第289話 試験結果・Ⅱ


 運命の――と修飾するには、まだ道半ば。


 だが多くの生徒が固唾を呑んで確認しに来る、二学期の期末試験の結果が構内玄関ホールに大きく貼り出されていた。


 前回の反省を踏まえカサンドラはいつもより早めに登校することにした。

 居ても立ってもいられずそわそわしてしまう、という事情も絡むが。


 しかしカサンドラと同じ考えの生徒だって他に大勢いたことは少々誤算だった。

 早く登校してきたつもりなのに、既に掲示板の前は横一列の人垣が出来ておりワイワイガヤガヤ喧騒が沸き起こっている最中だ。


 下級生の試験結果を確認するべく、貼り出された順位表が見える位置に進むカサンドラ。

 貼り出された順位表ばかり気になって、つい足元がおろそかになってしまった。


 カサンドラは何かに蹴躓けつまづき、どんっと誰かを足の脛で蹴ってしまった。

 まさか廊下に蹲っている生徒がいるとは予想もしていなかったので、思いっきり衝突した形になる。


「申し訳ありません、大丈夫でしょうか!?」


 自分の順位を確認している場合ではない。

 廊下に頭を抱えて蹲っている生徒を前方不注意で蹴ってしまった事で全身に震えが走る。もしも怪我をさせていたらと思うと、ザッと血の気が引いた。


「うう……カサンドラ様……」


 だが自分が接触してしまった女生徒は、見知らぬ他人ではなく三つ子の一人。

 リゼであった。

 友人だからぶつかっても良いという理屈にはならないが、彼女が全く痛みを感じるそぶりが無くこちらを潤んだ目で見上げるので――

 蹴った、という事実がスコンと遠くへ弾き飛ばされてしまったのだ。


「ど、どうかしたのですかリゼさん!?」


 体調が悪く、そのせいで蹲っていたのだろうか?


「ふ、ふふ……やってしまいました。

 もう私、消え去りたいです」


 ズーーーン、と暗黒の灯を一人頭上にともすリゼ。

 彼女は半分涙目でその場に蹲ってショックを受けていたのだ。


「分かってました、分かってたんです!

 今回、私、浮かれすぎてたってことくらい……!」


 そう叫んで立ち上がり、リゼは鞄を持って教室へと駆け出してしまったのである。

 前回の一学期の時とは真逆の、その悲壮感漂う背中を呆然とカサンドラは見送る他なかった。

 引き留めようと差し出した手が、宙を掻くのみだ。


 一体彼女が何位だったというのだ、と漸くカサンドラは順位表を見上げる。


「……!」


 そこには思いもかけない名前の順が並んでいる。

 一位がシリウスであるというのは決定事項、揺るがぬ事実。

 そして二位が王子の名前なのも、一学期と変わりない。彼の名前を見つけただけでドキッと胸が高鳴る。

 これが彼らの定位置なのだと頷く他ない、圧巻のワンツートップであるが。


 三位からカサンドラもあまり見かけない、他クラスの特待生の名が二人連続で並ぶ。


 リゼが五位とは。

 あそこまでショックを受けて遁走しなくても良いと思うが、彼女的には大ショックだったに違いない。

 あれ程自信満々だった彼女が、ここに来て順位を落としたのだから――やはりそう甘い話はないということか。


 十分健闘した方ではないか。

 あれだけ選択講義で体術だ剣術だ、学力パラメータに宜しくないものばかりを選んだにしては、この順位は上出来だ。

 恐らくジェイクへの家庭教師のアルバイトが彼女の知力パラメータの低下を大きく防ぎ、壊滅的ダメージから救ったのだと思われる。


 そして――


「まぁ、九位……!」


 カサンドラは己の名前を見つけた時、無意識に手を組んで声を上げてしまった。

 王子やシリウス、そして特待生の面々、地頭の良い他の貴族と十分に渡り合っていると言える、予想外に良い順位であった。

 苦労が報われたと感動に打ち震えそうになるが、ここで”はしゃぐ”なんてはしたない行動はカサンドラには許されない。

 声には出したものの、平然と表情には出さず。にこりともせずに順位表を見上げているが、内心では大太鼓を叩き鳴らして紙吹雪を舞い散らせる大盛り上がりの様相を呈している。

 もしも今、自分の心象風景がどこかに投射されたら恥死しかねない。


 一頻ひとしきり無表情で己の頑張りが報われた余韻に浸っていると、次に気になるのは他の面々だ。



 ――リナが十一位!


