第295話 手編みのマフラー


 カサンドラは何が何だか分からない状況ながらも、辛うじて手を動かす。

 鞄の中に入れていたダークグレーの毛糸で編んだマフラーを取り出し、カーッと顔を赤くしたまま王子に向かって差し出した。


「こちらが、マフラーです。

 ですがご覧の通り決して褒められた出来ではございません。

 そのため、直前になって……王子へお渡しする事を躊躇ってしまいました」


 言い訳がましい言葉を並べ立てるカサンドラから、彼もまた申し訳なさそうな表情でマフラーを受け取った。

 そんな不出来なものを持ってきてよかったのか、と。

 ナターシャに大丈夫と押してもらった太鼓判、それを完全に信じられる程完璧な出来ではない。

 処女作と比べれば全然違うが、求めていた完成度とは違う出来栄えに懐疑的だったのは自分自身。


「こちらの方から物品を指定するつもりは無かった。

 気を悪くさせてしまったね」


 何故か誕生日プレゼントを渡すという場面でカサンドラと王子の謝罪合戦が繰り広げられている。


「ジェイクが『覚悟しておけ』などと言ってくるものだから。

 てっきりカサンドラ嬢からマフラーをもらえるのだとばかり」


「過日の勉強会であのお話を聞いた上で、敢えて手編みの品を贈り物に選ぶことが許されるのか自信がありませんでした。

 無神経だと思われないかと……」


 まさかあの時リゼが着てきた一枚の手編みのセーターがここまで物議を醸しだすことになろうとは。

 人生どんなことが何に影響するのか分かったものではないな、とカサンドラは緊張で声を上擦っていることを自覚する。

 ジェイクがどんなつもりで王子に警告したのかは分からないが、それがなければ渡すことは出来なかっただろう。

 だが絶対に感謝は出来ない。複雑な心境である。


 二人で互いの見解を交互に言い合った後。

 どちらも黙し、しばらく無言で見つめ合う状況になっていた。


 これ以上謝るべきではないと同時に思い至り、口を噤む。

 そのタイミングが等しく、お互いの間を隔てる冷たい空気がシーンと静まり返っている。



 風もなく物音もない。

 彼の綺麗な蒼い瞳に、こちらの視線が吸い込まれていく。


 僅かな時間なのに体感時間は明らかに長い。

 瞬きする長い睫毛の動きまでつぶさに見られる、そんな距離。


 彼に真っ直ぐ見られているのだと思うと気恥ずかしく消えてしまいたいような羞恥に駆られるが、でも今この時間だけは彼を独占出来ているのだと確信できる。

 だから目が離せない。


 

 何も言えず、押し黙るがゆえに広がる静寂。

 ここには話題や雰囲気を変えてくれる第三者はいない。

 感情を上手く言語化できず、思考は空転を続ける。

 

 視えない透明なヴェールに覆われたかのような時間が、ただただ過ぎ行く。

 

