第283話 誕生日のご予定は?


 翌朝、カサンドラはいつも以上に早起きをして教室に向かった。


 試験期間中に無駄に頭を悩ませ対策の時間をロスしてしまったのは口惜しい。

 だが全て身から出た錆である、愚痴を言ってもしょうがない。


 第一、王子の誕生日当日の予定を訊ねる事は、試験が終わったら――なんて後回しに出来ない重要案件であった。

 思い至ったが最後、即刻彼の予定に合わせる事が出来なければカサンドラのどんな事前準備も無意味になってしまうだろう。

 編み物の練習以前の問題だ。


 アレクの指摘が無ければ後で自分の思い違いに気づき、二進も三進もいかない状態で狼狽することになっていたかも知れない。

 贈り物のことばかり考え、肝心の王子にアポを取らなくてどうするのだ、と。


 一日でも早く彼の予定を押さえる――それはカサンドラにとって最重要事項であった。


 試験勉強にろくに集中できず、王子への手紙の文面を考えるのに一苦労。

 折角週末に王子と勉強をしたおかげで得たはずのアドバンテージがこの一日で一気に削り取られたような気がする。


 以前カサンドラの誕生日を祝ってもらって嬉しかったので、自分もお礼がしたいということ。

 誕生日パーティは開かないと聞いたが、当日少しでも王子と会う事が可能だろうか、と。


 それらを尋ねるだけでも、全くペンが進まなかった。


 あまりにも仰々しい誘いになると向こうも遠慮がちになるかも知れない。

 かと言って「無理にとは言わない」という意味合いの文言を入れる事も躊躇われた。

 何故なら、カサンドラとしては是が非でも会いたい。

 どうしても彼に直接誕生日プレゼントを贈りたい……!


 だが強い想いが駄々洩れて王子を困らせるわけにはいかず、丁度良い匙加減の文面が思い浮かばなかったのだ。

 彼の恋人を気取って「誕生日くらい会えるでしょう?」何て居丈高な態度は絶対NG。

 しかし王子に遠慮しすぎるあまり、目が滑る程消極的なお誘いになってしまうのも良くない。そこまで会いたいという熱意がないなら、わざわざ会いに来てもらうのも申し訳ないと王子なら判断しそうだ。

 難しいことに、それを恐れて踏み込み過ぎた文章を書いてしまったら――もしもその日一日どうしても会えないのだということになれば王子に罪悪感を抱かせてしまう。



 あの勉強会の日の筆談を思い出して、歯噛みするのだ。


 もしも――あの時誕生日の事をもう少し視野を広く構え心の準備をしていれば。

 直接王子に訊けただろう、千載一遇のチャンスだった。


 幸せの青い鳥はその場にとどまっている時は見えないもの、いざ追い求めても去った後。


 とにかく誕生日に会ってあの時のお礼がしたいのだということを第一に盛り込んで、王子宛ての手紙を作成した。

 後はこの厳重に封をした白封筒を王子の机の中に入れておこう。手紙に気が付いた王子から何らかの回答を得ることができるはずだった。


 寝不足で、うっすらと目の下に隈が出来かけているカサンドラ。

 この時期の事だから、きっと寝る間を惜しんで勉強をしているのだろうと周囲に勘違いされる事必至である。


 厳しい寒さの中を孤軍で小走りに抜け、誰もいない寒々しい教室の扉をピシャリと開け放つ。

 もしもこの早朝に他のクラスメイトが先に登校していたらカサンドラの目論見は完全におじゃんになってしまう。


 どうか誰にも目撃されることなかれ……!


