第268話 <リゼ>
リゼ・フォスターは早起きである。
規則正しい生活が好きだし、朝の時間を有効活用していると皆よりも一日の時間を長く過ごせる気がするからだ。
しかしながら、やはり寒さの厳しい冬に入るとその出足も少し鈍ってしまう。
暖かく寝心地の良い寝台の上から這い出るのに以前より時間がかかるようになってしまった。
それでもうつらうつらと夢の世界を漂う己の目を根性でこじ開け、スリッパに爪先を入れて起床する。
時計を見ると、朝の六時前。
朝食まで少し余裕があるから、もう一度予習でもしようかなぁと寝間着替わりのトレーナーのまま朝の時間配分を考えていた時のことだった。
――コンコン、と。
こんな朝早くに、誰かがリゼの部屋の戸を叩いたのだ。
一瞬聞き間違いかと扉を二度見したが、もう一度コンコン、とノックされる。
どうやら幻聴ではないようだ。
「おはよう、朝早くにごめんなさいねぇ」
誰何するまでもなく、自を早朝早く訪ねて来た相手が――この女子寮の管理人のおばさんであることに気づいて目を丸くした。
慌てて、寝間着替わりのトレーナー姿のまま内側の鍵を外して扉を開ける。
「ど、どうしたんですか?」
今まで一度もなかった事態に、トラブルか事故か、もしかして火災でも起きたのかと突拍子のない悪い想像が脳裏を過ぎった。
よく考えなくてもそんな不穏な事態にしては、管理人の声は聊かのんびりしていたのだけれど。
「あのねぇ。
今日、貴女達、お誕生日なんですって?」
「は? え、ええ。そう……ですけど」
言われてカレンダーを確認した。
ああ、十二月三日。覚えやすく忘れがたい、自分達の誕生日だと今の段階になってようやく気付く始末だ。
この歳になると、いや、何歳の時だろうが誕生日が特別な日なんて思ったことがない。
単に年が一つ増えたという認識の一日だ。
アニバーサリーという言葉が擬人化してリゼの前に現れでもしたら、あまりの無関心ぶりに泣いて逃げられるだろう。
寮の管理人がリゼ達の誕生日を知っているということに首を傾げる。
すると管理人の貫禄あるおばさんは、ニコニコ笑顔のまま――一抱えもある袋を、はい、とリゼに手渡してきたのだ。
「はい、これ」
手渡され、反射的に受け取ったものの。
受け取る謂れがないことは分かっているので、リゼは盛大に慌てた。
実はまだ寝ぼけていて、夢の世界か? と真剣に悩んだほどだ。
「困ります、管理人さん」
「こちらはね、レンドールのお嬢さんからの預かり物なんですよ。
是非、今日貴女達に渡して欲しいって」
「レンドール……って、じゃあ、カサンドラ様……?」
衝撃の事実に目を瞬かせ、リゼは包みを抱く腕の力を少し緩めた。
「本当はあの子達にも直接渡したいんだけど、こんな時間に起きているのは貴女くらいじゃないですか。
……申し訳ないのだけど、二人に渡してあげて欲しいの」
管理人の朝はリゼよりも早い。
そして、これから一日で最も忙しくなる時間帯だということはリゼも理解できる。
女子寮にいる生徒達を見送るまで、管理人たる彼女は気を張って目を光らせていなければいけないのだ。
自分達に用があると言っても皆が支度を始める頃合いに渡しに来るのも難しく、しょうがなくこんな早朝にリゼの部屋をノックするに至った、と。
「ごめんなさいねぇ。
ああ、誕生日おめでとう。いい一日になるといいわね」
彼女はそう言って片目を閉じ、すぐに部屋から出て行った。
「……カサンドラ様からの、プレゼント……?」
袋を縛る紐を開けて中を覗き込むと、三つの小包が入っているのが分かる。
それぞれ同じ大きさで可愛らしいピンクのリボンでラッピング。
リボンにはメッセージカードが挟まれていて――リゼ、リタ、リナの名が刻まれているようだ。
” Happy Birthday! ”
「――……!!」
室温が低下し、寒い室内であることをすっかり忘れ、リゼは小さなテーブルの上に三つの小包を並べた。
カサンドラがわざわざ自分達にプレゼントをくれたのだ、と思うと凄く嬉しい。
じわじわと湧き上がってくる現実感と、それに伴う喜び。
「リター! リナ! ちょっと起きて!
