第299話 三学期開始


 さて、今日から新学期だ。

 学園に通わない休暇中はあっという間に時間が過ぎていく。

 これも一つの体感時間の差、というものだろう。


 勿論カサンドラとてこの状況下で余裕を以て日々を過ごしていたわけではない。




   現状、自分が持つゲームの知識を利用して王子を救う方法がないか?




 猶予時時間が短くなっていく。

 遅くとも二年目になれば、王子が引き金となる事件が発生してしまうことはゲームのメインシナリオからも明らかなことである。


 基本的に、このゲームのシナリオ自体はシンプルなものだ。

 どの主人公を選び、どのような攻略をしようが日付によって起こる中核シナリオイベントの発生時期は決まっている。

 勿論そのイベントごとに主人公の性格やらルートの相手で語られる側面は全く異なるものだ。


 解決策も励まし方も乗り越え方も――

 リゼやリタ、リナを見ていれば分かるように全く異なるアプローチになる。

 一緒に哀しんで癒すタイプのリナと、ストレートな物言いで事態を客観視し解決しようと発破をかけるリゼと、難しいことは分からないけどとにかく持ち前の前向きさや明るさで元気づけるリタと。


 それを受けた攻略される側の反応の差も結構面白いので、これは比較という意味では楽しい試みだったと思う。

 だからこそプレイヤー側の贔屓する組み合わせにそれぞれの好みが出るわけだが。



 メインシナリオは、いわゆる『悪魔化』した王子の起こした一連の事件の流れを指す。

 それが本人の意思であるかそれともただ乗っ取られただけなのかは生憎判断がつかない。

 本当にプレイ中の王子の影は薄かったから。


 絶対に隠し攻略キャラだ! と見せかけてのまさかのラスボス枠というとんでもないトラップを食らった衝撃が大きすぎたのだ。

 基本的に感情移入しようがないキャラでもあった。


 ――カサンドラの――いや、前世の香織じぶんとしては、こう思っている。

 恐らく彼が凶行に走るに至った経緯も、本来は隠しルートとしてゲーム内に入れられるものだったのだろう、と。

 あまりにも唐突過ぎるし、ラスボスとして完全クリアのために三回は対峙しないといけないキャラだし。


 だが発売までに入れられなかったストーリーをダウンロードコンテンツで追加購入して遊んでもらう、完全版商法――と生前己が呼んでいた手法で売ろうとしていたのではないか。

 そのエピソードを! 追加で! 売るな! という煮え湯を飲まされたことは他のゲームでも幾度も経験済みである。


 確かにDLCダウンロードコンテンツが発売されるという情報はあった!

