第302話 助言するのは難しい


 三学期になって初めての生徒会役員会議。

 ――誰もが張りつめたような緊張感を持ちながら参加していた。


 各々この三学期がとても多忙であることが確定しているからだ。

 卒業パーティという一年の締めくくりのイベントは生徒会が主催ゆえ、当然準備期間中バタバタする事になる。

 本来卒業生として送り出される側の最上級生のアイリスやビクターも役員なので送り出す側の立場としても準備を進めなければいけない。

 このパーティが恙なく終わるかどうか、盛況だったかは重要だ。学園生活の集大成。

 やる気もそうだが、絶対に失敗できないという意気込みを感じる。


 ジェイクはそれに加えて地方見聞研修の護衛役を騎士団に依頼するので「またか……」とあからさまにうんざりした様子だし。

 シリウスは騎士団の事には積極的に関われないが、卒業パーティの準備の後の学年末試験の事がちらついているのか。表情がいつもより神経質そうに感じる。


 三学期は学園での直接授業が少ない代わりに、出題範囲が一年間を通した広範囲に及ぶ。

 こちらも一年を通した学習成果の集大成であるが、ただでさえ勉強時間が取れないだろう日程に、膨大な試験範囲。

 今までが良くても、学年末試験で失敗すれば印象は最悪だろう。

 いつも淡々とし涼しい顔の彼だが、気にしなくてもいいような細かい部分まで気にする度合いが前学期よりも上がっている気がする。



 そして普段以上に物静かだが、内心イラっとしているのが伝わってくるのが――隣に座るラルフだった。

 彼も当然卒業パーティでは獅子奮迅の活躍で場を盛り上げてくれるはずだが、それ以前に彼個人の嫁選び舞踏会の事で相当腹に据えかねているのが伝わってくる。

 別に他人に刺々しい態度をとるわけでも八つ当たりをするわけでもない。

 だが仄かに立ち昇ってくる禍々しい黒い霧が錯覚にしてもカサンドラにも見えて怖い。美形の静かな怒りは怖いから止めて欲しい。


 カサンドラとて明示された予定が無いだけで、学園生活どころではないという『岐路』に立たされている。

 今学期は絶対に王子に気持ちを伝えるのだ――なんて秘めた決意を抱えている身の上、会議が上の空にならないよう気を引き締めるので精一杯。


 王子も皆の雰囲気の圧におされるように、いつもより表情が険しかった。


 休息の余裕なき忙しさは、人を死に至らしめるとも言う。

 今日の役員会で自分が作った詳細日程にもう一度目を通し、今から頭を抱えたくなった。

 三学期は学内イベントが少ないと内心で余裕ぶっていたのがウソのようだ。

 そもそも卒業パーティの段階で、手配や決定事項が多すぎて本当に来週までに詳細が決まるのかとドッと心臓に汗を掻く。


 ゲームとして遊ぶ分には、そりゃあ地方に旅行に行くだけだし、卒業パーティには無関係だったし。

 あるとすればラルフのイベント、学年末試験で上位に入って生徒会入りの条件を満たして――と、攻略ルート別にすることはほぼ決まっているようなもの。

 今こうして生徒会役員メンバーとして学園生活を送ると、胃がひっくり返りそうなストレスになるのだと知ってしまった。




 淡々と進行していく話し合いの様子を書き留めながら、カサンドラは一刻も早くこの空間から解放されたいと願っていた。





 ※





 とりあえずカサンドラは役員会後、まだ難しい顔で話を続ける彼らの様子を横目で伺いながら、自分は先に帰宅することにした。

 王城関係の予定も絡むとなると、あまりカサンドラの耳に入ってはいけないような話もあるかもしれない。


 ……いや、それは建前か。


 あの四人が真面目にああだこうだと話し合っている中に自分が混ざるのは絶対に嫌である。

 いくら入学当初と比べれば関係性は前向きになったとはいえ、それは平時であればこそだ。

 物理的な余裕がなくなると自然心の余裕も減って来るもの。

 そこに半分部外者のようなカサンドラがうろうろしていたら、一体誰の虎の尾を踏むか分かったものではない。

 仮にそこまで露骨に攻撃されないとしても、嫌味や皮肉が飛んで来たら嫌だ。


 自分が肩代わりできる事や提案できることがあればまだしも、「何をお話されているんですか?」なんて首を突っ込んでまで関われるだけの何もカサンドラは持っていないのだから。


