第298話 Who are you?・Ⅱ


 厳しい寒さの中だというのに、新しい一年の始まりに王都中は賑やかである。

 南部の暖かい地方が生まれのカサンドラにとって、王都の冬は思った以上に底冷えするものだ。だがアレクのように帰省してしまえば、その寒空の下馬車で遠距離移動――と思うと、屋敷の中で暖まっていた方が何倍もマシである。

 果たして来年はどこで年を越すのか、それは父の采配次第といったところだが。



 冬休みは王子の誕生日があった事以外、カサンドラにとって特筆すべきことは無かった。


 王子がマフラーのことに言及してきた時は寿命が縮み頭が真っ白。

 でもあの時彼に催促されなければ、カサンドラは渡す勇気がなかったと思う。

 それに、少なくとも受け取る心づもりであったということは、嫌ではなかったということ。完全に迷惑だったわけではないのだ、とホッとした。


 束の間の平穏。

 試験が終わった後の忙しなさがまるで幻だったのではないかと記憶を疑ってしまいたくなるくらいだ。


 流石に年明けから全く訪問予定のない要人が屋敷を訪れるなんてこともなく、王都に在るレンドール別邸は極めて平和そのものであった。


 ただ、三学期の始業式は思いの外早い。

 今年は六日の月曜日から登校となるので、一年が始まったと思ったらあっという間に新学期。

 中々学園生活はハードである。

 帰省した地方の生徒はいっその事あと一週間は休みたいと心底思っていることだろう。


 だが王侯貴族の代表者の一人たる王子が真面目に勤勉な様子を周囲に見せているのだ。

 他の生徒が無意味にサボったりストライキを起こすということは考えづらく、当たり前のように新学期には病欠以外の全生徒が揃うに違いなかった。


 生徒達にとっては面倒なだけの学園での講義だが、この学園で学べることは確かに希少な知識や経験。

 貪欲に学ぼうと思えばどこまででも自分を高めることの出来る一流の講師たちが招かれている。

 そしてプレ社交界とでも言うべき人間関係の構築の難しさを実感する日々だ。

 折角この王国の一員として門戸を開いてくれた特殊な場所。一生にこの期間だけでも勉強に励むというのは国家運営上の戦略としても有りなのだろう。

 一般市民にあまり学をつけられたくない……と思うお偉いさんだが、国民が皆無学ともなれば社会全体の生産性が非効率になってしまう。それで困るのは自分達。

 こうやって特待生という特別な待遇を用意することは必要経費と割り切っているのかもしれない。




 新学期を二日前に控えた、土曜日の夕方。

 メイド服姿のリタを呼び止め、部屋に迎え入れた。


 仕事から解放されるはずの時間に急な呼び出しを受け、彼女は緊張した面持ちでカサンドラの前に直立不動の姿勢で立っている。

 真っ直ぐにピンと伸びた背、かかとを着け微動だにしない。


「リタさん。

 冬期休暇中のお勤め、誠にご苦労様でした。

 我が家の使用人達も貴女の働きぶりには刺激を受けたようです、改めてお礼申し上げます。

 ――く頑張りましたね」


 カサンドラがそう言って労いとともに微笑みを浮かべると、リタは”メイドさん”としての仮面をポイっと脱ぎ捨ててて盛大に慌てた。 


「……ええ!?

 あの、まだあと一日ありますよ!?

 私、明日もここに来る気満々だったんですけど」


「明日は新学期に向けてゆっくりお休みになって下さい。

 課題を仕上げる必要があるのでは?」


 いくら雇用契約とは言え、彼女の休み期間の全てを拘束するつもりなど最初からない。


「うっ……お気遣いありがとうございます。

 本音を言えば、凄く助かります……!」


 リタは拳を握り固めて何度も頷く。迫真の表情だ。

 彼女はリゼとリナの個人的な――いわゆるデート案件に巻き込まれる形で帰省の予定を失った。

 そのため数日間は欠勤のはずだった分もまとめて限界まで働く! と予定を詰め込んだわけだ。

 その気持ちは痛い程分かる。他の二人が順風満帆だから、いてもたってもいられない。


 一度働く日程をメイド長に申請した以上、自分から再度「休ませてください」とは言いづらかったのだろう。

 

 何となくそう感じて一日早くアルバイトを切り上げるよう指示をしたのだが、カサンドラの読みは当たっていたようだ。


「こちらが期間中のお給金です。

 ご確認ください」


 テーブルの上に置いていた革袋を彼女に手渡す。

 ずっしりとした銀貨の重みに、リタは受け取った瞬間ぎょっとした顔を見せた。

 慌てて赤い紐を解いて中身を確認し――ぎゃあ、と彼女は悲鳴を上げる。


「カサンドラ様! 多すぎませんか!?

