第294話 王子の誕生日



  本当にマフラーを渡しても良いのか?



 今更こんな事で悩むなんて思っていなかった。

 完璧な自信を持って堂々と手編みのマフラーで臨むか、きっぱりと諦めようと代替品で臨むかのどちらかだったはずなのに。


 一応どこからどう見てもマフラーだが、職人の出来栄えには遠く及ばない。

 尤も、材料は一級品だ。技巧の必要ない単一無地だから遠目からは素人が編んだものとは気づかれまい。


 だが近くで見れば、普段から高品質な装飾に囲まれている者には一瞬で素人の作品だと看破されてしまうだろう。


 ナターシャもフェルナンドも渡してくればいいとは言ってくれるが、本当か?

 アレクならいざ知らず、主家の総領娘に駄目だしなど滅相もない、と敢えて持ち上げているだけなのでは?


 王子の誕生日当日、彼への手紙をしたためながら頭の中でぐるぐると考え続けていた。


 勇気を出して渡せば良いではないか。

 彼は人の好意に眉を顰めるような人ではない、きっと喜んでくれる――はずだ。

 喜んでくれる、受け取ってくれる。そんな想像は簡単。


 でも彼にとって内心迷惑だったとしてもカサンドラには判断できないという事の裏返しでもあった。


 普段の彼の本音さえ一切見抜くことの出来ない自分には、プレゼントの効果確認――王子の感情の識別など難易度が高すぎる。

 嬉しいよ、と笑って受け取ってくれる彼の喜び度合いが如何ほどかなど測定不能。

 彼は優しい。

 大人だし、呪いのセーターでさえ燃やすのはちょっとやり過ぎだと苦言を呈すほど穏健な人である。


 ……受け取ってくれるかどうかで言えば、間違いなく受け取ってくれる。

 だがその行為の是非を、果たしてカサンドラは見定めることが出来るのだろうか。


 もしもこれがゲーム中だったら、より好ましいプレゼントを渡せば好感度上昇値をはっきりと知覚することができるのに。

 例え攻略キャラが無表情のポーカーフェイスが信条であったとしても、イベント前後の好感度ビフォーアフターをプレイヤーに隠し通すことは出来ない。



 だが王子は違う。

 予備知識もない、入学式からほぼ初対面の関係で築き上げた今の彼しか知らない。


 出たとこ勝負の初見プレイ。やり直しは勿論不可。


 ……正直言って、選択肢直前セーブが出来ないゲームは本当に苦手だ。

 基本的には小心者チキンなのだ、自分の選択で相手の好感度ががつっと下がったら即座にリセットしてしまいたくなる程度には。




「……はぁ……」



 いつまでも迷っていても仕方ない。

 エレナとの約束の時間は迫っているのだ、グズグズしていたら今日王子に会えなくなってしまう。

 彼も忙しいスケジュールを縫ってカサンドラに会ってくれる、時間に間に合わないなんて最低だ。


 気が晴れないカサンドラの内心を表すように、空模様は見事な曇天。

 吐く息は白い煙を作り、一気に冬到来を感じさせる時期に突入していた。

 底冷えする寒さに首を竦める。

 地方の山間部には雪が積もっている箇所もあるのだろう。


 王子への手紙は書いた。

 ……そして赤いリボンで巻いたマフラーを手に取る。


 躊躇う。

 最後の最後まで、踏ん切りがつかない。



 もしも渡した後に手編みと知られ、”重たい”と思われたら。 




 手紙は忘れないよう、既に鞄の中に入れてある。


 カサンドラは唇を噛み締め、マフラーをそのまま大きな鞄に入れた。

 同時にテーブルの上に並んで置いていた、保険のためのプレゼント――カフスリンクスを入れた小箱を手に取ってそれも一緒に入れ込んだ。

 