 沈黙。

 それをゆっくり剥がすかのように、二人の間に雪がはらりと舞い落ちた。




「雪が降ってきましたね」


「雪だね」


 二人で同時に掌を前に差し出し、それぞれ触れた瞬間にすっと溶けて消える白い”粒”を見つめる。

 全く同じタイミング、同じ動作。

 それに気づき何となく可笑しくなって、自然と二人で笑ってしまった。


「道理で寒いと思った、屋根の下まで移動しよう。

 早速だけど、これを使わせてもらって良いかな?」


 丁度四阿の屋根から数歩先に出た位置に立っている二人。

 彼の提案に頷きながら、面映ゆい想いに頬が熱くなってしまった。




 四阿あずまやの下に、二人掛けの椅子が向かい合わせに設置されている。

 公園にあるようなベンチより小洒落た、細工の多い椅子だ。


 勧められて椅子に座った後、向かいの椅子に彼も腰を下ろす。

 横にもう一つの予備プレゼントの小箱を丁寧に置いた後、彼は膝の上にマフラーをちょこんと置いた。



 赤いリボンをするっと解くと、畳まれていたマフラーが彼の両手で長く横に伸ばされた。

 間近で自分が編んだマフラーを広げられ、カサンドラは奇声を上げそうになる。

 まだ夕方だ、マフラーの粗もすっかり露になってしまう。


「こんなに長いマフラーを一人で編めるなんて凄いと思う。

 編み物が趣味だったのかな?」


「お褒めに与り光栄です。

 実はこの冬、初めて編み物に挑戦いたしました。しかとご覧になれば、不出来さが浮き彫りになってしまうでしょう。

 お恥ずかしい限りです」


「初めてで立派なものを作れるものなんだね。

 ……これは……本当の意味で余計な真似をしてしまったようだ、君がこんなに手先が器用だなんて」


 それは蜘蛛の玩具を作成する際の事を言っているのだろうか。

 カサンドラが作成できないならと彼が肩代わりを考えていたようだが、結局アレクにお任せしてしまった。

 流石にカサンドラの手先は昆虫の模型を作れる程器用ではない。


「まさかそのような……。

 一度、先に練習しております。初めての作品よりは上達したと思います」


 王子が広げたマフラーを自分の首にゆっくり巻く。

 その姿にひゃあ、と再度悲鳴を漏らしそうになって慌てて口元を掌を覆った。



 流石王子……

 素人が編んだマフラーをもまるで一級品の装飾物であるかの如く魅せることが出来るのか。

 カサンドラがテーブルの上で穴が開く程見つめて「微妙かもしれない」と頭を抱える出来栄えのマフラーをここまで素敵な逸品に変えてくれるとは。


 己の不見識を恥じた。

 王子に高品質なもの以外は似合わないというのは事実だが真実ではない。

 正確には、彼は纏うもの全ての価値を引き上げてくれるのだ。



 不器用な村の娘が愛する恋人のために、あまり上手とは言えないセーターを編んで――それをプレゼントしてもらった青年は下手だけども暖かいセーターを着てその気持ちに感謝する。

 微笑ましいエピソードにもなるだろう。


 だが王子ともなれば、一たび身に着ければ失敗作でさえ「それはそれでお洒落なのかもしれない」と周囲に印象付け、冴えない服さえ皆が羨むような逸品に変えてしまう。

 同じ服を着ても、着る人物が違えば雰囲気も変わる。

 それを圧倒的な外見美で証明する、それが王子と言う存在であった。


 王子によく似合うだろうと思っていた色は彼に実際に良く似合う。

 落ち着いた大人の色を彼は難なく着こなし、本当に素晴らしいものを贈ることが出来たと己を褒めたくなるような姿を見せてくれたのだ。


 拝みたくなる衝動を必死で抑えていた。


「これはレウラかな、手編みだと一層暖かい。

 雪が降っていても大丈夫だ」


 王子の言葉一つ一つに心の奥を揺さぶられる。

 彼にそう言ってもらえたなら頑張った甲斐があるというものである。


 渡せたのは、業腹だがジェイクの言葉があったから。その事実が物凄くモヤモヤする。


「……それにしてもジェイク様の仰りようには驚きました。

 覚悟が必要だなどと」


 マフラーを渡せたのはネタバラシのお陰ではある――かも知れないが、それはそれとして酷い言いざまではないか。

 誕生日プレゼントに覚悟を持たせようなんて、一体カサンドラの事を何だと思っているのだ。

 そもそも普通、誕生日プレゼントのネタバレなんてするものだろうか。彼の脳内辞書にデリカシーと言う文字を力いっぱい書きつけてやりたい気持ちである。


 王子は苦笑を浮かべ、こちらの釈然としない気持ちを宥めようと声を掛けてくれた。


「彼はシリウスが受け取った手編みのセーターに随分嫌な想いをしたからね。

 名前を出してしまった私が言うのは筋が通らないけれど、どうか許して欲しい。

 もしも予告なく似たような品を私が受け取った場合、カサンドラ嬢に対して咄嗟に失礼な言動をとってしまうかも知れない。そう思ったのだろうから」


 シリウスやジェイクならいざ知らず、王子にそんな気を回す必要はないだろうに。

 どんなものを受け取っても彼は嬉しそうに受け取ってくれる、そんな人ではないか。


「別にジェイク様が受け取ったわけでもないのに、ですか」


「ああ、それはね……

 後日色々あった結果だから……どうか悪く思わないで欲しい」


 王子も歯切れが悪い。深く聞かないで欲しいという様子で言葉を濁したので、もしかしたらカサンドラが把握している以上の何かがあったのかもしれないが……

 特に知りたいわけでもないので、首肯するにとどめて置いた。

 そもそも王子の誕生日なのだ。そんな事を話題の中心に据えたいなんて思ってない。要らない事を言ってしまったとカサンドラは少し後悔した。


 そんなカサンドラに見えるよう、王子は自身の首に巻いているマフラーを指先で指し示す。


「勿論カサンドラ嬢が常識から逸脱した贈り物を選ぶはずがない。

 ジェイクの話を聞いて、ただ手編みのマフラーをもらえるのだろうとしか思わなかった。

 結果的に催促するような言動になってしまって、恥ずかしい話だ」


「素人仕事の作品をお渡しすることを許して下さったのです、王子の寛容なお心に感謝いたします」


 何はともあれ、無事に彼にマフラーを渡すことが出来た。

 その事実に心がフッと軽くなる。


「以前、君からもらった香袋サシェは香りが消えてしまったから残念に思っていた。

 マフラーならそんな心配は要らないから嬉しいよ、ありがとう」


 全く邪気も嫌味も皮肉もない、綺麗な笑顔にカサンドラの存在が浄化されて跡形もなく消えてしまいそうだ。


 カァァ、と紅潮してしまう。直視に耐えず、思わず俯いた。

 そうやって一言一言が、カサンドラの心中に点在する急所を撃ち抜いていくのだから本当に困る。


 王子の誕生日。

 雪がちらつく庭園の四阿で二人きり。

 手編みのマフラーを渡せ、しかもそれを――喜んでくれているように見える。




 これは、もしかしたら自分の想いを伝えるまたとない機会なのでは……?