 見間違いかと目を擦ったが、間違いない。前回の自分の順位にリナ・フォスターの名が燦然と煌めいている。

 ……ここまで順位を上げられることこそが、主人公の証というべきか。

 一点集中すれば、一気にグンと高順位を叩き出せるポテンシャル。

 今更ながら、彼女が主人公の一人であることを強く実感し、僅かに身震いする。



 一年目の終わりには彼女に追い抜かされているのではないか、という予想は恐らく……このままいけば現実となるのだろう。

 


「リナ頑張ったね、すごーい!」


 斜め前で明るい声が響き渡る。

 順位が気になって落ち着かないのはカサンドラだけではなく三つ子も一緒だったということだ。

 既に一列に並ぶ人垣の一部を形成する形で、カサンドラの傍に立って楽しげな会話を繰り広げている。


 妹を褒め称えるリタは、前回より少しは上がったのだろう。

 ホッと安堵した表情で屈託ない笑顔だ。

 ……不思議なものだ、順位で言えばリゼが最も高く、リタが最も低いはず。でも満ち足りているのはこの二人。

 やはり順位が下がるダメージははかりしれないものがある、とカサンドラは知らず喉を鳴らしていた。

 決して他人事ではない。


「ありがとう、こんなに成績が上がるなんて嬉しい……!」


 珍しく高揚し、蒼い目をキラキラ輝かせるリナ。

 ぴょんぴょんと兎のようにその場で跳ねる彼女の姿は微笑ましい以外の言葉が出ない。


 だがリナと視線が交わった一瞬で、彼女は”カーッ”と顔を紅潮させ恥ずかしそうに顔を掌で覆った。

 確かに彼女があんな風に喜ぶなんて吃驚したがリナだって普通の女の子だ。

 飛び跳ねる程嬉しいなんて可愛いだけではないか。


「リナさん、リタさん。

 お二人とも満足の行く結果だったようで何よりです」


 ありがとうございます……と、リナは消え入りそうな声で返答する。


「はい! カサンドラ様は流石ですね!

 ……リゼはあんな感じで迷走してますけど、何の文句があるんでしょうね?」


 既に順位表から脱兎のごとく逃げ出したリゼの姿はない。

 忽然と姿を消した姉の事を話しながら、やたら大袈裟に肩を竦めるリタである。



 もう一つ驚いた順位と言えば、ジェイクだろうか。

 一瞬見間違いかと目を瞬かせたが、彼と同じ名前の生徒はこの学年にいるはずもない。





「うわっ、マジかよ!」


 それは決して浮かれた声色ではなかった。

 周囲の騒々しさが一際大きくなったのは、王子と一緒にそのジェイク達も揃って登校してきたからだ。

 皆順位表までの道を開け、彼らが見やすいようにと配慮する。


 自分の順位をいの一番に発見し、ショックを受けて蒼褪めるジェイク。

 彼の順位は前回からも更に大躍進の十六位。


 何故彼は不満そうなのだ? これはかなり凄い話だと思う。


「随分良い成果だな、奇跡でも起きたのか?」


 珍しくシリウスが感心した様子で、ジェイクに声を掛ける。

 自分の順位が一番であることは決まり切ったことだ、という余裕の態度。

 だがリゼの様子を考えると、本当に上位になってくるとキープすることに大変プレッシャーを感じるものだろうし。

 僅かでも下がってしまえばこの世の終わりと言わんばかりの絶望感に浸ることになる。

 にも拘わらず、委細気にする様子の無いシリウスの鋼鉄の精神が羨ましいとさえ思う。


「いや、駄目だ…!

 目標まであと一つだったのに……

 俺があれだけ時間割いて対策してたっていうのに、なんでアーサーやシリウスは余裕で上を行くんだよ!

 納得できないぞ、これ」


 絞り出すように、ジェイクは唸る。

 本来であれば信じられない、前回を思えば諸手を上げて喜べる順位だろうに。

 それでも彼にとっては”及ばなかった”、という結果しかない。非情だ。


「積み重ねてきた過去が違う、付け焼刃で私達を追おうなど虫が良い話だな?」


 シリウスは鼻で笑う。


 そう言えば、ジェイクは今学期の試験の目標を十五位に定めて頑張ると言っていた気がする。

 ここまで来れば同じようなものだと思うが、数字とはシビアだ。


 一つ分足らないだけ。でもそのたった一つの数字の差は穴が開く程順位表を見ても覆らない、れっきとした現実。

 一切の斟酌なく、ただ残酷に並ぶ数字の羅列は破壊力が抜群だ。


「僕としては、ジェイクの下であることにかなり納得がいかない。

 悪夢でも見ている気分だよ」


 対してラルフが額を押さえている姿も目撃してしまった。

 僅かな差だが、確かにラルフよりもジェイクの方が今期の成績は良かったようだ。

 両者に置いて気合と対策の時間もかなり差があったとはいえ、ラルフの立場からすれば苦虫を噛み潰すような結果だったことには相違ないだろう。

 一応公共の場なので平静を装っているように見えるが、かなり狼狽しているようだった。

 カサンドラも、気持ちが少し分かる。


「――他の生徒達も増えてきた。

 私達は教室に移動した方が良いかな」


 友人たちの様子を見て苦笑を浮かべていた王子が、後方からざわざわと人の気配が増えてきたことに警鐘を鳴らす。

 涼しい顔で、自慢げでもなく悔しがるわけでもなく、ただ自然体の様子の王子。


 前回は言えなかった、『二位なんて凄いです』という台詞を言おうとカサンドラは彼に向かって口を開きかけた。


 だが――

 彼のすぐ傍には、まさに一位を取ったシリウスが泰然とした様子で立ち塞がっている。

 彼をスルーして王子にだけ”凄い”なんて称賛するのは失礼に値するのでは?

