第274話 うっかり、やらかす
今日は今年最後の定例役員会の日だった。
選択講義は来週末まであるけれど、生徒会の活動はイレギュラーが生じない限りは今日でおしまいだ。やはり学生の本分は勉強である。
役員会はなんだかんだと書類仕事が重なってくるので、最初から『無い』ということはとても有難かった。
これを満を持し、気合を入れて勉強にとりかかれるというものだ。
思い起こせば――カサンドラも一学期末ではあれだけ勉強に時間を費やしたというのに、十一位という何とも言い難い結果となった。
勿論上位陣であることは間違いないが、他クラスの特待生に劣ったという事実はちょっとしたショックだ。
リゼ相手ならともかく。
……せめてもう少し順位を上げたい、とリベンジに燃えている。
「カサンドラ、お前もいたのか」
座学の講座なので気を抜いていたというのは言い訳かも知れない。
歴史学の講義室に足を踏み入れた時から、カサンドラは彼が同じ講義をとっていたのだと分かってしまった。
何せ彼は目立つ。
「まぁ、奇遇ですね。――ジェイク様」
彼が座学を選択するとは珍しい。
たまにシリウス、ラルフ、王子と選択講義が被るという事態に遭遇したことはあれどもジェイクとここでバッタリ会うとは。
かなりレアな体験に、カサンドラはこそこそと彼に気づかれないように後ろの席に座っていたのだが――
講義が終わった後、室内をぐるっと見渡したジェイクと視線が合ってしまった。
そのまま即座に席を離れるのも感じが悪い。
しかも間の悪いことに、今日はジェイクは単独行動のようだ。カサンドラも同じく友人と連れ合って講義を選んでいるわけではないのでお一人様中。
――もしもこれが他の曜日だったら、一人で行動しているジェイクを周囲の生徒が野放しにしているわけがない。
だが今日が生徒会役員会議の日だということは周知の事実。
皆、”礼節を弁えた良い子ちゃん”を振る舞うのは慣れている。
これから用事があると分かっている相手をどうでもいい雑談のために呼び止める不調法者はいないのだ。
所謂、暗黙の了解。空気を読むことが出来なければ、このミニ社交界で後ろ指をさされて生活することになるだろう。
今に限ってはそんな気遣いなどかなぐり捨て、ジェイクを呼び止める剛の者が出て来て欲しい。
半ば祈るような気持ちで引きつった笑顔を浮かべていたが、割りと友好的な笑顔で片手を挙げてカサンドラに近づいて来る彼を押しとどめるという蛮勇の持ち主はこの講義室にはいなかった。
しかもちゃっかり視線も大量に引っ提げて近づいて来るのだから堪ったものではない。
外見は本当に良い男だ――と思う。
美醜の概念が前世の世界と変わるものでもなく、しかも攻略対象と言う重役を担って生を受けた存在だ。
黙って立っていようが目立つ。
こういうのを存在感が違うと言うのだろう、王子やラルフのように端整な顔立ちだの美麗だのという表現は似合わないが、精悍で格好の良い青年だった。
入学当初はこの人に凄い冷たい目で見られていたことを思い出す、今でこそ普通の知人クラスメイトとして友好的に接してくれるけれど。
「これから生徒会室だろ?
――一緒に行こうぜ」
ここで別々に同じ道順を辿って向かうのは不仲を強調しているようで気まずい。
婚約者の友人。
そして彼らと対等に話が出来るという周囲へのアピールは、決してカサンドラにとってマイナスには働かないだろう。
「そうですね、ご一緒させてください」
取り立てて同行する不都合も見当たらないし、笑顔のまま頷いた。
衆目を集めている状況、言葉に首を横に振るという選択肢は無かったとも言う。
本当はあまりジェイクと一緒に行動したくないという想いはある。
彼の内心を深部まで”理解してしまっている”身としては、話していると微妙に視線が泳ぎそうになるし。
……彼だって、予期せぬところで自分の感情を一から百まで悟られている相手と一緒にいるなんて知ったら嫌だと思う。
リゼの事をこれでもかと応援している身としては、そうとばかりも言っていられないのは承知の上だけど。
王子は王子で彼の気持ちに感づいてしまってほぼ確信しているし、当人だけは誰にも知られていないと思っている。
言葉の選択も慎重にならなければ。
「あ、そうそう。勉強会なんだけどさ。
今日試験範囲の発表あったろ?」
「そうですね」
二人で微妙な距離を左右で開け、その間隔のまま真っ直ぐ廊下を歩いていく。
すれ違う下校途中の生徒達の羨望に満ちた視線を浴びてげんなりしつつも、カサンドラはいつのも調子で自分比で目いっぱい友好的に微笑んでみる。
「明後日の日曜日とかでも大丈夫か?」
「……急ですね?」
思わず真顔になりかけ、声もワントーン低くジェイクに応えるカサンドラ。
「やれる内にやっとかないと、また中止になっても困るしなぁ」
彼は軽い口調でそう嘯く。
勉強など本当は嫌いで、試験なんかどうでもいいと思っているような人だったはずなのに。
こうして現実に隣で歩くジェイクが、ここまで勉強に意欲的だと背中にむず痒い感覚が走っていく。
「一応リゼの了承はもらってるからな」
「そうですか」
お早いことで、とカサンドラは口元の端を僅かに歪ませた。
休みの日に彼女と会える口実などそうそうないだろう、だから彼は王都散策の話が一旦流れてしまったように――この勉強会も要らぬ茶々が入ってご破算になる可能性も考えて早めに動いている。
