第284話 連絡来たりて


 王子の誕生日に会える――かも知れない。


 彼本人から直接聞けたのだから、希望は十分見い出せたと言えるだろう。


 彼の様子を考えると、長時間一緒にいるということは難しいのだろうが……

 だが彼にプレゼントを渡せるだけの時間は作ってもらえそうだった。


 今の時点で、カサンドラが出来る事は何も無い。

 来週始まる二学期末試験で前回よりも良い成績を修めることに全力投球するのみだ。

 年末までの事を考えても、試験が中止になるわけでも平易な問題になるわけでもない。

 

 そわそわと落ち着かないのは事実だが、王子への誕生日は試験が終わった後の十日が勝負……!



 ――十日しかないのか。



 改めて指折り数えると絶望の一言が脳裏を埋め尽くしていくが、悔いたところで時間が巻き戻らない。

 とりあえず真剣に勉強に向かわなければ。


 この日曜日が最後の追い込み、勝負どころだ。

 一日かけて苦手な単元を総浚いするぞと気合を入れて机に向かっていた。


 だがそんなカサンドラの意気込みは午前中に訪れた来客によって、急ブレーキがかかってしまった。



「お忙しいところ恐れ入ります。

 ……お嬢様、お客様がお訪ねです」


「可能であればフェルナンドかアレクに対応をしてもらいたいのですが」


 現状、この館の女主という立場なのは分かっている。

 レンドールの総領娘として、名目上はこの屋敷を取り仕切っている主人格。

 だが学園に通う以上日中は留守がちなので、来客の応対は家令や義弟の方が慣れている。


 困ったように眉根を寄せるカサンドラに、来客を告げるメイドは頷いてはくれなかった。


「エレナ様がお訪ねなのですが、お嬢様にお会いしたいと仰っておいでです」



 まさか王都の自室で聞く名前とは思っていなかったので、カサンドラは椅子にもたせ掛けた背中のバランスを崩して床に転がり落ちそうになってしまった。


「……え……エレナさん……?」



 勿論その名は聞き覚えがある。

 故郷レンドールでなじみ深いエルマー子爵家の血の流れを汲むお嬢さんだ。

 夏休みにカサンドラを避暑地に招待してくれた遠い親戚のお姉さん――それがエレナ。

 彼女は去年王立学園を卒業後、王城で文官の一人として多忙な生活を送っているはず。


 この世界の仕事事情に疎いカサンドラでも、一年の終わりの月はどこも忙しそうだというイメージがある。

 以前住んでいた世界には師走という言葉があったが、生憎この世界では旧暦は存在しないのでそのままズバリな単語はどこにも載っていない。

 そういうちょっとした知識、常識の齟齬も随分身に馴染んで久しいなと心の中で呟く。


 先代エルマー子爵の孫娘が会いに来た、それも以前お世話になった相手。

 彼女の来訪を無視する事は難しく、何より彼女が自分に会いに来る用事を一切思いつけない。

 仮に来週に改めてもらったとしても、既に冬休み直前でカサンドラも編み物の追い込み時だ。予定が一つ入る事も焦りを生むだろう。

 出来れば何も予定がない真っ白な状態でマフラー編みに集中したい。

 そんな考えなどを天秤にかけ、カサンドラはエレナに会うことを決め一旦着替えることにした。


 今日は部屋に籠っている予定だったので、とても他人を迎え入れるに不適切な装いだ。

 着易さ第一の服は動きやすく気に入っているが、このラフな格好でエレナの前に出ることが許されるほど親密な仲には至っていない。


 廊下に出るだけでも服を整えないといけないのは実家でも別邸でも変わりないと、カサンドラは細い吐息を落として椅子から降りる事にした。





 ※




「お待たせして申し訳ございません」



 応接室に待たせているエレナの許に辿り着いたのは、知らせを受けてから優にニ十分は経っていた。青いフレアドレスに身を包み、色とりどりの小さな宝石をちりばめた二重ネックレスを着けて客を出迎える。


 流石に待たせ過ぎたかと焦ったが、ソファから立ち上がり一礼するエレナの表情には不快さの欠片もなかった。

 大変涼しい顔だ。


「とんでもありません、この程度待つという行為の内に入りません」


 流石王城で働く官の一人、しかも彼女の弁だとまだ新入りの立場だから面倒な仕事ばかり振られているのだとか。

 上司に待たされ、上役に待たされ――そういう意味では忍耐は育まれているに違いない。大変不健全な育まれようである。


「ご無沙汰しておりますカサンドラ様。

 急な訪問にも関わらず、快く迎え入れて頂きありがとうございます」

 