 寒さを表すかのように灰色がかった雲が薄く空を覆う。

 ちらちら、埃と見間違うような細かい雪が視界の端にゆっくりと揺れ落ちていく。


 アイリス達にはお世話になった分、関われる卒業パーティはいいものにしたいと思う。

 でも派手にすればそれでいいというわけではないだろう、王子が在籍している代だから予算が湯水のように使用できるなんて後で思われても困る。予算の算盤を弾くのは平衡バランス感覚が必要になるだろう。


 とりあえず本棚から去年の報告書を参考資料に持ち出してきたので、家に帰って再度読み込むことにしよう。


 普通の学校の生徒会が権力を持つなんて冷静に考えればありえないことのように思う。

 だがこの学園は本当に王侯貴族の子女が通うミニ社交界、そのまま貴族社会の縮図。

 将来の支配階級枠が生徒会メンバーとなり、独立し自由な裁量を持ち予算も考えられない程潤沢。


 その分責任は「こんなの生徒こどもに任せるんじゃない」と文句を言いたくなるほど重いものばかりだった。


 下を向いていては溜息を落としそうだ。

 幸せが逃げないように前を向くと――



「カサンドラ様ーーー!」

 


 学園外門の道側から、一人の少女が手を振って呼びかけているのが見えて緑の目を丸くする。

 ぶんぶんと手を左右に動かすのは離れていても分かる、間違いなくリタだ。

 彼女がこちらの姿を確認し、呼びかけるや否や全力でカサンドラの許へと全力で走って来た。

 大型の犬に目をつけられて一目散に飛び掛かって来られたかと空目し、驚く。


 一体どうしたのかと聞く時間もないまま、彼女はカサンドラのコートの裾をひしっと掴んで涙目で見上げてくる。

 川で溺れた人に掴まれた藁の気持ちになった。


「リタさん?」


 彼女の震える肩に静かに手を置く。

 手袋越しにも、彼女が寒さ以外の理由で全身を震わせているのが分かる。

 大きな青い目の縁ににこれでもかと涙を堪えるリタの様子にカサンドラは絶句した。


「もう我慢出来ないので、話、聞いてください~!」


「は、はい。それは勿論……」


 カサンドラはコートの大きなポケットからハンカチを取り出して彼女の眼前にスッと差し出した。


「こちらをお使いになって下さい」


「……あ、ありがとうございます……」


 彼女は己の状態に遅まきながら気づき、カーッと紅潮した。


 雪もちらつくような歯が鳴る寒さ。雲に覆われ陽射しの無い今。

 カサンドラを見つけた事にほっと安堵し、我慢していた感情が噴出すると同時に――目から鼻から、大変なことになってしまっている。


 元々感情の振れ幅が大きい少女だが、ここまで取り乱すようなことは今まで無かった。

 一体何が……と考えを巡らせるでもなく、すぐに分かってしまう。


 彼女はレースを縁にあしらった白いハンカチを広げ、申し訳なさそうに目の縁に当てる。

 そして己のコートの袖口で口周り鼻周りをゴシゴシと擦った後、再びぶわっと込み上げてくる感情に押されて両肩をふるふると小刻みに揺らしていた。





 「……僅かな望みが断たれました。」



 