 その場の雰囲気と言うものもあるだろうし。

 即した方を王子に渡せば良いのだ。


 決断を最終的に後回しにした後、カサンドラは外出着に着替えてエレナとの約束に向かって準備を進める。

 しっかりと防寒対策済の出で立ちで、カサンドラは玄関から一歩踏み出す。


 黒いロングブーツで地面を踏みしめ、緊張に歯を鳴らしながら馬車に乗り込んだ。



 婚約者に誕生日プレゼントを渡すだけなのに、何故こんなに緊張しなければいけないのか。

 ……適切な距離が分からない。

 人当たりが良く、紳士な彼の本当の気持ちを探ることは難しい。


 彼なら――親に用意された婚約者を不快にさせないよう、恥をかかせないよう器用に立ち回る事くらい容易いのでは、とも思う。

 カサンドラが婚約者でなくとも、他の令嬢が婚約者でも彼は同じように振る舞える。

 そのイメージは驚く程簡単で、それがまた胸を締め付けるのだ。


 どこか感じる彼との壁。

 でも明確に言葉に出来ないもどかしさ。


 好きでも何でもない、ただの義務だと告白されては全てが終わってしまう――そんな恐怖。

 その宣告を受けた日が、カサンドラの世界が終わる日だ。

 嫌だ、可能性があるなら足掻きたい。


 ……好きになって欲しい。何でも打ち明けてくれるくらい、彼にとっての特別になりたい。



 鞄の端からマフラーのフリンジがひょこっと飛び出て、慌ててそれを奥底へと押し込んだ。

 



 ※



「ええと、エレナはどこでしょう」



 定刻より早く待ち合わせの場所に着いたが、既にエレナは待機していた。


 ゴージャスな真っ白いファーマフラーを首に巻き付けるハイヒールの美女。

 カサンドラが話しかける前に、数名の男性に声を掛けられているところを発見してしまった。

 無造作に片手をコートのポケットに入れたまま、全く動揺することもなく無表情で適当に誘いを断っている。


 カサンドラの生活しているお行儀のよいクラスでは、中々ナンパシーンなどお目に掛かることが無い。

 他学年になると色々と男女間のトラブルもあるそうだが、少なくともカサンドラの周囲は平和であった。

 王子の婚約者という値札を下げて入学した以上、気軽に声を掛けてくる男子生徒など皆無なので一際珍しい光景であった。


「ああ、カサンドラ様。こちらです」


 馴れ馴れしく肩に手を置いてこようとする男性の手を軽く払り、彼女はこちらに手を振った。

 何か物申そうとした男性も、レンドール家の馬車にチラっと視線を馳せる。

 その後互いにぼそぼそと話し合いながらも、最後は舌打ちをして道の向こうに去って行ったのである。


「今の男の方達は」


「ああ、よくあることです。

 気にしないでください」


 彼女は淡々と、先ほどまで話しかけていた男性たちの存在を無かったことにしようとする。

 まぁ、彼女は美人さんだし目立つだろう。特にショートカットの女性は王都には珍しい、平民だと言わんばかりの髪型だ。


「エレナさん、髪を伸ばさないのですか?」


 面倒がない御しやすい相手と見て男の人たちは声を掛けたのだろう。


「洗う時面倒だから短い方が良いです」


 カサンドラの提案は、ワンセンテンスであっさりと両断された。


 貴族の令嬢や所謂お金持ちのお嬢さんにロングヘアが広まっているのは手入れが難しい髪型を維持できる程”豊かである”事を意味するからだ。

 手入れをしていない長い髪は見るに堪えない。

 日常作業の邪魔にならないように一つに括るか、手間がかからないように短くするか。


 ……まさか先代エルマー子爵のお孫さんが、面倒だという理由だけで短い髪を選んでいるという事実にカサンドラは苦笑を浮かべる他なかった。


 サッパリした性格は彼女の魅力の一つであるが、本当に異性と縁がないタイプに思える。

 そんなことをカサンドラが心配しているなんて、エレナからすれば甚だ心外な事だろう。



 城門をくぐり、危険なものは持ち込んでいないと鞄を開けて衛兵に見せたカサンドラはエレナに先導されて東の庭園に向かう。

 全く何もチェックせずには通せないんですよ、と衛兵たちも苦笑いだ。

 今日は王子の誕生日で、本人が言う通り多くの要人が城に招かれている。

 こそこそと入ってくるカサンドラをそのまま素通しは無理なのだ、と。


「王子との約束の場所は、あちらです」


 エレナが掌でさしたのは庭園内の四阿あずまやであった。

 屋根しかないので風を遮ることは出来ないが、このどんより曇った空から万が一雨が降った場合はそれを凌いでくれるだろう。


 緊張し、鞄を下げる手に無駄に力が入ってしまう。

 エレナに微笑みかけているつもりだが、もしかしたら顔が引き攣っているかも知れない。


 本番はこれからだというのに、既に足が震えて何もないところで蹴躓つまずいてしまいそうだった。

 

