第293話 完成!


 冬休みだし、マフラーなら三日もあれば完成するだろう。セーターを編もうというわけではないのだから。

 王子の誕生日当日まで粘れば四日近い時間が残されている。


 許された時間をフルに使って三日――ともなれば、五十時間は編み物の時間にあてられる。


 勿論冬期休暇中の課題のことは頭の隅にあるが、そんなものは王子の誕生日が終わってから手を着ければ十分間に合う。

 帰省をするわけでも、旅行に出るわけでもない、親睦パーティを梯子するわけでもないのだから。


 しかし目算、試算というものはあてにならないものだ。

 誰にも会わずに王子へのマフラーを集中して心を籠めて編む! と決めたところで、現実は決してカサンドラの思惑通りには動かない。


 一番の盲点はアレクが帰省しているということだった。

 分かり切っていたはずの彼の不在が猛威を振るう。


 時は年末年始、所謂”御機嫌伺真っただ中”の時節。


 レンドール侯爵家の一人娘であり、しかも王子の婚約者で王妃候補のカサンドラ。

 普段学園で会う機会がない名家の人たちや、著名な方々が思った以上に屋敷に押し寄せてくる。

 代理に家令のフェルナンドを、と言ったところで限度があった。


 アレクがいてくれれば対応を完全にお任せできるのに、どうしてもカサンドラが迎えなければならない客人が多く訪れたのは予想外のことだ。

 勿論事前連絡なしで訪れるのならば、門前払いすればいい。

 だがカサンドラの立場上、急な訪問でも快くもてなさねばならない相手も少なからず存在する。

 主に、普段王城で過ごしカサンドラと殆ど接点のない要人方がそれにあたる。


 近くまで来たので挨拶にと言われれば「今忙しいです!」と扉を閉めることは難しい。

 そして彼を迎え入れたら、他の人たちも丁寧に応対しなければいけないのだと、カサンドラは最初の己の判断を呪った。


 ……ああ、ジェイクやラルフ達の気持ちが凄く良く分かる。

 誰かに対して厚遇をしてしまえば、同立場の人間に要求された際に”それ”をしなければ角が立つ。

 ゆえに特別扱いはしない、可能な限りフラットな対応をせざるを得ない。


 何という面倒な世界なのだ、とカサンドラは自室に戻るたびにぐったりしていた。


 更にカサンドラが帰省していないという情報をどこかから聞きつけたのかエレナの父母が揃って挨拶に来たのだから堪らない。

 こちらは避暑地に招待してもらったという恩があるので、訪問を断るなど出来るわけがなかった。


 疲労困憊だと寝込むわけにもいかない。

 本命の王子へのマフラーは思った以上に難航し、気ばかりがいた。


 あと少ししか時間がない……! と焦った王子の誕生日前日は、急病だと使用人に言いつけて丸一日部屋に閉じこもることになってしまった。

 笑顔の良い子ちゃんで対応するにも限度がある、後のフォローは未来の自分がしてくれるはずだ。そう自分に言い聞かせ、せっせせっせと編み棒を動かす。


 時計の針が淡々と情け容赦なく動く音がカサンドラの心を追い詰めてくる。


 カサンドラは寝不足で眉間に皺を寄せたまま。

 延々と指先を規則正しく動かし、編み目を数え、棒先で拾う糸の箇所を間違えないように目を皿のようにして睨み据えている。


 生来目つきが険しいと言われるカサンドラである、もしもこんな場面を子供にでも見られたら山姥やまんばだ! と泣いて逃げらるに相違ない。




「で……

 でき……ました………!」



 だがようやく、翌日を王子の誕生日に控えた土曜の夜。

 カサンドラはマフラーの両端にそれぞれ同じ数だけのフリンジを着け、王子へのマフラーを完成させたのである。



「おめでとうございます、お嬢様!」



 目の下にうっすらとくすんだ色の隈を作っているカサンドラに、感動の余り拍手を送りながら涙ぐむのはメイド長のナターシャだった。

 毎日こんな遅くまで付き合わせてしまって大変申し訳ない。


 二メートル弱の長いマフラー、その先に作ったフリンジをどう着ければ良いのかと教えを受け、最後の一つを結んだあと。


 カサンドラはナターシャの声に応えることも叶わず、背中を椅子の背面に着けて真っ白に燃え尽きていた。

 この数日で寿命が確実に縮まったのではないかと思われる。

 前髪が鬱陶しく、乱暴に掻き上げたそれを頭頂部で括るという良家のお嬢様とはとても思えない状態で天井を見上げていた。

 