 ようやく落ち着いたかと思ったら、今度は青白い顔のまま遠くを見つめて生気の無い声でぽつりと呟く。


「ラルフ様の件で宜しいですか?」


 まことしやかに囁かれる、ラルフの嫁選定舞踏会の話。

 勿論大々的な発表はないが、招待状を受け取った令嬢は一人や二人では利かない。

 耳に入った限りでは、婚約者の決まっていないあらゆる貴族の娘に招待状を送ったのではないかと思われる。

 由緒正しい正妻の子であるか否かさえ拘らず、爵位ある親が”娘”と認め、未だ正式な相手が定まっていないお嬢さん全てだ。

 更に資産家のご令嬢にも声がかかっているなど本気過ぎる。

 数十人どころか数百人は集まりそうだ。


 そこまで大々的な催しになれば、噂にならない方がどうかしている。


 勿論、敢えて学園内で直接ラルフに特攻して「選んでください」なんて外聞憚らず押し売りしていくお嬢さんはいない。

 抜け駆けだの誰々を差し置いてだの、周囲の令嬢の心象を下げるような態度をとるようでは、学園生活をちゃんと過ごせているのか心配になる。


 だが確かに直接舞踏会のことに触れずとも、今週はずっとラルフの周囲にいつも以上に熱気が籠っていた。

 

「そりゃ婚約者がいても好きなのは自由かもしれませんけど、絶対迷惑ですよね!?

 あああ、私、この気持ちをどうしたら……!」


 カサンドラが誕生日に贈った手袋。

 その内側で彼女の指先は完全に戦慄わなないているのだろう。

 

 ラルフが婚約者を選ぶということは、この段階のリタには青天の霹靂であることは確かだ。

 確かに初めてこのイベントの事を知った時は驚いたが、きっとそれも恋愛イベントの一つなのだろうと冷静に判断できたのは『ゲーム』の話だからだ。

 彼女達の目線に立てば、この一件が耳に入った時の衝撃はいかばかりか。


「落ち着いて下さい……と申し上げても難しいことでしょう」


 カサンドラとしては、ようやくリタがラルフの攻略ルートに入るためのイベントが始まる! と、どこか待ち遠しさもあったことは否めない。

 剣術大会でリゼが上手くやり切ったように。

 きっとリタも同じように、それまで鍛え上げてきたパラメータを駆使して彼と恋愛を始めるステージに上がれるはずだ。

 そう信じて疑っていなかった。


 このままイベントが起これば収まるところに収まる、はず。好感度とパラメータさえ足りていれば。


 それを知るカサンドラと違い、数日先の未来のことさえリタは全く想像することさえできない。

 「早くイベント起きろ~」と念じる心境とは真反対。

 恋に生きていた少女にとって、死を宣告されたに等しい傷を負うことになったのだろう。


 だが、だからと言ってこれから起こり得る未来全てをリタに事細かく教えて安心させる――という選択をとることはできない。

 何故そこまで分かるのかと訊かれ、実は未来を知っているんです! と胸を張って言うのはNGだ。それを宣言できる勇気があればとっくに王子に先に全てを告白している。


 しかし自分は攻略情報を思い浮かべてしまったゆえ、以前一度リタにこういうイベントが起こるから礼法作法を頑張れと攻略法を伝えてしまった。


 ここでとぼけた返答をすることもカサンドラには許されない。


 少し逡巡した後、神妙な顔つきになって――打ちひしがれるリタに声を掛けた。

 望んで嘘をつきたいわけじゃない。

 リタを騙そうなんてこれっぽっちも考えていない。

 ただ自分はこの先起こることを少しだけ、別の世界の記憶を思い出したから知っているというだけで。

 努力して得た能力でもない。


 でも彼女達はこの世界で当たり前に、普通に生きる女の子でしかない。

 誰かに操られた人生なんてまっぴらごめんだろうが、試行錯誤も出来ず道しるべも無ければ望む未来を得ることは難しい。


 運命は確かにあって、彼女達は主人公。

 だが複数マルチエンディングという仕様上、何もせずに見当違いな努力ばかりしては何も得られず幼馴染と田舎に戻るという未来も十分考えられるということだ。

 ずーっと休息で過ごしパラメータがゼロ行進で卒業式を迎えることだってできるが、その先の主人公の未来は暗いものだろう。

 未来は本人の選んだやり方次第で枝分かれする。


 だから――

 彼女が本気でラルフの事を好きだと言うならば、それに沿う方法を助言するくらいは良いだろうと思ったから発奮させた。

 今、絶望に項垂れる彼女を慰める事くらい赦されるのではないか。


 既に彼女達に望んでここまで深く関わっている状態で、何を躊躇うことがある。

 