 最後の前世の記憶だ、覚えている。


 きっとゲーム本編で語られなかった王子側の話が、この世界にはあるはず。

 少なくともこの世界を製作した人間はそのつもりで売り出した、はず。


 王子を救う一助になりうる、未発表の彼個人のシナリオ。



 勿論、プレイヤーは恐らく聖女としての主人公なので、果たして攻略法があるとしてもカサンドラに適用されるか疑わしい、という問題はある。

 そもそも自分が転生したゲームの世界はまだDLCが発売されていない状態だった。

 果たしてこの世界の仕様が、発売予定のシナリオと合致するものか確認しようがない。


 要するに王子攻略のための正攻法があるか現状は分からない、ということだ。


 何とも歯痒い状態であることはいくら考えても変わらなかった。


 DLCのシナリオが反映されている世界なら、王子が救われる分岐ストーリーも『現実』にあるんじゃないかと望みが掛けられるのに。投げっぱなしで倒して終わり、ではなく。



 結局休み中考えてもこの世界がどういう要素を合わせて構成された世界なのか確かめる術を思いつかなかった。


 自分は創造主でも神でもないただの人間だ。

 所詮、お邪魔キャラの悪役。

 仮に正攻法が存在したって、自分が正規ルートで攻略できるはずもない。




 追加シナリオが適用されていようがいなかろうが、カサンドラがするべきことは一つだという結論は変わらなかった。

 あまりにも不確定事項が多すぎる。



 ……分かっているのは、この世界はメインシナリオに沿って動いている。

 主人公達は見えない力か、偶然かに導かれている――ということだけだ。


 初見プレイに等しい状態。

 難しく考えてもゲームの情報以上の攻略法を見い出せるはずもなく、やっぱり王子が悪魔に乗っ取られる前に何とかしなくては! とカサンドラは心に誓う。


 この三学期がラストチャンスだ。

 絶対に――




   王子の意思を、悪魔などに渡すものか。 







 ※ 







 もはや懐かしいとさえ感じる馬車での通学。

 たった二、三週間ほどの休暇だったというのに、自分の屋敷でのんびりすることを覚えてしまったこの身体は大層億劫がった。

 やはり朝の厳しい寒さが良くない。

 動物の中には真冬は動かず巣ごもりで冬眠する種族もいるわけで、この気温は活動限界ぎりぎりなのだ。

 衣服を纏い暖炉に火をくべ寒さを凌ぐ術を知っているからこそこうして人間は生活できるけれど、こういう氷点下を下回っていそうな日はベッドの上で冬眠したい。


 今だけは熊になりたい……などと無意味な事を考えながら、カサンドラは馬車を降りる。

 降りると同時にビュオッと横っ面を叩きつけてくる北風に、口を真一文字に引き結んだ。


 厚手の手袋をしていても指先がかじかむ。

 暖かいマフラーを巻いていてもぞくぞくと寒さが爪先から全身を冒していく。

 空は蒼く澄み渡っているものの、どこか遠くに見える陽の光。


 日中は少しくらい気温が上がれば良いのだが……

 白い手袋に息を吐きかけ、カサンドラは意を決して歩き出す。


 生徒の数はまばらで、流石にこの寒さの中では口数も少ないようだ。

 皆足早に己の教室に向かって急いでいた。

 あと一月もすればこの寒さも和らぐだろう、それまでの我慢だ。


 そう思いながら、カサンドラも外門から構内に入り、並木道をゆっくりと歩いていく。

 既に樹々は丸裸状態で、剥き出しの枝の先が痛々しささえ感じさせる。


 教室に着いたら暖かいはずだとカサンドラも真っ直ぐに道を往く。



「――カサンドラ様、ごきげんよう!」



 場違いとも言える明るい弾むような声を背中で受け、カサンドラはその場に立ち止まった。

 カサンドラや他の女子生徒と同じく、真っ黒なタイツですらりと長い脚を隠しつつ急ぎ足で片手を振るデイジーの姿が視界の中心に入る。


 休みを挟んだとは言え、久しぶりのデイジーの姿にカサンドラは自然と笑みを零した。

 今日も変わらず元気そうで安心する。


「ごきげんよう、デイジーさん。

 ご無沙汰しておりました」


「カサンドラ様のお元気なお姿に安心しました。

 レンドールでお会いできず、とっても残念でしたわ」


 茶色の手袋を填めた手を頬に添え、彼女はホッと息を落とす。

 腰まで伸びる濃いブラウンの髪は依然変わらず艶めいており、黙っていれば薄幸の美少女と見えなくもないデイジーである。

 だが生来の気質のせいか、語尾のイントネーションが強いせいだろうか。

 一旦話し始めるとまさしく年頃の少女だ。特待生である三つ子と気が合うのも分かる。


「デイジーさんはレンドールに帰省されたのですね」


「はい、仰る通りです。

 年末はレンドールのお城にお招かれ、学園の様子はどうかと色々な質問を受けましたの。

 私以外には学園に通っている者も殆どいませんし……」


 レンドールは地方都市だ。

 華々しい中央の王立学園に通うということは大きなステータスであり、良家の子女たちの憧れでもあった。


 先祖代々脈絡と家名を受け継いだ名家だとしても、クローレス王国から爵位を賜った子女かもしくは領主の跡取りしか王立学園に入ることは出来ない。

 それ以外は特待生枠でチャレンジする他なく、多くの人間はそこで諦める。

 仮に特待生枠になったところで、学園生活の惨めさを想像すれば余程勤勉な者でない限り尻込みしてしまうだろう。

 もとを糺せば南部の地方豪族たちが治めていた土地柄である、中央のプライドの高い貴族にとっては「田舎者」としか映らないわけだから。

 レンドール侯爵家や、セスカ伯爵家と言った地方全体を代表して治める名門となれば話は別だが。


 コンラッド夫人もレンドールの由緒正しき名家の奥様だが、だからと言って王都で厚遇されることもない。そんな立場は中央ではないも同然だった。

 都会には憧れるが、やはり足を踏み込むには勇気がない――そんな地方民にとって正式に学園に招かれたカサンドラやデイジーは羨望の的なのである。


「何か変わったことはございましたか?」


「そうですね、ベルナールさんがシンシアさんをお連れしてお披露目したくらいでしょうか?」


