第282話 大前提


 来週から始まる二学期の期末試験の事は気がかりだし、緊張する。

 一学期には果たせなかった十位以内に入る事が出来れば良いと思うが、特待生や王子、そしてシリウスや元々頭の良い生徒達の事を考えると困難だ。

 むしろ一学期にその順位を取れたことが奇跡だったのではないかとさえ思う。


 だがこればかりは張った山が当たる、捨てた単元が出てこない――などの時の運も影響すること。

 絶対に約束された結果は手元にはない。


 ゲームで遊んでいる時のように己の頭の良さが可視化できるならまだしも、現実はそこまで便利ではない。実際に受けてみるまで、結果は分からない。


 戦々恐々としているが、黙々と努力を重ねるしかない凡人である以上するべきことは決まっている。


 やるべきことが明確な現状は、案外カサンドラにはホッと安堵する。

 何かしないと何かやらないと、と。ただ暗中で焦るよりも、今はこの目標に向かって努力している最中なのだと集中できる事だから。


 ただ、その後の冬休み――王子の誕生にプレゼントの事が気がかりで、今考えても手を付けられないというのに頭に浮かんではその都度占拠してカサンドラの思考を奪う。

 彼に手編みのマフラーを渡す案が現実的でなくなった以上、改めて彼のために何をプレゼントするか候補を決めて用意しなければいけない。


 思いついた端からメモをしているが、そんな状態ではとても勉強に集中しているとは言えないだろう。

 乗り越えるべき関門がハッキリと立ち塞がっているのに、どうにも集中しきれていない自分に焦りを覚える。


 まずは試験を納得いく順位で終わらせようと言い聞かせつつ、カサンドラはその日もいつもと変わらずレンドール家別邸で夕食の席に着いていた。


 

「ところで姉上」


 アレクがこちらに向かって話題を振って来た。

 普段彼との夕食光景は、互いに積極的でひっきりなしに会話を行っているわけではない。

 事前に相談しようと思っていた事を打診する場で、基本的には和やかな雰囲気に終始している。

 話すことが無ければほぼ沈黙――と言う日もあったが、それは別に気まずい静寂ではなかった。


 カサンドラは学園でそれなりに気を張って過ごし、アレクはアレクで跡目教育という名のスパルタ学習を親の指示で受けさせられている。

 要するに、この時間帯は姉弟とともに最も疲れている時間帯なのだ。

 だから互いに言い争いなどするつもりもないし、口数が少なくても疲れている日なのだろうと敢えてだんまりを貫く日もある。

 家族故の気安さというものだ。


「何でしょう、アレク」


 今日はアレクが何か話題をこの場に挙げてくれるのかと、カサンドラは少し微笑ましい気持ちにさえなった。

 普段彼に相談を持ち掛けるのは圧倒的にカサンドラの方が多い。

 もしかして自分に何か相談事だろうか? と胸を躍らせた。


 いつも彼に頼ってばかりなので、たまには彼の役に立つような話が出来れば――

 わくわくと彼の言葉の続きを待っていた。


 だが残酷にも、カサンドラの逸る想いは一瞬で粉微塵に砕け散ることになる。




「姉上、王子と誕生日にお会いする約束はしているんですよね……?」 




 突拍子もない彼の質問に、カサンドラは鳩が豆鉄砲を食ったようになる。

 この義弟は一体何をわけのわからないことを聞いているのだ? かなり胡乱な顔で、少し離れた正面で静かに食事を続けるアレクを眺めた。


「約束など……」


 そう言いかけて、ハッとカサンドラは己の見落としていた重大な事実に気づいてしまった。


 王子の誕生日は冬休みだ。

 当然試験は終わっているが、それと同時に学園も年末年始で完全に長期休暇に突入している。

 今現在毎日のように顔を合わせているからあまりピンとこなかったが、冬休みに王子とどうやって会えばいいのだ?


 焦り狼狽しているカサンドラの表情は今、さぞや引きつっていることだろう。


 落ち着け大丈夫だ、と自分を鼓舞する。


「王子のお誕生日にはパーティが開かれますよね?

 そちらでお会いできるでしょう――」


 自分で言いながらも、はたと過去の王子との会話を思い出す。


 そう言えば彼は何と言っていた?

