第273話 メイド長は編み物師匠
三つ子がそれぞれの誕生日を楽しんでいる事を祈っているカサンドラ。
だが、翻って自分の事を考えてみると――彼女達の事を上から眺めるような立場ではないのだという事も事実だ。
むしろ自分の方が彼女達の恋愛と比べて遅れをとっているという想いは常々あった。
当然ながらお互いに前提条件は違う。
彼女達は良く言えばひたむきでパワフル、自分の想いに忠実でいられる環境である。
失うモノがないからこその強みを存分に発揮していた。
何も持っていない者こそが最強というわけではないだろうが、現状において彼女達のしがらみの無さはとても強い。
恋に破れたところで、『可哀そうだね』という同情で終わる話だ。
勿論シナリオと言う未来を知るカサンドラはそれでは絶対に聖女になれない……という絶望感を抱くが、彼女達も他の人間もそんな裏事情は知る術もない。
カサンドラの場合は少々勝手が違う。
王子とは婚約者同士という、もはや男女間の人間関係においてこれ以上ない明確なゴールがスタート地点に立っている。
しかも相手は王子だ。
そしてカサンドラは地方とは言えレンドールの侯爵令嬢。
これ以上進める事の出来ない関係性、そしてもしも一旦誤解が生じぎくしゃくしてしまっては影響は自分だけに留まらない”背景”を持つ。
そつなく婚約者として振る舞えている内は良いが、関係性に不和が生じたが最後弱みとしてつけ込まれることもあるだろう。
何より王子の心からの不興、不信を買えば婚約を無かったことにされる可能性も全くないわけではない。
今は親同士の決め事だから婚約者として扱ってくれても、心までは縛れない。
万が一彼にとってカサンドラが邪魔になる存在に成り代われば、自分の地位は安泰ではないだろう。
今の王子や彼の友人関係を見るに、カサンドラは婚約者として相応しくないと強弁すればすんなり認められてもおかしくない。その程度の我儘なら大目に見よう、と許されるだけの信頼を王子は得ている。
――その薄氷の状況下で迫り来る、王子の悪魔化への刻限までに何とかしなければと気ばかり急く。
もっと積極的にバッドエンドを回避するよう動くべきとも思う。
だが、前世のことをふと思い出す。
初見はバッドな展開でもノーセーブロードで進める事はあっても、それは周回プレイが念頭にあるから出来ることだ。
ゲームとはつまるところ、トライ&エラーの精神で自分の望む結果を導き出すことに醍醐味を感じるもの。
でもそんなの自分の一回こっきりの人生で、試しにこう動いてみるか、なんて迂闊な行動をとれるわけがない。
積極的に王子に悪魔になんかならないでくださいと働きかける?
教団に忍び込んで聖典を盗み見る?
王城に潜入して王子の背後関係を洗い出す?
それらに対する結果如何で人生が詰んでしまう可能性があるというのに?
転生して真っ先に感じた困難事だと思う。
――慎重は臆病と表裏一体、希望的観測はただの願望。
心の中ではいつも後ろめたさを感じている。
勇気のない、意気地のない自分。
でも確実に変わっていく人間関係の中、王子との距離は確実に縮まっている。
それがカサンドラにとって唯一の希望であった。
いつかは大胆な決断を迫られることが来るのだろう。
でも、まだ今じゃない。
王子との明確な信頼関係を築けていないお客様状態の現在、婚約者としての接待プレイを受けているような状況で――
この世界の根幹を覆す展開に変える髑髏マークのスイッチを自分が押すことに、躊躇する。
未来が見えるなどという気が触れた事を吹聴する
王子を悪魔呼ばわりしたと見做され、邪教徒だの狂信者だのと糾弾を受け磔にされるか
カサンドラがシナリオに沿った未来を告発をすれば、望まない結末も覚悟しなければいけない。
何で自分は何も出来ない、悪役令嬢の役回りなんだろう。
ただ王子の婚約者で、主人公達の恋愛の邪魔をするだけのろくな特技もないキャラに、どうやって世界を救えというのか。
……自分がこの世界に生まれ変わった意味が分からないけれど、でもしょうがない。
この世界に生まれ、そして彼の事を好きになってしまったのだ。
自分の努力如何で彼の破滅を救えるかも知れないなら、信じて進むのみだ。
このまま黙っていても王国と共に滅びの道を辿るのなら、最後まで希望を捨てるものか。
※
さて、三つ子が誕生日にそれぞれの想い人と素敵な時間を過ごしていると仮定して。
カサンドラは年末に迫った王子の誕生日に間に合うようにプレゼントを用意しなければいけない。
二学期に入って早々のカサンドラの誕生日では、信じられないくらい楽しく幸せな一日を過ごさせてもらった。
当日の王宮内案内も新鮮味があって楽しかったし、最後に王子からもらったプレゼントはカサンドラの宝物である。
勿体なくて普段使いにすることを躊躇われたが、道具とは使われてこそだ。
王子は同じクラスだし、身に着けている姿を目撃される機会もあるだろう。
そんな素敵なプレゼントのお返しに、カサンドラも気合を入れたプレゼントを考える必要に迫られていた。
悩める自分にアドバイスをしてくれたのは同じクラスの少女シンシアで、彼女は手編みのマフラーが良いのでは? と無邪気に提案してくれたのである。
商店で扱っている品も、元をただせば職人が編んでいる立派な手編みの商品である。
だが顔の知った相手が自分ために手作りをしてくれたとなれば、受け取った方にも特別感が伝わるはずだ。
高価な品を渡しても彼に喜ばれるビジョンが見えない。
ならば、カサンドラがここで手間暇と愛情というエッセンスを込めたマフラーを贈ることは決して愚策とは言えないのでは?
義弟のアレクは結構難渋を示していたが、カサンドラは内心とても乗り気だった。
もうすぐ二学期末の試験期間であることは重々承知の上で、カサンドラは使用人を取りまとめるメイド長ナターシャに相談を持ち掛けた。
王都に構えたレンドールの別邸は俄かに騒然としていたのである。
「まさかお嬢様が編み物を嗜まれるなんて」
夕食後、翌日の課題を澄ませた後。
カサンドラの私室に、大きな荷物を抱えて年配の使用人が姿を現わした。
この別邸には若いメイドが殆どおらず、彼女のような中年の女性を多く雇っている。
長年仕えているからいつの間にか年を取っていた――というわけではなく、元々技量に富んで経験豊富なメイドを迎え入れているからだ。
爵位が高い家のメイドは、下位貴族の令嬢が行儀見習いとして受け入れられたパターンも多い。
だがカサンドラの実家はレンドール。
実家で他家の令嬢をメイドの一人として迎えることはあっても、わざわざ良家のお嬢さんを遠く離れた王都まで連行するのも忍びない。
実務能力が高く――そしてこちらに来る当初は気位が高く我儘で……あまり視野の広くない典型的な高慢ちきなお嬢様を相手に卒なく立ち回れる経験豊富なメイドを選れば自然とこの年嵩のメンツに絞られる。
中には年若く幼い女の子が使用人として働いているけれど、カサンドラに恐れをなして早々に暇を申しだされたこともあったなぁ。
あれは自分の中でも黒歴史だ。
少数精鋭を標榜するレンドール別邸のメイド達はカサンドラの入学後からの人格豹変ぶりを粛々と受け入れているが、未だに戸惑われることも多い。
言いたい放題、やりたい放題で我儘に振る舞っていた過去の自分に説教してやりたいと未だに思う。
「急な話で申し訳ありません、ナターシャ。
事前に申し上げた通り、最初は簡単なもので練習をしたいのです」
「はい、はい。
そうですね、それがようございます。
……ところで、最終的に王子にお贈りするマフラーの柄はお決まりなのですか?」
改めてにこにこ笑顔の彼女に言われると、一気に気恥ずかしさが増す。
購入してすませるのではなく、マフラーを編んでプレゼントしたいのだと相談した時、ナターシャは文字通りひっくり返って驚いた。
だが基本、
内心はどうとらえているのか知らないが、全面的な協力を取り付ける事に成功した。
「いえ、まだ漠然としていて」
「マフラーの編み方と言っても、種類が様々ございます。
タータンチェック柄、アラン柄……という模様を含めて易しいもの技術がいるものとにも分かれますし。
お嬢様の定める目標が明確であればと思います」
「そう……ですね」
マフラーと一口に言っても、編み方が種々様々であることは手芸に興味がないカサンドラも良く知っている。
望む出来上がりのマフラーに必要な技術を限られた時間で学ばなければいけない。
「深刻にならずとも大丈夫ですよ。
マフラーは編み目さえ正確に数え、丁寧に気をつけていれば大きな失敗をするものではありません。
図面に従って編むだけで素敵なマフラーが作れますよ。
ただ、やはり編み終わりなどの粗をカバーするためにフリンジを着ける事を私はお勧めしたいですね」
ナターシャのフォローを受け、カサンドラは小さく頷く。
彼女の持ってきた荷の中をチラっと眺めると、沢山の毛糸の玉と長さや太さがまちまちの編み棒がどっさりと入っている。
「とりあえず、一つ簡単なものを作成して手を慣れさせたいのです。
模様やデザインについてはまた相談させてください」
「――畏まりました。
マフラーを作成するのでしたら平編みが一番初心者向けかと思います。
表目と裏目を交互に編んでいくのですが……
マフラーとして編むと、構造上編み上がった後に丸まってしまうのですよね」
そう言いながら、ナターシャはササッと編み棒と丸めた毛糸を丸テーブルの上に取り出す。
灰色の毛糸の先に輪っかを作り、編み針を二本通してキュッと引き締め――左手の指に器用に引っかけてくるくると毛糸を棒に巻いていく。
手際の良さに瞬きも忘れ、じーっと見入る。
まるで手品を見ているようだ。
必要な目を編んだ後、スッと一本の編み針を抜いた後、二本の編み針をせっせせっせと交互にクロスさせ段を増やしていく。
徐々に段が増え、毛糸が平面の布に変わる。
時間は十分もかからなかった。
「ご覧ください、どうしてもこの端の部分がくるんと曲がってしまうのですね。
編みやすいですが、マフラーとして使用するのは少々不格好になるという欠点が」
「成程……」
目の前に差し出された数センチの細長い生地に指先で触れ、カサンドラは頷いた。
確かに編んだ両端から内側に向けてくるっと丸まっているのが分かる。
ちゃんとまっすぐ編んでいるはずなのに、自然と筒状に丸まろうとしているようだ。
彼女曰く、凄く単純で分かりやすい編み方だとの事だが……
これで編んだとしても、出来上がった練習作品の扱いに困りそうだ。
「表編み一種で編むガーター編みの方が端の反り返りが少ないかも知れませんね」
王子の誕生日には時間があるように思えるが、間に試験期間が入る。
実際に手を動かして集中して編める期間は多くないかもしれない。
「少々不格好であろうが、最も簡単な編み方ということであればそれから手を付けてみたいと思います。
宜しく頼みます、ナターシャ」
ナターシャはもう一度頭を下げる。
仰々しい仕草に、カサンドラも戸惑う。
何せ教えてもらうのはこちらの方なのだから、彼女はまさに講師そのものなのである。
「限られた時間ではありますが、お嬢様がご納得のいく作品を仕上げることが出来るよう全力を尽くしたいと思います。
……はぁ。
王子にお似合いのマフラーをとイメージすると、それだけで心が浮き立ちますね」
彼女は手を頬に添えて、まさに浮き浮きとした様子を隠さない。
ナターシャは以前、王子が屋敷を訪れた時に王子の応対をしたことがあるらしい。
あまりの王子様らしい王子様の姿に度肝を抜かれたとは彼女の談だが、どんなお忍び的な格好で街中にいようとも溢れ出る彼の王族オーラは隠すことなどできないだろう。
「お嬢様手ずからお作りになったものであれば、あの方もきっと喜んで下さるでしょう。
私も今から楽しみでなりませんよ」
「喜んで頂ければいいのですが。
……やはり、手編みと言うのは……重かったり、失礼だったりするのでしょうか」
この葛藤は本心だ。
毎週のように手紙を渡していたカサンドラだけれども、その文面の己の重たい恋患う心を書き記したことはない。
出来る限り彼にとって負担のない存在でありたかった。
よく知らない相手に抱えきれないほどの重圧を込めた愛の言葉を投げつけられたところで、普通の人は困るだろう。
今となっては知らない仲ではない……とは言え。
果たして自分は、彼にとってどの程度の存在なのだろう。
「何を仰います、お嬢様!
王子は絶対にお喜びになりますよ、ええ、ええ」
彼女は大真面目な顔で何度も何度も首肯する。
もしもこのまま上手くいって、マフラーを彼にあげるとしたら……
体裁や世間体など無関係に、『貴方を好きだ』と伝えるようなものではないだろうか。
ゴクリと喉が鳴る。
「尤も、お嬢様の場合は先に試験のお勉強を乗り越えないといけませんね。
……こちらにかまけて試験の順位が下がってしまったとあっては、王子が気にされるかも知れませんよ」
メイド長の言葉が矢と化し、カサンドラの側頭部にぐっさりと突き刺さった。
カサンドラにとっては平穏に過ぎていた二学期だったが、ここに来てプレッシャーが押し寄せてくる。
負けるものか、と彼女に見えないよう椅子の横で握り拳を作るカサンドラだった。
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