まぁ、勉強のスイッチを入れるには早めに集まるのが良いかもしれない。
それに何より、カサンドラだって嬉しい。
休日に王子と会える、と想像しただけで目的が勉強一本だとしても飛び上がりたいくらい喜んでいる。
ジェイクに直接伝えることは出来ないが、よくこの会を提案してくれたと親指を
そこの利害はある意味一致しているジェイクとカサンドラである。
リゼだってジェイクに確認された時は絶対嬉しかったに違いないのだ。
光景を想像して間違いないと思うのだから、今回の集まりは王子の内心を度外視すれば諸手を上げて賛成せざるを得ない話だった。
「学園に一番近い餐館を使おうと思っててな。
場所分かるか?」
カサンドラが頷くと、じゃあついでにリゼも連れて来てくれ、と。軽く当日の打ちあわせじみた会話になってしまった。
階段を降り、更に廊下を真っすぐ西へ。その途中、T字で右の方に長い回廊が続く箇所に差し掛かる。
校舎北方向に向かって伸びるやや細めの回廊はカサンドラが殆ど利用することのない道だ。
楽し気な話し声が聞こえてつい視線を右方向に向けた。
そして示し合わせたかのように、ジェイクも立ち止まってしまったのだ。
自分の右側を歩いていた
カサンドラは立ち止まることなく彼を一歩追い越し、その話し声を発する人影を確認したのだが――
そこにいた三人に目を丸くして口元を指先で覆う。
「まぁ、皆様お揃いで」
「カサンドラ様おつかれさまでーす! ……あ、ジェイク様も。
これから会議ですよね」
同じくこちらの姿を見咎め、ブンブンと手を振って明るい声をあげる少女、リタ。
「ごきげんよう。
今週も大変お世話になりました。」
一旦踵を揃えてその場に立ち止まり、深々と頭を下げて微笑むリナと。
「ジェイク様!
それに……カサンドラ様」
カサンドラの存在をワンテンポ遅れて視認し、若干バツが悪そうに曖昧な笑みを浮かべるリゼと。
リゼに至っては大きく左右に振っていた片手を招き猫の腕のように萎びさせて強張った表情だ。
彼女の気持ちは痛い程分かるので、カサンドラもニコニコ微笑みを浮かべたままである。
一番気になる人が視界に真っ先に入るのは自然の流れだ。
「今日は三人揃って講義か? 珍しいな」
下校途中の彼女達が揃ってこちらに近づいてくると、回廊の先に視線を馳せながらジェイクが不思議そうに言った。
確かに、三人一緒に講義を受けている彼女達の姿はレアな光景だと思う。
どこかでかち合うとしても二人までの場合が圧倒的に多いのだから。
「はい、魔法講座を受けていました。
ここはいつも三人で受けてますね」
リゼの言葉通りだが、事前に打ち合わせてこの講座をとると全く合わせるというのは聴こえの良い事ではない。
幸い、月に一度か二度被るくらいなら注意を受けることもなく。カサンドラが初回でギブアップした魔法講座に未だに三人で通い続けているのだ。
――毎月一度は必ず魔法講座を受けて欲しい。
それは聖女イベントの前提条件が一定以上の魔力を必要としているからで。
カサンドラには教えることが出来ない専門分野。是が非でも必要なところまで身に着けて頂きたいと願っている。
彼女達はとても律儀で、月に一、二度サボることもなく必ず一緒に参加してくれている。
「あー、そういや言ってたな」
リゼ達三人には言わずもがなの魔法の才能の塊だ。
カサンドラには欠片も魔法の才能が無いというのに、世界とはこんなにも不公平なものだ。
尤も、上位貴族の令嬢が魔法を使えたからと言って嬉しい事にはならないだろう。
魔法を使える、戦う能力がある。
その力は、国に有事が発生した場合は率先して戦う
自分を守る程度の控えめな魔法ならともかく、大きな魔法の使い手は教団からの管理対象にもなり得る。
お嬢様が魔法をバシバシ使えてもいいことはないよなぁ、と思う。
聖女と言う存在がその縮図ではないか。
悪しき力に唯一対抗できる力を持っているから、戦わなければいけない。
それは権利ではなく、義務だ。
否が応でも、自分しか出来ない事なら立ち上がって聖剣を掲げるしかないのだ。
出来るけどやりません、協力しませんという個人の意思が反映されないのが”聖女”という完全に個人資質に左右される神の采配、奇跡というものだ。
そう思うと、いくら物語の主人公とは言え結局は強いられているのだよな、と微妙な気持ちになる。
「ラルフ様やシリウス様達には魔法講座でお会いした事がありますけど、ジェイク様は魔法使えないんですか?」
リタが物凄く気軽にそう問うてきた。
友人のラルフ達が使えるのならジェイクも使えるだろうと思うのはごく自然のことだ、全く会った事もないのは不思議に思えたのかも。
もし本当にジェイクが魔法を使えず、そのことに劣等感を持っていたらどうするのだ、リタ。と心の中でカサンドラは邪気の無い能天気な笑顔のリタを冷や冷やと眺める。
魔法使用環境は制約が多いし、魔法を嗜む者は己の技術向上と遠慮なく魔法を放てるというストレス発散に受ける生徒もいる。
ジェイクが魔法を使えるなら、そこに頻繁に通っていてもおかしくない事は事実だが。
「いや、そういうわけじゃない……けど」
リタの素朴な疑問を正面から受けたジェイクは、歯切れ悪く呟いたまま視線を宙に彷徨わせた。
「以前ジェイク様は魔法講座に出禁状態だってお聞きしましたけど。
一体何があったんです?