 心の中で強く念じたおかげか、この季節の早朝に教室にいるもの好きなど滅多にいるものではないのか。

 がらんとした誰もいない、鍵のかかったままの窓ガラスを側面に持つ自分の教室が視界一面に入って来た。


 ああよかった、とカサンドラは胸を撫でおろした。

 第一関門は突破した。

 彼女の翡翠色の双眸がくっきりと睨み据えるのは、教室前方に並ぶ机。

 ……王子の席だ。


 教壇の前なので間違えようもなく、カサンドラは喉を鳴らして彼の机に近づく。

 自分以外の誰もいない教室。


 吐いた息が白い霧と化す、そんな冷たさに満ちた教室で、机と机の間をすり抜けるようにしてカサンドラは前進した。

 靴音がやたらと耳に障る。


 普段、自分が近づくことのない王子の席。

 彼の周囲は常に大勢の生徒が取り囲み、そんな多くの生徒達を決して嫌な顔一つせず平等に笑顔で対応する王子。

 彼の後姿ばかりを見つめていたカサンドラにとって、彼の机は禁域のようなものだった。

 自分が意気揚々と王子に話しかけるには、あまりにも隔たった特殊空間。


 もしも自分が話しかけに行けば、人は自分に道を譲り『どうぞどうぞ』と恭しく頭を垂れてくれるだろう。

 だがその待遇に勘違いし、増長すれば彼女達は自分を鼻持ちならない女だと見做して印象を悪くするのだろう。


 “王妃候補“、“侯爵令嬢“。それら肩書きや身分によって他人の頭を無理矢理踏みつけることは可能だ。

 だが踏みつけられた者は忘れない。屈辱を感じれば、カサンドラを憎々しく思うだろう。


 カサンドラは御三家程の大きな後ろ盾がない。

 正妃候補だと周囲に認められても、実際に婚姻していない以上事態がひっくり返るかもしれない。事情があれば、婚約は解消出来るのだ。

 かと言って良家の令嬢達にひたすら媚びることもカサンドラの立場では難しく、簡単に取り込めると侮られれば一層軽んじられるだろう。


 デイジーの言う通り、今の孤高の人状態はカサンドラがはからずも導き出した最適解だった。

 当初は「女子生徒を追っ払うような真似はシリウス達に悪印象過ぎる!」という意味で近づかなかったのだが、功を奏した形だ。


 誰も傷つけず、誰の権利も侵さず、誰にも侮られず。


 カサンドラが王子に軽々しく近づき話しかける事は、トラブルを避ける意味であってはならないことだった。

 


 今、教室は誰もいない。

 王子の普段座っている椅子、そして机。

 

 それらにそっと指先で触れるが、他の椅子と全く変わらない普通のただの椅子だ。

 王子は特別扱いが苦手だからこの待遇も臨むところだろうが、王族の中にはこんな風に他と同じ扱いをされて怒るような者もいたのだろうか。

 カサンドラは王子と言えば今の王子しか知ることはないが――

 自分の婚約者が彼であることは実に恵まれていて、幸せな事だと改めて思う。




 もし彼が何らかの事情で悪魔の手を借りてでも「世界を滅ぼしたい」と願うなら、彼に付き従う女幹部になってもいいかも知れない。




 ふと、そんなバカげたことを考えてしまった。

 ……でも、そんな絶望を彼に抱かせるわけにはいかない。

 そんな想いをさせてしまったら、カサンドラは自分の無力に絶望するだろう。



 皆が笑って過ごせる未来が欲しいだけだ。

 この世界が例え神の手によって造られた紛い物の世界であるとしても、カサンドラは皆が大好きだ。



 薄く笑み、カサンドラは誰も来ない内にと手紙を彼の机の中に滑り込ませた。





  ドキドキする。





 置いた手紙がラブレターだったのではないかと錯覚するくらい、緊張して指先が震えていた。





 ※





 王子はカサンドラの手紙に気づいただろうか。

 教室に徐々に生徒達の姿が増えていき、毎朝そうであるようにキラキラと輝く煌めきと大勢の生徒達と伴に彼らは教室に姿を現わす。

 既に見慣れてしまった光景で、カサンドラは自分の机で勉強をしているそぶりを見せているものの――

 王子の動向が気になってしょうがない。


 チラチラと顔を上げ、時計の時刻を確認するついでに王子の様子を視界に入れてしまう。


 だが当然、その日は何も王子からのアクションが無かった。

 そもそもカサンドラの手紙に気づかなかったのかもしれないし、気づいてもまだ読んでいないのかもしれない。

 午前中はずっと授業だし、教壇の目の前で個人的な手紙を読むような人ではない。


 今日の今日すぐに反応があるなんて最初から思っていなかった。




 ※




 だが翌日になっても、王子から特に話しかけられることもなく淡々と朝の時間が過ぎていく。

 相変わらず彼の周囲は試験期間にも拘わらず人垣ができているし、なんなら「この問題教えてください」なんて王子に直接話しかけようとする生徒までいる始末だ。

 流石にそんな無礼な態度はシリウスらの一睨みですごすご退散したようだが、王子は頼まれごとをしたら真剣に対応する真面目な人だ。


 カサンドラのところまで歩いてきて、返事をしてくれる時間などそもそも存在しない。

 もしかしたら王子のお返事がカサンドラの机の中に入り込んでいないかと何度も何度も探る、教書の整理のフリをしながら目を皿のようにして封筒を探すが……当然そんな目立つものは視界に入ってこなかった。

