第275話 呪いのアイテム


 メイド長のナターシャから指導を受け、漸く二十センチ程の長さの布を毛糸で編むことが出来た。

 単純作業の繰り返しだと彼女が語る通り、二段目からは編み目を数えながら編み棒の先を動かせば良い。

 最も簡単な編み方という通り、カサンドラも気分よくスイスイと編むことが出来るようになった。


 それでも二日掛けてニ十センチしか編めていない事に吃驚だ。

 カサンドラは自分が思っている以上に几帳面な性格をしていたようで、少しでも編み目にズレがあると気に入らなくてその段をすぐに解いてやり直してしまう。


 単調な編むという作業でも、力加減が変われば編み目が不均一になってしまう。

 いきなり目が飛んでしまうのは論外としても、コツを掴んだからと手早く進めようとするとそれまでの段と比べて幅が狭くなってしまったりして落ち着かない。


 何度も何度も編み直していれば誤って毛糸に棒先を突っ込んでしまって縒っている糸を解してしまった箇所が出来――大変不格好な仕上がりとなってしまう。


 まだ単一の毛糸だからいいが、ここに別の色を混ぜたり模様を描くとなったら一体どうなってしまうのか。

 初心者だからイメージ通りの仕上がりなど難しいと分かっていても、こんな不器用な自分で王子にマフラーが編めるのかと先行きに暗雲が立ち込めている。



 ――王子に似合うだろうマフラーはいくらでも思い浮かべることが出来るのに。それを形にする力がない事が口惜しい。




 ※



 ようやく一歩だ。

 王子へ贈るプレゼントのマフラーを編む練習をするのはとても楽しく、甲斐がある。


 だが残念な事に思い立った時期が悪かった。

 丁度、二学期末試験勉強期間に突入。


 二学期末試験の出題範囲を告知され、試験が終わるまで生徒達は避けて通れぬとばかりに真面目に机に向かうことになる。

 選択講座の内容は試験に直接関係ないとはいえ知識とは複合的に結びついているもの。

 そう言えば地理の選択講座を受けた時、こんな話もあったなぁ、と記憶を掘り起こしながら試験範囲を眺めるのは楽しかった。


 日曜日が勉強会当日という事も有り、ザッと全体を見渡し自分が苦手だと思われる箇所をピックアップしておく。


 特に算術は基礎は出来ても応用が苦手という、素のセンスが壊滅状態なこともある。

 勉強会では算術メインで問題を解いていくことにしようか。

 でも政治学の記述式問題の解答を考えたら、王子に教えてもらった方が効率が良い気がするし。

 

 しかも、自然と王子に教えてもらうことばかりが頭に浮かんでしまうのだから情けない。

 歴史はお任せください、と胸を張って言えれば良いのだけど。

 カサンドラがギリギリ「得意」と自信を持てる歴史学、王子は自分よりも精通していると既に知ってしまっている。

 自分如きの教書を浚っただけのような浅薄な知識では恥を掻くだけだと容易く想像がつく。


 勉強会とは、お互いに分からないところを教え合うのが前提ではないだろうか。

 自分の勉強時間を犠牲にして、ただ教えるだけの時間なら――王子にとって無為な時間になってしまわないか?


