第300話 <リゼ>


 三学期の始業式を目前に、リゼは珍しく制服姿で部屋の姿見の前で自分の姿を確認する。

 やる気、そして僅かな緊張がい交ぜになってぐるぐるとリゼの思考を渦巻かせていく。


 基本的に彼女は、目標がちゃんと眼前にあるならば――それに集中すればいいのであまりメンタルが沈むことは少ない。

 だがやはりこの冬期休暇中、ジェイクと会えないことは結構心身に堪えていた。

 年末一度約束して剣の組み手の相手になってもらったものの、最後は後味が悪い状態で終わってしまってそれ以来会ってない。


 土日を挟めばいつでも同じクラスにいる彼の姿を見ることが出来る。

 本当に幸運なことだと思い、冬休みが夏休みより早く終わって有り難いとさえ思う。

 本音を言えば休みなど要らない、毎日学園に通いたい! とリタが聞いたら卒倒しそうな考えも持っているほどだ。


 折角王立学園という場所に通う権利を得ることが出来た。

 ジェイクの事がなくとも、リゼは長期休暇など時間がもったいないと思っただろうことは想像に難くないけれど。

 今はジェイクの比重があまりにも大きく、自分の行動への影響力の大きさに苦笑いだ。


 勉強のこともそうだが、とにかく何をしていてもジェイクの事を考えてしまう。

 自分は何かの病気かな? と、あまりの動悸の激しさに真剣に検証した事もある。




 ……成程。

 恋を指して、”どんなお医者様でも治せない病気”と例えた昔の人は、中々上手い事を言うものだ。






 始業式は挨拶くらいしか出来なかったが、特に気まずさを感じる事も無かった。

 それにホッと安堵したのも束の間の話だ。




 リゼはその日部屋に戻った後。

 衝撃の『噂話』を耳にすることになる。




 ※




 始業式翌日から当たり前のように選択講義が組まれている。

 リゼは待ってましたと言わんばかりに剣術講座に顔を出し、久しぶりに会う容赦ない先輩たち去年と変わらない待遇を受ける。

 実力的には全く敵わない先輩たちだが、最初の頃のように最初から呑んでかかって来られることもなくなった。


 休み中はどうだったか、など軽口を叩き合う生徒達。

 だが徐々に真剣な表情に変わっていく。


 寒さなど全く感じなくなる二時間を久しぶりに満喫し、リゼは心地よい疲労感に包まれていた。

 敢えて身体を動かして肉体的に疲れるなんて人生リソースの無駄遣いだと思っていた頃が遠い昔のことのようだ。



「ジェイク様。おつかれさまでーす」


 既に他の生徒は先に訓練棟から去って行った。一人、また一人と帰宅の途に着く男子生徒達を横目に、リゼは黙々と掃除を続けている。

 普段は用事があるのだろう、早めに帰り支度を始めるジェイクが珍しく遅くまで残っていることを不思議に思った。


「おう、お疲れさん。

 ――ちょっといいか?」


 少し離れた隅っこの掃き掃除をしていたリゼを、ジェイクが「こいこい」と手招きする。

 前回最後の別れ際での”やってしまった感”を思い出して暴れ出したい気持ちに駆られたが、当のジェイクはまるであの一日が無かったことのような態度だ。

 全く休み前と変わらない対応に安堵するのと同時に、所詮自分の言う事など彼には取るに足りないことなのだろうな、と寂しくも思う。


「何ですか、ジェイク様」


 昨日は月曜だったが、家庭教師のアルバイトを行うのは本格的に授業が始まった来週からだ。

 こうして二人で話をするのは、まさしく年末から数え一週間ぶり。

 複雑な心境になりながらもリゼは箒を携えたままジェイクの傍へと駆け寄った。

 ――やはり声を掛けられれば、嬉しい。


「二学期の終わりに、アーサーとカサンドラの護衛ついでに王都散策に行くって話をしたのを覚えてるか?

