第287話 二学期末試験


 二学期最後の学園行事――いや、行事と呼ぶことには抵抗がある。


 この学期中に受けた授業の知識が正しく学生たちに伝わっているかの試験が執り行われる日だ。


 三日連続で行われる試験を目前に控え、カサンドラは馬車に乗ろうと玄関の扉をくぐった。その瞬間ぶるっと全身が震え身を竦めた。

 今更ジタバタしても遅い。

 出来る限りのことはしてきたつもりである。


 この震えは、そう――武者震いというものだ。


 自分に言い聞かせ、カサンドラは覚悟を決めて北風吹き荒ぶ空の下に一歩踏み出した。


 今週さえ乗り切れば、王子の誕生日に向けて全神経を集中できるのだ。

 来週から始まる冬期休暇、きっと他の生徒も試験が終わった後の解放感で一足早い年末年始気分を味わうはず。

 今年最後の学園での正念場!


 前世では十二月と言えばクリスマスというイベントが世界中に猛威をふるっていたものだが、この世界にそんなイベントはない。

 聖アンナ生誕祭がそれにあたるのかも知れないが、残念ながら彼女は神様当人ではない上にそもそも恋人同士が一緒に過ごす日だという習慣もない。


 だがクリスマスなんていう絶好のイベントが無くっても、カサンドラには王子の誕生日という距離を縮めることに可能性を見い出せるまたとない素晴らしい一日が待っている。


 試験を大過なく乗り切って、是非王子にプレゼントを渡したいものである。







 ――試験一日目。



 教室に入ると、既に多くのクラスメイトが登校していて驚いた。

 体感気温が下がって来るにつれ、皆登校時間は遅くなりがちだったというのに。


 一学期の試験の結果を受け、この学期で名誉挽回だと意気込んでいる生徒が多いのだろうか。

 普段王子達を取り囲んでいる他学年、他クラスの生徒さえ今日ばかりは自分のクラスに引っ込んで試験前の時間を有効活用しているようだった。

 極めて珍しく誰とも話をせずに机に向かっている四人の後姿を、さりげなくチラっと眺めた。


 だが四人とも今日の試験である歴史学の教書を開いており、とても気軽に話しかけられる雰囲気ではない。

 一学期の頃はここまで空気が重くなかったと思うのだけど。


 ――恐らく、ジェイクが前回よりも真面目に取り組んでいるせいで、その姿に触発された生徒も多いのだと思われる。

 背中しか見えないのに、鬼気迫るオーラが立ち上っているように見えるので、とても正面に回って声を掛け邪魔出来る雰囲気ではない。




   私語も許されないような一触即発の空気を一人で演出しないでもらいたい。



 まぁ、ジェイクにしてみれば今回の試験は上位を狙わなければいけない理由があるとのことだ。

 真剣にならざるを得ないのだろう。


 更に視線を横に滑らせれば、窓側の席に座る三つ子達の後姿が視界に映る。

 彼女達も分かりやすく、真面目にぶつぶつと何事か文言を呟きながら数十分後に迫った試験に立ち向かっているようだ。




 一学期に上位だったからと言って、それは今学期の安泰を意味するものではない。


 自分が頑張った分、頑張った日数だけ他の生徒達も同様に努力をしているのだ。


 ゲーム内でも時間が経過するにつれ、学期末試験に要求される学力パラメータは右肩上がりに上がっていく。

 最初のパラメータで上位だから何もしなくていいや、とスケジュールで勉強を疎かにしていたら……

 二学期にズドンと順位が下がって慌てるなんてよくある話だ。


 頑張っているのは主人公だけではないし、勿論カサンドラだけでもない。

 成績による順位とは結局相対的なものだ。

 自分以上に頑張った人が多ければ、己の頑張りが必ずしも見合った結果に反映されるとは限らない。


 無慈悲で、機械的で。

 公正公平な点数による順位付け。


 負けたくない、良い順位で終わりたいというのは誰もが思う事である。よっぽどドロップアウトした不真面目な生徒ならともかく、王子のいるこのクラスにそんな不届きな輩が在籍しているはずもない。

