第291話 冬休みに入って


 アレクへ渡した初めての手編みのマフラー。


 既に昨日、彼はレンドールへの帰省するため出立しているのであの縞模様のマフラーを再度手に取って見ることはできない。


 今、カサンドラは苦悶の表情を浮かべ室内で王子に渡すマフラーの図案を確認している最中である。しかし思い出すのは義弟にプレゼントしたマフラーのことばかり。


 衝動的、もはや勢いに乗じてアレクにマフラーを渡してしまった事に今更後悔している自分がいる。


 アレク当人が手編みという事に難渋を示していたのは、やはり見栄えの悪さが大きいと思う。

 高貴な人間が襤褸ボロを纏うなんて笑いの種だ。


 見栄えを気にするアレクが――まさか、あれを巻いて帰省することはないだろう。

 そう思っていたからこそ、カサンドラは初作品をアレクにプレゼントするのに大きな抵抗を感じなかったと言える。

 


 だがしかし、あの義弟はやらかしてくれたのだ。



 帰省する前に挨拶に向かった先のアレクを見て血の気が引いた。

 品の良い真っ白なロングコートを羽織る彼が首に巻いているのが、まさしくカサンドラが彼にプレゼントしたマフラーだったからだ。

 陽の下で見るとあまりにも鮮明に、着ている衣服との完成度の差が激しすぎて――彼の小奇麗な顔にも全くチグハグな手編みのマフラーを前に眩暈を起こす寸前だ。


 何故そのマフラーを着けているのか? カサンドラは動揺して足が微かに震えた。


 確かに彼にマフラーをあげたのは事実だ、もらったものを彼がどうしようが自由。

 それこそ部屋のクローゼットの奥深くに封印しようが、手編みなんか嫌だと焼き払おうが、それはアレクの所有物だからカサンドラに口出しする権利はない。


 だがまさか、みっともない格好を王子にさせるわけにはいかないと言った口を持つ、そのお綺麗な顔で!


 素知らぬ表情で、しれ~っと。

 不格好で縒れた箇所のあるマフラーをこれ見よがしに首に巻き付けているのだ。

 あたかも普段彼が使用している高級ウールのマフラーを身に着けているかのような態度。


 カサンドラは心の中で頭を抱え、滝のような汗を流した。




  まさかそれを着けて帰省するだなんて、聞いてない。




 彼は身を以てカサンドラに警告してくれたのだとこの時悟った。


 不格好で素人仕事のマフラーをプレゼントすると、相手にこれほどの恥を掻かせるのだぞ、と。

 彼の思惑通り、カサンドラは視覚に大ダメージを食らって精神力が大幅に削られてしまった。


 彼は身内からのプレゼントとして、初めて編んだ手編みのマフラーを喜んでくれた。

 カサンドラとしても、彼に自分の本気度を示したかったし、初めての作品を是非日頃の感謝に変えて渡したかった。だから贈った事に後悔はしていなかったのに。


 アレクはあくまでもさかしく冷静な少年である。

 カサンドラからのプレゼントに喜びつつも、それはそれ。カサンドラにしっかりとスパルタな指導も忘れない。


 美形で高貴な男性に、おかしな柄だの見栄えの悪い手編みの品など言語道断……!


 アレクの己の身を張って行った警告。しかと受け止め、カサンドラは震える掌で口元を覆い、彼を見送った。




 ――ちゃんとしたマフラーを編まないと……!




 己の肝を冷やして客観的に理解できたカサンドラは、一度紙に起こしたマフラーのデザインを一旦破棄した。

 もっと色や柄、編み方などをより現実的なものに寄せようと机に向かっているところである。


 いくらこんなデザインが良いなと意気込んで複雑で立体的なイメージをしたところで、それこそ初心者のボロが出るだけだ。

 頑張っても駄目でした、という未来も十分予測の範疇だが、出来れば想いを籠めた品を王子に贈りたい。


 色は濃いグレーで、両端の柄を黒と白色の糸を使って簡単な模様を編みこんで――

 いっそ毛糸だけは最高級に縒った逸品を使用し、無地一色のマフラーの方が致命的な失敗もなく良いのだろうか?



 そんな事を考えつつ、カサンドラは脳裏に浮かべる王子の姿に色んなマフラーを纏っている様をイメージするという脳内着せ替え劇場に没頭していた。

 王子にはどんなマフラーが似合うのだろう?

