第276話 <リゼ>



 ――物凄く、食い下がってしまった……。



 カサンドラに窘められるまで、リゼは自分が王子やジェイク達に分不相応極まりない台詞で言い募ってしまったことに気づく。

 あんな風に強い口調で詰め寄るなんて、身の程を弁えない偉そうな発言だ! 後悔することしきりである。


 椅子に座り、勉強の用意を始めながらも既にリゼの精神はごっそりと削られていた。

 まだ何も始まっていないのに。




 ……手編みのモノが燃やされる……




 その状況が耐えられなくて、つい嘴を挟んでしまった。

 別にリゼ自身がジェイクのために何かを手作りする予定はないが、”一般人の手編み”なんて、と彼らに十把一絡げにされたくなかった。

 ここにシリウスがいればもっと切羽詰まった形相で詰め寄っていたかも知れない。




『お誕生日おめでとう!』


 お互い様の、誕生日。


 自分達三つ子の間で普通に交わされる会話だ。

 しかしながら、リゼは今まで誕生日なんて今まで何の感慨も興味も特別感も抱かないただの一日という態度を崩さなかった。


 同じ誕生日だし、面倒だからプレゼント交換は無し!


 リゼが一方的にそう宣言して早数年が経過しただろうか。

 リタとリナが贈り合っていることは知っていたし、それに対しても寂しさなんて感じなかった。

 煩わしいというわけではない。ただただ、無意味だと思っていた。


 誕生日プレゼントが等価交換とするならその分のお小遣いを相手に遣ったと見做し、自分の欲しいものを選んで買えばいいじゃないか。

 自分がその時欲しいものは自分が一番よく知っている。 


 毎年毎年、お互いに何が欲しい? と言い合うのは非効率だと本気で思っていたのだ。


 だから今年も当然リナ達はそれぞれプレゼント交換をするだろうが、リゼはそれに関わらない――はずだった。



 自分の欲しいものは、自分が一番、知ってる。



 リナはいつもの優しい微笑みとともに、リゼに一枚の服を贈ってくれた。

 こちらは当然何も用意していないというのに。


 何の見返りも期待するわけではなく、『リゼが冬に着る服がないって言ってたから、ついでに編んじゃった』と笑う彼女は――リゼの目には女神としか映らなかった。

 ジェイクからの誕生日プレゼントとはまた別枠の特別の喜びを感じたものだ。


 欲しいもの、だけどどうしても自分で買えなかったもの。

 自分が買おうと思っても似合わないからと、恥ずかしくてとても買えない可愛い服。

 欲しくても無理だと諦めていたものだ。


 リゼの事を気にし、そして彼女が自分のために考えてくれたセーター。

 感動したと言っても過言ではない。



『……ありがとう!』



 恥や外聞などその時は一切考えず、リゼは半分泣きつくような形でリナに抱き着いた。

 同じ部屋にいたリタには「なんでタックル!?」と驚かれたけれど、礼が言葉にならず、彼女の思いやりの詰まったセーターがとてもとても嬉しかった。



 こんなに上手に編めるなら、シリウスにも編んであげたらいいのに。


 リタと二人でそう勧めたが彼女は困った表情で首を傾げた。



『まだそんなに親しくもないのに、手編みはちょっと……

 でもいつかプレゼント出来たらいいなぁって思うわ』



 恥ずかしそうに微笑む彼女の顔が脳裏に過ぎる。



 そんなリナの心を粉微塵に粉砕しかねない恐ろしい顛末が繰り広げられ、リゼは黙ってなどいられなかった。


 呪いのアイテムじみたセーターと、リナの想いの籠った手編みの贈り物が同列扱いなど絶対に認められない。

 今後もしも彼女がプレゼントする時に、このことが障壁になってそもそもシリウスに受け取ってもらえないなんて悪夢ではないか。


 どうかその認識を覆して欲しいと、せめて友人の王子やジェイクに訴えたかったのだが……


 リゼが余りにも必死過ぎて王子も困ったに違いない。


 カサンドラの呼びかけが無ければもっともっと、手編みの素晴らしさを代弁していただろう。

 それくらい、リゼは気持ちに余裕が無かったのである。


 ジェイクを蒼褪めさせるようなアイテムを無理矢理渡されたシリウスには、お気の毒様としか言えないけれど。





 ※





 リゼは大きく深呼吸をした。

 自分が着て来たこのセーターを発端に、この場に集まった彼らの貴重な時間を割くわけにはいかない。

 カサンドラに褒めてもらえたのはありがたいし、実は彼らが手編みのプレゼントが苦手なのだという情報を仕入れる事は出来た。

 これ以上場を乱すわけにはいかない。


 ジェイクの隣の椅子に座り、ピカピカに磨かれた真っ白なテーブルに仰け反った。

 俯けば自分の顔が反射して映り込んでしまうその机に、慌ててノートや教書を覆うように被せてしまう。

 鏡を見るのは元々好きではないけれど、不意に下から映る自分の姿程見たくないものはない。


「そ、それじゃあ始めましょうか」


 リゼはそう言いながらチラっと前方を視界に入れる。

 カサンドラと王子は既に並んで着席、それぞれ集中し、粛々と勉強を続けているようだ。

 

