第277話 信じがたいお話



問い


『急に笑い出した挙句、妙な話を続けてしまって申し訳ない』と書かれた紙を隣に座る王子に指し示された際、己がとるべき正しい反応は何か答えよ。




 ※



 どんな試験問題よりも難問ではないか。

 しかも難しいだけではなく時間制限が極めて短い問いかけを受けた事態に遭遇し、カサンドラは内心滝のように汗を流して思考を止めていた。



 目の前の二人の微笑ましいエピソードを聞きながら、どうしてこの状態で付き合ってないんだろうこの人たち? という根本的な疑念を抱きつつ。


 だがそれよりも――ジェイクの内心について語ることは止めようと強く誓っていたはずの王子がとても気になる。

 今まで見たこともない楽しそうな様子、ジェイクの反応を楽しむような言動をしたことに戸惑っていた。


 彼が急に肩を震わせて笑い出したことにも驚いたが、流石にその行動はジェイクを刺激し過ぎでは……とハラハラしていたカサンドラ。


 ようやく話が収まって、再び勉強に励みだしたその場の四人である。


 王子の唐突な行動に平常心がすっかり迷子だ。

 おざなりにペンだけは忙しなく動かしているものの、ちっとも頭に入って来なくて大層困った。


 そんな自分に追い打ちをかけるかのように、王子が一枚の紙をスッと横から滑らせて来たのである。

 全く予期しない行動に今度は耳ではなく目を疑った。


「カサンドラ嬢、このことなのだけど――少し訊ねても良いだろうか」


 彼は紙を差し出しながら言い添えた。

 パッと聞いただけでは、何かの問題について話しかけているようにしか聞こえない。

 だが白紙の紙の上段に書かれたのは問題でも単語でもなく彼の謝罪のメッセージ。


 驚愕でひっくり返るのを堪えて彼を見れば、王子は若干気まずそうに顔を伏せている。


 正面間近にジェイクとリゼが座っているために言葉で謝罪すれば、それを聞き咎めたジェイクの怒鳴り声が再現されてしまうかもしれない。

 折角収まった場が再度騒然とするのは望んでない、でも事情を知っているカサンドラに不快な思いをさせたのでは――そう彼が我に返って後悔したのだろう。


 だから王子は、こっそりとカサンドラに今の一連の会話に対する話題に対する謝罪を筆談と言う形で行ったのだ。


 幸い向かいの二人は勉強に集中し、時折分からない箇所をリゼが教えているという状況。

 特にジェイクも気まずいのかこちらを意識的に視界に入れようとしないので、王子の試みは成功したと言って良いだろう。


 王子の行動こそ、カサンドラには不可解だった。

 彼はジェイクの気持ちに大方気づいているけれども、敢えてつつくような真似をしないと言ったはずだ。


 自分には上手くいって欲しいと協力することは出来ないし、逆に妨げる権利もないのだから。

 不干渉と言い出したのは王子本人だ。


 だが明らかにジェイクの事をからかう口ぶりだったと、傍で聴いていたカサンドラにも感じ取れた。

 ジェイクに全く不似合いな縫いぐるみの意味を理解し、笑ってしまうなんて彼らしくない挙動である。

 彼ほどの冷静で思慮深い人なら、事情が判明した後でも素知らぬ顔で聞き流すことが出来たのではないか。


 いつまでも硬直しているわけにはいかない。

 カサンドラは決死の思いで、えいや、とペンを動かした。


『お気になさないでください』


 彼の文章の下に遠慮がちにカサンドラの文字が躍る。

 カサンドラは筆談などしたことはないが、同じ紙に自分の手で書いた文字と王子の字が上下に並んでいる状態。それだけで、心臓がバクバク音を立てている。



『ジェイクの反応があまりにも素直過ぎたから、調子に乗ってしまった。

 反省している』

 