「リタさん。

 どうか善くお聞きになって下さい」


「……? は、はい」


「わたくしは王子の婚約者で、レンドール侯爵家の者です」


 いきなり既知の事実を言い出すカサンドラを、彼女はポカンとした表情で見つめ返す。


「特殊な立場上、ヴァイル公爵家の内実、そしてラルフ様自身のお考えは貴女より多く承知していると思われます。

 詳らかに申し上げる事が叶わないこと隔靴掻痒の想いですが――わたくしは今回のラルフ様の一件、当家が望んで主催するものではないことを知っております。

 決してリタさんが恐れているような事態にならないでしょう。

 どうか必要以上に不安に陥ったり、落ち込まないでください。

 希望は必ずあります」


 ヴァイル家の婚約者選びの舞踏会はラルフ自身が”良い機会だから”とこの話を逆手にとって仮初の婚約者を決めるという話になる。


 婚約者が決まらないままでは大変面倒なので、そういう声を一旦シャットアウトして周囲を静かにさせるための偽りの婚約者になって欲しいと言われるのだ。

 ラルフは現在かなり乗り気ではない状態だが、この機会を利用して自分に都合の良い状況を作るように動きだす。


 それが主人公――リタへの接触。


 自分に好意を持っている都合の良い駒として主人公を利用しようと思い付き、それを実行してしまうところがラルフのしたたかなところだと思う。

 まぁ、結果的にそのおかげで本当に恋人になってしまうというのが乙女ゲームであるゆえんだし、カサンドラも好きなシチュエーションだ。


 全部を話すことは出来ない。


 だがここまで落ち込んでいる彼女にただ判を押したように「大丈夫だ」と言うだけでは突き放すも等しいこと。

 褒められたことではないが、己の特異な立場を利用して彼女の不安を少しでも和らげる事しか出来ない。


 もしも姉妹が無根拠に励ましても気持ちはめり込むだけだろうが、こうして訳知り顔で断言すれば――

 安直ではあるものの、ただの言葉遊びととらえられる事は無いだろう。


「………すみません、カサンドラ様。

 物凄く取り乱してしまいました」


 彼女は恥じ入るように俯き、もじもじと膝頭同士を合わせるリタ。

 同じように招待状を貰うことの出来なかったラルフのことを気にしているお嬢さんがいたら、きっと彼女達もどんよりと暗い気分に陥っているに違いない。


「それは当たり前のことです。

 誰だってリタさんと同じ立場になれば動揺もしますし、いてもたってもいられなくなるでしょう」


「なんだか自分勝手な気持ちになってしまって……

 当然のことなのに、どうしてって気持ちの方が強くて悲しくて。


 ――私、カサンドラ様のお陰でここまでラルフ様とお話出来るようになったって思ってます。

 だからカサンドラ様がそう言って下さるなら、やっぱり自分勝手に……そうだって信じます!」




 彼女が素直で人の言うことを鵜呑みにしてしまう性格なのは知っている。

 これがカサンドラだからこの場面では良いようなものの、弱っているところに声を掛けられたらそのまま信じてしまいそうな危うさも感じてしまう。

 まぁこの世界に新興宗教なんてないだろう、あっても明確な悪魔崇拝的邪教なので流石に引き寄せられることはない――と思いたい。



 彼女の素直さにカサンドラは胸を撫でおろす。

 もしもリゼだったら、こんな有耶無耶で無根拠な言い方では納得できないまま引き下がることになっていただろう。

 リナだったら……


 ふと脳裏に彼女の姿が過ぎる。

 引っ込み思案であまり自分がこうしたいという意思を明確にすることのない少女だ。

 最初と話が違うじゃないかとカサンドラを責める事もリタのように泣きついて来ることも出来ず、一人部屋の中でしくしく泣いて落ち込んでいたかもしれない。


 


「このハンカチ、洗ってお返ししますね」


 彼女は照れたように笑って、片手に掴んだままのカサンドラのハンカチを反対の手で指差した。




 カラ元気かもしれないが、あはは、と笑う彼女の表情を見ていると……

 これで好感度が足らずにラルフから声が掛からなかったり、パラメータが足りずにイベントを失敗したらどうしよう。




 心の中で一人顔を蒼褪めさせるカサンドラだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る