 様々なパターンを矢継ぎ早に脳裏に展開していくけれども困ったことが判明した。


 それは――どんな柄のマフラーでも手を叩いて感激してしまうくらい王子が美しすぎるので一切何の参考にもならないということであった。



 想像力を目まぐるしく働かせ続け、集中力が摩耗してきた頃のこと。


 カサンドラの私室の扉を叩く音が聴こえ、ふっと意識が逸れる。

 浮かび上がった王子の姿を瞼の裏から消し、カサンドラは椅子から立ち上がった。


 余りにもアレクの行動に仰天してしまったせいで、まだ動揺が続いている。

 せめて彼に忠告された通り、ナターシャの意見をしっかりと聞き相談した上で決定するべきだと心の中で頷きながら。


「どうぞお入りになって」


 カサンドラが声を返すと、扉を隔てた先の廊下でピリッとした緊張が走ったような気がした。


「失礼します。……お嬢様」


 レンドール家の別邸には珍しい、十代の若いメイドが訪れる。

 一歩下がった後ろにナターシャが付き添い、ピンと背筋を伸ばしたまま。彼女の瞳は鋭く光り、”新参者”の態度をチェックしているようだ。

 大体は気の良い大らかなおばさんという印象を持たれるナターシャだが、やはり管理下に置く部下への指導は手厳しいものである。


 膝より少し長い使用人のスカートには白いエプロン。

 栗色のふわふわの髪には、黄色のリボンではなくホワイトブリムを乗せていた。


 大変ムズムズする呼称ではあるものの、現状自分と彼女は短期的な雇用関係にある。

 何食わぬ顔で聞き流すが、耳が違和感を拾って仕方ない。


「本日よりこちらのお屋敷におつとめすることになりました、リタ・フォスターです。

 短い間ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます」


 昨日まで普通にクラスメイト、友人として話をしていた彼女がいざメイド服を着て自分屋敷にいるという事実。

 少し軽く考えていたけれど、結構衝撃的な絵図である。


 ただ、本人は完全に一使用人として意気込んでこの場に臨んでいるのだろう、照れや狼狽の様子もなく教えられたとおりの所作でカサンドラに顔見せの挨拶に来たのだ。

 最近は新しい使用人を雇うということもなかったので、久しぶりに血が騒ぐのか。

 冬休みという短期間という契約だが、ナターシャはすっかり指導態勢に入っている。


「メイド長の指示通りのき働きを期待しています。

 ――もう下がって宜しくてよ」


 リタの事だから、こういうやりとりに抵抗があって照れが入ったり軽口を混ぜてくるかも知れないと思った。

 だが彼女は完全にメイドという職をマスターするのだという意識に集中している。


 もしも今のリタと街ですれ違ってもすぐにはリタだと気づけないかもしれない。

 ……まるで別人のような表情の彼女にカサンドラの方が動揺した。



 パタン、と扉を閉めて遠ざかる微かな靴音。


 三つ子は皆真面目な子だということは分かっていたことだが――あの佇まいは本当にメイドを志望する年頃の少女にしか見えなかった。

 しかも、それなりに良家のお嬢さんのような雰囲気を醸し出している。

 今の姿は決して彼女の本質ではないだろうが、何とも見事に役割をこなし溶け込んでいるではないか。



 そう言えば彼女は、自分をお嬢様だとかお姫様だとかを演じるということで様々な講義の局面を乗り切っていたと語っていた。

 今が彼女の”演技”だとしたら……


 確かに才能の一つだとカサンドラも認めざるを得ないだろう。

 演劇の場でさえ、役者が完全に役になりきることは難しいと思う。それを日常の場に落とし込んで演技に徹しようなど、中々吹っ切れるものではない。

 先ほども心配した通り、照れが入ったり気が緩むだろうし、本来の自分じゃないと抵抗を覚えてしまうこともあるはずだ。


 彼女の意外な一面に触れ、カサンドラは彼女が去った後もしばらく無人の扉を眺め続けていた。

 普段声がひと際大きく、陽気で目立つ女の子。


 それが声の調子をおとなしめに下げ、真面目な顔で伏し目がちに歩くリタの姿は物凄く衝撃的だ。

 自分には合わないと思う苦手な事でも、ここまでやりきろうと決意できるのか。

 ラルフの傍にい続けるには必要な事だと思い立ったら、前向きな努力を惜しまない。




 ――リタも主人公なのだなぁ、とカサンドラは感心したのである。




 ※




 アルバイトのためとは言え友人が家に来ているのだ。

 少しくらい『友人として』休憩時間に話でも出来れば良いと思っていたのに、どうやらそれは叶わない望みのようだ。


 休憩時間であろうがなかろうが、この屋敷に使用人と言う立場で過ごす以上は主人と気軽に接するべきではない、と早々にナターシャから待ったがかかった。


 短い期間でも彼女なりに屋敷に仕える事でこの貴族社会の片鱗に触れたり、大雑把な所作を矯正していくようにと目的を持って働きに来た。

 午後からの休憩時間はコンラッド夫人に直接教えを乞う時間らしく、彼女に気を抜く瞬間は許されないのではないかと心配になる。


 結局カサンドラと直接顔を合わせたのは朝の一度きりだ。

 昼下がり、廊下を歩いて移動している時にリタの姿を見つけたのだけれど。


 彼女は文句も言わず黙々と調度品を磨き上げるという作業に入っていたので迂闊に声もかけられなかった。

 磨き方一つでも指の力の入れ方やら拭き上げ方やら逐一先輩メイドの指摘が入る。


 拭き残しで埃が残っていたら、首をねられることもあるのだから! と訳知り顔でメイドの一人が言っていたが、流石にこの時代にそんな貴族はいないと思う。


 それとも何か?