 再度その文章の下に続く彼の言葉に、カサンドラは目を丸くした。

 黙ってもう一度横を見る。

 ――王子は目を伏せているものの、恥ずかしそうに頬の端を朱に染めているではないか。


 彼らしくない。

 ……そう、王子らしくない。


 でもカサンドラはその瞬間、彼の本心を僅かに垣間見たような気がして息を呑んだ。


 彼は完璧な王子様だ。

 外見は言うまでもないが、彼の言動は出来る限り誰に対しても平等で公平、相手を傷つけない。間違っても思い煩う人の心をぐりぐりと木の棒で抉るような真似などしない紳士だ。

 相手をわざと怒らせる失礼な事を言うこともない。



 でも彼は王子であると同時に、一人の男子生徒だ。

 彼個人の感情を持ち、人並みに面白い事を面白いと感じる一人の人間。


 気を許した親友が今までにない反応を見せている様が面白く、”つい”口が過ぎてしまう。

 笑い過ぎて彼に怒られそうだから言動を引っ込め、肩を竦める――

 普通の男子っぽい反応だと思った。

 

 実際、ジェイクの事を良く知っている相手なら、彼の感情は一切隠れていない事はすぐに分かる事だ。

 行動自体もストレートであからさまだし。

 もしも『人が人を好きになるとこういう行動をとる』という見本があるとしたら、ジェイクはまさにそのお手本通りの反応を示しているのだろう。


 以前ジェイクが王子のことで「柱にぶつかったのに人と間違えて何度も謝罪するところを見かけた」と言っていた。

 その時はまさか王子がそんなドジっ子のような事を……と上手く想像できなかった。でも今ならその姿がクリアにイメージできる。



 普段中々お目に掛かれない友人ジェイクの行動の意味を察し、可笑しく思えて口を滑らせた。

 ”王子としての彼”にとっては不適切で余計な干渉。ジェイクをリゼの前でからかうことに何の得もない。

 けれどジェイクの友人の立場なら――物凄く行き過ぎた言動とも言えず、調子に乗ったという言葉通り。


 だから彼は冷静になった後に慌て、軽率な言動だったと謝罪したわけだ。


 それまで戸惑うのみだったカサンドラに、ほんわかと暖かい想いがじわりじわりと広がっていく。

 湖に落とされた一滴の水が生み出した波紋のように、ゆっくりと。さざなみが生まれる。


 

 彼にこんな側面もあることを初めて知った。

 失言だの、調子に乗るだの。王子でもそんなことをしてしまうのだ、と少しだけ親近感がわいた――というのは、大変失礼なことかも知れないので口には出せないけれど。




『ジェイク様にあのぬいぐるみは似つかわしくないでしょう。

 王子のお気持ちご推察いたします』



 本来ならすぐにでも処分するだろう大きな無駄な置物を、室内にわざわざ置いているのだ。

 その違和感たるや尋常ではなかった、という彼の言葉もまた真実なのだろう。



 カサンドラが下の余白にそう書き込むと、王子は虚を突かれたようにその文字をしげしげと眺め――




「ありがとう」




 と、紙を裏返して自分の場所スペースに置いてしまったので、カサンドラの心は再度動揺に襲われる。





  王子が持ち帰るなら!

  もっと丁寧な字で書けばよかった!