 改めて、また来週末はどうかって話が出てな」


 わぁ、その話、本当にまだ生きていたのか。

 リゼは自然と掌を口元にあて、僅かに感嘆の声を上げる。


 当初予定していた時期には敢行出来なかったので、結局延期という話になった。

 その代替案として勉強会という企画が持ち上がったのも記憶に新しいが、それを楽しんだ上に更に予定通り散策の話まで。

 むしろジェイクと一緒に過ごせる時間が増えた分だけ、得した形だ。


「勿論覚えてますし、来週ですか!? 私は大丈夫です!」


 大きく頷いた。

 先月は彼らに同行するという話が実現できずにがっかりしたが、結果的に勉強会と再度の散策案と二度美味しい話に成長してくれたらしい。


「そうか、じゃあ後はカサンドラの都合も合えば決定だな。

 ……来週逃したらホントに余裕がないからな」


 カサンドラだって仰々しくない状態で王子とデートしたいだろうし、自分のためだけではなく彼女のためにも良かったと思う。

 前回はデイジーが気を回してまで二人きりにしよう大作戦を決行したわけだ。普段、ゆっくり会えないに違いない。


 公式に二人がどう会っているのか庶民階級のリゼには知る由もないが、少なくとも街中を歩こうと思ったらぞろぞろと護衛を引きつれなければいけないはず。

 それがジェイク一人に圧縮できるならそちらの方が気楽に違いない。


「忙しいんですか?」


「今度は地方見聞の護衛要員のことで、まーた騎士団との折衝があるからな。

 忙しい時期ってわけじゃないんだが……

 遠出の宿泊案件だから手続きや申請や人員確保が面倒で面倒で」


 彼は額に手を当て、大きく溜息をついた。

 うんざりしている様子は伝わってくる。


 そういえば今学期はクラスの皆で地方に泊りがけで研修に行くというイベントがあったなと思い出した。

 まさか王子やジェイク達と一緒に大人数で移動することになるとは思わなかったが、そうか。

 学園内で収まる行事とは言い難い、ごく普通に要人護衛となると騎士団の負担も大きいのだろうな。


 学園生活と仕事が直結している状況は、想像に余りある。


「あの、私はいつでも大丈夫なので!

