第306話 ダブルデート?
とうとう、二か月前からお預け状態になっていた『この日』が訪れた。
日々真面目に過ごしているカサンドラ、そのご褒美なのだと言われたら有難く信じるだろう。
――王子と王都を散策する。
要するに、普通に表現するならデートだ。
だが彼は一国の王子。
この西方大陸の全てを領土に治める大王国、クローレス王国唯一の王子様。
普段学園に通って一生徒として過ごしているが、彼の立場の尊さはカサンドラなどの比ではない。
本来人の命の価値に差があってはならないはずだが……彼と比して己の方が価値がある人間だと言い切れる人間などこの国にはいないはずだ。
臆面もなく己の方が尊いだなんて言い出すなど、思い込みの激しい愚者であろう。
当然彼と二人きりで王都に出るということは大変困難だ。
要人であるがゆえに、常に周囲はガチガチに護衛でガードされている。
想像しただけで、落ち着かない事この上ない。
学園内という目立った監視の無い世界で日常を送る自分達には、息苦しいことだ。
そこで王子が声を掛ける相手がジェイクになるのは自然な流れだと思う。
王子の幼馴染、一緒に行動することに何一つ不自然な要素が無い。
彼一人で本来配置される騎士の護衛の替わりになるというのだから、そりゃあ王子が彼と行動を共にする機会が多いのも頷けるというものだ。
「王子は重要人物ですから!」と過保護に囲まれて息を詰まらせるより、気心の知れた友人と一緒に行動する方が良いはずだ。
便利アイテム扱いというわけではないだろうが……
護衛が必要な場所に出かける際、王子がジェイクに声を掛けるに足る十分な理由だろう。
つまり王子と同行するということは、ジェイクと出かけると同義だと言っても良い。
半年ほど前、王子とジェイクと一緒に街に出た事を思い出していた。
まだ王子達とそこまで知った仲ではなかった、三人で一緒にと誘われても結局王子とジェイクが二人で会話するばかりだった事を。
そこに割り込めるほど空気が読めないわけではなかったし、探り探りの状態だったからしょうがないとはいえ、疎外感を抱いたことは否定できない。
あの日デイジーとリゼが”茶番”を仕込んでくれなければ、王子と二人で話をすることさえできなかったのではないだろうか。
そんなの、胸を張ってデートだなんて言えない。
王子から街を散策しようと声を掛けられ、同行者は前回と同じジェイク。
そして彼たっての申し出でリゼも一緒だ。
表向きは護衛が自分一人で手持無沙汰だからだとか、自分の身を自分で守れる戦闘系女子だからだとか、面倒なしがらみの一切ない平民だから気軽に声をかけられた、だとか。
まぁそれなりな理由を並べてはいるだろうが。
――間違いなく、リゼと一緒にいたいから彼女をこの場に
リゼが彼の攻略ルートに入ったことは間違いなく、彼が意識するようになったということだ。まだまだ、完全に想いが通じ合うにはイベントが足りていないけれど。
毎週の家庭教師枠の時間、選択講義の時間だけでは飽き足らず、休日まで……!
一緒にいたいと思い立ったら、即行動。機会を逃さず彼女までこの場所に引き込んできたわけだ。
彼が抱える葛藤の事を思えば、それがギリギリの妥協点。
王子や自分はダシに使われてしまったようなものだ。
「カサンドラ様!」
待ち合わせ場所の中央広場に向かう。
広場の円形の花壇の中に日時計が設置されていて、薄い雲間から射しこむ光が影を指しているのが見えた。
あまりにもこの日が待ち遠しく、緊張も相俟って約束の十時より早く到着したカサンドラ。
浮き浮きで早く出たため自分が一番早く着くと思っていたが、何と先に待機していたリゼが大きく手を振った。
ホッと安堵の吐息を落とし、笑顔を向けるリゼにカサンドラは早歩きで近づいた。
冬の寒さの中、広場に人の姿は疎らだ。
だが子供たちの明るい笑い声やけたたましく走る足音は四方八方どこからでも聞こえてくる。
冬だろうが、カンカン照りの夏だろうが子どもたちは元気なことだ。
「ごきげんよう、リゼさん。
随分お早いのですね」
「緊張してしまって……
居ても立っても居られず、一時間前から待ってました」
彼女は手をぐっと握りしめ、前のめりの姿勢でそう言った。
一時間前からこんな寒空の下で待っていたのかと、カサンドラも驚く。
だが剣術を学び始めて以降、かなりリゼは体力がついてきたはずだ。
もはやちょっとやそっとの外気温の寒さで体調を崩すようなヤワな体ではないのだろう。
「わぁ、カサンドラ様、素敵な外套ですね!」