「……え?」


 さらっとした口調のデイジーを、思わずカサンドラは二度見した。

 何かの聞き間違いか空耳か!? と、かなり動揺してしまったが、デイジーにとっては驚くに値しない出来事だったのだろう。


「ウェッジ家の婚約者として、クラウス侯にも許可をいただいたようです」


「まぁ、そうだったのですか……」


 つい半年前まで、学園内での立ち位置に不満でドロップアウト寸前だったウェッジ家の後継ぎが、いきなり婚約者をゲットしたと言ってきたのだ。

 報告を受けていただろうが、実際に紹介されるまで父であるクラウスも半信半疑だったに違いない。

 だがそれが本当だとしたら、王都での中堅商会のゴードン家と繋がりが出来るのは願ってもないことだろう。


 まさかあの時自分がベルナールにシンシアへの伝言を頼んだせいでこんなことになるとは。

 人生って本当に分からない。


「シンシアさん、本当に良かったのでしょうか」


 あまりの性急な事態の動きに、不安が胸の裡に押し寄せる。

 お試しで付き合ってみてもいいかという状態から、いきなり二学期が終わったら将来の嫁としてレンドールくんだりまで連行されて。

 皆から見世物状態だっただろうし、彼女の心理的健康的負担を考えると驚きもそうだが心配がまさる。


 勢いで行動するまではいい、でも後戻りは困難。

 結婚するのは簡単だが、離縁するのはその何十倍も大変だと聞く。

 ベルナールの熱意と説得におされ、無理矢理拉致されたのでなければいいが……


 普段自己主張も少なく、穏やかな性状のシンシアを思うとハラハラしてしまう。


「ベルナールさん本人からも大事にされていますし、何よりご夫妻が下にも置けない丁重なもてなしぶりでしたよ。

 祝宴を開いて出迎えておいでで」


 歓迎っぷりに逆にドン引きされていなければいいけれど、と故郷での盛り上がりぶりを想像してカサンドラも苦笑いだ。

 だが本当に結婚するつもりなら、相手の家族に喜んで迎えてもらえるのは幸せな事だと思う。


「随分賑やかだったようですね」


「はい、それにアレク様もレンドールにお戻りでしたね。

 ……女の子達に囲まれて、とてもお声がけが出来る状態ではありませんでしたが」


 相変わらずレンドールでのアイドル枠の少年だなぁ、と昨日帰宅したまま爆睡中のアレクを記憶に呼び起す。


 顔が好いだけではなく、将来はクラウスの跡を継ぐことになっている。

 こんな近年まれにみる優良物件、女の子達が放っておくわけがないだろう。


 御三家のお坊ちゃん達を見ていればわかる通り、是非入学前にちゃんとしたお嬢さんと婚約していた方が良いと思うカサンドラである。


「ああ、アレク様と言えば」


 思い出したようにデイジーはにっこりと笑った。

 こちらをからかうような――とまではいかないが、どこかい悪戯っぽい笑みを浮かべて横に歩くカサンドラに話題を振った。


「カサンドラ様お手製のマフラーをずっと着けていらっしゃったようですね」


「えっ」


 初めて完成させたマフラーが脳裏にポッと浮かぶ。

 二枚目に完成させた王子へのマフラーも決して賞賛されるような出来栄えではなかったが、処女作であるアレクへのプレゼントは今になれば見るに堪えない粗の多い代物だ。

 身に着けてもらえることは嬉しいが、しかし帰省先でカサンドラの言い訳さえできない状況で披露された、だと……?


 目の前が真っ白になりかけた。


「カサンドラ様自ら編んでいただけるなどそうそうあることではございませんし、皆さんも驚かれていましたよ」




     ――羞恥プレイかな!? 嫌がらせかな!?



 言外に姉の評価を地面に叩き落としたかったのだろうか。そんなことをして何の意味が。

 ……出来のよくないものを身に纏うことは立場ある者として恥ずかしいと散々言っていたではないか。



「あ、あれは……その……」


「アレク様、よっぽど嬉しかったのでしょうね」


「初めて作成したもので、出来が良いものではなく……」


「何を仰るのですか、出来不出来など関係ないことです。

 アレク様はカサンドラ様のお気持ちが嬉しかったのだと思いますよ」


 そうなのだろうか。


 いまいちピンとこないカサンドラは首を傾げる。

 不格好なセンスのないマフラーを喜ぶような少年には見えない。


 だが今までアレクに何かをしてあげた――という経験は言われてみれば皆無だ。

 普段面倒ばかりかけ、呆れさせるばかり。

 そんなカサンドラが何か義弟のために行動したというだけでも、彼は言葉とは裏腹に嬉しかったのだろう。


 なんと不憫な……


 自分が彼の苦労や心配事の種だということは承知で、つたない出来のマフラーを唯一表に出た姉の感謝の気持ちだと言わんばかりに扱いだなんて。

 時期的にも誕生日プレゼントのようなものだ、もっと良いものをあげれば良かった。


 頭を抱えて後悔したくなったカサンドラの耳元で、デイジーがそっと囁く。




「カサンドラ様、王子がいらっしゃいますわ」


 言われて背後を振り返ると、少し離れた後方に王子と友人、いつもの四人セットで登校している煌びやかな姿が目に飛び込んできた。

 静まり返った構内が俄かに騒がしくなってくる。




 つい、期待を込めてちらっと王子の首元に目を遣る。




 カサンドラの贈ったものではない、全く違う青系統の暖かそうなマフラーが彼に巻きついていた。




 それはそうだろう、いくら彼が喜んでくれても素人仕事の防寒具を着けて学園に来れるわけがない。

 全校生徒の注目の的、王子に齎された些細な変化などあっという間に知れ渡る。

 王子お抱えの衣装係が変わったのかしら、なんて耳を疑うような王子マニアな生徒もいるのだ。

 手編みのマフラーなんて恰好の噂の材料提供。

 



 ――仕方ない、と納得せざるを得ない。




 でも心がズキッと痛んだ。


 やっぱり迷惑だったのだろうかと、そんな不安に駆られて目を伏せた。



 


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