第278話 予定調和


 勉強会自体はその後滞りなく終わりを迎えた。


 集中し勉強に励んでいた時間はおよそ半日だが、体感ではあっという間である。

 不明瞭な箇所があったとしても、すぐ傍に前学期の試験で二位と三位だった賢いクラスメイトがいるわけで。勉強する環境としては素晴らしいものだった。


 自分一人で勉強するより、この辺りは試験で出るのではないかという話も聞けて思った以上に実りのある一日だ。


 傍に王子がいるのは緊張したが、何を話そうなどと余計な考えを巡らせる必要のない場所なのが幸いしたと思う。

 言葉や思考に詰まれば目の前のノートや教書に向かえばよく、静寂の時間が全く気まずくない。


 そして何問か分からない設問を王子やリゼに訊くことも出来、気分はかなり晴れやかだ。

 自分から彼らに何か齎すことは出来なかったが、『教えるって貴重な機会なんですよ』とリゼは気にしてないようで大変有難く思えたものだ。


 今現在理解できていない単元をいかに相手に”理解させる”のかは、己の理解の深度を試されている。

 教師と言う職業が敬意を払われているのが改めて良く分かるではないか。

 誰かに教えるためには完璧に関連知識を紐づけ、いつでも自由に引き出せなければいけないのだ。

 一つの分野をマスターすることは大変難しく、それが出来る役職だから尊敬される。



 リゼは教師になったら良いのでは? と、少し思ってしまった。

 案外向いていそうだ。




 ※




「今日はお疲れさまでしたー!」


 解放感、名残惜しさ、疲労感。

 色んな感情が綯い交ぜになったリゼの声が響いた。


「本当にすみません、送り迎えしていただくだけでも申し訳ないのに。

 ――お店に連れて来ていただいて」


 リゼは再度周囲の様子を伺ってカサンドラに頭を下げた。


 勉強会が終わった時間は夕食に早い夕方だ。

 少し羽を伸ばして帰ろうというカサンドラの提案で、リゼとともにいつものカフェに訪れている最中だ。

 当然近くに王子もジェイクもおらず、女子二人で向かい合って腰を掛けている。


 すぐに解散、という気分になれなかったのはリゼも同じだったのだろう。

 一瞬躊躇う素振りを見せたが、カサンドラの誘いに頷いてくれた。帰宅後も勉強するのだろうと思うと引き留めるのは迷惑かと思ったが、気が緩んでいるのはリゼも同じらしい。


 注文した暖かい飲み物が運ばれるまで、二人はしばらく放心状態に近かった。

 思考回路が切り替わらないというよりも、勉強に集中している間は棚上げにしていた情報が、棚が崩れてスコンと両者の頭上に降って来た状態なのだ。


 口火を切ったのはリゼだ。

 彼女は紅茶に濃厚なミルクを入れ、ティースプーンでゆっくりかき混ぜながら言葉を漏らす。いや、呻いたと表現するべきか。


「……今日は凄い事聞いちゃいましたね」


 リゼが何とも言えない小難しい表情を浮かべているのも無理はない。

 勉強自体は問題なく進める事は出来たけれど、そこ以外の会話に衝撃の連続だった。恐らく今日この日、勉強会が行われなければカサンドラもリゼも知る由もなかった話であろう。


 本当なら今日は好きな人と一緒に過ごせて良かったね、と幸せな気持ちに満たされれいただろうに。

 完全に諸手を上げて幸せだと思えない酷い有様だった。


「はあぁぁぁ。

 シリウス様、手編みのセーターってホントにNGなんでしょうか」


 ビクッとカサンドラの肩も跳ね上がる。

 暖かい店内では双方ともにコートを脱いでいて、リゼの可愛らしい手編みのチュニックセーターが目の前である。

 王子の言う通り職人さながらの腕前であるが、あのジェイクの過剰な反応を考えると――

 手編みの服というのは、シリウスにも相当なトラウマを植え付けたのではあるまいか。


「誰だか知りませんが、余計な事をしてくれましたよね」


 本当に、とカサンドラもコクコクと何度も頷いた。

 彼女の苛立ちの混じった台詞に端から端まで賛同したい。


「もしかしてリナさん、シリウス様へのセーターを編んでいらっしゃるのでしょうか」


 だとすれば、最も間が悪いタイミングでは?