 王子とカサンドラの二人が揃っている姿を見るのは珍しい事ではない。

 だが、同じテーブルというこんなに近い距離で、姿勢正しく手許に視線を向けてペンを走らせる二人の姿はいっそ神々しい。


 勉強中は視線を伏せることになるが、普段見かける事のない王子の姿だ。

 王子が真剣な表情でノートに何かを書き込んでいる姿は、彼の大ファンというわけでもないのにドキドキする。

 こんな現人神あらひとがみのような青年の真横で、よくもまぁ平然とした様子で集中できるものだと改めてカサンドラに尊敬の視線を向けた。


「そうだな。

 ……じゃあ、早速だけどさ」


 先ほどまでの騒々しさなど、すっかりなりを潜めた左隣に座るジェイクは自分が持ってきた教書をパラパラとめくった。


 リゼとて全くの無策で訪れたわけではない。

 恐らくジェイクが引っ掛かるであろう箇所はピックアップしてきたつもりだ。


 この勉強会に並々ならぬ意欲を以て参加しているリゼ。

 一学期の時にジェイクに期末試験の対策ノートを作った時に分かったことは、対策のための勉強準備を行うことはリゼにとっても有益な復習になるということだ。

 漫然と覚えているだけでは、相手に教えることなど出来ない。


 あのノートを作ると同時に理解が深まり、実は自分も未解消だった項目を総浚いすることが出来たのだ。

 だからこそ日常、勉強に根を詰めていなかったにも拘わらず自信を持って試験に臨めて良い結果を残せたわけだ。


 一方的に相手に教えるだけでは自分の勉強する時間がないという見方もあるが、リゼはジェイクのためが七割、残りの三割は自分のために勉強会に参加することを決めた。

 今日という一日を遣って、ジェイクの持つ教書の中で重点的に復習すべきポイントに全部栞を挟み込む気満々でこの場にいる。



 だが少しばかり面食らったのは、既にジェイクが教書にいくつもの栞を挟んでいた事だ。

 それ自体はおかしなことではない。


 勉強会の事前にやるべきことを自分で抜き出してくるのは当然のこと。

 だが――あまり勉強について前向きではない言動だったジェイクが、積極的に事前準備していたのかと思うと隔世の感があるではないか。


 彼は所謂「馬鹿」ではない。

 勉強時間や意欲が少々足りないだけで理解力はある人だ。

 丁寧に教えればそれを覚えてくれるのだし、途中で投げ出すこともない。

 普段武術で鍛えた精神力や我慢強さが起因しているのだろうが……


 以前、リゼの剣のことで上位に入るだなんて宣言をしたが、まさかそこまで成果を出せるなんて考えていなかった。

 でも彼は本気で実現しようとしているのかなと、そう頭を掠めるくらいには目を瞠る現象だったと言えるだろう。


 とりあえず彼が現状把握していない単元を重点的に。

 ――集中しているカサンドラ達の邪魔にならないよう、こそこそと小声でペン先を白紙のノートに走らせる。


 歴史や政治学の事は後からいくらでも調べることが出来るだろうし、とりあえず算術から疑問点を潰して行こう。



 リゼがノートに書いた計算式のいくつかを彼に渡し、それを解いてもらう。

 そのやりとりは毎週幾度も行っているので、スムーズに移行できる。

 

 彼が算術に四苦八苦して眉間に皺をよせ考え事をしている横で、リゼはジェイクが栞を挟んでいるページを見せてもらうことにした。