起きなさいって!」
姉妹ゆえの気安さで、ドンドンドン、と遠慮なく彼女達の扉を力強く手で打ち付ける。
未だに夢の世界の住人だったらしい二人は、寝ぼけ眼で目を擦りながらリゼの乱暴な声に応えた。
「えー、眠いんだけど。火事でも起こった?」
大きな欠伸を手で隠そうともせず、大口を開けて抗議の意を示すリタ。
「ふぁ……
おはよう、今日も寒いのね」
小さな欠伸を噛み殺し、口元を掌で覆いつつ首を竦める仕草のリナ。
二人をリゼの部屋に引きずり込むと、それぞれ”らしい”仕草でリゼの前に並ぶ。
だがいつまでも二人を寝ぼけ眼のままでいさせるわけにはいかない。
リゼは腕組みをしたまま二人に先程起きた事を説明することにした。
「実はさっき、寮の管理人さんから私たちあてってことで誕生日プレゼントを渡されたのよ」
「あ、今日誕生日だね! わー、もう十六歳!」
パチパチ、とリタは何が嬉しいのか拍手をして喜びを表現する。
そんな呑気な妹の事を一旦スルーし、リゼは机の上に置いていた三つの小包を指差して言った。
「カサンドラ様からのプレゼントなんだけど」
『え!?』
二人ともそれまで纏っていた朝特有のぽわぽわして覚醒していない状態から、一気に引き戻されたようだ。
数分前のリゼもそうだったかもしれないが、二人とも蒼い目をまぁるく見開いて――可愛いリボンでラッピングされた包を凝視した。
「えー、嘘、カサンドラ様が!? 何かな~」
真っ先に動いたのはやはりリタであった。
彼女は誕生日プレゼントをカサンドラがくれたということに全く何の疑問も抱かず、素直に飛びついて包を手にする。
見かけよりもずっと軽い包みをリタが解いていくと、中から可愛らしい手袋が姿を現したのだ。
「可愛い! こんないいものもらっていのかなぁ!?
私達、三人で一つのプレゼントだったのに……!」
リタはそう言いながらも全く躊躇う素振りなく、深青色の手袋に手をスッと通す。
手袋には銀色のチャームがついている。
彼女が嬉しさの余りぴょんぴょん飛び跳ねると、それと合わせてチャームも上下する。
太陽を象った銀色のチャームには、緑色の小さな宝石が填めこまれているのが分かった。
躊躇いもなく包みを開け放ったリタを呆れた様子で見ていたけれど。
このまま未開封のままというわけにもいかずリゼとリナも恐々と包みを開けた。
中には自分達の誕生日や、日頃の努力を讃える励ましのメッセージが添えられている。
わざわざ自分達のために選んでくれたのかと思うと、今まで誕生日にプレゼントをもらって感動したことなどなかったリゼも胸が熱くなる。
――それは多分、自分が誰かの誕生日のために一生懸命考え、悩むという過程を経験したからだと思うのだ。
相手が何を欲するのか考えるのは、リゼにとっては正解のない問題に手を掛けるようなもの。
自分が選ぶ苦労をし、喜んで欲しいという願いを込めたものを贈った後だから。
きっとこんなに嬉しいのだと、リゼは暖かい手袋を両手に持って口元を緩めた。
リタのものと全く同じ色形の手袋だが、銀色のチャームが違う。
自分は星型で、赤い宝石がちょこんと端っこに填まっていた。
「三人お揃いなのが、とっても嬉しいわ」
リナはぽつりと呟いた。
そう言えば自分達は服の好みも色の好みも、何もかもがてんでバラバラ。
同じものは顔かたちと制服だけだ。
三つ子なのに、自分達が同じモノを選んで身に着けることなど無かった気がする。
そんな三人が同じデザインで同じ色の手袋を填める事になる。
意外にも、滅多にないことであった。
リナが手袋を填めて両頬に触れている姿を眺め、リゼも「そうね……」と小さく賛同。
管理人のおばさんは、良い事があると良いねと言ってくれた。
でももう、これだけで十分一日幸せに過ごせそうな程嬉しいことだと思う。
勿論カサンドラは律儀な人だから、誕生日に贈り物をもらってお返しをしない主義の人ではないだろう。
だが個人間のやりとりとして、彼女自身が選んでくれたのだという事実は物凄く特別感がある。
普段あまり意識しないようにしているが、優越感に似た感情を抱いてしまう。
自分達は別に彼女にとって大した相手ではない、ただのクラスメイトでたまたま気にかけてもらう機会が多いだけだと戒めているというのに。
「早速今日会ったらお礼言わなくっちゃ!