 膝の上に乗せる掌、その指先が緊張で小刻みに震えていた。

 今しかないという絶好のシチュエーションだ。

 今告げることが出来なければ、次はいつ彼に想いを伝えられるのだろう。



 勢いに任せ、言ってしまおうべきなのか?

 なけなしの勇気を振り絞って顔を上げたカサンドラである。



 だが常に彼と全てのタイミングが合うというわけではない。

 先ほどは計ったようなタイミングで一緒に笑い合えた二人でも――

 こちらばかりが急いて意気込んでしまって、絶好の機会を僅かな躊躇いで外してしまう。

 


「これからケルンの賓客と晩餐会だから、この暖かい格好のままいられないのは残念だ」


 唐突に、話題を変えられてしまった。


「まさか公爵の使者がこちらにやってくるとは思わなかったから、少々気が重たくてね」


 うーん、と考え込んで両目を閉じる王子。

 気づけば結構な時間が経っている、本来三十分くらいしか彼と話をする時間がなかったことを思い出す。

 いつも彼と会う時には時間を気にしている気がする。


「ケルンから王子のお誕生日をお祝いにいらしたのですか?」


 冬の海路を遥々超えて、ケルン王国の偉い人が王子のためにやってくる。

 格式やら体面やらを強く重んじる国風で、世界の大国として多くに知られる島国、ケルン。

 クローレス王国の王子に時間や人員を割く価値があると判断し、わざわざ使節を向かわせた。


 いや、それだけではないのかも知れない。

 ケルンの公爵家と言えば――王太子の婚約者の兼ね合いで結構揉めていると言っていた。

 もしかしたらその話が秘密裏に進められるのかも知れない。


「貿易協定の事で話がある……とも言っていた。

 北部海岸の方でトラブルが頻発しているようだし、晩餐会の後の話し合いは難航しそうかな」


 珍しく王子が愚痴のような言い方をし、肩を落とす。

 相当気が進まないだろうとそれだけでも分かる、他国間の話となればカサンドラはまさに門外漢だ。

 何も助言めいたことが出来ない自分が恨めしい。


「先日の試験での出題項目として記憶に新しいですね。

 教書記述が書き換えになる可能性も高いのでしょうか」


 歴史と違って現実は常に流動的。

 また一から覚え直しということになったら勘弁して欲しいというのも本音である。


「そうだね、調印して実効するまでタイムラグはあるけれど。

 実務に携わる文官達も仕事が増えるだろうし。

 クローレスにとって有利な条件を継続できるよう、自分に出来る事があれば良いのだけどね……相手は交渉事には慣れているだろう、逆に言質をとられないよう気を引き締めないといけない。


 

 ……来年だったら――」




 王子は最後、ぽつりと声を漏らす。




 何でもないと彼は誤魔化すように苦笑い。


 結局彼と一緒に話をすると、最終的にはロマンスとは程遠い、真面目でお堅い話になってしまう。

 それは彼が真面目だからだろうか。


 若しくはカサンドラの外交資質、感覚を彼自身が確認しているのか?


 彼は直接自分を値踏みするような物言いも態度もしないけれど。

 王子の真っ直ぐで、この国や友人、そして大勢の民を思う気持ちの強さを間近で感じると、自分の”慕わしい”という感情が場違いなものにも思えてしまう。


 彼との距離を感じる理由の一つであるが、カサンドラは彼の誕生日であっても休みであっても――

 常に自分の立場に向き合う彼の姿が好ましいし、頼もしいと思う。  







 まるで毎週放課後、学園の中庭で話をしているように錯覚する。



 違うのは場所と、普段並んで座っている彼と正面から向き合っている事。

 ――彼の首にカサンドラの編んだマフラーが巻かれているという事。






 しばらく話し込んだ後、王子は思い出したように隣に置いた小箱を手に取った。


「これは返さないといけないね。

 もうマフラーをもらったのだから」


「そちらは王子に似合うものをとご用意したお品カフスリンクスです。

 どうか合わせてお持ちになって下さいませ」




「ありがとう。

 は私も、二つ用意しておくからね」





 もうすぐ、今年一年が終わる。






  ”来年だったら――”

 





 彼が言いかけた言葉の先は何だったのだろう。




 来てくれてありがとう、と手を振る彼の後姿。

 彼の姿が王城に入って見えなくなるまで、カサンドラもずっと片手を振り続けていた。






 彼と一緒にいる未来さきのことを想像出来る。

 それはなんと幸せな事なのだろうか。







 プレゼントは二つも要らない。

 ただ一緒にいられたら、それだけで嬉しい。


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