第267話 アレクの雑感



「手編みの……マフラー……?」


 カサンドラの正面で夕食を進めていた義弟、アレク。

 彼はその綺麗な碧眼をこれでもかとばかりに見開き、ナイフとフォークを握る両手をプルプルと小刻みに揺らしていた。

 まるでこの世のものとも思えぬ化け物を見たかのような驚愕に満ちた表情。

 そんな視線を向けられるカサンドラの方が吃驚だ。


 唖然とした、というよりは恐れおののいているという表現が正しいかも知れない。


 カサンドラより五つ年下の少年は、その年頃にあるまじく整った相貌を崩してカサンドラを見据えている。


「アレク、そこまで驚かなくても宜しいのでは?」


 確かに『王子の誕生日プレゼントに手編みのマフラーを考えている』なんて言ったら、アレクは驚くだろうとは思っていた。

 もしかしたら口に含んだものを噴き出してしまう程驚かせてしまうかもしれない、食事中に出す話題としては不適切だろうなと自嘲していいたものの。

 それどころではない驚きようだ。


 天と地がひっくり返ったとしてもここまで彼は驚愕しないのではないだろうか。


「し、失礼しました」


 彼はようやく我を取り戻し、恥じ入るように小さな咳払いをした。


「そうでしたね、姉上は既に頭がお花畑――もとい、恋する乙女思考の持ち主でしたよね……

 最近ちょっと忘れてました」


 何故そんな遠い目をするのだ、義弟おとうとよ。


 それにしても、血が繋がっていなかろうが一緒に暮らしている家族に恋する乙女だなんだと言われると顔から火が出る程恥ずかしいから止めて欲しい。

 部屋の端に並び、すました顔をして待機している使用人達の頬がピクついている事に嫌でも気づいてしまう。カサンドラも一気に顔が紅潮しかけた。


「何でまた……手編みなんですか。

 それ、重たくないです……? いえ、軽重に関しては僕には判断できませんが、姉上らしくないと言いますか」


 アレクはまだ動揺を隠せないのか、若干声が震えている。

 好きな人相手に手編みグッズ、しかも身に着けるものを贈るのは重た過ぎるというのはカサンドラとも見解が一致するものだ。


 実際カサンドラだって、今日シンシアに提案されなければ最初から選択肢にも入れることは無かっただろう。

 あれはシンシアのような幸せで何の問題もない恋人達にのみ許される贈り物。


 特に手編みのセーターなど、独り身で侘しい人に対して著しい殺傷能力を発揮する神具。

 精神的ダメージを負わせる禁忌の衣と言っても過言ではない。


 セーターまでとは言わないが、マフラーだって一目一目想いを込めると考えたら……ズシーンと重たいものだ。

 本来使用した毛糸分の重さしかないはずのマフラーが、鉄の塊のような圧迫感や重量感を与える事もあるだろう。


「わたくしが何を選んだところで、王子は全て手に入れることが出来るでしょう。

 現在所有されていないというものは、必要ではないからお持ちではないのです。

 ――そう考えると、何を購入してお渡ししたところで……」


 求めれば、王国で最高級の逸品を選んで持つことが出来る存在だ。

 必要なものであれば既に持っているし、相応しいものを既に与えられているのである。


 カサンドラがどこぞの商会で彼のお眼鏡に叶うものを選定したとして、それ以上の物を既に彼は持っているのだ。


 何をあげても意味がないのではないかと臆していたところに、シンシアが『手編みのマフラー』なる呪文を囁いてくれた。

 それがこの世に二つとない、カサンドラにしか贈ることの出来ないプレゼントだと思えばその要素に縋りたくもなる。


「シンシアさんのご意見にも一理あると思い、検討しているのです」


「言いたくはないのですが、姉上は手先があまり器用ではないですよね?」


「……人並みには……」


「……。」


 アレクが胡乱な表情でカサンドラを見つめてくる。

 嘘をつくな、と視線で射抜きながら。


 カサンドラだって自分が物凄く不器用だなんて思っていないが、人よりは少しばかり絵心が無かったり、針を刺すのが苦手だったり……するとは思う。

 昔手すさびに習った刺繍だって、それなりに見れるような作品に仕上げるのに結構な時間を掛けてしまったのだし。


「それにシンシアさんに手取り足取り教えてもらうつもりですか?

