第297話 今年最後の
無事に王子にマフラーを渡せた事に安堵する。
マフラーを完成させるという大きな目標があったので、今まで全く手を着けていなかった学園から出された課題を消化することに努めるカサンドラ。
もっと期間の長い夏休みと違い、分量自体は思ったより少なくホッとした。
年末年始は貴族でなくても多忙なものだ、学園の入学式が分かりやすく一年の始まりではないのもその忙しさを鑑みての事なのだろう。
今は王都にいるかたら良いようなものの、レンドールに帰郷していれば毎日毎日他家のパーティにお呼ばれされたり年末年始の三日三晩屋敷内で宴が開かれていただろうし。
カサンドラは派手な見た目に反してパーティと言う行事があまり好きではない。
これは前世の記憶を思い出す前から、何となく苦手であった。
華やかで豪奢で、夢の世界に浸れるような時間だけれど。
社交的な人間ではなかったからか。人との会話を楽しいと思えなかったので、自然パーティは苦手なものであった。
相手に対してどういう態度をとればいいのか今一ピンとこず、でもこの地方では自分が一番偉いのだからと持て囃され自然に傲岸不遜な態度になっていった。
気が付けば友人と呼べるような人間は傍におらず、ベルナールのように曲がりなりにも幼馴染だからと話しかけてくれた層も愛想を尽かして遠巻きに。
別に、それで困ったことはなかったけれど。
自分はレンドール侯爵家の人間だから偉いのだ。
自分の思い付きや我儘で誰かを困らせる事は当然の権利であって、むしろ自分のために尽くせる人間は逆に感謝するべきなのだ。
……そんな風に信じて疑わなかった自分の過去を思い出すと怖気が走る。
甘やかされ、大海を知らない井の中の蛙状態だった。
よくもまぁ、そんな風に考えて疑問に思わなかったものである。
レンドールにいた頃の自分が既に黒歴史と化してしまい、足が遠のいているのはそのせいだった。
※
今日は一年の終わり。
色んなことがあった、それこそ人生が変わったと言えるほど。
年末はゆっくり家族と過ごすという家庭は多いだろうが、生憎屋敷で働く人間には、今が年末であっても全く関係がないこと。
カサンドラがこの屋敷で過ごす限り、住環境を完璧に整えてくれる使用人達のお陰で何不自由のない生活を送ることが出来るのだ。
だが流石にこんな日にまでリタがずっと働きどおしというのも据わりが悪い。
いくら彼女が帰省せずにずっと働きたいと希望しているからと言っても、すっかり新年に向けて活気づいてきている街中への買い出し依頼などを行う――どんな嫌がらせなのか。
冬休みに入って今まで真面目に一生懸命勤めていた彼女を労うという意味でも、彼女の友人の一人という意味でも。
今日一日は雇用契約の事は棚に上げ、一緒に過ごそうと提案したカサンドラである。
マフラーを編むのに根を詰め、その分遅れた課題を進めるために部屋に閉じこもり。
何という友達甲斐のない人間だろうか、自分は。
自分の事ばかりだと、我ながら呆れてしまう。
「カサンドラ様! ありがとうございますー!」
カサンドラの私室に招かれたリタは、部屋の中に入るや否や両手を組んで感動のあまり両肩を震わせている。
今日はメイド服を着るより前に”休日”というお達しがあったので、彼女は私服のまま姿を現わした。
メイド姿で屋敷内に勤めるリタと、こうして目の縁に涙を浮かべんばかりの喜びを全身で表現しているリタが同一人物だということに驚きを禁じ得ない。
人はこれだけ変わることが出来るのか。
外見ではなく、言動や所作、表情。しかも本来のリタとは全く違う様子だからこそ、ギャップに仰け反りそうになる。
「連日のお勤めご苦労様です。
今日一日、ゆっくりお休みになって下さい」
本来は「働くぞ!」という意気込みでやってきたリタである。
カサンドラの話し相手になってもらう――それも仕事の一環ということで、今日一日分の給金もちゃんと上乗せするつもりだ。
だがそれを先んじて言葉にしてしまうと彼女が辞退したり気後れしたり、無理にも部屋を飛び出してメイド服に着替えるのではないかと思った。
だから素知らぬ顔で彼女を「友人」として出迎える。
「メイドさんって案外力仕事っていうか、体力使いますよね。
あ、気力もですけど」
椅子を勧めると、リタは肩を竦めてそう言った。
やはり普段接しなれているリタの方が、余所行きのお行儀が良い彼女より良いな、と思う。
慣れの問題かもしれないが、何のプレッシャーも感じていない素の状態の彼女はいつだってエネルギッシュで明るい少女だ。
「買い出し要員を任されることも多いと聞いておりますよ。
大変でしょう」
「そうなんですよ!