 シンプルなデザインにして本当に良かった。

 色はこの色だ、とダークグレイの毛糸を使用したが最初の頃は何の工夫もない単色編みで良いのか……と不安ばかりが去来した。


 だが途中から、編んでも編んでも全く進んだような気がしないという無限地獄に足を踏み入れてから今に至るまで、



 ――ああ、単色で良かった……シンプルで良かった……



 と、己の判断の正しさに感極まって滂沱する始末である。

 もしもこれで柄をつけようだの欲張って図面でも引いていようものなら、今頃挫折していたか半分も終わっていなかったのではないか。


 月明かりがカーテンの隙間から漏れている。

 明日を前にマフラーを完成させることが出来たのだとようやく実感がわいて、全身から緊張が抜けた。


 根を詰め過ぎたせいか、目頭がキーンと痛い。

 人差し指の腹で眉間の皺をほぐし、しばらくマフラーを膝の上に置いたまま天井を仰いでいる。



「ありがとうございます、ナターシャ。

 貴女のおかげで完成させることが出来ました」


 ようやく感覚が現世に舞い戻り、カサンドラはぎこちない微笑みを浮かべて彼女に礼を言う。

 適当に括っていた前髪を下ろして、指先で整えながら。


「いえ、全てお嬢様の努力の賜物でございます」


「自信はありませんが……

 こちらを明日、王子にお渡しすることは許されるでしょうか」


 丁寧に一目一目想いを籠めて――というのは確かだった。

 だがやはりまだ編み物を始めたばかりの初心者だ、処女作よりはマシだが胸を張って「手編みのマフラーだ」と誇れるようなものではない。

 端の編み方や処理には気を遣ったつもりだが、王子の誕生日に”購入したもの”として渡すにはあまりにもまずい。

 自分でも自覚があるし、入念にマフラーをチェックする彼女の姿を固唾を呑んで凝視する。駄目だと言われたら、それまでの苦労が全て水の泡。


「大丈夫ですよ、お嬢様。

 とても素晴らしい一枚ですわ」


 ホッと安堵の吐息を落とす。

 これで王子に渡せないなんてことになったら、今までの自分の行いが滑稽すぎる。

 ナターシャのお墨付きをもらえたのだから良いのだろう。


 ……模様やボーダーで編んでいたら僅かな歪みも気になるだろうが、出来るだけ均一に編むことに全力を賭した一枚だ。

 同じ毛糸で作ったふさふさのフリンジを触ると、流石質の良い毛糸だ。

 この世界に”カシミヤ”という名称はないが、同じようないわゆる繊維が細かい高級毛糸としてレウラウールが有名。

 普通の羊の毛より生産量が少なく、レウラという首の長い羊のような生き物から採れるこの毛糸は軽く、上品な光沢がある。


 高価であまり市場に出回らない糸だが、特別にサーシェ商会から購入することもできたのは幸運だった。

 おかげで、素人仕事の不出来な雰囲気が素材の良さで何とか相殺してくれている気がする。

 それにとても、暖かい。

 糸が細いからマフラー自身は薄い仕上がりになるが、繊維が細かいので手触りも良く風を通さず保温性に優れている。


 良かった。

 ちゃんと間に合わせる事が出来たのだ。

 カサンドラはその余韻にしばらく浸る。


 マフラーに手紙を添えて渡せば完璧だろう、明日は最後の最後まで文面を考えるのに頭を使うことになりそうだ。だがその程度の苦労はもはや苦労とは言えない。



 この喜びを他にも誰かと分かちあいたいが、それに相応しい相手はナターシャしかいない。

 でも自分の努力を近くで見続けてくれた人がいるというのは幸運なことである。





 胸がいっぱいになったカサンドラは、寝る前に部屋で紅茶を一杯淹れてもらうことにした。

 久しぶりのブレイクタイムに、ハーブの香りで癒される。






 ※





「お嬢様、一つご確認いただきたいことがございます。

 臨時使用人のことなのですが」


「……リタさんのことですか? 何でしょう」


 ようやく日常を取り戻したかのように、顔色が良くなってきたカサンドラ。

 まるで薄氷の上を歩き続けるような日々ともこれでお別れだと思うと、本当に嬉しくて心が弾む。

 心地よい達成感に、アイデアをくれたシンシアに感謝している真っ最中。


 そんな時、急にナターシャがリタのことで話しかけてきたので少々面食らう。