 焦るあまり、文字が震えて歪んでしまったことを内心で後悔するカサンドラだった。





  ※




 人間である以上、何時間も延々と集中力を発揮することは難しい。


 少なくともカサンドラは勉強が大好きで、無我夢中でしがみついて気が付いたら日が暮れている――なんて学者肌のタイプではないので余計に。


 一回休憩を挟もうという王子の提案は有り難く、どうしても解法を思いつけない問題を一旦置くことにした。

 心身ともにリフレッシュすれば思考も柔軟になって解けるかも知れない。



「なんだ、アーサー。小難しい顔して」


 ジェイクの指摘通り、王子は少しばかり表情を曇らせて何事か思案しているようだ。

 もしかして先ほどのジェイクとのやりとりへの後悔を引きずっているのだろうかと思ったが、流石に違う件のようだ。


「試験が終わった後の予定を考えていると、少々、ね」


「あーーー。聞くんじゃなかった。考えたくない」


 心のそこからうんざりした様子で、ジェイクはコーヒーの入ったカップを大きく傾け一気に飲み干す。

 苦虫をかみつぶしたような渋い表情になったのは、コーヒーの苦みのせいではないだろう。


「そんなにお忙しいのに学園に通うって本当に大変ですよね」


 リゼの言う通りだ、とカサンドラも頷く。家の領地運営に関わっている生徒もいるし、忙しい生徒は王子達だけではないけれど。

 本来学園に縛り付けられていてはいけない立場の生徒も少なからず存在するという事に変わりはない。


「そりゃ学園に通わなかったら楽なのは楽だろうな。

 ……ん? 少し前に学園制度を廃止しようって話もあったんだっけ?」


 ジェイクは過去を思い返すように視線を天井に向け、とんでもないことをポンと口にした。

 「ええ!?」と、リゼとカサンドラは同時に声を上げて唖然と口を開いてしまう。


 学園制度を廃止!? そんな馬鹿な!?


「学園がなくなるのは……困ります!」


 リゼの悲痛なうめき声にも似た声。

 もしも学園がなくなってしまったら、リゼ達は当然元の暮らしに戻る。

 カサンドラはおろか、ジェイクと会う事も出来なくなって縁が切れてしまうだろう。

 彼女リゼの全身がわなわなと打ち震えるのも理解できる。


「リゼ君、落ち着いて欲しい。

 その話は立ち消えになったから大丈夫。

 今後も学園制度は続いていくよ」


「そ、そうなんですね。良かった……」


「案が浮上した時は『通れ通れ!』ってめっちゃ応援してたの思い出した。

 口にはしてないけど」


 そりゃあジェイクは学園に通うことに意味がないと思うタイプだからさもありなん。

 勉強嫌いだし。学園に入れば女子生徒に群がられるのは簡単に予想できる、むしろ通いたいと思う理由がない。


「何故学園制度の廃止案など?

 由緒正しく歴史ある学園はクローレス王国の象徴でもあるはずでは……?」


 カサンドラも俄かには信じられない話だった。

 いくら今は立ち消えた話とは言え、まともに案として話し合われたということが信じがたいと思ったのだ。


「……実はそれを言い出したのが陛下でね」


 王子は申し訳なさそうに言う。自嘲気味な彼の言葉に、カサンドラの衝撃は留まるところを知らなかった。


「国王陛下が?」


「正確には――地方貴族達からの陳情と言えばいいのかな」



 十五歳から三年間、通う条件に当てはまる貴族の子女は必ずこの学園に通わなければいけない。

 それはとても名誉なことであると同時に、地方の貴族、有力者にとっては多大な負担となるものであった。

 子どもの大切な時期の三年間を、親の目の届かないところに預けなければいけない。まるで人質ではないか。

 せめて義務ではなく”権利”にしてもらえないかと冀う声が上がったのだという。


「もしくは今のような共学の形ではなく、問題の起こらない男子校と女子校に完全に分けて交流を禁止するという案――」


 ドキッとした。

 見目麗しい地位の低い女子生徒が何人も脳裏に過ぎるが――そういう訴えが起こったという事は学園側の関与していないことで不適切な事件が過去にあった、ということだろうか。


