第301話 リクエスト・Ⅱ


 三学期ともなれば、当初よりも人間関係は変わってくるものだ。

 今、カサンドラはそれを如実に思い知られている。



 ――最初に食堂で昼食を摂った時。

   ピリピリと重たい緊張感に包まれていた。


 あの刺々しい、針の筵の上に座っているかの空気。

 呼吸さえも遠慮したくなる、場違い感。

 もう二度とあんな想いをしながら食事をしたくないものである。



 基本的に食事の最中に大声で話したり、和気藹々の雰囲気を醸し出すテーブルは高位貴族の席に行くにつれて少なくなってくる。

 皆スマートに静かに、話しかけるにしても他愛ない会話を小出しにして全くの無言を避ける程度か。


 自分を責めるような視線を感じなくなって久しい。

 入学当初は向かいのジェイクに限らず、ラルフもシリウスも同じテーブルにいる人皆、王子以外自分を敵視していると言ってもいい状態だった。


 何とかその誤解――というか、誤解と言うには真実に迫っていたというべき自分の評判を少しずつ盛り返していくことに成功したようだ。

 ジェイクは言わずもがなだがラルフも剣呑とした雰囲気がいつの間にか影を潜めていた。

 ファーストコンタクト時のキツい言葉を思い返せば雲泥の差。

 当時はまさに蛇蝎の如く嫌われていたのだと思われる。


 もしもカサンドラが目に余るような態度や足元を掬われるような失策をしてしまったら、そらみたことか、と一気に悪評が広がるところであった。

 生憎誇れる功績はないが、悪目立ちするような真似はしていない……はず。

 控えめに、自分の立場は弁えていますよという態度を一貫している内に、彼らも警戒心を徐々に解いていったようだ。



 ……だが王子と接していて、彼らの気持ちも結構分かってしまう。

 彼らは親や権力の関係で、目の前に現れた地方出身のカサンドラを敵視していたわけではない。

 そういう事情もあっただろうが、あの王子が――例えば自分の知り得る限り最も王子に近づいて欲しくないケンヴィッジの妾腹三姉妹の誰かと婚約します!


 なんて発表を受けたら顎が落ちる。

 間違いなく空いた口がふさがらない。


 なんであの王子に……! いくら王様の一声とは言え、あまりにも王子が可哀そうだ! と無関係な他人でも嘆きたくなる。

 出来ればもっといい女性と婚約して欲しいと、そりゃ友人なら思うだろう。

 赤の他人で単なる一令嬢の立場だったとしても全力で彼らの想いに賛同したい、だから気持ちが分かってしまう。


 しかもカサンドラは自分で自分の『悪評』が真実に極めて近いとこの学園の誰よりも詳しく知っている張本人だ。

 的確すぎて反論の余地が無い。

 自分が過去の自分に会えるとしたら両頬をビンタして心を入れ替えるよう切々と訴えたい程だ。


 事情など斟酌せず、カサンドラと聞いた瞬間に反対したいと彼らは思っただろう。

 だが、同級生や生徒会役員として共に過ごす機会が増え現実のカサンドラに相対し矛先をおさめてくれたわけで。彼らはやはり良い人達なのだと思う。

 本当はカサンドラがどんな人間性であれ、お家の事情や面倒が絡むなら地方貴族が中央に食い込むなんてごめんだ、と。

 無い事無い事で追い立て責め立てて来てもおかしくない。


 彼らがそれとなく結託すれば不可能ではない話だ。

 少なくとも王子はぽっと出の婚約者よりも幼馴染達を信用するだろうし。


 フェアと言えば、フェア。

 政敵に近しい存在でも、思ってたのと様子が違うと判断すれば修正して対応を変えるだけの柔軟性を持っている。

  


 何より――カサンドラは彼ら三人の事情を本人たちよりも知っている部分もあるわけだ。

 画面越しの主人公を介し、疑似的な恋愛を楽しんでいた身の上である、どうしても敵だとか嫌いだとは思えない。

 身内というには言葉がおかしいが、本質を知っているからこそ。


 王子の件を抜きにしても、嫌われたくはない人たちなのだ。


 順当に三つ子が彼らを攻略してくれれば、彼らも幸せになれる。 

 このまま丁度いい距離の関係を築いていきたいものである。


 二学期まではほぼ無言に等しいテーブルだったが、今日は珍しく来月に予定されている見聞旅行の事で話がところどころ弾んだ。

 きっかけはどうせなら食前酒が欲しいと言い出したジェイク。普段なら諫める立場のシリウスが同意し、その流れでクラス単位の旅行の話に移行した。

 普段無口なシリウスも自分の好きな事だからか、声を顰めながらも淡々と語り始めるので耳を疑った。

 