「もうしばらくすれば王子がお見えになるかと。

 私、邪魔でしょうし離れた方が良いですか?」


 五時まで、まだ十分な時間がある。

 しかも必ず時間どんぴしゃりでやってくるとは思えないし、このじりじりと心が焼け付いて胃そのものが溶けそうな緊張感の中、いつ来てくれるか分からない王子を一人で待ち続けるのは辛い。


「いえ! 王子がいらっしゃるまで傍にいて下さい、お願いします!」 


 思わず彼女のコートをむんずと掴み、縋るようにカサンドラは首を小刻みに横に振る。

 置いて行かないで、と声なき声を上げていた。


「はぁ……。

 全く、何をそんなに緊張される必要があるんですか?」


 若干呆れた様子のエレナは、カサンドラの鞄を見てどうしようもない、と言わんばかりの大袈裟に肩を竦めるジェスチャーをとった。


「王子にプレゼントをお渡しするだけだというのに」


 彼女の視線から隠すように、カサンドラは鞄の持ち手を変えて背後に持って行く。

 渡すプレゼントはタイピンかカフスリンクスだという話はそれとなくしてあったはず、その例を考えればカサンドラの持っている鞄はとても大きく映るだろう。

 まぁ、女性の手荷物が多くなるのは世の常なので、彼女も特に不審そうな顔はしていなかったけど。


 ”鞄の中にあるものは、プレゼントの小箱とマフラーです”と申告したが、間違ってない。

 まだどちらを王子に手渡すべきなのか、未だに思考は混迷の極みである。


「……カサンドラ様、寒くありませんか?」


「大丈夫です」


 今は身体的な寒さなど感じられないくらい、血の巡りが良すぎて暑いくらい。

 知恵熱という言葉があるが、まさに考えすぎて堂々巡りを全力で行っている自分はその状態なのだろう。


「先日は半ば冗談で申し上げましたが、このままだと本当に降ってきそうな空模様ですよ」


 雨雲から降ってくるのは普通は雨だ。

 だがこの薄く張った水が凍るような気温では、きっと雪になる。


「まぁ、エレナさん。今は冬ですもの、雪が降る日もあるでしょう」


「折角マフラーをお持ちなら着ければ宜しいのでは……いえ、申し訳ありません。

 差し出がましい事を申し上げました」


 エレナは少し困ったように笑ってこちらを見据える。

 切れ長の目、気が強いという印象を与える彼女。顔立ちが整っているからこそ余計にインパクトがあった。


「以前、王子の事は弟のように思っている……などと不敬な事を口にしてしまいましたね。

 まさか貴女に対してまでそういう印象を抱くようになるとは思いませんでした」


 まるでお節介の世話焼きだと彼女は自分の発言を後悔し溜息をついているようだが。

 ……まさかそんな風に思ってもらえるとは想像もしていなかったので、カサンドラも咄嗟に言葉を返せなかった。

 はっきりと言われたわけではないが、妹のようだと思われるのは人生で初めてなので動揺する。

 王子の事さえ一瞬、頭からポンとはじけ飛んでしまったくらいには驚いた。


 最初は彼女に良く思われていなかったはずなのに、一日だけでも家庭教師をしてもらったり。

 普通に話が出来る関係になれるとは、夏の頃は想像もしていなかった。





「良かった! 王子がおいでですよ、カサンドラ様!」


 回廊に姿を現わした人影に最初に気づいたのはエレナだ。

 靴音を響かせ、大理石を敷き詰めた道の上を颯爽と歩く人物を確認後、エレナは静かに一歩退しりぞく。


 スッと茂みの奥へと下がっていったエレナの気配の消えっぷりに驚く暇もない。



「カサンドラ嬢、遅くなって申し訳ない。

 ……まだいてくれてよかった」


 遅くなったと言っても、まだ五時を少々経過したくらいだ。

 遅刻と言えば遅刻かもしれないが、元々絶対にこの時間にやって来れるなんて彼も言っていなかったはず。むしろ早いとさえ感じたカサンドラ。


 陽が傾き、薄暗くなってきた空気に王子の美しい金の髪が揺れている。