「え? そ、それも困るというか……」


 リゼはわたわたと両手を振って口籠る。


 今すぐそうなると言う話でもないだろうに、想像したらあまりにも今と勝手が違い過ぎて戸惑ってしまうのはカサンドラも同じだ。


 面倒な諸々の事情を抱えるくらいであれば、いっそ学園そのものの意義を考え直し一旦制度を廃止しようと国王が会議の議題として発起したらしい。



 あの王様、大らかゆえに面倒な話苦手そうに見えたしな……

 ごちゃごちゃと面倒なことが続くなら、いっそ患部ごと切り離せば手間が無い、とか考えそう。



「学園にかかる経費も莫大だからね。

 官吏達もその話にかなり関わっていたとも聞くけれど……やはり、諸々の状況を考えた結果現状維持が望ましいという結論に終わった。

 ――私もその判断は正しいと思っているよ」


 王子は爽やかな笑みを浮かべ、はっきりとそう言い切った。


「地方だけの話だけではなくて、中央も三派閥に分かれて殆ど交流がないと言っていい。

 ……国にとって重要な人物たちが互いに交流を持たないままという状況は決して良いとは思えない。

 共に過ごし相手を理解する機会を設けることで、解ける誤解や消える風評もあるだろう」


 いつだって社交界は”噂”で動く。

 自分にとって都合の良い話を吹聴し、ライバルを蹴落とすような悪評を仕込む事も多い。

 実際に会ったことが無くてもそういう人なんだ、と思い込ませることは容易い事なのだ。


 ……例えばカサンドラが地方に住んでいて、自分の実態を知らない人間が――ないことないこと噂に流せばそれが一つの実像として結びつくように。


 でも何年も同じ学び舎で過ごしていれば、互いの理解は確かに進む。


 実体のない噂を流されても、実際に会ったことがあれば易々と流される事もない。

 ドレスを纏って戦う戦場で互いを欺き合うのではなく、舞台を生活の場に落としこむことで相互理解を育む、と。


 理想通りに進めばそうなるという話で、現実は過酷だ。

 地方の貴族が子供をあそこに送り出したくない、と国王に陳情するほどにはプライドを傷つけられる居心地の悪い場所だ。

 ベルナールのような半端者の立場が猶更身に詰まされる。

 そりゃあ、拗ねてああも捻くれてもおかしくない。


 理想は理想でも、あるとなしでは可能性は天地の差だ。

 王子はその機会を設けたいから、今の学園制度の継続に賛同しているのだろう。



「俺も勉強しに通うとか絶対嫌だったけど――

 実際通い出したら見方も変わるし面白いこともあるしな」


 そしてカサンドラの方を見て、薄く笑った。


「お前に対する印象もあのままだっただろうし?」


 互いの頭の中では、入学当時のギスギス空間が呼び起されている。

 この学園に通ってカサンドラという存在を分かってもらう時間がなければ?

 話し合うことさえ出来なかったら?


 今でもずーっとジェイクはカサンドラを『いけ好かない意地悪で高飛車な嫌な奴』と思い込んでいて。

 挽回の機会もなく、王子との婚約話を妨害に動かれていた可能性が高い。


 今はジェイクを始めラルフやシリウスとも完全に仲良しというわけではなくても、つかず離れずの良い関係でいられていると思う。



「数年前に父が制度廃止を言い出した時は驚いたけれど、こうして皆と学園生活を送ることが出来て良かったと思う」 




「本当に、話がなくなって良かったです……!

 私達庶民にとっては王立学園は最後の希望と言いますか。

 唯一、真っ当な努力で夢を叶えられる場所ですので……!」 



 リゼは真剣な面持ちで頷く。

 学園がなくなれば特待生もない。――ジェイクとこうして親しくなることなど絶対出来なかった。







 ここがゲームの舞台だから制度が廃止されるなんて絶対あるはずもないのだけど。

 その前提が無ければ肝が冷えるどころの話ではない。



「わたくしも皆様とご一緒できて大変光栄に思います」


 心の底からそう思い、万感の想いが溢れ出た。 





「そういえば、カサンドラ嬢。

 しばらく同じ問題に挑戦していたようだけど、解法は思いついたかな?」


「……!」


 唐突な王子の話題転換に、カサンドラは口につけていたカップを揺らす。

 危うく紅茶を零すところであった。


「もう少し考えてみます」


「一つ思い当たる公式があるから、それを使って後で一緒に解いてみるのはどうだろう」



「あ……ありがとうございます!」



 王子のキラキラ爽やか笑顔を横に、カサンドラは一も二もなく飛びついた。

 こちらの事を気にしてくれていたのかと思うと、恥ずかしいやら情けないやら。

 でも嬉しい。



 嬉しさを噛み殺して必死に感情を抑えていると、視線を感じて前を向く。




 ニヤッと笑っているジェイクに気づいてしまう。



 彼にからかいを含んだ視線を向けられるとは……! 不覚だ。



 カサンドラは複雑な想いを抱え、紅茶のカップをソーサーに静かに置いた。

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