 そもそも私、コンラッド夫人に指導していただいた講師代と相殺のつもりだったので……!」


 蒼い目をまん丸くみはり、あわあわと動揺に震えている。

 これを受け取るわけには、と突っ返してきそうな彼女をカサンドラは宥めた。


「どうかお受け取り下さい。夫人も短時間の事、と仰っていました」


「でも」


 なおも食い下がろうとするリタに、カサンドラも首を横に振る。


「リタさんが完璧な淑女として認められる段階になったら、改めて”お代”の話をいたしましょう。

 夫人は完璧主義者です、今のリタさんの現状では指導のお代をいただくには至らないと判断されたのでしょうから」


「それはそれで……

 要するにまだ全然、中途半端ってことですよね」


 未完成の作品に値段をつけるなんてとんでもない、とコンラッド夫人は報酬を拒否した。

 まぁ、元々余暇を過ごすついでにリタの指導に当たっていたような状況だったので、本人としても正規の金額を請求するのもしのびなかったのだろう。

 この休み期間中の給金全てと相殺と聞くと、「それはいただけませんね」と苦笑いだった。


「臨時収入と思わず、ちゃんと夫人が受け取ってくれる日までとっておきます」


 彼女は革袋を両の掌の上に置いたまま、ペコっと頭を下げた。

 基本、真面目な少女だ。

 リゼもそうだが、金銭感覚はカサンドラなどよりよほどしっかりしていると思う。

 

「こんなにも沢山、ありがとうございます」


 ぺこぺこと感謝を示す彼女の姿に、何だか心の奥がムズムズする。

 居たたまれないという表現の方が正しいかもしれない。

 そう、こんな風に感謝される謂れは何もないのだ。


「リタさん、こちらのお給金は全て貴女の労働の対価。

 現状、ただこの『家』の責任者であるというだけで、わたくし自らが何かを作り出すわけでも何かを成しているわけでもありません。

 労働に見合う対価を得ているリタさんの方が――わたくしは『凄い』と素直に思います」


 思わずそういう思想を口走ってしまうのは、自分が階級社会よりも前世で仕事をしていた記憶のせいだろうか。


 過去自分が存在していたはずの世界のことは、ゆっくりと抜け落ちて細部までは今となっては覚えていない。

 辛うじてゲームに関わる事だけは忘れるまいと意識しているから覚えているが、既に前世の友人の名や自分が通っていた学校のことなどは蜃気楼のように茫洋として思い出すことは難しかった。