でもなんで直接渡してくれなかったのかなぁ?」
リタの意気込みに気圧されながらも、確かに彼女の疑問も尤もだ、とリゼは立ったまま腕組みをする。
同じクラスで毎朝顔を合わせるのに、わざわざ寮の管理人を通してプレゼントを?
「もしかして、今日、カサンドラ様はお休み……なのかしら?」
「うーん、その可能性もあるけど」
リゼは唸る。
休むという予定が予め分かっているなら、昨日でも一昨日でも、それらしい会話があったのではないか。
それにリゼは二学期の終わりの今に至るまで、カサンドラが病欠以外で休んだところを見たことがない。
毎日必ず、真面目に登校し授業を受ける優等生のカサンドラ。
もしも事前に休む予定を把握しているなら学園に申請していそうだし、話題になるのではないか?
彼女が休むとなったら、デイジー辺りが声を出しそうなものだ。
……そう思うと、休みと分かっているから予め、こうして管理人に渡すよう依頼したと考えるのは聊か早計な気もするが。
「二人とも、ちょっといい?」
完全にカサンドラからの誕生日プレゼントに浮かれている様子の二人に、リゼはやや険しい表情で話しかける。
「何よリゼ、そんな怖い顔して。
もしかしてプレゼントが気に入らないとか、そんな罰当たりなこと言う?」
「そんなわけないでしょ」
腕を組んだまま、呆れた声を出してしまう。
完全に喜び勇んでいる彼女には、ちゃんと分かってもらわないといけない。
「今日カサンドラ様がお休みなら何も問題はないと思う」
誕生日プレゼントは、誕生日に渡すことに意味があると考える人は多いだろう。
当日渡すために代理を頼んだというだけなら、一々意図を深読みする必要もない。
「でも――もし今日カサンドラ様と会えても、プレゼントありがとうございますって直接言わない方が良いかも知れない」
「えー何で!? そんなの滅茶苦茶失礼でしょ」
リタが噛みついて来るのは分かった上での提案だ。
勿論お礼を言うつもりだけど、あからさまに皆の前で「誕生日プレゼントありがとう」と雁首揃えて頭を下げることは控えた方が良いとリゼは判断した。
もしお礼を言うことに何の問題もないなら、カサンドラは直接渡してくれるのではないか。
ほぼ面識がないだろう寮の管理人に言伝を頼んで替わりに渡してもらうなんて迂遠な方法を採った理由が、必ずあるはずだ。
自分達がジェイクやラルフに渡すのとは違う、所謂友人同士のプレゼントのやりとりを躊躇う必要はない――そう思う。
教室で面と向かって渡してくれれば事足りる話ではないか。
敢えてわざわざ人を介したということに彼女の真意を考えなければいけない、とリゼはこの違和感のある状態に眉をしかめた。
「成程、確かに学園内はオフィシャルな場……。
私達はカサンドラ様のご厚意に甘えて普通に話しかけているけれど、本来雲の上の人だもの」
気軽に庶民と物品のやりとりを行うのは良くない事だと言われれば、そうなのか、と納得する他ない。
そう思い至ったリナは何度も頷く。
カサンドラも立場を弁えろだなんて思ってはいないはずだ。
そんな考えをするような人なら、最初からお返しなんて考えることもないだろう。
ゆえに、こうして人づてにプレゼントを渡してくれたという事は、だ。
彼女が最大限自分達の立場を考えてくれた親切心と捉えるのが正解な気がしてしょうがない。虫の知らせと言うか。