 やっぱり地方の歴史にはとんと疎い人だなぁ、などと最初から分かっていた事をもう一冊の自分用のノートに書き写す。


 今現在彼が補足を求めている単元だけをざっとメモして、優先度の高い順に問題形式で解いてもらって……


 今後の予定を組み立てていると、不意に視線を感じて顔を上げる。

 王子と目が合った瞬間、リゼはスラスラとノートに走らせていたペンの動きを一旦止め、息をヒュッと呑んだ。


「お、王子……?

 申し訳ありません、うるさかったですか!?」


 勉強会と言えば、今のカサンドラや王子のように個々人でやるべき範囲や内容を定めて同じ空間で切磋琢磨することも含まれる。

 むしろリゼやジェイクのように家庭教師状態であれこれ一方的に教えるという構図は王子には不慣れで、話し声が耳に障ったのでは!?

 と、全身がビクッと震えた。


「ああ、いや、違うんだ」


 彼は手を左右に緩慢に振り、未だに計算に格闘するジェイクを一瞥する。


「ジェイクがこんなに真面目に言うことを聞いて勉強する姿を見て驚いただけだから。

 今までの彼の家庭教師が見たら卒倒しそうだなと」


「余計なこと言うなって」


 半分以上揶揄の入った台詞だが、それは率直な王子の感想でもあったのだろう。


 普段教室での王子達は、各々話しかけてくる生徒達の対応をするばかりだった。互いに友人としての会話を多く聞いたのはお茶会前の中庭での会話が初めてだったのではないか。


 王子が改めて個人的な会話をしている様子が物珍しくてしょうがない。


 更に王子の視線がリゼの手元に向かっていることに気づいてしまう。

 王子もまた、リゼが気づいたことに気づいたようで――不思議そうに首を傾げ、問うてきた。


「リゼ君が使っているその羽ペンは、もしかして武術大会に用意した景品かな?」


 ギャー、と心の中で悲鳴を上げた。

 必死になって弓の練習をし、的に当てたはいいものの結局目当ての景品をもらえなかった事を思い出す。


 あの真っ白に燃え尽きた記憶がまざまざと蘇り、リゼは完全にフリーズしてしまった。


 同じテーブルを囲んで勉強をしているのだ、相手の持っているペンも自然と視界に入るもの。リゼの使用しているペンは男子生徒用の景品だが、とても書きやすく気に入っている。


 ……しかもこれはジェイクにわざわざ景品を交換してもらった、自分にとって思い出深いペンだ。

 教室での授業には勿体なくて使えないけれど、ジェイクの家庭教師をする時は出来るだけ字が丁寧に書けるようこのペンを利用している。


 それが裏目に出てしまったようだ。

 王子の不思議そうな視線がチクチク痛い。


「わたくしが担当した弓術体験の景品で間違いございません。

 リゼさんが女性用の景品ではなく男性用の景品を強くお求めになっていたところ、偶然同席されたジェイク様が自分には必要ないものだからと交換して下さったそうです」


 カサンドラも困ったように微笑み、王子に説明してくれた。

 細かい経緯を切々と訴えてもしょうがないが、要はこのペンは本来ジェイクのもらうべき景品だったことは伝わったようだ。



 するとしばらく王子は瞑目した。

 そして、急にカサンドラの座っていない方向を向き、微かに肩を震わせている……?