 相変わらずハキハキした女性だ。

 以前出会った時と変わらず濃いブラウンのショートカットの髪型で、銀色の大きな輪のピアスを着けるエレナの表情は知性が覗く。

 きっと仕事も真面目にこなし、出世していくタイプだろう。

 ……彼女のご両親が結婚相手を……と所望する理由も分かってしまうのが心苦しいところだ。


「どうぞおかけになって下さい。

 本日はどのようなご用向きでしょう」


「では単刀直入に申し上げますね」


 互いに向き合って座り、一息つくかつかないか。

 彼女はにっこりと微笑んでカサンドラにそう切り込んできた。


 エレナの口から発せられる”単刀直入”の表現に心がざわついた。

 彼女が歯に衣着せない女性だということはラズエナの一夜でよくよく身に詰まされている。

 遠慮も何もなく、カサンドラに王子の婚約者を辞退するよう促すつもりだった、なんて素面で直球を投げつける女性はそうそういない。


 もしかして、カサンドラに何かしらの不手際があって再び王子との婚姻を考え直して欲しいと直訴に来たわけではあるまいな。

 穏やかに微笑みながら心の中では冷や冷やしているカサンドラ。


「この度は王子の遣いとして参りました。

 王子の誕生日のお話ですが、直接出向いた方が打ち合わせもスムーズかと」


 彼女は一房の髪を耳に掛けながら、大き目の鞄からさっと取り出した手帳を捲り始めた。

 パラパラと小気味よい音が室内に響き渡る。


「……?」


 王子の遣い……?