ただでさえリゼは剣術大会で無駄に目立ってしまった自覚がある。
そこに加えて王妃候補から寵愛めいた態度をとられているのかなんて思われては、個人的な反感に繋がらないとも限らない。
「そっかぁ、あんまりにもカサンドラ様から至れり尽くせりって思われたら……
また、
案外すんなりとリタは納得した。
自分達はカサンドラに目を掛けてもらえて幸運だが、その幸運が自分達の努力などではなく――ただの偶然や気まぐれ、ただの優しさに過ぎないものだとすれば。
人によっては狡いと思ったり、悪感情を抱く人もいるかも。
特に贈り物なんて顕著ではないだろうか。
入学早々、カサンドラからクッキーをもらったことがあるがそれとはまた事情も重みも違う。
自分達は彼女から物をもらわなかったとしても、十分好意的に接してもらい便宜をはかってもらえている。
あの三位一体で贈ったカサンドラへのプレゼントだって、ただの貢物扱いされてもおかしくない――
「でも黙って素通りなんて出来ないんじゃない?
私、ちゃんとお礼言いたいなぁ」
リタが口を突きだしで不満の意を表明する。
その気持ちは分かるが、もしもリゼの推察が的外れでないとして。
登校中や教室内で大々的に『誕生日プレゼントありがとうございまーす』なんて言い出したら?
カサンドラをドン引きさせてしまいそうな気がするのだ。
「リゼの考えすぎなんじゃない?」
何事も素直に捉えるのはリタの良いところだ。
だが今この時ばかりは、素直過ぎてはカサンドラに迷惑をかけるような気がしてならない。
※
「いってらっしゃい、今日も一日頑張ってね」
王立学園女子寮の管理人のおばさん。
彼女は気さくで良い人なのだが、少々アバウトな性格なのも知っている。
だから寮の出口で管理人に声を掛けられた時リゼは――周囲を素早く確認。
傍に自分達姉妹以外いないことを確認し、管理人のおばさんにこっそり耳打ちするようにコソコソ尋ねることにした。
『管理人さん。
カサンドラ様、他に何か仰ってませんでしたか?』
「ええ? 他のこと? うーん、そうですねぇ」
彼女は唐突な質問に首を捻って昨日のことを思い出しているようだ。
すると、ポンっと手を打った。
「ああ、そうそう。
確かお礼は要らないとか、そんな事を仰っていた気がしますよ。
以前お会いした時も思ったけれど、カサンドラ様は本当に謙虚で慎ましやかな方ですよねぇ。
私達平民にも丁寧で」
ここから通う貴族のお嬢さんは気難しいのが多いのに、と。
彼女は世間話、井戸端会議のノリでリゼ達にそう言った。
もはやリゼ達の目は点状態である。
お礼は要らないとわざわざ念押しするという事は、つまりそういうことなのだろう。
既にカサンドラは自分の意思をちゃんと管理人に伝えていたのだ。
ただ、それがきちんと伝わってこなかったというだけの話で。
「リゼ、大正解だったね……あっぶな……」
流石のリタも引き攣り笑顔だ。
手袋越しにも分かるほど、鞄を握る手に力が籠っている。
人畜無害で人の良さそうな管理人相手、しかもこちらの事情を知らないわけで。
一々文句を言ってもしょうがないのだけど――
それ!
それ、一番大事な情報だから!! 端折っちゃダメでしょ!
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