買い物かごを両手に持って沢山、夕方から市場に行ったりしてます。
あんなカッコですし知り合いにバッタリ会わないか冷や冷やものですよ。
すれ違ったら、からかわれそうで」
あははは、と彼女は屈託なく笑う。
ナターシャが言うように彼女はとても真面目で良い子、屋敷で働く人間からとても可愛がられているようだ。
緊張を強いられる細かい作業ばかりでは息が詰まるだろう、と買い出し案件を彼女のために増やしているとは聞いていた。
少しでも外の空気に触れてリフレッシュして欲しいという心遣いゆえだろうが、当然リタが知ることはないだろう。
コートを羽織るとはいえ、流石に白いタイツやホワイトブリムを着けた状態での外出はリタにとっては恥ずかしいらしい。
コスプレ的な羞恥があるのかも知れない、普段自分に縁遠い世界の制服なら猶更だ。
だが彼女達は普通の”可愛い”華奢な女の子。
癖が無く、特徴がないのが特徴という容色ゆえに、逆に何を着ても似合うのだ。
リナもそうだったが、まさに可愛いメイドさん。
屋敷の中の雰囲気も良くなるし、是非このまま屋敷で働いて欲しいが――まぁ、それは無理な相談だろう。
「紅茶の淹れ方も、少しは上手になったと思います!
今度はカサンドラ様にお出しできるよう頑張りますね」
そう言って彼女は自身の手前に置かれた紅茶のカップの取っ手を、指で抓んだ。
彼女にとって”紅茶を淹れる”という動作はトラウマとなって残っている。
かつて選択講義の際、王子の袖口に紅茶を零してしまうというとんでもないミスをしてしまったせいで、彼女は「人生終わった」と真剣に思うくらい落ち込んだのだ。
まぁ、そのことがあったから生誕祭前にこの屋敷で礼法作法の特別特訓をする話になったのだが……
あれからもう半年が経つのか。
時が経つのは何と早い事なのだろう。
「ありがとうございます」
リタとテーブルを挟んでしばらく話し込んだ。
やはり日々相当な精神的負荷がかかっているようで、今日無理にでも休養してもらうような申し出をしてよかったと思う。
リタはとても明るい元気な女の子であることは確かだが、だからと言って精神的に強く頑丈というわけでもない。
ラルフと仲良くなれるのなら、という一心で本当の自分を誤魔化しながらパラメータ上げに励んでいる状態なのだ。
前にも思ったが、案外剣術や勉強の成績と違って気品を上げるのは――言葉以上に大変なことだ。
自分のアイデンティティが揺らぎかねない、それこそ今の彼女のように一枚の仮面をかぶることでようやく真摯に向き合える。もはや性格矯正の域だ。
簡単にパラメータで上げ下げするものではないのではないか、と今更育成ゲームの側面に対して文句が出てしまう。
「三学期も楽しみですよね。
地方見聞研修でしたっけ、クラスの皆と一緒に遠出なんてワクワクします」
「……。」
リタからの弾む声に、カサンドラは「そうだった」と過去の記憶を手繰り寄せた。
三学期に実施される、修学旅行ならぬ地方見分研修。
現代日本の修学旅行のような行事を演出したかったのだと思うが、それがこの世界で実際に実行されるとどれほど大変かとこんな行事を入れ込んだ製作者を問い詰めたい気持ちで一杯である。
確かにイベントとしては楽しいけれども。
生徒会が直接指揮するのではなく、学園が責任を以て行う行事。
要人の子女が団体で移動するので騎士団の護衛も当然つくし、安全な経路などの入念な下調べは必須。
行き先決定くらいしか生徒会は関与できない行事だが、そう言えばそんな行事があったな、と遠い目をしたくなった。
――役員である以上、旅程内のトラブル発生時は対応を余儀なくされるのだろう。
「今年の行き先の発表がありましたよね。
確か北部の葡萄園? えーと、やっぱりワイン醸造の見聞って感じですか?」
「そうですね。
学園の昼食にはアルコールを含んだ飲み物は出て来ませんが、卒業パーティや他の催しでワインが振る舞われる機会もあります。
卒業後でも嗜む機会の多いものですし、役員の強い要望で決定いたしました」
普通のフルコースやディナーにはワインに限らず果実酒などもつきものだ。
法律の飲酒の禁止などはないが、十五歳未満は飲まないことを奨励されている。
特待生だけではなく、まだお酒は飲んだこともないという生徒も多いだろうから醸造の過程からしっかり見聞してもらおうというのが建前だ。
「カサンドラ様はお酒、好きなんですか?」
「いえ、わたくしはそこまで……
シリウス様とジェイク様の強いご要望で葡萄園になりました。
ラルフ様も反対なさらなかったので、そのまま案が通ったのですよ」
あの二人があんなにお酒が好きだなんて知らなかった。
カサンドラが意見を提出する前に、既定路線のように一瞬で話が決まってしまった役員会議。
あまりにも呆気ない話だったので、今の今まですっかり記憶から追い出していた。
「はぁ……
北部に向かうのであれば、わたくしは温泉が良かったです……」
つい、恨みがまし気な愚痴が漏れてしまう。
入学当初は、この世界のことを少々侮っていた。
疲れた体や心をゆっくり癒す、温泉地帯。
皆でゆっくり入って――なんて提案しようと浮き浮きしていたわけだ。
だが現実は非情である。
元々本来のゲーム内で行われた行事が再現されるのなら、当然既視感のある葡萄園になるに最初から決まっていたのだ。
いくらカサンドラ一人が声をあげたところで、ゲーム内イベントはそんなことでは覆らない。
行き先変更なんて都合の良い改変、自分には無理だった。
改めて自分の無力さにがっかりしただけに終わったのである。
「温泉……ですか?
