展示している者はヴァイルの所有物なのだと言われたら納得だ。

 王家に代々伝わる傑作品は、間違いなく王宮の宝物庫に飾られていて一般人の目に触れる機会などないはずである。


「実は今週末美術館を訪れる予定があります。

 ですが何分初めて訪れるもの、全く知識がない状態で向かうのは同行者にも失礼ではないかと思っておりまして。

 現在、美術館で最も好評を博している人気の絵画や彫刻のことなどを教えていただけないでしょうか」


 今週末は王子やジェイク、リゼ達と王都散策に向かう約束をしている。

 そして行き先がリゼの提案で博物館、そしてカサンドラはそれに倣うように慌てて美術館という名称を出した。


 博物館という知性を伺わせる場所に並ぶスポットと言われれば美術館くらいしかパッと思い浮かばなかったから。

 だがよく考えれば、カサンドラは絵が上手なわけでも芸術的センスに優れているわけでも、造詣が深いわけではない。


 全くの素人だ。

 一流の絵画が展示されている場所で「綺麗ですね」の一言しか感想が言えないとしたら……

 何の予備知識も興味もなく美術館に行きたいなんて言ったのか、と王子に呆れられてしまうかも知れない。


 だが敢えて事前に下見に行ってしまえば、新鮮な驚きや感動が薄れてしまうのではないか、という気持ちが湧く。

 元々絵心のないカサンドラだ、何度も短いスパンで観に行きたい! と思う情熱は抱けないだろう。二度目の訪問で新鮮味を感じない姿をつまらなさそうなんて思われては本末転倒。


 だが、せめてどんな展示物が人気なのか。それについてのある程度の蘊蓄うんちくは王子に話を振られた時の教養の一つとして知っておくべきではないか。

 咄嗟に口にした事で、現代芸術について全く知識がないのです……

 なんて、かなり恥ずかしい事ではないか。


 そう思って悶々としていた今、ラルフがそこに立っている。

 しかも美術館と言えば彼の専門分野、助言を乞うなら今しかないと思ってしまった。

 


 彼は肩を竦めた。


「事前知識なんて知らない方が良いだろうに。

 美術館は訪れる多くの人間の関心を惹くためにレイアウトを考えたり、注目の作品だと紹介する事はある。

 でも、それはあくまで美術館側の都合で決められるもの。

 より多くの人に認められた作品だから君にとっても価値がある――というわけじゃないだろう。

 何を良いと思うかなど、人それぞれだ。

 作品は数多く展示されている、その中で自分が好きだと思える作品に一つでも会うことが出来ればいいと思うけどね」


 ラルフの言わんとすることは、何となく分かる。

 皆が綺麗だと認めるから自分にとって最も美しく胸を打つ作品かと言われるとそうとは限らないだろうし。

 全く予備知識がない状態で展示される作品を見て回る方が、色眼鏡なく自然に芸術を楽しむということに繋がるのかも。


 でも教養が無い無知な人間だと思われると想像すると、そちらもぞっとしない未来絵図である。

 ただの思い付きの咄嗟の一言がこんな悩みを生み出すとは。



「……美術品に限らず、その日何かに触れて感じる事は案外その時の自分の気持ちにも大きく左右されると思う。

 もっと言えば一人で見に行ったか『誰と』一緒だったかでも受ける印象は変わるものだし。展示物の背景を調べてこう解釈しないといけない、感じないといけないなんて思い込む方が勿体ない事だ。

 固定観念なく真っ新な状態で美術館に行ける君が羨ましいくらいだよ」


 芸術に関して一家言があるというより、結構自由な感性の持ち主でもあるのだなと思った。

 それに自分が興味を持ち関わる分野に対しては、やはり彼も饒舌である。

 肝心の情報を仕入れることは出来そうにないが――


「僕みたいに作り手の事情や当人の顔、仕入れた経緯だのを知っている状態だと、どうもね。

 素直に芸術に触れて感動するという機会が削がれている気がするから」


 ややうんざりした様子のラルフを前に、カサンドラも曖昧に頷く。

 何々派だの、歴史的経緯だの、公に認められた背景など。それらが無い方が素直に受け入れられるというのは確かだろうし。

 知っていることは教養の一部かもしれないが、どうせカサンドラの場合は付け焼刃にしかならない。

 ボロを出して恥ずかしい想いをするよりは、無理にさかしらぶらずに王子達と一緒にその場を訪れることが出来る幸せ感を満喫した方がいいのかも知れない。




「アーサーも普段”美術通”を気取ったお偉方と一緒に観覧して回る事ばかりだったから。

 緩い雰囲気で見て回る良い機会だ。

 館内は広い、ゆっくり見て回って来ればいいさ」






 いきなり王子の名が出たものだから、露骨にカサンドラはおろおろと動揺を晒してしまう。


 だが素知らぬ風の彼の飄逸ぶりを見て思った。



   


   この人、本当に鋭いな……?

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