 皆のやりとりを王子も楽しそうに眺めていたが、大勢と一緒に地方まで移動出来る事は彼もかなり楽しみにしていることのようで。

 これは生徒会が絡んだイベントではないし、これからも卒業パーティの準備の方が忙しくなるだろう。


 だが是非、学園のイベントとしてそれぞれ良い思い出になるといいな、とカサンドラは思う。


 基本彼らの会話の時には蚊帳の外状態なのだが、何故か今日はラルフから話が振られてしまい話に参加している状態になっていた。



 砂を噛むような思いで胃が痛かった最初の昼食を思い返すと、多少の緊張はあれどもまるで天国にいるかのような気持ちである。




 ※




 今日は水曜日だ。


 二学期の間は水曜の放課後に王子と会う約束をしていた。

 王子は一度した約束を反故にすることはないけれど、本当に三学期もここで会ってくれるのかどうかの確認はしていない。

 寒空の下びゅうびゅうと風を受けながら、カサンドラはまんじりともせずベンチに座って想い人を待っていた。


 来年度進級した後もここで王子と会えるのだろうか。

 そのころには、自分の中で何某なにがしかの『答え』が眼前にあり、希望に満ちているのか絶望に滂沱しているのか。


 未来の事を考えてもしょうがない。

 これからは今まで以上に王子との時間を大切にしなければ。


 ……王子の誕生日に危うく告白しかけてしまったカサンドラは、その場の雰囲気に乗せられてあの場で想いを告げていればよかったと思う一方。

 やはりまだ尚早だったのではないか、思いとどまって良かったとも考える。


 『告白』というものは乙女ゲームの世界において、それ自体が到達点であると言っても過言でもない最も重要なファクターである。

 必ず適切で相応しい”場”が用意されているはず。

 王子に適用されるか否かは難しいが、少なくとも彼がやんわりとこちらの発言を躱すような発言をしたのは事実だ。

 偶然であれ、彼の意思であれ”言わせてもらえなかった”。


 きっとまだ、その時ではないのだ。


 もう少し劇的に距離を縮めるイベントは……と考えて、焦るな、と胸を掌で押さえる。

 今までのわずかずつの積み重ねをなげうって、彼の気持ちも考えず性急に自分の想いを受け入れてくれと頭を下げるのは違う。


 信頼関係は一朝一夕で完成するものではない、そして崩れる時もあっという間。

 彼に自分の想いを受け入れられるという確信が無いのなら、恋愛関係と言う無条件で互いに頼り頼られる関係になるという最良のパターンを捨てざるを得ない。

 彼の理解者・友人というポジションに立って信頼を勝ち得、彼を破滅から救わなければいけないだろう。


 どういう間柄であれ、彼さえ無事ならそれでいい。


 誰も悲しまずに済む未来があるなら、自分の想いの成就など所詮些末事。


 彼を好きになってしまった。

 だからと言って、こちらが決めた期限までに絶対自分を好きになってくれ! と急かす権利はない。

 彼を悪魔堕ちから救った後、再び関係性を進められるように努力すればいい。



 とにかく、彼が誰かに恨まれたり、斃されるような状況には絶対させない――……!





「カサンドラ嬢、遅くなってしまった。

 ――寒かっただろうに、本当に申し訳ない」


 決意という名の薪を心にくべて激しく燃やしていると、王子の声が聴こえた。

 中庭に入る入り口の段差でカサンドラに向かって軽く手を振る王子の姿に、カサンドラは弾かれたように立ち上がる。


 まだ陽が高いというのに、気温はぐっと低く感じた。

 この中庭には大きな三段噴水が設置されているので夏は涼しげだが冬のこの時期は飛沫をあげる音が猶更寒々しさを演出している。


 王子に気遣われてようやく今が寒かったと思い出したカサンドラ。

 彼を待つというドキドキ感の中、いつしか寒さも文字通りどこ吹く風と化していた。


「ごきげんよう、王子。

 わたくしも今着いたところです、お気遣いを頂くには及びません」


「………。」


 彼は鵜呑みにはしていないようだったが、それ以上の言及はなく隣の二人掛けのベンチにストンと腰を下ろした。

 少しだけ彼の金の髪が乱れているのは吹き荒ぶ北風に翻弄されたからだろうか。


「新学期が始まっても、まだまだ寒いですね」


「そうだね、例年より寒いかも知れない。

 相談事項があって学園長を探していたのだけど、この寒さのせいで風邪をひいてしまったらしいよ」


 探し廻っただけ無駄だった、と彼は苦笑を浮かべる。


「まぁ、始業式ではお元気そうでしたのに」


 始業式で長々と、講堂にて熱弁を振るっていた学園長の事を思い出してカサンドラは目を丸くした。

 この寒い中元気だなぁと思っていたが、まさか今日になって風邪をひくとは。

 まぁ生徒達と違って学園長ともなれば歳も歳だ。

 休み中暖炉のある暖かい部屋で過ごしていて、急に始業式に出るため外出し寒気に包まれ……

 その温度差に風邪をひいたということか。


「私達も体調に気をつけないといけないね」


「全くです、わたくしも肝に命じましょう。

 ところで学園長に相談が必要な案件があったでしょうか」


 カサンドラが聞いていないところで緊急の役員会でもあったのか? と肝が冷える。折角それなりの関係を築けていると思ったのに、やっぱり蚊帳の外なのかと心が痛んだ。


「私の思い付きに過ぎない事だから、気にしないで欲しい。

 ――昼食の間に話題に挙がっていた地方見聞研修のことなのだけど。

 以前、人によって特定の食べ物を摂取すると体に良くない反応が起こることがあると君が教えてくれただろう?」


「シャルロッテさんの事例のことですね、覚えております」


「今回は葡萄園に行ってワインの試飲がある。

 気心の知れたクラスメイトと多数で見聞し、ワインの試飲も――となれば教師の目の届かないところで、”お酒”が飲めない生徒も飲まざるを得ない状況になることも考えられると思ってね。