 王子を家庭教師扱いするつもりはないのに、いざ勉強会が目前に迫ると緊張で足が震えて来た。

 今日は朝から冷え込んで寒いということも原因の一つだろうが、暖かい場所にいてもカサンドラの足先は微かに震えている。


 王子に幻滅されるのだけは嫌だなぁ。




「今日は宜しくお願いします!」


 今、カサンドラは暖かい馬車の中。

 大きな鞄に教書や資料、ノートと筆記具を詰め込んでカサンドラとリゼは馬車に揺られている。 


 正面には、やる気満々で拳を握りしめるリゼの姿がある。

 彼女は水を得た魚状態、むしろキラキラと希望に満ちた一片たりとも心配の欠片もないまなこで表情を綻ばせている。

 女子寮まで彼女を迎えに行き、すぐ傍の餐館まで向かう。移動時間は僅か。

 軽い挨拶を終え、今日の意気込みを語る彼女を眺めるだけであっという間に到着だ。


「リナさんはこちらの餐館でメイドのアルバイトをされているのですよね?」


 大通り沿いの立派な門構えのお屋敷。

 リゼと一緒に館の中に入り、煌々とした灯りで照らされた廊下を並んで歩く。

 使用人に先導されるまま、食堂の扉を更に奥に進んでいった。


 王都に点在する彼らのために建てられた餐館は、どれも同じような構造を持っているのだろう。

 遊戯室の入り口も視界に入り、シャルローグ劇場近くの餐館を思い起こさせる内部構造になっていた。


「そうですけど、流石に試験期間中のバイトはお休みって言ってました」


 リゼの返答にホッと胸を撫でおろす。

 常識的な回答で助かる。


 彼女がもし今日、ここでアルバイトをしているなんてことになったら――間違いなくシリウスまで顔を出して来る。

 主人公の運命力を甘く見るなどとんでもない、主人公のいるところ狙っている攻略対象の影があり、だ。

 シリウスのことが嫌いなわけではないが、ここでギスギスしたお通夜状態の勉強会になることだけは避けたい。一片の私語も許されなくなる。


「リナさんはお部屋で試験勉強をされているのですか?」


「今日一日、引きこもって頑張るとは言ってましたよ」


 リナの試験順位も決して楽観出来るものではない。

 この二学期末の試験ではもう少し順位を上げておかないと、来学期が恐ろしい。


 あれだけ勉強関係に極振りしたスケジュールを組んでいるというのに、それでもなお順位が平行線などということになればシリウス攻略が絶望的になってしまう。

 やればやった分だけパラメータは伸びるはずだが、元々上がり幅は苦手分野だけに大変低い。


 毎回選択講義で低い乱数数値ばかりの成果しか積めていないなんて事があれば……と嫌な想像が脳内を巡った。



 リゼがここまで剣術パラメータを伸ばし、結果を出したように。

 リナもここで一つ、大きなインパクトを残す成果を出してシリウスの好感度を上げてもらわなくては。



「――こちらでございます」


 案内役のメイドが一礼し、大きな扉の脇に立つ。

 すると扉の前に立っている体格の良い男性が無表情のまま頷き、ゆっくりと部屋の扉を開けたのだ。

 帯剣しているこの青年は護衛なのだろう、たかが勉強するためだけの集いなのに物々しいことである。



「よく来てくれたね、カサンドラ嬢。リゼ君」


 扉を開けてすぐ、広々とした空間が目に飛び込んでくる。

 窓が多く採光も申し分ない。

 暖炉によって程良く暖められているのがありがたかった。


 真っ白な長方形のテーブルは磨き抜かれた大理石でできているのだろうか、覗き込めば鏡のように調度品が映り込んでいる。


「ごきげんよう。この度はお声がけを頂戴し、真に恐縮でございます」


 室内の暖かさと、使用人達が近づいてきたことに吊られ、着込んでいたコートを脱いだ。

 厚手のベージュのコートを恭しく手に掲げ、彼女達は席の方へとカサンドラを促す。


「あ、私の上着も預かっててもらえるんですか? すみません」


 完全に他人事のようにこちらを見ていたリゼが、使用人が傍に控えているのを見て取って大変慌てた様子だ。

 いそいそと黒い上着を脱いで、申し訳なさそうにメイドに手渡した。


「まぁ、そのお洋服……とっても可愛いです」


 何気なく眺めていたカサンドラは驚き、感嘆の声を上げてしまう。


 リゼはセーターを着ていた。

 もこもこで暖かそうな白いセーター。無地ではなく、黄色と赤の幾何模様を組み合わせたチュニックセーター姿だと初めて気が付いたのである。


 真っ白な白い毛糸をベースに、赤や黄色で複雑な幾何模様を編みこまれたセーターだ。

 本来腰までの丈しかない上着である。だが彼女が着ているものは腿の辺りまで裾が長く、短いワンピースだ。

 何の変哲もないズボンを穿いていると思って気づかなかったが、この組み合わせは大変女の子らしくて彼女に良く似合っていた。しかも袖が長め。少し余った布地の膨らみが彼女の華奢さを一層引き立てている。


「そ、そうですか!?