 がっかりするが、現実は非情だ。


 王子に誕生日会えるかどうかばかり気になって試験勉強どころではないなんて……

 授業中も気がそぞろで、王子が自分にだけ分かる何かのサインでも発するのではないかと一縷の望みに縋ってみても詮無き事。


 カサンドラの手紙は果たして彼にちゃんと届いたのだろうか。

 昨日の今日だから落ち着け、慌て過ぎだと自制する。



 何事もなく、授業が終わってしまう。



 最後の望みとばかりに授業が終わった直後の王子を凝視するが、彼は生徒会も王城への用事もない気楽さを体現するように、友人達と雑談中。



 ……ああ、駄目だ。


 あの四人が揃っているところに「手紙を読んでくれたか」なんて聞きに走る勇気はない。

 王子一人でさえ眩いばかりに神々しいオーラを放っているというのに、美形どころが追加で三人も一緒に固まっているところなど視覚を脅かす暴力だ。

 彼らが揃って移動する時は積極的と図々しさとをはき違えた生徒さえ迂闊に話しかける事さえ出来ない。


 


 これは今日も王子に誕生日の予定を訊くことなど出来ないなと、カサンドラは完全に諦めきって教室を出る。

 同じ教室にいるクラスメイトなのに、必要な事を聞くだけでどうしてこんなに迂遠な方法しかとれないのか。

 全て自分の考え、そしてその結果が招いたことだ。

 少なくとも、この慎重な態度のお陰で他の生徒から著しい嫉妬も受けず干渉されることもなく、平穏無事で過ごせているとも言えるのだ。


 仕方ない……


 ぎゅ、と唇を噛み締める。

 別に傍にジェイクがいようが、ラルフがいようが。

 他の女生徒がいようが、気にせず王子に訊きに行けば………


 ほんの少しの勇気を出して、王子に話しかければ良い。

 一歩一歩廊下を進み、カサンドラは一人懊悩を続けている。





「………!?」




 カサンドラの両脇を、風がすり抜けていった。

 思わずカサンドラは直立不動で立ち竦み、今し方自分を追い抜いて小走りで去っていく二人の人影を呆然と見つめていた。


「今の……シリウス様と、ジェイク様……?」


 何か急用でもあったのだろうか。

 廊下を走るなと規則にうるさいシリウスが、疾風のように前方へと去っていく姿はかなり珍しい――いや、初めて見た。

 ジェイクならいざ知らず。


 何かから逃げ出すかのように、一顧だにすることもなく足早に姿を消した彼ら。

 その後姿の残像が廊下に漂っているように思える、その時。



「……驚かせて申し訳ない、カサンドラ嬢」



 カサンドラの背後から、今度は若干気まずそうな王子が話しかけて来たのである。

 ジェイク達が颯爽と姿を消したことにも目を白黒させたが、王子の方から話しかけられた事で彼らの発した違和感が一瞬霧散した。

 まこと、現金なものである。


「………。」


 王子の隣にはラルフがいる。

 彼は今にも噴き出すのを堪え肩を震わせて立っており、カサンドラと目が合うと気まずそうに視線を逸らした。


「王子、今走り去ったのはシリウス様とジェイク様……ですよね?」


「今日のところは彼らの無作法を大目に見て欲しい」


 王子は掌を額にあてがい、困り果てた様子で細い吐息を漏らした。

 今の出来事を間近で一部始終見ることになった王子とラルフ。彼らは思いもよらない出来事をカサンドラに語ってくれた。




 それは教室で彼らが軽い雑談をしていた時の事だった。


 ――リゼをして『呪いのアイテム』と言わしめた、恐るべき破壊力を持った手編みのセーター。

 件のモノをプレゼントした他クラスの女生徒本人が、果敢にも彼らの美々しいオーラに臆することなく『セーター、着てくれましたか?』と声を掛けて来たらしい。


 それだけで”ぞわっ”と全身を震わせたシリウスとジェイクの二人は、風のようにその場を去って行ったそうだ。


 ……ああ……

無言で帰宅の途に着きたくなる気持ちもわからないでもない。


 ジェイクは相当怖がっていたし、シリウスも『燃やす』と言い切るくらいに気味悪がっていたようだから。