 それに二位おめでとうございます、と声を掛けるのは……万が一王子が気にしていたら余計に追加ダメージを負わせる言葉にならないだろうか?

 先にシリウスを讃えようにも、既に彼は背を向けて進んでいるので完全にタイミングを逸している。


 さまざまな思考がカサンドラの言語野を埋め尽くし、一言も全く口から王子を引き留める事が出てこなかった。

 シリウスに敵わない事を暗に認めているのだなんて思われても大変心外な話である。

 ただ彼の努力を讃えたいだけなのに、どうしてこんなに気が咎めるのか。


 


 生徒の数だけ感情が交錯する、順位表を貼り出した掲示板の前。


 


 王子達の姿が玄関ホール前からいなくなった後も、カサンドラはその場に石像のように立ち尽くしていた。




 ※




 明日から冬期休暇に入る。

 皆、己の順位をそれぞれ認めた成績表を携え、当主または保護者にそれを報告することになるわけだ。


 カサンドラ個人としてはこの上ない素晴らしい結果だったと腕を組んで喜びを噛み締める結果。

 順位を知らせる時もどこかくすぐったく、誇らしさで胸を張ってしまう。


 王子へのマフラーを編む練習をしたい、デザインを考案したい、と逸る心を極限まで抑えて試験を乗り越えたのだ。

 自分は決して秀才でも天才でもないけれども、頑張った分だけ結果が伴う事はとても嬉しい。

 横並びで同じ基準で順番をつけられるのは良い気持ちではないはずなのに。

 報われれば、嬉しい。


 案外、自分もリゼの事を言えない程負けず嫌いの気があるのだろう。

 自分がこれ以上無理だというくらい頑張ったことの結果なら、後悔なくすんなりと受け入れられる。

 カサンドラは後悔したくないだけだ。


 ――人生は一度きりだから。


 



 別邸に帰ると、アレクは午後からレンドールへ出立するということで準備に余念がない。

 確認事項に追われている彼に会うのは後にしようと部屋に戻ったカサンドラは、ナターシャに真っ先に今回の成果を報告することになった。



「素晴らしいです、お嬢様!

 私もレンドール家の使用人として鼻がたこうございますよ」


 ナターシャが顔を綻ばせ、賞賛の言葉をカサンドラに惜しみなく放ってくれる。

 彼女はレンドールという地方貴族に仕える使用人だ。

 自分の仕える主人が他者より少しでも秀でていることがあれば、それは彼女達にとっても同様の誉れ。

 逆に、自分が家名に泥を塗るような行為をすれば彼女達全体の士気を削ぐしプライドを傷つけることになる。


 カサンドラに出来るのはこの程度の事だ。

 しかし、これで彼女達が多少でも自尊心を満たしやる気になってくれると言うのなら、頑張った甲斐もあるというものである。


「ありがとうございます。

 これに気を緩ませる事無く次回も励みましょう」


 はい、はい、と感極まった様子で頭を下げるメイド長。

 しかし彼女に伝えておかなければいけないことを思い出し、カサンドラは表情を引き締めた。



「ところでナターシャ。

 先日お話をしていた『臨時使用人』の件ですが、貴女にお任せしても宜しいのですね?」


「お任せください、お嬢様。

 コンラッド夫人の承諾も得ております、大層お喜びでしたよ」


 この冬休みの間、リタがアルバイトをする。

 カサンドラが提案したことだが、メイドのアルバイトというのは名目で、実際は行儀作法を学ぶという明確な目的を持っての事だが。


 彼女の並々ならぬ決意に心を動かされ、協力したいと申し出たことに全く後悔はしていない。

 だが王子の誕生日まではただひたすら無心に手編みのマフラーを仕上げるという大目標が控えていた。

 

 リタには申し訳ないが、彼女の鍛錬に寄り添う時間が割けそうもない。


 まぁ、行儀見習いとは言え仕事は仕事。

 館の主と友人だからと緊張感が全くないのも問題だろうし、出来る限り彼女の前に姿は現さないようにした方が良いのかもしれない。



 邪魔は出来ないけれど。


 マフラーを編むことに疲れ、休みたいと思った時、もしも傍にリタがいてくれて、あの明るい笑顔で一緒に話をしてくれたら……どれだけ気分が和らぐことだろうか。

 前向きに慣れそうだし、リラックス出来そうだ。

 ラルフとの進展具合も彼女から聞いてみたいし、今から楽しみでもある。


 リタの仕事や習い事を妨げない程度に、お互い休憩出来れば良いのだけど。 


 彼女は本気で、ラルフに似合う人間になりたいと決意した。

 その想いを手助けすることはともかく、間違っても邪魔をすることのないようカサンドラも浮かれすぎには注意しなければ。



 リタもカサンドラも同志だ。



 カサンドラは王子のためにマフラーを真剣に編み

 リタはラルフのために行儀作法を真摯に学ぶ




 努力の方向こそ違うものの、辿り着きたいゴールは同じ。




 試験は思いの外上手くいったのだ。

 王子へのプレゼントだって、頑張れば上手くいくと信じたい。

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