 だがリゼやリタにこのセーターを編んだということは、流石に本命のシリウスのセーターを編む暇もなかったのだと思いたい。

 リゼのセーターは本命の片手間に出来るクオリティではなさそうだし、違うと言われることを期待した。


「いいえ、そういうわけではないです。

 まだ手編みのセーターを渡すことができるほど親しくないので、いつか渡せたらと言っていたんですよね。

 その想いが踏みにじられたようで腹立たしくて」


 リゼの言葉がカサンドラの胸を深く穿つ。

 にこにこと微笑み平然としているつもりだが、内心では頭を抱えてしゃがみこんでいた。


 手編みの品を渡すということがどれだけ重たい意味を持つのか、とまざまざと見せつけられた想いだ。

 やはりアレクの指摘は正しかったのだ。


 軽はずみに浮かれ、不器用な自分が彼が身に着けるのに相応しいマフラーを編めるだなんて思い上がってしまった。

 何と恥ずかしい話だろう。


「手編みのプレゼントをお贈りすることは、相手の方にも負担がかかるのかも知れませんね」


 王子への手編みのマフラーは無かったことにしてしまうべきなのか。

 あれだけやる気に満ちていたというにも拘わらず、躊躇いの気持ちが強くなる。


 でも――

 自分の知らない誰かの行いのせいで、自分のしようと思っていることが出来なくなるという事に納得出来ない。

 己の失態のせいならしょうがない。でも今回の件は完全にカサンドラもリナもとばっちりを食らっただけだ。


「そうですよねー。

 カサンドラ様と王子の関係ならともかく……でもリナの気持ちを考えると……はぁ」


「……わたくし……ですか?

 あの、わたくしが手編みの品を王子にお渡しするという事は……その、リゼさんから見て不審な点はありませんか?」


 ポッと彼女の言葉の中に参入した名前に、カサンドラは瞠目する。

 彼女はまだ眉根を寄せていて納得できていない表情であるけれど。カサンドラが聞き返すと、きょとんとした顔をする。


「え? 当然ないです……よ?

 カサンドラ様が渡せないなら、逆に手編みってどういう関係なら渡して良いんですか?」

 

 曇りなき素直な眼にじっと見据えられ、カサンドラは挙動を止める。

 他人から見ればそうなのだろうか。

 結婚をゴールに見据えるなら、婚約者同士ということは恋人関係よりも先を行く関係である。

 その関係で手編みが渡せないとなったら……というリゼも疑問も分かる。

 内実は彼女達が想像する関係に至っているわけではないが、カサンドラが彼に手編みの品を贈っても……良いのだろうか?


「――実はわたくし、きたる王子のお誕生日のために手編みの品を贈りたいと考えておりまして」


 一人で抱えてモヤモヤしても仕方ない。

 リゼは信用の置ける大事な友人でもあるのだ。隠し立てする意味もない。

 それに、だ。

 手編みを渡そうと思っていたが変更しようとしている、と伝えるだけだ。


 言葉は宜しくないが、予定がパァ。白紙にせざるを得ない事に対し、リゼに愚痴を言いたかったのかも知れない。


 彼女がリナのために憤ることと同じく、カサンドラも憤懣やるかたない想いなのだ。


 だがリゼの反応はカサンドラの想定していたものではなかった。


「それは素敵ですね! 王子も喜ばれると思いますよ」


 何の憂いもないニコニコ笑顔でそう肯定され、カサンドラの心が揺れる。

 王子に手編みのものをプレゼントするのは止めようかと悩んでいる真っ最中なのに。


「ですが先ほどのシリウス様の一件を聞き、手編みの品はやはり迷惑なのではと思い直しているところなのです」


「……いえ、考え直される必要があるとは思えませんけど……?」


「先程の王子とジェイク様の反応から察するに、その、手編みの品は喜ばれず……も、もや……

 燃やされてしまうのでは……」


 全部言い切ることが難しく、珍しくどもってしまったカサンドラ。だがリゼはポカーンとした表情でこちらを眺めるのみだ。


「王子がカサンドラ様の贈り物を燃やされるわけないと思いますよ?