 今年は誕生パーティを開く予定はないと言っていたような気がする。あれ?


 急に目の前に暗雲が垂れ込めたような気がして、カサンドラは目の前が真っ暗になりそうだ。

 自分は何と詰めが甘いのだろう。

 一番肝心な、王子の誕生日に会う方法を全く検討していなかったなんて!


「え、ええと……

 今年は王子のお誕生日パーティは開かれないというお話ですし……」


 あわあわとカサンドラは半分パニックに陥った。

 考えが混濁し、カサンドラは言い淀む。


 大丈夫だ、まだ王子の誕生日まで時間はある。


 それまでに王子に誕生日に会いたい、渡したいものがあると伝えておけば会う時間くらいは作ってくれるのではないか。


「姉上、まさかノープランですか?」


 アレクの冷たい目線がカサンドラの心臓付近をさっくりと射していく。

 こうしてはっきりとした返答が返せないのが現在のカサンドラを雄弁に物語っているというものだ。

 流石過ごした時間は少ないけれど、お目付け役のような形で王都に随行してきただけの事はある。

 こちらの事は何でもお見通しだと言わんばかりの彼を前にし、カサンドラは「どうしましょう」と顔面蒼白にして呟いた。


「パーティ自体は開かれないかもしれませんが、王子ですよ?

 もしかしたら内々で他国の賓客を招かれているかも知れませんし、何より夏休みでもそうでしたが……

 学業がお休みということは、王城での執務に忙殺されるということでしょう。

 今から急に”会って欲しい”とお願いして、すんなりとお会い出来るものなのですか?」


「うっ……」


 実際王子のプライベートな予定などカサンドラの与り知るところではない。

 王子の婚約者なのは間違いないが、案外王族だけでこういうイベントを使用して交流しているという可能性を示されたら「それはないだろう」と言い切れない。

 公に誕生会という形式をとらず御三家の当主たちだけを招いての小さな宴を開いていた、なんて後で知っても驚かない。

 まだカサンドラは王家の人間ではないのだ、完全に御三家の承認を得た婚約者ではないと暗に示されることになるだけ。


 こんな時に限って、明日から短縮授業。

 放課後に王子と会う予定になっていない、互いに試験に向けて頑張ろうと檄を飛ばし合っただけで次回会えるのはいつかなんてアレクの指摘通りノープラン。

 自分の先見性のなさがほとほと嫌になってくる。



 そもそも王子は誕生日にどこにいるのだ?



 お城にいてくれれば会うことが出来るかもしれない。

 そうでなければ、カサンドラは彼に会う手段がない。


 何という事だ……

 試験のことで頭を使い、渡すプレゼントで悩み、肝心の大前提を考えていなかったなんて。

 もっと早く気づいていれば、この間の勉強会で事前に彼の誕生日の予定を聞き出すことが出来ただろうに。

 千載一遇の機会を逃していただなんて、愚かが過ぎる。

 どれだけ頭がお花畑だったというのか。


 完全に夕食の手を止め、カサンドラは黙した。

 拙いながらも、王子に予定を伺うシミュレーションを脳内で繰り広げる。


 学園内で彼を呼び止めて誕生日の過ごし方を聞くのが一番手っ取り早い。


 だがどのタイミングで聞けばいいのだろう。


 朝は駄目だ、彼の周囲には絶対に大勢の生徒が列をなして話をしたいと群がっている。

 あれを掻き分けて「誕生日はいかがお過ごしですか?」と聞くことは現実的ではない。


 万が一「その日は別の用事がある」と婉曲に断れでもしたら、王子の婚約者としての沽券に関わる大問題だ。

 誕生日にも会ってもらえないなんて……とヒソヒソされたら今まで取り繕っていた外面の崩壊危機である。 


 短縮授業だからお昼の前に、皆で帰宅。

 生徒会もなければ、週末は試験の追い込みなので会いに行くなんて憚られる。


 王子が一人で構内をうろうろしているところをたまたま見かけて話しかける、なんて期待するだけ無駄だ。


 普通に話しかければ良いのにと思う反面、そこまで勇気が出ない。

 もしも人前で平気で会話が出来る関係性であれば、人気のない中庭で僅かな時間だけ語り合うことができる――なんて状況ではないわけで。



 ……ふと、リタの事を思い出す。

 彼女のように、ジェイクに頼むか……?