 前世の記憶を思い出す前のカサンドラが馘首クビにしたメイドが、ただ暇乞いをしたのではなく物理的に首になっていたとでも勘違いしているのか?


 一体自分はどこまで悪女のイメージを持たれていたのだろうか、と壁に手をついて項垂れる。




 新人メイドのリタを無駄に怖がらせるのも大概にして欲しいものだ。

 カサンドラはその場をそっと離れる。

 




「――リタさんの様子はいかがですか?」


 まだ初日だが、やはり気になってしょうがない。

 マフラーの事を相談するために呼んだナターシャに、つい本筋とは関係ない問いかけをしてしまった。


「とても真面目にお役目をこなしていると思います。

 それに素直なところが良いですね。どんな職であれ、素直さは大切です。

 彼女は伸びる、いえ。化けると思いますよ」


 いつものリタの姿が鮮明に脳裏に蘇る。

 物事をあるがままに受け入れ、思った事をそのまま口にしてしまう彼女。

 素直で明け透けなところはリタの良いところなので、是非そのままでいて欲しいと思うカサンドラである。


「さぁ、お嬢様。あの娘の事をご心配されている場合ではございませんよ。

 あと五日、慎重に進めて参りましょう」


 王子の誕生日は週末の日曜日。

 最初のマフラーで編むという事に慣れ、練習した期間があったとはいえども。いざ時間にして提示されると、胸の奥がきゅーっと縮こまって痛みを感じる。


「分かっています」


 幸い今は冬期休暇だ。毎日コツコツ、一時間ずつ編むという日数をかけなくても、勉強していたのと同じだけの時間集中すれば間に合うはず。

 本来帰省のために使うはずの時間を編み物に当てることになるが、カサンドラにとっては親族に挨拶回りをするよりこちらの方がずっと大切で生産的なことだと思っている。  


「どうか気負い過ぎないでくださいませ。

 間に合わなかった場合のお品は既に手配しているのです。

 マフラーは後日お渡しするという事も可能なのですから」


 ナターシャはにっこりと微笑んだ。

 先ほどリタの背後で険しい眼差しを向けていた事が見間違いかと記憶を疑ってしまう。


「……そう、ですね……」


 メイド長の言う通りだ。

 何が何でも誕生日に渡したい、それはカサンドラが勝手に決めた事だ。

 間に合わなければ保険のために手配した彼に似合うだろう洒落たカフスリンクスを贈ることが出来る。渡すものがなく顔面蒼白なんて事態は起こりえない。

 もっと気を楽に、とナターシャが言いたくなる気持ちも分かる。



 ただ、彼の特別な一日に自分の出来る最大限の気持ちを籠めたものを贈りたい。

 自己満足と言われればそれまでだが、何かせずにはいられないカサンドラの想いを”手編み”というキーワードが的確に射抜いたのだ。

 これしかないと思った。休みをマフラーに捧げる覚悟は出来ている。




「早速なのですが、今のわたくしにこのようなマフラーを完成させることが出来るでしょうか。

 貴女の意見を聞かせて下さい」




 あれもしたい、これもしたい。

 彼へ贈るマフラーを飾り立てたいという気持ちは確かにほとばしり、胸中に滾っていると言っても良い。

 だが背伸びをして技巧に凝ろうとしたところで上手くいくとは限らない。


 今回はとりあえず、良質な毛糸を選ってシンプルなマフラーを編もう。

 色を変える方法を教えてもらったので王子にも、と思ったのだけど。

 アレクに渡したマフラーの事を思い返すと、色替えの部分が無駄に糸が飛び出てしまう事があった。


 普通に編んだだけでも手触りが良く、”重たく”見えないマフラー……

 鹿の子編みともいうらしい、表と裏で交互に編みこむ初心者向けの編み方が良いのではないか。


 これならば端が丸まってしまうこともなさそうだし、均一に編み上がれば見栄えは悪くないはず。

 毛糸が高品質なものなら、きっと指を指して笑われるような完成品にはならないのではないか。



 ナターシャも賛同してくれ、やっと『本番』に取り掛かる。




 手編みのマフラーなんて、カサンドラの今までを知っている人が聞けば何の冗談か、と。耳を疑われるかも知れない。 





 ――自分らしくなくたっていいじゃないか。





 それで想いが伝わるなら、何だって。


 誰かのために頑張れることがある、それはとても素敵な事だ。

 

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