 真面目で成績の良い子女たちが集まったクラスなのである。


 大変緊張感に満ち溢れた試験日の朝、カサンドラは静かに自分の席に座った。







 実時間に直せば何十時間では利かない時間費やした勉強時間。

 だがその努力を発揮できるのは、二時間程度の試験時間。


 カサンドラは回収されていく己の解答用紙に「どうか合っていますように」という念を送りつつ一日を終えた。

 今更叫んだり答え合わせをしたところで、結果が覆ることもない。



「………。し、シリウス様……」


 だがしかし、帰り支度を始めるシリウスのところにふらふらと寄っていく誰かの姿が見えた。

 一瞬リナかとドキッとしたが、配られた問題用紙をくしゃくしゃになるまで握りしめ顔面蒼白でシリウスに話しかけるのは――


「なんだ、リゼ・フォスター」


 まるでゾンビのような動きで机の前方を塞がれ、シリウスは完全に立ち尽くす羽目になっている。ぎょっとした顔で、話しかけてきた彼女の名を呼ぶ。


「今の、この大問三つ目なんですけど……」


 リゼは息も絶え絶えな様子でぼそぼそとシリウス答えを確認をした後、突如教室の床に両手をついてガックリとうなだれる。


「や、やらかした……!」


 彼女が黒い闇を背負って一人ショックを受けている姿を遠目で眺め、彼女でも大きく間違える事があるのだなと若干驚いた。

 でも剣術の選択講義を採り続けた二学期だ、流石に一学期ほどのパフォーマンスを発揮することは困難だっただろう。


 地頭がいくら良くても、座学系の選択講義を殆どとっていないリゼは前回の順位を維持するには『パラメータ不足』なのだと思われる。


 ……これがパラメータ至上主義の世界か、とカサンドラは喉を鳴らして彼女の憔悴ぶりに恐れを抱いた。






 ――試験二日目。



 まだまだ緊張感に満ちた教室内で、皆黙々と机に向かっている。

 昨日より早く家を出たお陰で教室内の生徒はまばらだ。

 目が合った相手に軽く挨拶をした後、カサンドラは政治学の試験に向けて記述式の対策文を読み込んでいる。


 エレナに見せてもらった過去問題で、恐らくこの単元で問われるとしたらケルン王国との貿易協定の話ではないか――とあたりをつけて、問われる可能性があるいくつかの記述パターンを用意したものだった。