リゼは蒼い目を輝かせ、羨望の眼差しをこちらに向けた。
羽織っているベルベッドケープは柔らかく、上品な手触りと深い光沢感を持っている。深い紫色の外套にはファーも付いているので首回りもとても暖かい。
ありがとうございますとお礼を言った後、カサンドラもリゼの可愛らしいコート姿に手を合わせて微笑んだ。
「リゼさんも良くお似合いですね」
ふかふかで暖かい羊毛生地のポンチョ。襟を結ぶ二つの丸いポンポンがさくらんぼうのように着いていて、丈は短いながらもキャメル色の上着は彼女に良く似合っている。
「………?」
だがしかし、違和感がある。
膝上のスカートに黒いタイツを履いているので活動的なイメージはそのままで、彼女の細いが健康的な脚の形が分かる。
それはいい、上着とよく似合っていて年頃のお嬢さんとしか言いようのない姿なのは瞭然だ。
シルエットが若干制服と被っているが、奇抜な格好より余程彼女に合っている。
赤いリボンを着けているし、いつものリゼの姿のはずだ。
だがパッと見て大きな違和感を抱いたカサンドラ。
原因は分かっている。
――いや、分かってはいたが見過ごしていたと言えばいいのか。
日常生活と無縁のモノなので視界に入ったそれを脳が排除し、即座に認識できなかったようだ。
「どうして、剣をお持ちなのですか……?」
寒さではない理由で震える指で、カサンドラはリゼが腰に帯びている長剣を指差した。
硬質な黒い皮のベルトはその可愛らしいスカートには不似合いな重厚感が漂い、しかも本物としか見えない鞘に入った剣を掲げているわけで。
どこからどう見ても可愛い普通の女の子なのに、得も言われぬチグハグ感の原因はその剣だった。
細い手足の少女が扱うには少々本格的過ぎる装備に、カサンドラは絶句した。
「私、今日は王子とカサンドラ様の護衛要員としてお声が掛かったと思ってます。
素手での戦闘は自信が無いので、散々悩んだんですがこれを持ってくることにしました」
カサンドラは今日のイベントを勝手にダブルデートみたいだなと思っていたが、デートに剣を装備していくかどうするか悩む恋する乙女が身近に存在したことに絶句した。
恋愛だのデートだのという言葉に似つかわしくないにもほどがある。
彼女の潔い決意に、カサンドラは「それも良く似合っていますね」と口にするしか出来ない。
実際、長剣を帯びる彼女の佇まいは凛々しく、堂々としたものだ。
だが前提としての可愛らしい格好に対する、造りのしっかりした重厚な雰囲気を持つ剣のアンバランスさが凄い。
結構な衝撃だったが、見た目よりも実用性を重視する彼女らしいとも思う。
「今日、とっても楽しみにしてました。
宜しくお願いします」
「こちらこそ、リゼさんが来て下さって嬉しいです」
ジェイクがリゼに声を掛けたと聞いた時は、何とも行動の早く自分の想いに素直な人だと思ったものだ。
自分と王子の外出という話で、役得を狙ってリゼまで巻き込むとはと呆れもした。
だが実際、こうしてリゼと一緒に休日過ごせるのは素直に嬉しい。
剣術大会の特別試合の時でもそうだったが、好きな相手同士が友人というのはかなり親近感が湧くものだ、勝手に同志のようにも思えて心強くもある。
何よりこうして時間を持て余すこともなく、緊張を解いて会話が出来る相手といられるのは有り難い。
可愛らしい服を持っていないと言っていたリゼだが、アルバイトで貯めたお金で自分で買いに行ったと照れ笑いされ微笑ましい気持ちになったり。
冬休み中リタがカサンドラの屋敷でお世話になったようで迷惑ではなかったかなど聞かれ、久しぶりに彼女と一対一で話が出来た。
リタの様子がおかしいんですよねぇ、などとリゼが釈然としない様子で話していると、どうやら待ち人たちがやって来たらしい。
広場出入口に向かって立っていたリゼが先に気づいてくれた。
「あっ! カサンドラ様、お二人が来たみたいですよ」
流石王子、時間にはとても正確だ。
チラっと腕時計で見える時計は、もうすぐ十時というジャストなタイミング。
リゼの声に促され、カサンドラは彼らに向き直って目を凝らす。
相変わらずどこにいても目立つ人たちだ。
並んで歩いているだけで華がある、まるで彼らの周囲の空気にだけ不可思議な力が働き光の粒子を生み出しているかのように。
王子は言わずもがなのことだが、ジェイクも普通に美形だしカッコいい。
顔立ちのベクトルは違うが、精悍で体格の良い彼は好青年としか言いようがないわけで。