 ありがとうございます!

 ……実はこのセーター、リナが編んでくれたんです。リタももらってましたよ!」


『手編み?』


 その場にいるリゼ以外――カサンドラ、ジェイク、そして王子の声が重なって彼女のセーターに視線が集中する。

 とても素人が編んだとは思えない完璧な仕上がりに目が丸くなるのも当然だ。

 こんな複雑ながらも可愛らしいアクセントの模様、今のカサンドラでは逆立ちしたって編むことは出来ない。


「リナさんの、手編みのセーター……」


 カサンドラは自分が勘違いしていたのだと悟る。

 以前、シンシアが『リナもセーターを編んでいる』と聞いた時、話の流れでシリウスのために編んでいるのだと思い込んでいた。

 あの青年に手編みのセーターを贈ろうとか勇者としか思えないリナに恐れ戦いたものであるが、成程。


 実は――リゼ達のために編んでいたセーターだったのだ。

 採寸などしにいかなくとも、三つ子で同じ体型だからこっそり秘密裏に同サイズで編むことが出来る。


 彼女リナのセンスはファンシー系なので、出会った当初のリゼなら中々袖を通せないだろう可愛いデザインだ。

 ワンピース型のチュニックセーターは確かにリナ達によく似合う。


 カサンドラの目から見ても、着ている服一枚でこれだけ雰囲気が変わるのだなぁ、と感心してリゼを眺めていた。


 すると突然、ジェイクがリゼにずかずかと近づいていく。

 いくら柔らかい絨毯のお陰で足音が殺されているとはいえ、無言で近づいてくるのは大変迫力があるので止めてもらえないだろうか。


 そんな呑気な事を考えていると。


 彼は急にリゼの肩当たりのセーター生地を――軽く抓んだ。




「………はぁ!?」




 予想もしない彼の奇行にリゼも完全に固まってしまったし、カサンドラも面食らう。

 だが彼は真面目な顔でセーター生地を抓んで何かを確認しているかのようだ。

 十数秒程経って、ようやく彼は「そりゃそうだよな」と自分だけ納得して大きく頷いたのだ。


「ジェイク様……?」


 いくらなんでも、女子の服を摘まみ上げるのはどうかと。

 そりゃあ厚着をしているし、肌に直接触れたわけでもないけれど。不審者的行動にも程がある。


 リゼの可愛さのあまり気でも触れたか? とカサンドラは一歩後ろに退いた。


「いや、手編みって言うとどうもなぁ。

 中に髪の毛とか混入してないかって恐怖が……」


「……。

 実は少し前、シリウスが特待生の一人から――一着のセーターをプレゼントされてね」


 ジェイクの信じられない行動をフォローしなければいけないと思ったらしい。

 王子が少し困った表情で話し始めた。


「ええと。その特待生ってリナ……じゃないですよね?」


「いいや、別のクラスの女子生徒だよ」


「あれはプレゼントって言うより無理矢理押し付けられただけだろ?」


 下校するところを待ち伏せされ、「これ、もらってください!」とぐいぐい胸元に押し付けられて受け取らざるを得なかったシリウス。

 中身はどうやら手編みのセーターだったようだが……


「流石にさぁ、あれはないよな、アレは」


 ジェイクが珍しく、ぞっとした表情で当時の事を思い出したのか身震いしている。


 一目一目想いを込めて編み上げた一枚のセーター。

 ――己の長い髪の毛をふんだんに混ぜた、まさしく執念と言うか呪いそのものを具現化させたような重たい重たい手編みのセーターだったのだ。


 シリウスはおぞましさにぞわっと全身震わせ硬直し、それを目の当たりにしたジェイクは、手編みって怖い! と刷り込まれてしまったわけだ。



「しかも毛糸の色がどす黒く染まってるところがあってさ、あんな世にも恐ろしい服を見たのは初めてだったぞ。