 流石にご自身の事情に他人を巻き込み過ぎです。

 家族でもない赤の他人にそこまで借りを作ってまですることなのですか?」


「シンシアさんにお願いするつもりはありません。

 ナターシャに教えを受けます!」


 いくらカサンドラでも、これ以上シンシアをつき合わせるつもりはなかった。

 好意に甘えて便宜をはかってもらったけれど、これ以上は流石に振り回し過ぎだという自覚もある。


 編み物が得意な人間はシンシアやリナだけではない。

 使用人の多くは手先が器用な女性が多いし、一通り裁縫などの技術を身に着けているはずだった。

 特にメイド長のナターシャは熟練の腕前と聞くし、身近に得意な人がいるなら彼女に教えを乞えばいい。

 きっと嫌だとは言わないだろう。

 カサンドラが手芸に興味があると言い出したら、逆に嬉々として教えてくれそうな女性である。


 憤然とした様子のカサンドラの勢いに、アレクは少し戸惑ったようだ。


「アレクは、手編みと言う事にあまり良い印象がありませんか?」


「……そういうわけではないですよ。

 ですが……

 王子のお人柄をお聞きしていれば、巧拙に関わらず喜んで受け取って下さるでしょう。

 そしてきっと、そのマフラーを身に着けることもあるはずです。

 ……僕はその事態を想像し、少々蒼褪めているのですよ」


 要するにアレクはこう言いたいのだ。

 カサンドラという素人以下の人間が制作した襤褸ボロのようなマフラーを身に着けなくてはいけない王子、可哀想……と。


 普段素材から何から最高峰の物で身を固める王子が、カサンドラの義理のために”ボロッ”という効果音が似合いそうなマフラーを巻かなければいけないとすればかなり躊躇われることだろう。


 周囲の人間だって何事かと事情を聴くに相違ない。


「想いを籠めればいいというものではありませんよ。

 姉上にとっても恥ですよ!?