 ……王子はカサンドラ様がどんな方か良くご存知ですよね。

 変なものを贈るはずがないって、当然信用されていますよ!

 カサンドラ様からもらえるプレゼントですよ? そんなの、何だって嬉しいに決まってるのでは?」


 彼女は本当にわけがわからない、とやや混乱気味に捲し立てた。

 手編みだから暖炉にくべるというのは短絡的発想だと彼女は呆れたのだ。



 恋人や夫婦、家族。

 お互いによく知り、信頼している相手からもらったもの。


 片や、一方的に恋慕され、良く知らない相手から押し付けられたもの。



 それらを同一視するのは無理があるでしょう、と彼女は言った。

 リナはまだシリウスと恋人同士でも婚約者でもなく、互いに良く知り合った友人という明確な関係があるわけでもない。

 果たして手編みのセーターを受け取ってもらえるかどうか……と悩んでいる相手に贈るリナの場合は、血染めのセーターの件は非常に高い心理的障壁になるだろう。


「王子自身がセーターの件に直接関わったとは仰っていませんでしたよね。

 第一、呪いのアイテムさえ燃やすのは短慮だと仰っていたわけですから、そんなに気を遣われなくても大丈夫ではないでしょうか。

 むしろ何故他所のクラスの生徒がやらかしたことで、カサンドラ様が遠慮されないといけないんですか?」



 彼女の淡々とした指摘に、それもそうかなぁ、と気持ちがかしぐ。

 一度シリウスの話を耳に入れてしまった以上、敢えて手編みの品を渡せば王子の心象は悪くなるのではないか……

 あの話を聞いていてなお、手編みを贈ろうなんて――信じられない図々しい精神だ、なんて王子にドン引きされたら?