 そりゃシリウスも秒で『燃やす』って言うだろ」


 冗談でも怪談でもなく、そんなまさに生命の全てを注ぎ込んだかのようなセーターがあったらそれは強烈なインパクトだろう。カサンドラも見たくない。怖い。


「もう、リナがそんな不快な事をするわけないじゃないですか」


 シリウスもとんでもない女性に付きまとわれているのだな、と。憐憫の情を禁じ得ない。


「だよなぁ。

 ……悪かったって」


 恋い焦がれすぎて呪いとしか呼べないセーターを渡すとか。本人は決死の覚悟だったのだろうし、男性へのセーターを編むなんて手間暇をかけているのだ。

 好意しか籠められていないはずのプレゼントなのに。

 まさか異物を混入しようなんて思いついて実行してしまうなんて……間違った方向に想いが暴走しすぎている。


 しかしセーターでまだ良かった。

 これが食べ物だったとしたら、毒を盛ったのかと捕まって縛り首になってもおかしくない。




 しかしその女子生徒、何と余計な事をしてくれたのだ。


 内心、カサンドラは歯噛みした。


「王子やジェイク様は手編みの贈り物に馴染みが無い物でしょうが……

 シリウス様のもらったようなものをあげる人なんて、普通いませんから!

 手編みというだけで燃やしたら駄目ですよ!?」


 リゼの言葉にぐさーっと背後から斬り伏せられた。



 燃やされるって?  ……手編みは……燃やされる!?



 ドッドッドッっと鼓動が早くなり、自分の考えている手編みのマフラーがぼうぼうと燃え盛る暖炉にくべられる光景が浮かんだ。

 立ち眩みでその場に倒れないようにするのが精一杯である。




「リゼ君の言う通り、シリウスの行動は少々短慮が過ぎたと私も思う。

 ……好意で贈ってもらったものだからね。

 受け入れられないと思えば正直に本人に返却するべきだっただろう。

 それに――私達が今着ている服だって、職人の”手”によって作られたもの。

 リナ君のように裁縫職人顔負けの腕の持ち主もいるのだし、一概に手編みと言うだけで過剰反応は良くない……かな」


 王子のやや困惑気味の言葉は、その呪いのセーターの視覚的インパクトの凄さを物語っている。

 学園生活を送るまで、そんなプレゼントが存在するということを現実として意識していなかったかも知れない。


 あの王子をして怯ませる、手編みという呪縛。

 これは止めた方が良いのだろうかと、躊躇いが胸に生じる。




くだんの特待生が誰だか知りませんが――

 きっとシリウス様の事本気で好きってわけじゃないですよ。

 話もしたことがないような人からそんな呪いのアイテムもらって喜ぶ人が、この世にいますか?

 相手を困らせたり怒らせるって分かってて贈るなんて嫌がらせの域ですよ。

 どうか、それ・・はノーカウントでお願いします!

 手編みのプレゼントって、ほら、こんなに素敵じゃないですか!」


 リゼがジェイク達に強弁してくれるのはカサンドラの心に沁みる。

 だがリゼは、きっと内心でリナの事を思い浮かべて必死に彼らに訴えているのだ。


 リナがもしも好意でシリウスに手作りの何かを贈ることがあったとして、庶民からの手作りだからと速攻燃やされるなんて事があっては……!

 彼女は妹想いの姉でもあった。





「――皆様。

 お忙しい中、こうして一堂に会したのです。

 そろそろ本来の目的に移りませんか?」




 

 これ以上話を聞いていたらカサンドラの胃に穴が開きそうだ。

 笑みが引き攣っている事に気づかれていなければいいのだけど。


 

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