 もし今後、王子やカサンドラ様のご都合で日程が変わったら教えてください」


「了解、伝えておく」


「私、一年近く王都に住んでいるはずなのに、全く不案内で……

 お二人に同行できるのが楽しみでした」


 あまり観光地だ旅行だと騒ぐタイプでもない。

 圧倒的保守主義。

 ゆえに自分の関係ある半径数メートルの必要最低限の施設しか立ち寄ったこともないし、美味しいお店を開拓しようなんてフロンティア精神も持ち合わせていない。


 ――だから街や服の流行にも疎い。


 これをきっかけに足を運ぶ場所が増えれば良いというのは本心のことだった。




「あの……ジェイク様。

 この場を借りて申し訳ないですけど、ちょっと良いですか?」


「なんだ?」


「小耳にはさんだことで――

 あ、いえ、私が直接聞いた『噂』ってわけではなくて……

 リタは噂話を集めるのが上手で、それで知ったんですけど」


 自分から興味をもって噂話に飛びついたわけではない、でも聞いた以上は気になる! という中途半端な主張のせいでかなり回りくどい言い方になる。

 ゴシップや噂話が好きだと勘違いされるのは不本意だという本音が出過ぎてしまった。


 不思議そうに首を傾げるジェイクに、ハッキリと尋ねる。


「ラルフ様が婚約者を決めるための舞踏会を開かれるって……

 本当なんですか?」


 昨日リタが絶望に瀕し、病人顔負けの色の無い表情でリゼに泣きついてきた。

 リゼは全く以て周囲の噂なんてものに割く余計な意識はなく、学園内の深部で実しやかに囁かれる話に触れることは無かったのだけど。


 その話をリタから聞いて、ザッと血の気が引いた。


 死刑宣告を受けた状態のリタ。

 彼女の絶望は、自分も他人ごとではなく猶予中の身なのだと思い知らされる――


 舞踏会で選ばれるなんて無理だ、とリタが騒いでいるのも分かる。

 カサンドラがどういうつもりか知らないが、舞踏会場にリタのような庶民が手を挙げて紛れ込むことなど出来そうもない。

 そもそも同じ勝負をするステージに立つことさえ不可能だという現実に、リタは打ちのめされていた。

 確かにカサンドラはこの時期にラルフの婚約者選びの舞踏会があるとは言ったが、現実にどうすれば参加できるのかの手段は教えてくれなかった。心の準備はしていたはずなのに、いざ自分の関与できないところで噂話だけが先行しているリタの心中はいかばかりか。

 余裕をもって「何とかなる」とどっしり構えることが出来る状況にはとても思えない。

 しかも今になってカサンドラにどうすればいいんですか、と詰め寄るのも憚られる。鵜呑みにし、信じ、突き進んだのはリタ本人なのだから。

 


 現状はただの噂でしかない。と、リゼもリナも彼女を励ました。

 もしかしたら誰かの願望だったり、適当に吹いた法螺がたまたま拡散力のある生徒に知られただけで事実無根でラルフも困っているのでは?


 出来ればそうであって欲しいと思う。

 でも今までそんな動きも噂も一切なかったのに、新学期になって急に持ち上がってきたことに不気味さを感じずにはいられない。

 リタの事だからと静観するにはあまりにも自分に返ってくる痛い話なので、信頼できる筋からの情報を求めていた。

 が、まさか昨日の今日でジェイクと話をする機会があるとは。

 

「あー………

 そうらしいな」


 ぐらっと視界が揺れる。

 事実なのか?


 言われなくたって、彼らに婚約者がいないということ自体がおかしい。

 普通は身元や後ろ盾のしっかりした名家のご令嬢と家同士の約束をしていることが、彼らの『義務』でもあるだろう。

 その義務が棚上げされていることが異常だ。


 だからラルフがとうとう重い腰を上げて相手を決めようと思い立ったことを非難出来る人間など誰もいない。


 ただただ、辛いだけだ。

 自分達のどうすることも出来ない別の場所で、好きな人のパートナーが決まってしまう。

 何一つ関与できない焼け焦がれるような心を持て余す。


 他人ごとなんかじゃない。


「ラルフはかなり嫌がってるけどな、こればっかりはしょうがないだろ」


「……ジェイク様は……?」


「ん?」


「ジェイク様も、もしかして近い内に婚約者選びのための舞踏会とか開かれるんですか?」


 ラルフが決まったら今度はジェイクかも知れない。

 そうしたらシリウスも決まるかも知れない。

 別に彼が誰と結婚しようとも、それで想いが消えるかと言われればそれは難しいだろう。

 最後、自分の想いと決別するための『告白』になる。

 

 だから当初の想定と変わらないと言われればそうなのだが――


 もしかしたらそれさえも、迷惑だからと引っ込めてしまうかもしれない。

 何かを成す前の後悔、モヤモヤ。それらを自分一人で昇華しないといけない。そんな状況に陥るかもしれないのだ。



 心のどこかで、現実感が無かった。

 ここまで彼らに婚約者の話が無いのなら、卒業まで決まらないんじゃないか、とか。



「俺んとこはもうないんじゃないか?

 前に一回それらしいことやったけど、結局何も決まらなかったし」


「そうなんですか!?」


 入学する前に、ロンバルド家主催の大々的な舞踏会が開かれたらしい。

 勿論そんなことはリゼには関与できるはずもないので、知らなくても当然だ。

 だが実際に似たようなことがあったと聞かされてショックは受けた。


「超面倒だったことしか覚えてないけどな。

 一応体裁上やったってだけで特に親からは何にも言われなかったし」


「……じゃあまた開催って事は」


 すると彼は「無い無い」と手を横に振った。


「うちが舞踏会開くのはもう今の代じゃ無理だろうな。

 舞踏会周りは金がかかり過ぎる、親父を筆頭にみ~んな嫌がるからな!