私、ジェイク様がどんな魔法使えるのか後学のため是非見てみたいです!」
しかもリゼの剛速球までストレートに彼の頭にぶつかってくる。
何とも言えない表情のジェイクを横目に、カサンドラは彼女達を嗜めるように一歩前に進み出た。
「ジェイク様は魔法の才能に秀でた方。
ですが、魔力が強すぎるために実技棟に施された結界では対応できないのですよ。
学園一帯が爆発に巻き込まれては大変ですから」
「え、そんなに威力あるんですか?」
リタはヒエッと顔を蒼褪めさせた。
まぁ、彼の腕力が他の生徒を遥かに凌駕しているのは見れば分かる。だが魔力の強さもそれに比例するように大変高い。
――その上恐ろしいことに、微細な制御能力が欠けている。
彼のうっかりで結界ごと棟が吹き飛ばされかねないのだ。
最大火力は一つの山を焼き尽くす程強力なもの。
だが彼は魔力制御が物凄く苦手で、もはや火力調整弁が壊れかけている。
弱火で良いのに、ちょっと捻れば強火を通り越してキャンプファイヤー状態の効果を無意識に発揮してしまう。
そんな大惨事を引き起こす可能性がある人間に学園内で魔法使用の許可は下りないだろう。
学園側の出禁という判断は頗る正しいものである。
「山一つを丸焦げにするような火炎魔法、学園の魔道士のどなたが留めることが出来ましょう。
ジェイク様が講義に参加されないのは、決して魔法をお使いにならないからでも……学園内で過失があったからでもないのですよ」
魔力が強すぎるから出禁! なんて中々当人の口からは言いづらいものだろう。
それに――ジェイクは魔法を使えるのだ、という情報だけをリゼが保持したままなのはまずい。
魔法をこっそりと見せて欲しい、なんてリゼ辺りは言い出しかねない。
現に”見たい”と目を輝かせている姿を目の当たりにしたら危機感しか覚えなかった。
もしもうっかり彼の魔力が暴発してしまえば――大変な騒ぎになってしまうので、彼が魔法講座に参加しない理由を明確にしておくべきだとカサンドラは思ったのだ。
事故の芽を摘んでおかなければ。
それなら仕方ないね、と三つ子達も頷いた。
少し前、剣術大会であれ程凄まじい強さを誇示した相手ということもある。
彼女達には抵抗もなく「この人は戦闘特化の人間なんだな」と受け入れてもらえたようだ。
三人の後姿を見送ってふぅ、と小さな吐息を落とすカサンドラ。
一仕事終えた後のような清々しささえ感じている。
「さぁ、生徒会室に向かいましょうか」
ジェイクがそこに立ち竦み、そこを動こうとしないのはリゼに未練があるからだろうか?
そう思って先を促そうとした。
だが、しかし。
彼の不審さを隠さない険しい顔がカサンドラを見据えていて背筋が凍った。
「お前そんな事まで知ってんだな。
……ホント、
そうでした!
普通、そんな細かい事情、周知されませんよね!
惨事を抑制するためとは言え、彼の魔法事情をどうしてカサンドラが知っているというのだ。
思わず先を
「お前ん家の間諜、ホント出来が良すぎじゃね?」
その疑い深く、不審人物を見るような視線は怖い。
眉間に皺を寄せて
王子の護衛で側近だということを嫌でも思い知らせて来、
「ほ……ほほほ……
お褒めに与り光栄です……」
生徒会室に辿り着くまで、生きた心地がしなかった。
ジェイク相手だと、ついつい心の詮が緩むのがいけない。
元がフレンドリーな人なのがいけないのか。
慎重な言動を心掛けていたはずなのに、自分の迂闊さが憎い……。
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