……確かに温泉も良いですよね!
皆と露天の温泉に入れるなんて楽しそう!」
リタも手を打って賛同してくれた。
彼女達に馴染みがないワインなどよりも、大きな天然の大浴場で心身の疲れを癒すことの方が魅力的に聴こえたのかもしれない。
「あ、でも……
やっぱり無理ですよね、うちのクラスって王子様もいますし。
ラルフ様達も……
そんな遠出の大勢の先で無防備にはなれないですよね」
「残念ながら、リタさんの仰る通りです」
リタの指摘通り、カサンドラの目算が甘かっただけだ。
葡萄園の見聞ならば大きな屋敷をいくつか借り切ってそれぞれに一室ずつ割り振ればいいが、温泉ともなるとそういうわけにもいかない。
温泉に敷設の館は、クラス全員のプライベートを確保できるほど広くないはずだ。
それに団体で入浴――というのは一層非現実的だった。
人間が生活する中で最も無防備になる時間を、有力家の子女たちが勢揃いで過ごすわけにはいかないのだ。
ここは完全に平和な国ではない。
「あっ……」
リタは何故か、急にそわそわと落ち着かない様子で視線をあっちにやったりこっちにやったり。
もじもじと忙しない様子で、しかも頬の端を若干赤らめている。
何事だ? とカサンドラは怪訝顔で彼女を見つめた。
どうかしたのかとカサンドラが聞くと、彼女は真っ赤な顔で両手をブンブンと横に振る。
「え!?
いえ、そんな……流石カサンドラ様、大胆ですよね。
私にはとても……思いつかないって言いますか、そんな!
だってクラス全員って男子も一緒じゃないですか。
……場所は違うとは言え……
私なんか想像しようとしただけで脳がパニック状態ですよ!」
「あの、リタさん……?」
カサンドラはただゆっくりと、大自然の中湯に浸かりたいという漠然とした希望を抱いていただけだ。
そして前世の世界では温泉はゆっくりと疲れを癒すために常用されるものであって、そこまで希少な体験というわけでもなかった。
だが彼女が顔を茹でだこのように真っ赤にして背を逸らし仰け反る姿を見て、カサンドラまで急に恥ずかしくなってくる。
男子のことなんて一切考えていなかった。
そもそも温泉に決まったとしても男女は全く別館だろうし、想像の中に存在しなかった。
そんな照れ照れした様子で口籠られるとカサンドラにも動揺が走るではないか。
いきなり意識してしまうというか。
「いえ! 良いんです、分かってます!
カサンドラ様と王子は恋人同士、いえ婚約者なわけですし……
ええ全くおかしなことではないのは分かるんですけど、その、私には………全く縁がないと言いますか……」
あれ?
これと同じようなシーンを以前経験したような……
脳裏に夏休みの植物園見学の事がフラッシュバックする。
あの時もリゼに全く見当違いな誤解をされてしまった事を思い出し、今度はリタに!? と泡を食う。
そんなつもりは一切なかったのに、リゼもリタも全く酷い勘違いをしてくれたものだ。
しかもこれは否定しても絶対分かってもらえないパターンだ。
あまりの気恥ずかしさに、カサンドラは無言で紅茶に口を着けつつ心の中でもんどりうっていた。
……温泉に行こうなどと皆の前で言わなくて良かった。
恐らく、間違いなくその場にいる役員全員にぎょっとされた事だろう。
この世界の若者に、温泉で疲れを癒そうという習慣を求めてはいけないのだ。
一つ学んだカサンドラは、リタと向かい合ったまま何とも気まずい時間をしばらく過ごした。
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