 身も心もこの現実に同化し、馴染んできているということなのだろう。


 だだ、勤労――嫌な事でもやらねばならない”仕事”に追われるという焦燥感は未だに魂の底に残っている。

 予期せぬことで怒鳴られ、嫌味を言われることもあった。

 お局の気分次第で居心地がよくも悪くもなる、そんな理不尽な社会の歯車だったことは事実だ。

 それでも生きていくためだからと誠心誠意謝り倒し、架空のゲームの世界で心を癒す。ああ、そんな日々を確かに自分は送っていた。


 結果として今は”労働”せずともたちまち生きていける生活を過ごしているのだから人生というものは良く分からない。


 とにかく、そういう過去の記憶を呼び起こすと、リタの方に情感が籠ってしまうのは致し方ないことである。

 ふんぞり返って親からの富をむだけの存在より、圧倒的に親近感がわくというものだ。


「いえ、そんなことないですよ」


 リタは大きく首を横に振った。


「学園に入るまでは、貴族って羨ましいって思ってました。

 それは今でも変わらないんですけどね。

 でも――いざ、自分が『お姫様』として役になりきろうとした時にですね。

 私、お姫様って何をしているのか全くイメージできませんでした。

 綺麗なドレスを着て、美味しいものを食べるって、漠然と。それだけです」


 彼女は後頭部に片手を添え、困ったように笑う。

 役に入り込むためには設定や背景は大事だ。だから彼女も一層、今まで以上に周囲のお嬢さんの事を観察するようになった。


「でも実際は大変な事とか、しがらみも多いですし。

 階級だ人付き合いだ、マナーだ作法だ政略結婚だ……

 私には無理! って思う事が多くて。

 ……カサンドラ様達は凄いなって思いますよ」


 そこまで持ち上げられる程の事ではない。

 だが彼女の言い方は軽く聞こえるが、かなり真剣にそう思っているようだ。


「私達、正直ラッキーです。

 カサンドラ様だけじゃなくて、ですね。

 王子やラルフ様達が支配階級でよかったぁって、リゼとも話してます」


 少なくとも、彼らの統治世代は間違いなく黄金善政期だからと彼女は言った。

 それは奇跡的な確率。

 絶対的な権力を持っている人たちが上だけではなく下にまで目を向けてくれるのは滅多にあることではない。


 だから自分達は運が良い世代なのだ、とリタは何故か自信満々にそう言い切った。


未来さきの事は分かりませんけど、少なくとも王子は圧政なんかしかれる方ではないですし。

 絶対今より生活しやすくなりますよ」


「最初の志はご立派でも、為政者として立てばリタさんが仰ったようにしがらみも多くなることでしょう。

 皆様もお考えが変わるかも知れませんよ」


「大丈夫ですよ、だって一番上が王子ですよ?

 あの王子ですよ?

 それにカサンドラ様がお后様なわけですから、下手な事ができるわけないじゃないですか」


 思わず唖然として、彼女を見つめる。

 彼女は思ってもないような事を言える性格ではないので、心底そう信じているのだろう。

 他の人間が言えば「よくもまぁ、いけしゃあしゃあと」と呆れてしまうかも知れない彼女の話の内容。

 だが彼女は本当にそう考え、全く疑いもしていない。


 裏表がない、ということはこうやって直截に感情に訴えてくることもあるのか。



 彼女がその場に属する人間から好かれ易い理由が分かる気がする。







 ※  ※  ※






 ふと気づけば、自分は真っ白な空間にふわふわ浮いていた。

 今日はアレクが帰還してくる日では……

 と現実的な事を考えようとすればするほど意識が千々に散って、とりとめも脈絡もないことばかりが溢れ出す。



 そうか。


 これは夢なのだと気づいて手を打った。

 正確には手をぽんっと打とうとしたが、身体の感覚は一切ないので腕への思考命令が空転する。

 非現実的な、薄ぼんやりとした世界の中でカサンドラは漂っていた。


 早く目を醒まさないかな、と思えば思う程覚醒が遠のいていく。





 夢の中。


 そうだ、これは、夢、だ。





 視界というものはない。

 ただカサンドラの思考いっぱいに全方向から投射されるイメージ。それ避けることもできないまま、カサンドラの意識だけがそこにある。




 誰かが泣いていた。



 床の上に膝をつき、その腕に誰かを掻き抱く。

 事切れた”ダレカ”を抱えながら、彼は静かに泣いていた。


 赤い瞳から浮かんでは滴り落ちていく、透明な涙。

 何故かそこばかりに意識が行く。




 絶望に項垂れる青年を、誰かが見下ろしている。






   ――………。






 暗く、翳る。

 何を考えているのか、全く分からない。



 その景色の中にいて、彼だけが異質なものであった。

 まるでのっぺらぼうだ。

 表情が見えない。




 …… 一瞬だけ、感情の無い双眸が。

 王子の視線が。






 その場に泣き崩れる彼ではなく、”カサンドラ”をはっきりと捉えた。






「…………!!」





 止めて、とカサンドラは叫んだ。

 そしてその叫び声に自分で驚き、跳ね起きる。

 自発的な覚醒とは言い難い寝起きざまに、鼓動の音だけがやけに煩い。


 カーテンから漏れる月明かりはあまりにもか弱く、寝所は暗闇に包まれている。

 カサンドラはしばらく毛布を掴んだまま、起き上がった姿勢で硬直を続けた。



 今、悪夢を見た――ような気がする。



 それが何であったのか朧気だが、凄く凄く怖い夢だった……ような。

 夢は自分の中の記憶を掘り起こすこともあれば、願望を映すこともあるし、全く無意味で支離滅裂な、意味を考える事さえ馬鹿らしい荒唐無稽な景色を見ることもある。


 色んなシーンを組み合わせたり、自分にとって怖い状況を勝手に先走って再現したり。

 自制心の及ばない厄介な無意識領域だ。





「泣いていたのは……」




 以前、似たような夢を見たことがある。

 だが起きた瞬間霧散した夢の景色を拾い集めることも再現することも困難だ。


 続きを見ようと思っても見られるものではない。





 明日はアレクが帰ってくる、そして日曜が過ぎれば新しい学期が始まる。

 カサンドラだけではなく、三つ子それぞれ自分の想いを実現できるよう順調に進んでいるはずだ。


 どこにも懸念事項などない。




 そう自分に言い聞かせても、何故か身体が小刻みに震える。

 まだ深夜。



 寒さを凌ぐためにもう一枚毛布をかぶってみる。





 固く固く目を閉じ――膝を抱えて丸まった。 


 



    夜明けはだ遠い。

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