 そんなに急いで走って来なくても、とカサンドラは心の中でドッと焦りを覚えた。


「本日はわたくしのためにお忙しい中時間を頂戴し、誠にありがとうございます」


「いや、こちらこそ本当に申し訳ない。

 君を城内に招待出来れば一番良かったのだけど、それが叶わなかったのは私の落ち度だ」


「とんでもございません」


 カサンドラは彼の言葉に慌てて首を横に振った。

 こうして王子が時間を作って会いに来てくれただけで嬉しい、それは本心のことだったから。


 しかし――


 顔を上げ、改めて王子の姿を真正面に捉える。

 自分と数十センチ距離を保って向き合う王子の姿は、いつも以上にキラキラと光り輝いていた。

 前髪を上げ、いつもと雰囲気が違うせいだろうか。


 どんな美しい芸術品だって彼の前にあれば輝きが曇るだろうと断言できる、神様の作った奇跡の造形美。

 これだけ息を呑む美形な上、性格も聖人だということが信じられない。


 彼はベージュのコートを羽織っているものの、前を閉じていないので真っ黒な燕尾服テイルコート姿だとはっきりと分かった。クラクラするくらい格好いい。

 どんな装いをしていても美しい彼だが、きっちりと礼装を着こなす凛々しい佇まいの前に畏怖さえ抱く。カサンドラは息を呑んだ。




 ……この人に、あんな素人作りのマフラーを着けてくれと渡すのか……?




 それはまるで、完璧なバランスで出来た奇跡の彫像に、不要な部品を付け足すかのような無粋なことに思える。

 いや、むしろ冒涜だ。彫像に落書きするようなものだ。

 彼と言う存在に対してあまりにも失礼過ぎる。


「お誕生日、誠におめでとうございます。

 こちらは心ばかりの品でございますが、どうか受け取って下さいませ」


「こんな寒い日にわざわざ来てくれてありがとう。

 ――……?」


 カサンドラは鞄の底に置いた手紙、そしてプレゼントの小箱を手に取って重ね彼に渡した。

 彼はそれらを受け取ってくれたものの、何故か戸惑った様子に見える。


「お気に召して下さると大変嬉しいのですが……」


「……。

 カサンドラ嬢」


 王子は小箱とカサンドラの顔を順に交互に見遣った後。不思議そうに首を傾げ、とんでもないことを言い出した。



「何をもらえても嬉しい事には変わりはない。

 ただ……その……マフラーではなかった……のかな?」




 心臓が止まるかと思った。




「え!? な、何故!?」




「カサンドラ嬢が私の誕生日に手編みのマフラーをくれると、ジェイクから聞いたのだけど――」


 自分で言いながら自信がなくなっていったのか、王子の声が徐々に小さくなる。

 そして萎んでいった声の後、何かに思い至ったように息を呑んだ。


「ああ、別の用途だったのかも知れないのに、ジェイクが勘違いしていたのかもしれない。

 変な事を言ってしまったね、どうか忘れて欲しい」



 マフラーを編むということを知っているのは屋敷の住人だが、彼女達がジェイクと個人的なつながりがあるとは思えない。

 では誰が――と考えずとも、脳裏に浮かんだのはリゼの姿である。


 言った!

 確かに彼女には、王子に手編みのマフラーを贈りたいという話をした!

 何なら相談まがいな事をしてしまった。


 まさかそれをジェイクに話した……!?

 一体いつ……いや、情報の伝達経路など、今の段階に至って考えても意味がない事だ。



 王子は恥ずかしそうに誤魔化し笑いを浮かべている。

 どことなく、残念そうに見えた。その表情がカサンドラの胸を至近距離で穿って来る。






「い、いえ!

 あの、王子。……マフラー……あります………!」






 喉の奥が、カッと熱くなった感情でつかえている。

 舌を噛みそうになりながらも、カサンドラは声を絞り出した。




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