 小刻みに震える王子の表情は見えないが、もしかして怒りに震えているのかとリゼは生きた心地がしなかった。


「アーサー、お前なぁ」


「王子、どうかなさったのですか?」


 ジェイクとカサンドラの、それぞれ全く感情の異なる声が重なる。


「い、いや、失礼。

 これであの不可解な現象の謎が解けたと、つい……」


 くくっ、と喉の奥でくぐもった笑いをこらえる王子。

 失礼、と言いながらもその表情はちっとも悪びれているわけではなかった。


「不可解な現象……ですか?」


 カサンドラも事情が見えず、怪訝顔。



「この間寮のジェイクの部屋に入ったら何故か大きな熊のぬいぐるみが置いてあった事を思い出してしまった。

 あの違和感たるや尋常ではなかったし、違和感の大きさゆえに逆に事情を聞くに聞けなかったのだけど……

 成程、元々リゼ君の景品だった、と」



「アーサー、お前いい加減にしないと怒るぞ」



 机の下でガンッと僅かな音がしたが、王子は素知らぬ風で再び正面を向く。

 既に彼の表情はいつものアルカイックスマイルに戻っており、肩を震わせる勢いで笑いを堪えていた姿は一瞬で掻き消えていた。

 


 大きなデフォルメされた可愛いくまのぬいぐるみの事を今になって思い出す。

 あんな縫いぐるみなど彼には一切興味もないだろうし、既に処分されているものと思い込んでいた。

 だが言われてみれば、一旦自室に持ち帰ってしまえばあれをそこから移動させるのも面倒だと推測できる。

 捨てるのも難しいなら、使用人や従者に下げていてもおかしくないだろうに。



 そうか、捨てずに置いてくれているのか。



 未だにあの大きなぬいぐるみが彼の部屋にあるのかと思うと、確かに王子がパッと見て絶句した理由も良く分かる。

 似合うかに似合わないかで言えば論ずるまでもなく、全く異なる次元に存在する者同士という関係性にしか見えないから。


 彼らのために建てられた特別寮、その広さは大概だとも聞く。

 あのぬいぐるみが一つ増えたところで、単なる変わったオブジェに過ぎない存在感なのだろう。

 リゼの部屋にあれがあったら、置くところがなくて大変困るところだった。

 チェストの上のものを全部処分しないとあの大きさの縫いぐるみは飾れない。


 


 これ以上ジェイクをつついてもしょうがないとばかりに再び王子は続きに移る。

 ジェイクも彼を睨みつけていたが、大きく溜息を落とした後に計算問題に再度挑戦。


 カサンドラは特に表情も変えることなく、涼しい様子で何事もなかったかのように教書に視線を走らせる。



 自分ばかりがそわそわと落ち着かず、何だかとても据わりが悪い。



 集中しようにも、今手に持っているモノがそのペンなのだから。

 これで気にせず平常心でとりかかれというのも中々の無理難題だ。




 三人分のカリカリとペンの走る音だけが部屋を静かに埋め尽くす。

 本来心地よいはずの音なのに、今だけは自分を悶えさせ苦しめる地獄の楽曲にしか聞こえない。




 駄目だ。

 このままでは、思考が沸騰して溶けたままだ。


 継戦不能なんてとんでもない、まだ今日は始まったばかり。

 このまま落ち着かず集中できず、時間を無駄にするわけにはいかない。




 リゼは何気ない仕草で筆記具入れに手を伸ばす。

 ――予備のペンと取り替えた。





 王子の気を逸らすような筆記具がこの場にあってはいけないのだと、己に言い訳しながら。

 

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