 小規模ならまだしも、そんな大掛かりな奴は反対多数で無理、無理」


「ええ、そんなロンバルド程のお家でお金の問題とか……」


 桁違いで非常識な金銭感覚の持ち主に”お金がかかる”なんて概念が存在していた事に驚いたリゼである。


「お前な、ヴァイルやエルディムの私兵足したのより大所帯の軍隊抱えてるんだぞ、どれだけ金を食うと思ってるんだ。

 そりゃ金はある。でも無限ってわけじゃないし、どうせなら軍の整備の方に使いたいって奴が多数。

 非生産的なことに金を出させるとか、少なくともうちはやらないな。

 ラルフ――いや、ヴァイルはそっちパーティで金を生んでるようなもんだから、事情が違う」


 軍関係の設備や道具、人出はロンバルドが抑えているが、舞踏会やパーティなどでの楽士隊の伝手やら、貴族の家が用意するドレスの仕入れルート――主だった商会や裁縫組合ギルドはヴァイル家の傘下だ。

 パーティを開けば開く程潤う一派と一緒にされても困る、と彼は憮然とした顔でそう言った。


 勿論ロンバルド派でもパーティを開くのが好きで舞踏会やら夜会やらを主催する家もある。なので禁止されているわけではないらしい。

 要するに、ロンバルド侯爵家として大きな舞踏会を主催する事はないだろうというジェイクの楽観的な推測……だ。


「あの時は面倒だったことしか覚えてないな。

 ……そういや、初めてカサンドラを見たのもあの日だったっけ」


「えっ!? や、やっぱりジェイク様のお相手にカサンドラ様のお名前があったんですか!?」


 ひぇぇ、と顔を蒼褪めさせるリゼ。

 サラッとした口調で何を言い出すのかと思えば、まさかの嫁選び舞踏会にカサンドラが招待されていただなど。


「カサンドラだけじゃない、それこそヴァイルやエルディムや北や東からも目ぼしいのはとりあえず声を掛けたんじゃなかったか。

 ま、今回のラルフみたいに選ぶだなんだって話は無かったのは……不幸中の幸いだったってとこだな」


「御伽噺の世界ですよね、良家のご令嬢を会場に集めてより取り見取り……」


 ラルフはヴァイル公爵家の嫡男だ。

 公爵家と言えば王家と血縁的にも近しい家、王位継承権もあるレベルのお坊ちゃまだ。

 実際に物語のワンシーンのような舞踏会の煌びやかな光景がイメージできるのが凄い。

 本当にリタもとんでもない相手を好きになってしまったのだなぁ、とリゼも妹に対し同情的になった。

 立場的には自分だって全く変わらないとは言え。


「舞踏会で選ぶとか無いよな。

 俺だったら……」


 彼が小さな声でぽつりとつぶやく。

 数拍遅れて彼の声を耳が拾い上げ、リゼは彼の様子を恐々と伺った。


「――いや、別に。

 ……口頭だか書類だか、好きなように決めてくれってラルフも思ってるだろうなって」



 彼はそう言って肩を竦めた。


 話を聞いていると、ラルフが婚約者選びの舞踏会を開くことは事実らしい。

 そしてジェイクは――

 ……多分、そんな機会はないだろうと本人は楽観的にそう考えている事は確かだ。



 とても安全圏というわけではない。

 でもリタには悪いが、猶予期間が延びたと思った。


 彼に『相手』が出来てしまったらと具体的なシミュレーションをしようと思うと、思考力がガクンと落ちる。

 それを僅かでも考えたくないと、敢えてそうならない未来ばかり自分に都合の良い未来ばかり考えてしまうのだ。




 


 心がチリチリ、焦げ付き痛い。 



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