 彼ならまだカサンドラも話を持って行きやすい。

 だが……


 彼にからかわれる状況を自ら生み出すのも避けたい。


 他に方法があるのならジェイク達を通す事無く、彼に誕生日プレゼントを渡したいものだ。



「まさか王子を自宅にお連れしてパーティを開くつもりではないのですよね?」


「……! さ、流石にそれはご迷惑かと……」


 以前カサンドラは、自分の誕生日に王城案内をしてもらった。

 だがあれは時期柄、会う場所が王城の方が都合がよいという事情があって偶然実現したものだ。

 いきなり王子を自宅に招いて誕生日を祝うなんてプランは最初から存在しない。

 余りにも高いハードルだし、彼の貴重な誕生日の一日を自分が独占出来るなんて最初から思っていなかった。


 そうですか、とアレクは目を閉じる。

 彼は何やら真に迫った真面目な顔で、しばらく思案を続けていた。

 全く頭の働かないカサンドラの代わりをしてくれているかのように。


「この場合、手紙を書いて王子にコンタクトを取るのが最も手っ取り早いでしょうね。

 まぁ、悩むだけ馬鹿らしいと言いますか……

 同じクラスなのですから、誕生日の約束程度、スムーズにとりつけているのかと思っていましたよ」


 動揺しているカサンドラには大変辛辣に聞こえるアレクの呆れ声。

 あれだけ手編みのマフラーを渡すだなんだと前のめりに当日の構想を練っているというのに、肝心の約束がまだなんて。

 アレクからしてみれば「こんなうっかりな人が自分の姉か」と呆れかえって言葉も刺々しくなるのは当然のことだ。


「手紙……ですか」


 生徒会室にカサンドラが手紙を置くのは、月曜日の朝といつの間にか習慣付いてしまっている。

 いきなり明日手紙を持って行って生徒会室に置いても、果たしてそれに気づいてもらえるのだろうか。

 生徒会自体は機能していても、主だった活動は試験のために停止している状態だというのに。


「同じクラスなのだから席も分かっているのですし、直接王子の机に入れておけばいいのでは?」


 それは青天の霹靂と表現するに相応しい心象風景であった。

 言われてみれば……!


 誰にも気づかれる事無く生徒会室の王子の机に手紙を忍ばせていたカサンドラ。

 だがカサンドラが王子に手紙を渡しているということは既に一学期の段階で周囲に知られてしまっている。

 人の目に晒される可能性などを考え生徒会室の王子の机を利用していたが、どうせ誰もいない早朝に教室に入るのなら。


 その時、王子の机に手紙を入れておけばいい。


 固定観念やルーチンとは恐ろしいものだ。

 当初はやむを得ないためにとっていた非効率な方法が常習的に行うようになるとその行動に疑念を抱かなくなる。

 何度か王子に直接手紙を渡す機会はあったものの――


 アレクの言う通りだ。

 王子の机の中に直接手紙を入れておけば、彼もきっと気づいてくれるだろう。



 問題点としては普段したことがない手紙の渡し方なので、王子が全く気付かないかも知れないことが挙げられるか。

 その結果手紙が教室の床に落ちたり、誰かに見咎められてしまう可能性は見過ごせない。


 しかし、だ。

 カサンドラは入学してから今まで王子の事をずっと見て来たつもりだ。

 彼がどんな性格で、どんな対応をする人か――彼の為人ひととなりを思い返してみる。


 机の中を全く確認せず中身を床に落としたり、また手紙を奥に押し込めてぐしゃぐしゃにするずぼらな性格ではないことは確かだし、間違っても隣にシリウスやラルフ、他の大勢の生徒がいる中で手紙を開いて確認することはしないだろう。

 少なくともカサンドラの顔に泥を塗ったり、衆目の前でからかう事はない……はず。


 