 そりゃあ、突然その製造元に声を掛けられたら悲鳴を押し殺して逃げ出しもするというものだ。


 カサンドラもあの話を思い出して肩を跳ねさせたくらいだ、実際にアタックを受けたシリウスの動揺を考えると同情心さえ湧いてしまう。


「ジェイクはともかく……

 シリウスが廊下を走る姿は初めて見たよ」


 珍しいものを見た、と。

 ラルフは口元を手で押さえながら彼らの反応を逆に面白がっている素振りさえある。

 くくっ、と笑い声を噛み殺すようなラルフとは対照的に、王子は困惑顔のままだ。


 王子にしてみれば、折角もらった贈り物を燃やすなどという暴挙に出た挙句、こうして脱兎のごとく逃げ出す様子を見て呆れている部分もあるのかも知れない。

 普段の彼らなら形だけでも取り繕えるのだろうが、流石にインパクトが強すぎたのか。



 笑い事ではなく、本当にこれ以上シリウスを”手編み”事項で追い詰めるのは止めていただきたいものだ。



 カサンドラもどう反応していいか分からず、「そうだったのですね」と神妙な顔をして頷くだけだった。

 唖然としたという表現が正しいかもしれない。


 周囲の生徒も、シリウスの様子にざわざわと動揺が走っている。

 沈着冷静で知られる彼が脇目もふらず脱兎のごとく廊下を駆け抜けていくとは。

 夢でも見たのかとざわつくのも自然の流れである。




「ああ、そうだ。カサンドラ嬢」


 ふと、思い出したように王子は立ち尽くすカサンドラに言葉を続けた。


「昨日は手紙をありがとう」


 彼はにっこりと微笑む。

 その全く他意も邪気もない、上品としか言いようがない彼の笑顔にカサンドラは背中を仰け反らせてインパクトに耐えた。


「誕生日にカサンドラ嬢と会えるなら、私も嬉しいのだけど少々予定が詰まっていてね……」


 天国から地獄へ向かう道がチラチラと見え隠れしている。

 王子が言い淀むということは、やはり既に彼の予定は完全に埋まっていると考えていいのだろうか。

 会えない……?


 何という事だ……もっと早く打診していれば、あるいは……!


 ショックで目の前が真っ暗になりそうだったが、すんでのところで何とか踏みとどまっていた。


「でも、必ずカサンドラ嬢に会えるように都合をつけたいと思っている。

 後日連絡させてもらってもいいだろうか」


「よ、良いのですか?

 ご多忙でいらっしゃるのなら、わたくしは別の日でも」


 折角王子が都合をつけてくれるというのに。

 あくまでも外面の良い子ちゃんな自分がしゃしゃり出て、彼の厚意を辞退しようとする。

 本心は違う、少しでもいいから当日会いたいのに。


 あまりにも予想外の言葉過ぎて、感情が理解して喜ぶ前に勝手に口が動いていた。

 ぎゃー、とカサンドラは自分の口を縫い付けたい衝動に駆られたが、既に時は遅し。



「――誕生日、ね。

あれは面倒だ、大人達とのやりとりで息苦しいものだと僕は思う。

 ……君が会いに行くことで席を外すきっかけにもなるだろうし、アーサーを訪ねるのはいい案なのでは?」


 それまで黙って話を聞いていたラルフが、何故か実感の籠ったフォローを入れてくれた。

 実際に彼がどう考えてフォローをしてくれたのかは知らないが、カサンドラへの対応に困っていた王子への良いアシストになったのだろう。


「確かに、来客の顔ぶれを考えればラルフの言う通りだ。

 もしカサンドラ嬢が訪ねてくれるなら、私も息抜きの口実が作れるから助かる……かな。

 都合の良い話に聴こえるかもしれないけれど。

 ――誕生日にわざわざ会いに来てくれるのなら、勿論嬉しいから」




 王子が再度頷く。

 そこまで言ってもらって固辞する方が失礼な話だ。


   



 


「………是非、連絡をお待ちしております……!」





 深々と頭を下げたカサンドラの声は嬉しさのあまり震え、上擦っていた。

 

 

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