 不格好で価値のない品を婚約者に贈るなんて、と笑われたらどうなさるのですか」


 いくら気持ちを込めようが不味い料理は不味い。

 人様を招待するのに初歩的な料理さえ出来ない人間を厨房に入れられないように、結果が全てだ。

 不味いものを「美味しい美味しい」と食べる話が美談になるのは、一般庶民までの話である。

 見栄や格好、世間体が何より大事とされる社交界で『想いを込めたものだから』と襤褸を纏わせたところで笑い話にしかならない。


 相手を想うなら、ちゃんと見栄えのするものを寄越せ、という話だ。


 不器用でも頑張りました、という心温まるストーリーにするには王子と言う立場はあまりにも高すぎる。

 村娘が想いを寄せる青年に四苦八苦しながら編んでプレゼント、という心持ちでどうするのか。

 アレクはそう忠告しているのだ。


「王子のお誕生日まで時間はあります。

 それまでに編み物を基礎から学びますし、いかにも素人が制作したようなマフラーをお渡しするなど出来ません。

 失敗した時のため、代替の贈り物も事前に用意するつもりです。

 アレク、貴方の目から見てお贈りするに不足なしという品が出来上がれば――という事ではいかがでしょう」


「……そこまで、ですか……。

 いえ、そもそも僕が姉上の贈り物をどうするのか決める権利などありませんでしたね。

 差し出がましい事を言って申し訳ありません」


 彼は気が咎めたのか、曖昧な笑みを浮かべる。

 そして互いに乾いた笑いを浮かべつつ、グラスに入った水に口をつけた。


 アレクに相談したのはカサンドラなので、忌憚ない意見を聞けたことは有り難かった。

 彼があまり良い反応を示さなかったのは立場云々というよりは、男女の意識の差かも知れない。

 恐らく彼自身が、そんなプレゼントをもらったら――かなり困る、と思ったからの指摘だったと思われる。


 カサンドラとしては自分に出来る、この世に二つとないものをという意識で前のめりになってしまったけれど。

 彼が言うことも尤もだ。


 贈り物は自己満足で終わってはいけない。

 もらった相手が義理を立てて使用してくれることを考えた、ちゃんとした品を贈るべきである。

 もとより失敗作などを押し付ける気は毛頭なかったのだけど、アレクの目から見ても大丈夫なマフラーが完成した時だけ渡すことにしようと心に決めた。


 身内に冷静な人がいてくれたら、とても助かる。

 もしも仮に、他の友人と呼べる人たちに話を持ちかけたら「それはいい」と賛同してくれたかも知れない。

 危うく恥をかくところだったし、王子を困らせてしまうところだった。

 想いの重さ以前の問題だ。


「いえ、アレクの意見は大変参考になりました。

 どうやらわたくしも浮足立っていたようです」


「ならば良かったです。

 誕生日と言えば、今月は多いですよね。

 確か例の三つ子の特待生の誕生日も近いとか?」


「ええ、それに貴方の誕生日も、です」 


「僕の誕生日は前にも言ったように、何もしなくていいです。

 ご存知の通り、レンドールに帰省することになっていますので」


 アレクの誕生日パーティを遥か遠方の実家で行うらしい。

 そのまま年末年始をレンドールで過ごすから、誕生会が嫌だから帰省しないというわけにもいかないのだとか。

 誕生日プレゼントをと思ったが、彼は「僕も何も贈らなかったでしょう?」とお道化た様子で手を振る。 

 元々前世の記憶を取り戻す以前も、互いに誕生日に贈り合うという習慣は無かった。

 アレクにしてみればカサンドラが今年になって急に張り切り、プレゼントだなんだと言い出した事に驚いたに違いない。

 カサンドラには帰省の呼び声がかかっていないので、これ幸いと年末年始は王都で過ごす予定だ。

 第一王子の誕生日があるのに帰省など絶対したくない。


「……確かフォスターの三つ子のプレゼントはゴードン商会から購入したのですよね」


「そうですね、お陰でとても素敵な手袋を見繕う事が出来ました」


「姉上、そちらのプレゼントはどのようにお渡しする予定ですか?」


 突然、アレクは異なことを言う。

 クラスメイトにプレゼントを渡す方法も何も、登校直後に面と向かって渡せば良いだけではないか。

 だが彼の表情は真剣そのものだ。


「それは……教室で、朝お会いした時に」


「王子相手ならいざ知らず。

 姉上が人前で個人的な贈り物をお渡しするというのはいかがなものでしょう」


 誕生日だとは言っても、普通の人は三つ子の誕生日がいつかなんて知らない。

 それに彼女達がカサンドラに誕生日プレゼントを渡してくれたからと言って、それに伴って個人的なお返しをすることは特別な関係を意味してしまうのではないか?

 と、アレクは不穏当なことを言う。


「今、学園内では例の食事会の件のことが水面下で話題になっているのかも知れませんよ。

 そんな中、姉上が特待生に個人的な贈り物をしているだなんて。

 もし誰かに目撃されたら面倒な事になるのではないですか?

 しかも仕入れ先が大商会ではなく、ゴードン商会というのも……」


「……。」


 アレクの言うことは石橋を叩いて渡るような、かなり慎重論だと思う。

 誕生日プレゼントのお返しを直接渡すことの何が悪いのか。


 ……物品を贈って、派閥でも立ち上げようとしているのかと邪推されかねない……ということか?

 いや、そんなまさか。


 眉根に皺をよせ、高い天井を睨み据えるカサンドラ。

 たまたまこのタイミングで彼女達の誕生日だっただけで、全く関係のないことだ。


 だがキャロルたちと親睦を深めたという話が誰かに知られ、その噂が人知れず流れ――カサンドラの動向を伺っている女生徒も数多くいるかも知れない。

 そんな時にプレゼントです、と物を直接渡して回るのは印象が悪いのは事実だ。


 疑心暗鬼になって相手の真意をはかりかねている時にいつもしない行動をとれば、嫌でも注目されるだろう。


 考え過ぎか……?


 だが、カサンドラの頭にチラっと浮かんだのはデイジーのことだった。

 彼女には事情を話しているし、普段三つ子と仲が良いことは彼女も知っている。

 でも個人的に彼女にプレゼントなんて個人的に贈り合ったことなどない。


 家同士のやりとりだけで済ませており、誕生日だからとわざわざ多くの個人的なプレゼントを抱えて登校してくるなんてジェイクやラルフ達の誕生日くらいだ。


 煩雑なやりとりを抑止するため、貴族令嬢間でのやりとりは基本学園内では行わないことになっている。

 キリがないし、あの人に渡して私にはないのか――という面倒ごとが増えるだけだから。


 慣例。

 だけど何の制約もなく自由に庶民として振る舞う三つ子達に対し、カサンドラがわざわざ”合わせている”姿を見られるのは……

 彼女に対する気遣いが足りないのではないか、とも思うのだ。


 ああ、モヤモヤする。


 ただ誕生日プレゼントを友人に渡すだけで、何でこんなに逡巡せねばならないのか。

 もっと気楽に――と思いカサンドラは吐息を落とした。


 雁字搦めで、派閥がハッキリ線引きされ、何をするにも息が詰まる。

 シャルロッテはそういう状況が嫌だからカサンドラに訴えたのではないか。

 カサンドラも学園の生徒である以上、彼女達に関わった以上無関係です、なんて言えやしない。

 一層の慎重な行動が求められる。


 そうか、こんな儘ならない想いを抱えながら彼女達は過ごしてきたのか。

 自分よりもっと多くの枷に縛られて、そりゃあ声を上げたくもなるだろうとカサンドラも納得だ。




 何にせよ、時期が悪いとアレクに釘を刺されるのはしょうがない。

 昨日の今日の話なのだから。


 下手をすれば三つ子を巻き込みかねない。 



「……助言、感謝します」



 でも、折角用意したプレゼントを渡さないわけにはいかない。

 直接渡せないとすれば方法は限られてしまう。




 今日の夕食は、あまり味がしなかった。

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