 いまいち彼女の言っている意味が分からず笑顔のままカサンドラは思いっきり横に首を傾けた。


 確かに王子は誕生日のことについては後日連絡してくれると言った。彼の台詞は一言一句違わずしっかり頭にインプットされている。

 だが――

 エレナを遣わせるなんて一言も言っていなかったし、考えもしない事だった。


「カサンドラ様が王子の誕生日にお会いされたいと思われるのは当然の事でしょう。

 ですが当日はケルンを始め他の王国から使節が訪れる事になっていまして。

 パーティは開きませんが、王子と直接お話をされたいと仰る大使もおられますからね」


 エレナが開いたページは細かい文字で埋め尽くされて入て、それは王子の当日の主な予定を書き写したものだとすぐに分かった。

 会談相手、時間などの細かい情報はエレナも教えてもらっていないのだろう。

 ただこの時間帯は既に予定で埋まっている――もはや分刻みのスケジュールで、カサンドラは以前王子を観劇に誘った時の怖気を思い出してしまった。

 これだけの過密スケジュールをこなしつつ学生生活を送っている王子の私生活が本当に謎過ぎるし心配になる。


「午後五時から一時間……いえ、三十分程度は時間が確保できそうだという話になりまして」


「五時……ですか」


「他の時間も検討したのですが、庭園から遠い場所ばかりで」


 当日エレナがカサンドラを城内に連れて入ってくれるそうだ。

 東の庭園で待っていれば、王子が顔を出してくれるという段取りらしい。


 一国の王子に会おうと思えばかなり大変な事で、王城に入り込むことも簡単ではないはずだ。

 だが文官のエレナ、そして彼女と遠縁で面識のあるカサンドラ。

 それに王子の婚約者で身元がハッキリしているので、建物内に入る事は出来なくても王子に会うことは不可能ではないのだとか。


 そう考えると、この話をエレナに持ち掛けるのは極めて効率が良い思い付きではないか。

 王子が色々考えてくれた結果なのだと、この事実からでもしっかり伝わってくる。


 この試験追い込み期間にわざわざ手間を取らせてしまって申し訳ないという気持ちはある。

 だけど心が右往左往し、ドキドキして落ち着かないくらい嬉しくてしょうがなかった。

 体のいい断り文句ではなく、可能なら、と言った以上最善を尽くすように行動するのが王子なのだ。



 自分の働いている部屋で王子を良く見かける、出来た弟のような存在だとエレナは言っていた。

 協力してくれる相手にすぐに心当たりを思いつけるのだから流石だ。


 しっかりと乗り気で協力してくれるエレナが連絡役なのは、カサンドラとしても有り難い話である。

 もしもジェイクだとかの名前が出て来たらどうしようかと思ったが一安心だ。


 彼女は手帳をテーブルの上に置き別のページを開き指差す。

 予めざっとした城周辺の配置図が書かれてあり、待ち合わせの場所もすく把握できた。これならすれ違うことも無いだろう。


「カサンドラ様、当然王子に贈り物を用意されるのですよね?」


 しれっとした顔でエレナは言い放つ。

 手帳を鞄の中に戻しながら何気なく、カサンドラの心をピンポイントで穿つ発言にカサンドラの口元は少し引きつってしまった。


「え、ええ……そのつもりです」


「大変失礼ですが、どのようなものをお贈りするのでしょう」


 核心部分をぐいぐい突いて来る。


「まだ現物をご用意できていないのですが……。

 タイピンやカフスリンクスなどはどうかと候補に考えております」


 まさか手編みのマフラーなどと言えるはずもない。

 身に着けるものを何がいいかと考えた結果、カサンドラが思いついたのは王子の胸元を控えめに飾るタイピンだったり、袖口を飾るカフスリンクスだった。


「それは良いですね。

 もしも凶器になり得る贈り物の場合、城門内に持ち込めませんので。安心いたしました」


 いくらなんでも護身用に短剣などを贈る程ロマンチックさの欠片も風情もない人間ではないつもりだが。

 物を持ち込む時に相手を害する可能性があるものは持ち込めない、というのは当たり前の話で納得する。


 そうやって事前に忠告をしてくれるということは……

 最近でなくとも、いつかの時代に贈り物と称した凶器で要人を害そうとした人間がいたのかも知れない。


「ま、マフラーを持ち込むのは……大丈夫ですよね?」


「勿論です、流石にマフラーを凶器と判断する番兵はおりませんよ。

 ……当日は寒くなるでしょう。

 もしかしたら雪が降るかもしれません、暖かいお召し物でいらっしゃる事をお勧めします」


 マフラーで人の首を絞めるのはかなり困難だ。屈強な青年ならまだしも、細腕のカサンドラでは絶対に不可能である。

 エレナはカサンドラが身に着けていくものと勘違いしているが、そのまま訂正することはせず神妙な態度で頷いておいた。


 ……もし、綺麗なマフラーを編むことができたら……

 彼に『誕生日おめでとうございます』と渡すことが出来るだろうか。







「さて、それではもう一つの用件に移りましょう」



 王子の誕生日、時刻と待ち合わせ場所の打ち合わせは既に終わった。

 これで後顧の憂いなく、勉強に集中できると色んな意味で安堵の吐息を落としたカサンドラ。

 そんな自分の気持ちを弄ぶようなエレナの言葉に、カサンドラは一層の動揺を隠せない。



 まだ……

 まだ何かあるのか、と。


 エレナの事は嫌いではないし、信用している。

 私的な用件の連絡を頼まれるほど王子も彼女を信頼しているのだろう。

 だが今は、カサンドラにもやるべきことが……!

 それに彼女の美人で仕事が出来る有能そうなオーラがビシバシとこちらを圧迫するのだ。

 無駄にプレッシャーを感じてしまうというか、また何かをきっかけに王子の伴侶を辞退しろなんて言われるのではと身構えてしまうところもある。



「カサンドラ様の試験勉強のお手伝いをしたいと思うのですが、いかがでしょう」


「……エレナさんが……?」


「私も学園に通っていた身、毎回ではありませんが学期末試験では首席を取ったこともあります。

 卒業生なので――過去の設問や問題傾向などをお教えする事も可能ですが?」

 

 彼女はバッグの中からいくつもの白い紙を足の短いテーブルの上にずらっと並べる。

 いや、白い紙ではなく黒い文字列がいくつも並んでいる。


 ……過去問……!?


 カサンドラも生徒会の先輩であるアイリスからいくつかの過去問を見せてもらったことがある。

 だがそれを”下さい”と言える程の仲でもなく、彼女も他に渡す相手がいるとのことでその場で見るに留めた程度だ。


 まさか本物の期末試験の過去問題……?

 カサンドラは瞠目し、緑色の双眸に期待を溢れさせエレナを見つめたのである。



「学園内の試験は本来対策するものではなく、日々の勉強の知識が身についているか確認する機会に過ぎないと思っています。

 試験勉強のお手伝いは本意ではないのですけど。

 ――ああ勿論、余計なお世話という事であれば私の用件は終わりですよ」




 ニヤッと口角を上げるエレナの挑戦的な笑みに、カサンドラは姿勢を正して僅かながら逡巡した。




 官吏試験に現役で合格したエレナは学園内でも優秀な成績だったことは間違いない。

 当然カサンドラのやっている試験勉強を教えることくらい造作もない事だろう。

 しかも過去問題まで持ち込んでくれたということは、相当やる気で乗り込んできたと考えられる。


 誰かに勉強を教えるのは好きではなさそうな彼女が、こうして協力を申し出てくれるということは……間違いない。

 これは王子の厚意なのだろう。



 先週の自分の勉強の進捗度合いを間近で見られて「これは酷い」と思われてのフォローだとしたら胃が痛い話だが。



 少なくとも、先輩直々に教えてもらえるのなら心強い話だ。




「宜しくお願いします。

 エレナさんにご指導いただけるのならば、これほど頼もしいお話はありません」




 逆に言うと、これで成績を落としたら王子にもエレナにも面目が立たないというところである。





 だが王子の気遣いを素直に受け取りたい。

 一層頑張ろうと、カサンドラの心に火がついた。 




 

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