 じっと見ていると、「おはようございまーす!」と明るい声で挨拶された。

 試験前のピリピリした時間だというのに、リタは相変わらず元気だ。

 昨日は周囲の雰囲気に呑まれて口を真一文字に引き結んでいたようだが、今日はニコニコ笑っている。


「おはようございます、リタさん。

 調子が良さそうですね?」


「昨日の試験が思ったより出来たので! それで緊張がとけたって感じです!」


 そう言って屈託なく笑うリタの様子にホッとした。


 本当に悲喜こもごもと言うべきか、この凝縮された三日間で大なり小なり皆思うことはあるもので。

 感情のうねりが教室頭上に異様な渦を形成しているようだった。


「あ、カサンドラ様……! 迷惑でなければ、少し見せてもらってもいいですか?」


 彼女はカサンドラの手元、ノートに書いた文章に目を留めて申し訳なさそうに頭を下げた。


「勿論構いません、どうぞ」


「ありがとうございます。

 ……うーん……ケルンとの貿易関係は出るな出るなって思ってましたけど、やっぱり出そうですか?」


「年によっては出ないこともあるようですが、可能性は高いとエレナさんも仰っていました」


 しばらく二人で記述問題の想定を話し合っていたところ、憔悴しきった様子のリゼと彼女を励ますリナの二人が合流する。

 当然これから行われる試験に関わることなので、二人も会話に参加してきた。



 ――これでもしも全く問題文に掠りもしなかったら、朝の貴重な時間を無駄にさせてしまったことになる。

 にこやかに三人に語り掛けながら、内心冷汗ものだ。






 カサンドラは試験官の合図とともに、問題用紙をザッと確認。

 目を皿のようにしてケルン王国の文字を探す。




「……!」



 エレナのアドバイスが的中し、カサンドラは会心の笑みを浮かべて心の中でガッツポーズをとった。

 これなら直前に目を通したリタ達にも何かしらの恩恵があったと信じたい。








 ――試験最終日。



 算術の試験が終われば、生徒全員たちまち自由の身になれる。

 ここまで来ると他の生徒達の間の空気も少しだけ緩みを感じるようになっていた。


 試験も最後の一科目ともなれば、大方自分の出来不出来も受け止めざるを得ない。

 半ば諦観状態で、気が入らない様子の生徒もいるし。

 逆に最後だから気を抜けないとメラメラ燃える様子で最後の追い込みに入っている生徒もいる。



「カサンドラ様、おはようございます」


 緊迫した空気とは馴染まない、ふんわりと柔らかい声が聴こえてカサンドラは振り返る。

 昨夜遅くまで勉強していたのだろうか、少し眠たそうな表情のリナが傍に立っていた。


「先日はありがとうございます。

 お陰様で設問を全て埋めることが出来ました」


 事前のお話が無ければ危うかったです、と彼女ははにかみ微笑んだ。


 深々と頭を下げるリナ。

 彼女の髪に飾られた青いリボンがふわっと揺れた。

 おっとりとした喋り方、物腰柔らかい雰囲気。仕草の一つ一つが可愛らしいと自然に思える女の子だ。


「リナさんのお役に立てたのなら何よりです」


「前回は算術で大失敗してしまったので、今日は集中して頑張ります」


 蒼い瞳にはしっかりとした意思を宿し、一学期のリベンジを誓い密かに燃える生徒がここにもいた。

 彼女が攻略しようとしているシリウスは、そのルートに入るためにまず学期末の成績が重要となってくる。

 せめて今学期、十位以内に入ることが出来たら希望が見えるというところだ。


 勿論彼女の事は応援しているし、彼女が実職を発揮し素晴らしい成果を修めたらカサンドラも嬉しい。

 だが彼女が十位以内に入るという事は、畢竟カサンドラが順位を上げるハードルが一つ上がってしまうということ。


 これが同じ土俵フィールドで対等に競い合うということなのだ。

 普段の恋愛とは打って変わって、皆が一列に並ばされて優劣をつけられる状態。


 応援しているはずなのに、全面的に無条件で十位以内に入ることが出来れば良いのになと素直に思えない自分という人間の小ささに衝撃を受けた。

 少しでも自分の努力が報われたいと思うことは当然だの想いだが、何だか後ろめたさに胸がチクチク痛い。


 ”上位陣”という数少ない椅子を皆で奪い合う。

 そこにカサンドラも参戦しているという事実。


 全て満点をとれるならこんな懊悩など要らないだろうが、学園側も易々と満点をとられたら困ると問題を考案しているわけで。


 でも……応援しない、なんて選択肢はない。


 リナはシリウスの目に留まるために、一生懸命アピールしているし勉強を教えてもらえるような関係になっているのだ。




 ――頑張れ、と。カサンドラは自席に向かうリナの背中に、精一杯のエールを送った。




 




 ここで息切れを起こしてもしょうがない。

 まだ学園生活は残っていて、試験だってこれが最後ではない。


 その内皆試験慣れし、緊張の糸を張り巡らせることもなくなるのだろうか。


 ただ、上位を狙うとなれば――今回のように、家に帰っても睡眠時間をガリガリ削り勉強をしなければ結果は出ないのだろう。

 凡人である自分は、時間を積み上げる事でしか対抗することができないのだ。


 気が滅入る話だが頑張れば頑張った分報われると信じ、カサンドラは最後の試験に臨んでいった。











『終わったーーー!』




 終業の鐘が鳴った後、そう叫んだ生徒が二人。

 一瞬既視感を覚えたカサンドラだが、声を上げた人数が前回より増えている。


 両手を天井に向かって掲げ、そう解放感に溢れた声を上げたのはリタだけではなくジェイクもだ。まるでタイミングを計ったように、二人の声が重なった。


 それを合図だったかのように、ガヤガヤと俄然教室内が騒がしくなる。


 後は週明けに試験結果の貼りだしを確認し、冬期休暇に突入するだけ。


 補習なんてものから縁遠い生徒にとっては、二学期最後のお務め終了だ。

 浮足立って騒々しくもなるだろう。



 結果をこの目にするまで『乗り切った』と完全に言い切れるかは定かではないが、惨憺たる結果にはならないはずだ。

 ――手ごたえはあった。

 決してショックに打ちひしがれるような順位になるとは思いたくないので、終わった直後は頭を空っぽにして束の間の自由を満喫することにする。





 ……ああ、これで今度は成績順位のためではなく、王子のために頑張ることが出来る。


 時間は有限だ、決して満足のいくマフラーが編めるなんて自分を過信していない。

 だが、自分の想いを形にするために努力することが出来る、一旦明確なゴールが提示されている。


 それはカサンドラにとって贅沢なくらい嬉しい事だった。


 普段彼に対し、常に受け身だ。

 何をしていいのか、どこまで許されるのか。いつだってそればかり探っている。


 




   この世に一つしかない、手編みカサンドラのマフラー。





 渡したい。

 ……例えそれが荒唐無稽なほど、困難な道のりであったとしても。






 暗く長く湿ったトンネルからようやく這い出し、頭上に燦々と輝く太陽を頂く気分だ。




 試験が終わった後の解放感ゆえか、王子達の周囲にはいつもより大勢の生徒が一気に詰めかけている気がする。

 だが今はそんな事に気を取られてなどいられない、早く帰宅して本命の『やるべきこと』に取り掛からなければ。






 カサンドラの安息の日は、まだまだ遠かった。

 ――本番はこれからだ。

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