 常識人の自分は確かに思考に住み着いてそう喚き立てている。



 でもカサンドラは彼のために何かがしたい。

 選んで購入して渡して終わりという一連の流れでは収まりきらない感情というものがある。


 上手く編めたものならば渡すことが出来るのではないか? という希望を捨てたくない。



「……ありがとうございます、リゼさん」




 カサンドラは決意した。

 自分が編んだと言わず、既製品を用意させたというていで渡そう。


 王子の目を誤魔化すことが可能な程綺麗で、カサンドラの手編みには見えないマフラーが編めたら渡しても良いことにする。


 購入したものだなんて到底見えない、お粗末なマフラーしか編めなければ――その時は潔く諦めて別のプレゼントを渡そう。


 編み物初心者の自分がそんなものを仕上げられるなんて、絶対無理だ。

 渡せる方が奇跡だ。

 自分如きが職人が編んだような作品を作れるわけがない。

 でもそれくらいハードルを上げないと、彼に渡すことは出来ないと思ったから。



 プレゼントは自己満足ではいけない。


 あの一連の会話を経て臆面もなく手編みの品を贈ったと思われたら……カサンドラの人間性を疑われるかもしれない。

 でも、手編みのマフラーを渡したい。


 カサンドラの思いつくギリギリの妥協点がそこだった。




 当然リゼはカサンドラが内心でそんな決意を固めた事など知る由もない。

 あまりこの話題に拘泥するのも心臓に良くないので、カサンドラはにこりと微笑んだ後話題を変える事にした。



「リゼさん、ジェイク様とは順調に距離が縮まっているように思いました。

 とても喜ばしい事ですね」


 急激な方向転換に、リゼは目を白黒させる。

 いきなりお鉢が回ってくるとは思っていなかった彼女はかなりそわそわと動揺しているように見えたが……


「カサンドラ様にそう言っていただけるなら、私も後二年、頑張れそうです。

 ――ありがとうございます」


 彼女は若干照れ笑いしながら、人差し指で軽く頬を掻いた。

 僅かに紅潮した頬は緩んでいて、先ほどまでキリッと凛々しく真面目な姿でジェイクに勉強を教えていた人物とは思えない。


 カサンドラが彼らが勉強する姿を見るのは初めての事ではなかったが、夏の終わりより確実に親密そうに見えた。

 夏と言えば、大通りでジェイクとバッタリ会って話をしただけで半分精神が崩壊する程慌てていたリゼの姿が思い起こされる。正面に座る彼女と同一人物とは信じがたい。

 人は成長するというが、半年でこの変わりようは凄いと思う。


「……二年……?」 


「はい」


 リゼはこくんと頷いた。

 彼女の大きな蒼い双眸にははっきりとした強い意思が宿っている。

 元々リゼは芯がしっかりしていて確固たる人格の持ち主だと思っていたのだけど。



「卒業するとき、ジェイク様に想いを伝えようと決めました」




 その揺るぎない決意に、カサンドラも意識を全部奪われる。

 期間を決めて、求める結果を出すために努力する。

 それはリゼにとってごく自然に受け入れられる方針だったのだろう。


 彼女らしい。

 ……が、それ以上に――そうなるのか、という納得感に指先が僅かに震えた。


 カサンドラの微妙な微笑みの変化に気づけないリゼは、言葉を続ける。


「……臆病だと自分でも思います。

 でも、私は……もしも在学中、余計な事を言ってしまったせいで今の関係が崩れて壊れてしまったら一生後悔しますし。

 告白が上手くいったらどれだけいいかって思いますけど、そんな分の悪い賭けに乗れません。

 カサンドラ様は打算的だと軽蔑されるかも知れませんが。

 残された期間、私は告白を受け入れてもらえるよう努力を続けていきます」



「いいえ、そのお気持ちは分かります」



 一度居心地のいい安定した関係を築くと。

 それを叩いて壊して、新しいステージに移ることが怖くなる。


 想いを伝えれば、今までと同じではいられない。

 上手くいけばいい、でもそうでなければ何もかもが終わってしまう。

 一度言葉にすれば取り返しがつかない。



 それはまさにカサンドラの事だ。

 何故彼女を非難することが出来るだろうか。



 そもそも、彼女の場合は……どこまでが神が関与しているのかは知らないが、告白をその日に定めるのは文字通り運命だった。





 ――恋愛SLGにおいて、休日にデートに行くような親密な関係ならもう交際状態ではないか? という関係が最後まで維持されることは儘あることだ。

 ゲームという括りの中での『攻略』において、”何となく”流れで一緒にいるから付き合っていて恋人同士――なんて解釈はあり得ない。

 告白をする、されるの違いはあるが必ず愛の告白が行われる。


 己の内に燻る激情を言葉にし、好きだという事。


 それに成功することで初めて恋人同士という称号を得られるのだ。


 しかも告白はそれ自体がエンディングに直行直結するもので、恋人同士になった事を確認したらゲームとして一周が終わるケースが多いだろう。

 Finの単語が画面端に映って、攻略終了。達成感を味わう。


 ゲームの内容やコンセプトによってはシナリオ途中で告白シーンが入っているかもしれないが、ハッキリ言えることは「とりあえず何となく」ではいくら親しくても、思い合っていても恋人ではない。


 厳然たるルールとして聳え立っているのだ。


 

 このゲームも御他聞に漏れず、告白イベントが存在する。

 好みの性格でない場合ノーマルEDなので卒業パーティで悪役令嬢カサンドラを追放後、告白イベントに突入。

 成功すれば善し、そうでなければバッドな共通EDになってしまう最後のチェックイベントだ。


 好みの性格なら告白イベントが起こって恋人関係になるものの、その後黒幕王子へ立ち向かうための新しいルートが開け、聖女への覚醒イベントが発生。告白の先の展開が付与され、束の間の恋人期間をゲーム内で過ごすことが出来る。

  


 どちらにせよ告白は避けて通れない、いわば個別EDのための”通過儀礼”。




 そうか。

 まだまだジェイクを攻略したと言うにはまだ遠く、三合目あたりを登っているところだが。


 このまま順調に行けば――

 ゲーム内予定調和的に、そこで告白イベントが起こるのか。





 カサンドラは僅かな時間、瞑目した。


 



 この世界の強制力に自分は抗っていかなければいけない。


 王子の事ばかりが思い浮かんで胸が苦しくて仕方なかった。

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