 そしてカサンドラも自分の足元に火が付き始めていることくらい自覚している。

 もう、二学期が終わってしまう。


 王子の誕生日を祝うということは、関係性を更に深める大きな機会であろう。


 ……徐々に彼と仲良くなって信頼してもらう事が最終目的であるとして、だ。

 彼の身に何かが起こる日は確実に、刻一刻と迫っている。

 メインシナリオで王子が事を起こし始めるのが二年目からだからと、楽観視していていいはずがない。


 今までコツコツ積み重ねてきた王子との会話、やりとり。

 経験上、自分の気持ちを今すぐに伝えてどうにかなるわけではないと思う。

 気持ちが伝わり、受け入れてもらえたとして……

 彼を救うために何をすればいいのか、そこからまた手探りで見つけ出して行かなければいけないのだ。

 決して安穏としていられる時期ではないと、カサンドラも分かっている。




 座視したままでは、王子の身に何かが起こってしまう。

 このまま彼との関係性の保持を重視するあまり、一番大切な彼の身の安全を見過ごしてしまうのではないか。

 そうなっては悔やんでも悔やみきれない。


 彼をどう説得し、この先起こり得ることをどう理解してもらうのかも難しい問題だが……


 いつまでもこのままではいられないのだ。

 彼が抗わなければいけない闇があり、そのせいで彼がラスボスに”なってしまう”と言うのなら。



 こちらも真剣に彼と向き合わなければならない。


 ……ゲーム内では明かされることの無かった『理由』を見つけるためには、彼が心からカサンドラを信頼してくれることが条件だ。

 そうでなければ、間違いなくはぐらかされて終わってしまう。


 何か理由があるのだろう、でもカサンドラには全く予想もつかない。



 彼は闇堕ちして国を、世界全てを滅ぼしてしまえなんて望むような人ではなかった。

 誰かが傷つき苦しむ姿を愉悦に感じ、裏でほくそ笑むような悪役ではない。


 かと言って誰かに激しく恨まれ、無理矢理悪魔に堕とされるような人でもない。

 彼が居なくなってしまうのは損失としか言えない。



 後、考えられる可能性としては……



   ――二重人格、とか……? いや、まさかね……




 ここまで全く何の兆候もない聖人君子ぶりを目の当たりにすると、何でもありな可能性しか思い浮かばない貧困な想像力しか持てない自分を呪う。



 どういう事情があるにせよ、王子が好きだ、助けたい。

 その気持ちを分かってもらうことでしか、本気度を示せない。

 どんな疑り深い人をも言葉を重ね納得させる弁論術の持ち主でもないし、彼の心を完全に射止めるだけの絶世の美女と言うわけでもなく、世にも類稀なる魔法を使って自分の”未来予言”を信じてもらえる足掛かりに出来る魔力も持たない。

 凡人だ。

 王子が好きな、地方貴族の娘というだけの属性しか持たない。

 それにたまたま”婚約者”が追加されただけで、彼に近づけたというには及ばないのだ。


 王子にこの想いを真実受け入れてもらえた時、初めて凄惨な未来を回避する可能性が生まれるのだと思う。


 だってあまりにも荒唐無稽な話だ。

ここが元はゲームの世界で、このままでは貴方は悪魔になってしまいます。一緒にその未来を回避しましょう――彼がいくら真面目な青年だったとしても受け入れがたい戯言だろう。

 馬鹿げた話を真実と思ってもらえる関係性、それが望む姿だった。


 カサンドラが言うのなら、と信じてもらえる関係。

 それは恋愛関係が最も安直且つストレートに彼の心に訴え得る繋がりだ。




 誕生日という年に一度の距離を縮めるに最適な一日。

 恥ずかしい、なんて理由で誘いを躊躇うなど許されない。



「わかりました、アレク。

 誕生日にお会いしたいと手紙に書いてお渡しします」



「いくら会心の出来のマフラーが編めても渡せなかったら無意味ですよ。

 ナターシャをがっかりさせないためにも、ちゃんと王子の予定をおさえて下さいね」 




 五つも年下のアレクに説教じみた事を言われるとは。


 注意深く生活しているつもりでも、やはり抜けはある。

 一つのことに集中すると視野が狭くなるのは悪い癖だ。



 指摘してくれる出来た義弟の存在は、本当にカサンドラにとって得難く有難いものであった。


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