 事前にお酒を口にしない方が良い生徒の事は把握しておくよう、進言しておこうかと。

 勿論、主原料の葡萄も皆が口にして良いものかの事前確認もあった方がいいだろうね」


 アレルギー反応の事を覚えていてくれたのか、と驚いた。


 身体に異常をきたすレベルのアレルギー持ちでも、学園の昼食に出るのならマナーが悪くとも避けることが出来る。

 が、葡萄園のワイナリーでは避けようもない。

 

「誰かが体調を崩してしまっては、折角の旅行も台無しだ」

 

 テーブルを囲んで楽しく話をしていただけだと思っていたが、王子はそんな事を考えていたのか。

 この世界では殆ど馴染みが無い――どころか概念がない稀な事例についてちゃんと関心をもって考えてくれていることにカサンドラは感動した。

 本来なら学園側が手配すべきことだが、そういう習慣自体が無いのだ。

 何かを食べて調子が悪くなれば、食材が傷んでいた、毒が入っていたと見做されるのが通例だ。


 それにも関わらず、以前話したことをちゃんと覚えているどころか実行しようと思い立てるのは行動力の賜物であろう。


 誰も葡萄やお酒にアレルギーなど持っておらず、普通に楽しめるのが一番だ。

 だが楽しい雰囲気の中で言いづらいこともあるかも知れない。


 しかもただの生徒ではなく王子のいう事だから、学園側も重い腰を上げてくれるだろう。

 無意味な事をと文句を言いながらも実行するはず。

 ――何も懸念事項が無ければそれでよし、何かあったら事前に周知できて良かったと思うだけだ。



 リタが言っていたが、自分達は確かに幸運である。

 仕え甲斐のある王族を持つ国民は幸せなのだ。 

 今まであまり意識したことはなかった、レンドールへの帰属意識はあれどもクローレス王国の一員という意識はどこか薄かった。

 だが彼が一番上に立ってくれるなら、それは自分だけではなく他の全土の民にとっても”善い”ことに違いない。







「――……名残惜しいけどそろそろ時間だね。

 ああ、そうだ。

 前学期に私から提案した王都散策の話をしてもいいかな」


「……!」  


 ドクン、と胸が高鳴った。


 食い入るように彼の蒼い双眸を見つめ、そわそわと落ち着かない。組んだ指元を無意識に弄る。


「来週末、カサンドラ嬢の予定はどうだろう。

 私としては是非、一緒に街を散策できたらと思っているよ。

 こちらから言い出したことでもあって、ずっと気がかりだった」


 勉強会は勉強会で王子と一緒の時間を過ごせる良い機会だった。

 でも延期と言っていた言葉に表現されるように、王子は自分の言葉にとても責任を持つ人だ。

 可能であれば言ったことを実行する、という真面目な人なのだろう。



「改めてお声掛けを頂戴し、大変恐縮です。

 わたくしもお供したく存じます」




「ありがとう、それを聞いて安心した。

 ……博物館に行きたいというリクエストがあったようだけど、カサンドラ嬢は興味があるかな?」


「まぁ、素敵な提案ですね」


 こんな提案をしたのは間違いなくリゼだろう。

 彼女なら一人で既に訪れたことがあるのではないだろうか、と彼女の姿が脳裏に浮かんだ。


「他に行きたいところがあれば、参考にしたいから教えて欲しい」



 いきなりボールを投げ渡された。

 それを投げ返そうにも、いきなりの話だったのですぐに適当な場所が思いつかない。

 王子と一緒にいられるなら本当にどこでも良いのだが……!


 どこでもいいと言いかけ、口を噤む。


 そんな回答、相手に選択の負担を増やすことになるだけだ。

 グルグルと悩む頭に、ようやく降りてきた言葉をカサンドラは必死に掴む。

 


「わたくしは兼ねてより、王都の美術館に訪れてみたいと思っておりました」 



 高尚ぶってはいないが、王子に提案できそうなそれなりの場所がそこしかパッと思いつかなかった。

 手に汗を掻き、彼の表情を伺う。



 それもいいね、と王子が微笑んでくれたので身体から力が抜ける。




 最後の最後でこんなに頭をフル回転させることになるとは。



 王子が去った後もしばらくカサンドラはベンチに座り込んだまま、北風に髪を弄ばれていた。


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