 彼女が屋敷に働きに来てからというもの、ろくに姿も見せなかった不義理なカサンドラ。

 さぞ友達甲斐がないとリタに落胆されているのではという想いもあったので、余計にギクッとしてしまう。


 邪魔をしない方が良いという進言のもと彼女に接触していないが、カサンドラの頭に常に王子へのプレゼントのことが頭にあったから素直に受け入れた。

 だが、これからはもう少し彼女と話す機会を作れたらとも思っている。


「本来なら年末年始は帰省のためお休みと申告を受けておりましたが、お嬢様のお許しがあれば休まずこちらで勤務したいと申しております。

 宜しゅうございますか?」


「……え、ええ。リタさんが構わないのであれば。

 コンラッド夫人に関してですが、年末年始の訪問予定はないと彼女に伝えてありますか?」


 「はい」と彼女は静かに頷く。


 彼女の申し出に少々驚いてしまった。

 と言うのも、元々彼女達が冬休みに帰省をするという意識がカサンドラに無かったせいだ。


 ゲームを思い出せば、冬休みはフルで休日用のスケジュールを組むことが出来たはず。


 元々三つ子間で家に帰る予定があった。それにも関わらず帰省取りやめ、ここで働き続けることにしたのか。

 カサンドラは何とも言えない不思議な気持ちになる。


 何らかの事情で帰省を取りやめたということか?

 確かにそれがゲーム内での彼女達のあるべき姿だ。


 主人公として見えない運命とやらに導かれているということは理解していたつもりだが、運命それの矯正力は強力だ。


 薄ら寒い気持ちになって、暖かい紅茶を口に着けた。



「彼女はとても頑張っていますよ、意欲的で教え甲斐があると皆からも可愛がられているようです」



 この屋敷には年若いメイドは少ない。

 年配の使用人ばかりなので、リタが可愛がってもらっている姿は容易に想像がついた。きっと娘に接するような態度で微笑ましく見守られているのだろう。


 礼法作法をコンラッド夫人に教えてもらえるチャンスだから年末年始までアルバイトの予定を組んでいたのかと思ったが、夫人がいなくても意欲的に働こうとするリタの熱意には驚かされる。

 



 三学期が始まれば、いよいよリタにとって大きな一つの節目が訪れることになる。


 冬休みに気品のパラメータを集中して上げるという選択は大変素晴らしいことだ。

 是非とも一連のイベントが上手くいって欲しいと願わずにはいられない。





  


 

 王子は攻略対象ではないから、厳密には固定されたイベントというものがあるのかないのか、カサンドラには分からない。



 だが誕生日という特別な日である。もしもイベントという決められたチェックポイントがあるなら、誕生日はその一つに設定されているはずだ。


 どちらにせよ、王子の誕生日を祝うことができればそれでいい。




 手編みのマフラーをそっと渡して、誕生日おめでとうと言えばいいのだ。




 この、手編みのマフラーを……




 ふと、作業用のテーブルに畳んで置いてあるダークグレーのマフラーを視界に入れる。

 完成した時にはパァァァと効果音を出して光り輝いていたマフラー。


 だが少し時間を置いて、煌々と照る室内の灯りに克明に照らし出されたそれを見ると、何だか凄くざわざわと不安が湧いて出る。

 いくら素材に使った毛糸は良くても、所詮、素人の手編み。



 ……一流職人の手でつくられたものとは、程遠い。




 取り寄せたものだという体で王子にプレゼントをすると決めて編んだはずだ。

 だが果たして、そんな顔をして渡すことが許される出来なのか?


 ナターシャは大丈夫だというが、彼女はカサンドラ側の人間である、欲目や色眼鏡があるに違いない。

 客観的に見て、これを渡しても良いのか?

 王子は何を思うだろう?

 これを彼が着けて、本当におかしくない?



 ドキドキする。

 心臓の鼓動が早くなる。





   

      『姉上の良識にお任せします』







 ここにいるはずのない義弟の声が、頭の中に木霊する。

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