普段学園で見慣れているはずなのに、場所やシチュエーションが違えばこうも動揺してしまうものなのか。
「待たせてしまって申し訳ない」
「向こうが来るの早すぎってだけだろ、時間は合ってるんだし」
広場にいる人間が皆一様に彼らに注目する。
老若男女という単語がこれほどしっくりくる状態はないだろう、ぽかんと口を開けて彼らの存在に驚いている者ばかりだ。
王都で有名人であることは間違いなく、駆け寄ろうとする子供を懸命に抑える親の姿もチラホラ見える。
言葉を交わしながら近づいて来る王子とジェイク。
「………!」
カサンドラの緑色の双眸が、たった一点に釘付けになる。
全く予想していなかった――というわけではない、期待していてそれが叶わずガッカリしてしまいたくなかったから。期待するな、と自分に言い聞かせていた。
彼と一緒に外出できるという幸せな一日に、僅かでも
だから敢えて考えないようにしていたのに。
「王子、ごきげんよう。お誘いを頂戴し
……その……」
彼の首に巻いているものには見覚えがありすぎる。
口ごもり、恥ずかしくて俯いてしまったカサンドラ。
「マフラー、使って下さってありがとうございます」
「毎日寒いからね、君がくれたマフラーは暖かいからとても助かっているよ」
二重にくるっと巻いたマフラーは、それ単体で見れば素人が編んだものとしか言いようがない。
素材の良さのだけが救いだという代物。一生懸命編んでも、やはり職人の域には全く及ばない。
しかしダークグレイ単色で編んだマフラーは大人っぽい雰囲気で彼に良く合っているし、それを指差してにこっと微笑む彼の姿に全身の血液が沸騰しそうだった。
わざわざ身に着けて来てくれたのだと思うと、心遣いがありがたい。
嬉しいのに気恥ずかしく、直視すると言葉を見失う。
全て一流のものに身を包まれていなくても、彼は相変わらず周囲の視線を奪う強烈な存在感を放っていた。
「おー、良く似合ってるんじゃないか。
そういう組み合わせもありだよな」
「このベルト、本当便利ですよね。
ありがとうございます」
そしてすぐ傍で、ジェイクとリゼも何やら楽しそうに会話をしている。
ジェイクの目を通すと、この可愛らしい女の子仕様のリゼが”敢えて”帯剣する様が――良く似合うという評価になるのか。
……この人のセンスは良く分からないなと、カサンドラは聴こえてくる彼らの話に笑みを引きつらせる。
王子も彼らの話を漏れ聞いたのか苦笑を浮かべ、カサンドラと顔を見合わせて肩を竦める仕草を見せた。
「いつまでもここにいては寒いだけだね、大通りに向かおうか」
王子の提案を受け、それもそうだと四人揃って広場の出口に向かう。
リゼとジェイクはなんだかんだと仲が良さそうにずっと話をしているが――
そうなってくると、当然組み合わせとしてはカサンドラの話し相手は王子になる。
「大通りと言えば、今の時間は市場が開かれていますね」
「そうだね、カサンドラ嬢に抵抗が無いのなら露店でも見て回りたいと思っているのだけど、どうだろう」
「王子は市場でお買い物をされることがあるのですか?」
「普段は見て回るだけかな。
実際に人の様子や盛況感を確認することが目的だから」
「王都の市場には地方や異国の品も並びますから、見ているだけでも楽しいですよね。わたくしは雰囲気も含めて、市場が好きです」
「もし興味が惹かれるものがあればゆっくり見て良いからね。
私達に遠慮などいらない事を、良く覚えておいて欲しい」
ごく自然に王子の隣に歩き、会話も出来る。
以前は彼らの後ろで笑顔を貼り付けながら会話を聴いていたのとはまさに雲泥の差。
だがもしも――
背後で同じく楽しそうにリゼと話しているジェイクが、彼女に一緒に来いと声をかけなかったら。
きっと王子と一緒に街を散策と言っても、王子はジェイクとばかり話をしていただろう。
ジェイクも話好きな方だから、仮に勇気を振り絞ってカサンドラが王子に話しかけたとしても彼が乗っかってくることは簡単に想像できる。
今のジェイクはリゼにかかりきりだ。
カサンドラ達の事は視界に入っても、意識には入っていないのかも。
これが……
これが真なるWin-Winの関係……!!
ジェイクの極めて個人的な希望が、まさかカサンドラにこのような福音を齎すとは。胸の中で喜びの鐘が打ち鳴らされている。
ダブルデートっていいなぁ、とカサンドラは王子の隣で幸せを噛み締めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます