第271話 <リタ 1/2>



「はぁー、結局あれから何も無かったなぁ」



 リタは午後の講義を終えた後、木枯らし吹き荒ぶ外気に晒されながら独りちていた。



 両の掌にはカサンドラからもらった可愛い手袋が填まっている。

 それで両頬を包み、その暖かさにほーっと息を吐いたリタ。


 だが口から出た吐息の白い霧は、ふわっと空気に溶けてすぐに消えてしまう。

 まるでリタの抱いていた希望が一気に萎んで行くように。


 この貴族だらけ、金持ちだらけの学園に入学して、こうして誰かからプレゼントをもらえただけで身に過ぎた幸運だ。

 僥倖を噛み締め、これからも自己研鑽に励むべし。


 理性ではそんな「良い子ちゃん」な自分が前向きに号令をかけるものの……

 やはり我儘で率直な自分がこそっと顔を出して地団太を踏む。



 せめて……

 せめてラルフと会って少しでも話がしたかった! と。



 誕生日を覚えていて欲しいなんて欲張りで、その上何か声を掛けてもらえたら、なんて。

 自分にとってあまりにも都合の良い妄想話でしかない。


 でも今日はリゼもリナもいつもの時間になっても玄関ホールにやってくる気配がない。

 これはもしかしたら、ジェイクやシリウスと何らかの接触がはかられているのでは?


 ……リゼは言わずもがな、リナだって自分達の知らないところでシリウスとの仲を進展させていることはうかがえるし、結局自分だけ一人虚しく寮の部屋に帰る事になるわけか。


 少々やさぐれた気持ちになるが、これが真実。

 今までの努力の差であると受け入れざるを得ない。


 カサンドラに宣言した通り、リタは今まで甘かったのだ。

 現状に満足し、毎日満ち足りてそれ以上の努力を躊躇っていたせいだ。


 これ以上自分が何をどうしたところで、ラルフとの関係は一クラスメイト以上から発展することはない。

 その幸せに感謝し、関係性を壊さないようにするべきなのだ――


 だが横を見れば、心で足踏みしているのは自分だけだと気づく。

 姉や妹は、自分の好きな相手に少しでも好きになってもらおうと一層の努力を惜しんでいない、勇気をもって進んでいるというのに。

 自分はただの偶然に酔いしれるだけで、誕生日プレゼントを渡せてよかったー、というところで自己完結してしまっていたのだ。


 今が苦しいわけじゃない。

 十分に幸せだ。

 個人的に顔を覚えてもらえ、話しかけてもらえる事実は変わらない。


 でもラルフはとても優しい紳士的な、リタの理想の王子様像を完璧に実現させたような青年だ。

 きっとリタ相手じゃなくても誰であっても、彼は変わらない態度をとるのだろう。

 自分は特別なんかじゃない。


 そう思うと胸が焼け付くように痛い。


 せめて、誕生日に声でもかけてもらえたら。

 自分が彼にとって少しは”気にかけるに堪える”人間であると、前向きに頑張る原動力になるのだけど。

 流石に望み過ぎだなぁ、と他力本願な自分にもう一度呆れた。


 トボトボと一人寂しく、学園の外門をくぐって幅広の道に出るリタ。



「リタ、待ってたわ」


 突然リタを呼び止める声が聴こえ、のろのろと動かしていた足を一旦止める。


「シェリーさん!?」


 この学園の関係者ではないことだけは確かだ。

 現在リタが短期でアルバイトを行っているシャルローグ劇団の裏方、小道具係を一手に引き受ける美人な劇団員。

 彼女は寒さに弱いのか、厚手のコートとマフラーを着込み、ガタガタと震えながら片手を挙げた。

 内股をもじもじと合わせているのが、長時間そこで待っていたのだろうことをうかがわせる。


「どうしたんですか、こんなところで。

 寒かったでしょ、大丈夫ですか!?」


「ああ、私の事は良いのよ。

 ……ところでリタ、貴女これから時間はあるかしら?」


 彼女は目を細め、優しい声音でこちらの予定を聞いて来る。

 これが今日という日でなければ、何も思うことなく暇です! と即答できただろうに。

 誕生日の今日、放課後暇を持て余していますというのもかなり虚しい返答である。

 だが見栄を張ったところで余計に寒々しいだけだ。


 はぁ、と肩を竦めてリタは頷いた。


「残念ながら暇なんですよねぇ」


「そう、それは好都合だわ。

 私と一緒に来て欲しいところがあるの」


 彼女は片目を閉じ、悪戯っぽい表情でリタを促す。

 どんな表情をしても美人さんは美人さんだ。整った顔立ちで、かつて女優を志していた彼女だ。

 下校しているお嬢様達から発せられるの華々しさオーラに全く引けを取らない。

 生まれ持っての存在感が違うのだろう。



 こそっとリタに近づき、耳元で彼女は囁く。

 彼女の前髪が軽く額に触れた。



「ラルフ様から貴女を呼ぶよう頼まれたのよ。

 ……用事があるって言われたらどうしようかと冷や冷やしてたわ」





 彼女の何気ないネタ晴らしに、リタは吃驚しすぎてその場に鞄を落としてしまった。

 ふにっと己の頬を片手で抓む。



 痛くない。



 ……カサンドラにもらった手袋が、リタの頬をするっと撫でただけだった。





 ※




 何の変哲もない馬車に乗って向かった先は、毎週日曜日に楽しく通っているシャルローグ劇団であった。

 今日は公演の無い日なので閑散としている。


 大体こういう日は劇団員が練習に励んでいるはずなのだが……



「ラルフ様が一体何の用何でしょうか」


 ドキドキ。

 心臓が勝手に自由気ままに踊り出す。


 自分でシェリーに訊ねておきながら難だが、大変白々しい問いかけではないか。

 今日はリタの誕生日で、今日彼に呼ばれたという事は――十中八九、リタの誕生日に関わることで呼び出されたはずである。

 むしろそれ以外の用事が全く思いつかない。



 やはりラルフは義理堅い人だ。

 リタにとっては何の労もなく手に入れたはいいが持て余すだけのヴァイオリンを渡したわけだが、そのお返しをちゃんと考えてくれていたのか。

 ヴァイオリンが惜しくなったわけでもないし、彼が喜んでくれたのならそれで嬉しいと思っていた。

 そこで完結していた話が、こうして再びひょっこりと顔出してきたのだから心中が騒がしくなるのも当然だ。



 ……嬉しいな。



 彼に誕生日おめでとうって言ってもらえたら、最高の誕生日ではないか。

 一生忘れられない思い出になる。

 わざわざリタの誕生日がいつかを調べ、それに対応するため呼び出しの手配までしてくれて。

 学園内では衆目もあるし、リタと唯一外部で接点のあった劇団に連れてきてくれたというのもありがたい心配りである。


 ここならリタも誰に遠慮することもなく、飛び跳ねて大きな声で喜べる。

 劇団の皆は自分がラルフの大ファンであることも知っているし、歓喜に打ち震えるリタを「あらあら」と生温い視線で見やることはあれど、憎々し気に眺める者はいないだろう。


 同じ釜の飯を食った仲間――というのは言い過ぎかもしれないが、毎週力仕事で共に助け合う仕事仲間たちだ。

 そりゃあ、距離感も近くなって当然のことだ。


 リタにとってはある意味学園より居心地の良いスペースかも知れない。

 大好きな演劇、それも王国内で最高峰の劇団に関われるのだから。


 どこにラルフがいるのだろう、とわくわくして周囲を見渡す。

 やはり二階の演奏席の方だろうか。

 まさか狭い控室に彼が待機しているとも思えないし。


 もしくは応接室か。

 リタは今まで入ったことがないが、団長が高貴な招待客をもてなすときに使っていた特別な部屋があるとか何とか。

 こんな一般庶民を相手に来賓室なんか使ってしまうのは問題があるのでは、など。

 色々とパターンを考え、弾む足取りで劇場の中を歩いている。だがシェリーが先導する先は――いつもリタ達が裏で忙しなく働いている、舞台裏の方。


 スタスタと周囲に目もくれず、彼女は真っ直ぐ向かう。


 こんな雑然とした狭苦しいところにラルフを待たせてしまったのかと生きた心地がしなかった。



 ラルフに会ったらどんな顔をしたらいいのだろう。

 あまり物欲しそうに期待に満ちた目をしたらはしたないとドン引きされてしまうかもしれない。

 それだけは避けなければ。

 

 かと言って、この高揚感を隠して彼を前にすることなど出来やしない。

 誕生日に彼と会えるなんて!


 カサンドラにもらった手袋の先を所在なく弄り続ける。早々に穴が開きそうだ。


 だがリタの想像はことごとく覆される。

 制服姿のままドギマギしつつ、ラルフの姿を探しているリタが引っ張り込まれたのは、劇団員たちが舞台に上がる前に必ず利用する着替え部屋だった。



「はぁい、待ってたわよー。

 じゃあお着替えしましょうねぇ」 



 しかも大きな鏡と椅子の前で、櫛を構えて待ち構えていたのはあの時リタを『変身』させてくれた化粧係のお姉さんだ。

 あの日の凡庸な容姿のリタが、あっという間に見知らぬお嬢様と化けることが出来たのは彼女の魔法の指の力があればこそ。


「え。

 あの、着替えって。

 ラルフ様は……?」


 当然衣装やら小物、アクセサリーや鬘などで乱雑な室内を見渡しても、そこにラルフの姿が見つかるわけもない。

 つい引きつった笑みを浮かべ、リタは一歩後ろに下がる。


 しかしそんなリタを逃がさないとばかりに、シェリーが肩を掴んで後退を押しとどめ。逆にぐいぐいとスタンバイしている化粧係のお姉さんに近づけていく。


「ラルフ様は近くの餐館でリタあなたをお待ちよ。

 今日誕生日なんでしょう?

 ディナーをご馳走してくださるってお話なんだから、ちゃんとした格好で行かないとねぇ?」


 シェリーは完全に面白い見世物でも観ているかのような表情で口角を上げて笑っている。

 楽しさを抑えきれないと言った様子で零れる笑みとは対照的に、リタの思考は混迷の一途を辿るのだ。


「でぃ……なー……

 夕食、ですよね? え? 何で、え?」


「だからね、ラルフ様が貴女の誕生日だから食事に誘いたいと仰っていたのよ。

 私なら貴女の顔も分かるし、裏方だから顔も知れてないし……

 学園に迎えに行くにはピッタリでしょ?」


 何がおかしいの? とシェリーは首を傾げる。


「ラルフ様と、食事が出来るって言うのは凄く嬉しいんですけど。

 でも、なんで私、着替えないといけないんですか?

 このままで」


「駄目よ、ダメダメ!」


 何を頓珍漢な事を言うの、と化粧師のお姉さんは唇を突き出して不満の意を表明して話に割って入る。


「今日は貴女にとびきり可愛いドレスを着せてあげるよう仰せつかってるんですからね!

 そのままで向かわれたら私達が叱られるってものよ」

 

 その勢いに気圧され、逆らうことが出来ない。

 ぎくしゃくとした動作で、彼女の前に恐る恐る近づいて行った。



 以前、バイト終わりに餐館に連れていってもらった時の事をフッと思い出す。


 あの時はカサンドラやリゼ、そしてリナまで一緒で皆で食事をするというとんでもハプニングな現場になって。今思い出してもカオス空間だったなぁと苦笑が浮かぶ。

 バイト上がりのリタにとっても楽しい時間だった。


 でも……

 目の前に広がるのは本格的なご馳走。

 更には盛装した王子やカサンドラまで同席していた。

 ラルフ自身も黒い燕尾服を身に纏っていたし、あの場で普段着オブ普段着のリタは物凄く浮いておかしな光景だったと言われれば返す言葉もない。


 もしかしたらリタを連れて来たラルフに恥を掻かせてしまったのかも。

 サーっと顔が青ざめる。


 今回着替えて来いと言ったのは、ヴァイオリンの義理おかえしという事で声を掛けてくれたものの――いつものリタの格好で同席されたくないという意思表示?



 彼はそんな事を想ったり言ったりする人ではないと思う。

 結構マイペースな人だから、友人たちに何を思われても平気そうな雰囲気を持っているし。


 でも周囲に示しがつかない、とか。

 館の格式が云々と言われたのかも知れない。


 そうであれば凄く申し訳ないし、恥ずかしい。



「なんでそんな顔してるの?

 ……さぁ、これに着替えるわよ」


 すぐ傍に吊り下げられていた、黄色とオレンジを基調としたとても可愛らしいドレスがリタの前身にあてがわれる。

 モヤモヤした気まずさを一瞬で吹き飛ばす、そんな素敵な力がドレスにはある。

 袖や裾にはキラキラした銀飾りが縫い付けられ、スカートは何層にも重なってふわふわのシフォンみたい。


「アクセサリーはどれがいい? ……好きなものを貸してあげるわ。

 ま、劇団のものだけどね!」


 明るい口調の化粧師につられるようにリタは笑った。

 綺麗なドレスを着込んでお嬢様みたいにならないと彼と同席するのにふさわしくないというのなら――シェリーたちの言う通り、ちゃんとした格好で堂々と彼に会おうと思った。

 そこで誕生日を祝ってくれると言うなら、勿論喜びお礼を言おう。


 大粒のサファイアのイヤリング、二重の鎖のネックレス。

 これを傷つけてしまったり汚したら弁償なんかできない。取り扱いに冷や汗ものの、『変身セット』。



 コルセットで腰から胸まで縛り上げられ、黄色いドレスに袖を通す。

 櫛で髪を梳かた後、これから鬘でも被せられ化粧を施されるのか、と。

 


 椅子の上で緊張して、鏡に反射したお姉さんの動きをぼんやりと眺めていたリタ。




「出来たわよ。

 うん、可愛い可愛い」



 栗色の髪の両サイドの一部を三つ編みに、黄色いリボンでその先を括られている。

 だが、それだけだった。



「……あれ?」



 鏡の中にいるのは、自分の知らない少女ではない。

 いつも毎朝鏡の中に映る『リタ』だ。ちょっとだけ髪に飾りがついた、おめかしした自分の姿そのまま。



「今日はお化粧とか……無いんですか?

 あ、前は凄かったなって思い出して」



 化粧をしたい、別人のようになりたいと心から思っていたわけではない。

 このままの自分より、カサンドラさえ見抜けなかったような”深窓のお嬢様チック”なリタの方が、ラルフに同席するのに相応しいのではないか。

 ごく自然にそう思っていたから、いつもの自分の見慣れた顔にぺたぺたと掌を当てた。


 何も施されていない、素顔。




「だって、ラルフ様が化粧はしないで欲しいって。

 ……そりゃあ私だって残念よ!

 もっともっともーーっと可愛く出来るのに……!」


 折角の良素材を前に口惜しい――と、ギリギリギリと歯ぎしりをして悔しがる化粧師。

 本来は顔に細工のようなものを施し、別人のように飾り立てるのが彼女の仕事。

 別人になりきり、演技をする女優達のために美しい仮面を描いてあげるのが本職だ。


 ただドレスを着せて髪を整えるだけというのは慣れていないのだろう。






 どこから見ても、自分はリタだ。

 今まで憧れるだけだった、綺麗なドレスを着せてもらっているだけの自分が鏡の中にいる。





 自分リタのままで良い。

 彼はそう言ってくれた、そして今も同じように考えてくれているのだ。




 心の奥底が熱湯を注がれたように一気に熱を帯びる。

 じわり、じわり、とせり上がってくる喜び。





 彼の事が好きだ、と深奥に叩きつけられる。




 嬉しいはずなのに、泣きそうになる。

 





 ――自分は今幸せなんだという事実が、素直にストンと胸に落ちていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る