第265話 二学期最後の月


 楽しいひと時を過ごすことが出来たという充足感、安堵感。


 自分に出来る事はやり切った。

 そう思えるだけの時間を過ごせたことは、カサンドラにとって大きな収穫だ。



 本来であれば、学園内の女子間派閥のエトセトラに自分が関わる必要は無かったかも知れない。


 王子がシナリオ通りの結末に終わってしまうのなら……

 無意味な行動でさえある。


 カサンドラに課せられていることはいかにして王子の身の破滅を救うのかという一点だけ。

 それに加えて万が一王子を救うことが出来なかった時に世界を救う手立てがなく、文字通り『詰んだ』状態にならないよう主人公達に望みを託して恋愛成就を応援、覚醒を祈ることしかできないわけで。


 どう考えても確実性がなく、手を拱いていれば最悪世界が滅ぶ案件なわけで。

 そんな国の存亡をかけた状態で学園内の派閥がどうこうなんて攻略とは関係のない横道のようなものだ。

 

 だが、キャロルやアイリスの想いは切実だった。

 そして今後王子との関係を損なう可能性のある懸念事項を今の内に刈り取るという意味では避けて通れないイベントだったと思う。

 万が一放置して、来年度以降女子間の対立が激化してそれをおさめられないカサンドラに王妃適性なしなんてシリウスに糾弾されたら困る。


 この世界の現実を生きている身としては、きっと未来への無駄な行動など存在しないのだろう。全てに意味を見い出すべきだと強く思う。


 だから今後も、攻略の糸口になりそうにないことだと性急に判断せず、王妃候補の『カサンドラ』として不足ない行動をとろうと改めて強く思った一幕である。



 昨日一日の会合でいきなり状況が激変するわけでもないが、徐々に関係性が変わっていくはずだと思う。

 次回のお茶会の約束まで取り付けることが出来たのだから、交流があることが知れ渡るのも時間の問題。後でデイジーには経緯を話しておくべきだろう、彼女には負担を強いてしまった。


 後はカサンドラさえ出しゃばらなければ角は立たないはず。

 義理も果たし、近い将来の懸念事項を一つ解決したと思えば気を揉んだだけの見返りはあったと思う。



 足取りも軽く、カサンドラは教室に向かった。

 生徒会室の王子の机の定位置に手紙を置いた後は、静まり返った人の気配の無い廊下を通って。


 食事会の事を王子に報告するべきか迷ったが、一応彼女達と交流を持つことが出来たと手紙に書き添えてある。

 成果がどういう形で現れるのかは定かではないが、カサンドラがミランダ達と個人的に親睦を深めたというのは王子にとっても意味のある情報かもしれない。


 自分の手柄のようにとらえられやしないかと躊躇ったけれども、アレクが報告した方が良いと言ってくれたのでそれに従うことにした。

 アレクも父にそれを伝えると勇んでいたが――

 はてさて、父はこのアレクの報告を受けてどう受け止めるのか。

 今からドキドキものである。

 やはり叱られたり呆れられるよりは、よくやったと褒められたいものである。


 何歳になっても変わらない。




 ※





「カサンドラ様、おはようございます……!」




 早朝の教室で再び彼女シンシアと邂逅する。

 誰も登校していない朝早く、生徒会室に王子への手紙を置いて教室に入るのは毎週のことだ。

 特に王子から返事が来るわけでもないし、返事をしなくても罪悪感を抱かない程度の適度に短い文章なのでそれは気にしていない。

 ただ、彼がその事務的でカサンドラの感情を押し出せていない手紙を毎回受け取ってくれることが嬉しかった。


 王子と対話をする時間の少ないカサンドラには、今となっては自分のことを伝える唯一無二のツールと化している。


 カサンドラが手紙を渡す目的があることを知らなくても、毎週月曜日に自分が早く登校してくると知っているクラスメイトはいた。

 三つ子もそうだし、恐らく王子も知っているだろうし。



 ――そして、シンシア。



 彼女も朝早く登校すればカサンドラに会えるのだと知っているクラスメイトの一人だった。


 「おはようございます」と微笑みを返しながら、カサンドラは首を傾げそうになる。

 彼女は毎朝ベルナールと登校してくるので、始業より一時間も早い時間に教室にいるのは不自然だ。

 しかも季節は冬。

 ただでさえ出足の鈍くなる季節に、真っ先に教室に待機しているのがシンシアとは……


 彼女はカサンドラの姿を確認し、ホッと人心地ついたかのように表情を緩ませる。

 控えめにはにかむ彼女がカサンドラに近づいてきた。

 その手に一抱えほどの大きさの包みを携えて。


「先日依頼を受けました、こちらのプレゼントをお持ちしました。

 ご確認ください」


 忘れていたわけではないのだが、昨日の食事会のことをずっと脳内で反芻していたせいで――

 それより前にシンシアに頼みごとをしていたことをすっかり失念してしまっていた。

 自分は何と言う義理の無い人間なのだ、とカサンドラは胸中で後悔の嵐に襲われる。


「ありがとうございます、本当に助かりました」


 シンシアが先週末屋敷に招待し、カサンドラに見せてくれたのは、三つ子への誕生日プレゼントだ。


 部屋中ぎっしり埋め尽くす可愛らしい小物の中から、カサンドラは当初の予定通り白い毛玉の飾りがついたキュートな手袋を選んだ。

 藍色の毛糸で編まれた手袋は手触りも良く暖かそうで、きっと三つ子も気に入ってくれるに違いない。


 ゴードン商会が取り扱う雑貨の中で、彼女達に似合いそうなものをと僅かな時間で一生懸命集めてカサンドラに選ばせてくれたシンシア。

 ファンシーな小物が大好きなシンシアセレクトの雑貨展覧会はもう一度足を運びたいと思うに十分な素敵な空間だった。

 きっとリナがいれば小一時間どころか半日は余裕で時間を忘れて楽しんだに違いない。


 カサンドラは彼女達に似合いそうな手袋を選定し購入したのだが、その時にシンシアに重ねて相談を持ち掛けたのだ。

 この同じデザインの手袋に、シンボルマークのチャームを取り付けてプレゼントしたいと。


 丁度手首にかかるかかからないかの下の部分に、この飾りをつけることは可能だろうか、と彼女に問う。

 本来はイヤリングやネックレスの飾りとして利用するような星や太陽の形を模した銀細工、それを鞄の中から取り出し彼女に見せながら。


 シンボルマークについては王子にも相談したが、ただ既成の店に並んでいる手袋をそのまま渡すのは味気ない。

 銀細工には、それぞれ小さなルビーやサファイア、エメラルドの粒が控えめに填められている。


 シンシアは手袋とその銀細工のシンボルを交互に眺め、これくらいならすぐに取り付けられると請け負ってくれたのだ。

 それくらい自分で短いチェーンでもつけて縫い留めればいいのだが、刺繍ならいざ知らず手袋と言う毛糸生地に何かを縫い付けたことはない。

 下手に扱えば縫い目を潰してしまいかねず、シンシアに飾りつけを託すことにした。


 勿論その分の代金は上乗せして購入することにしたが、快く引き受けてくれる彼女には感謝しかない。

 こんなに切羽詰まった時間であれこれ走らせ、手を使わせ。

 完全に彼女の善意をあてにしてしまった自分が情けない。


 これは以前家に招待したくらいでは礼にもならないが、あまりにも値の張る手土産は彼女も受け取ってくれないだろうし。

 せめて彼女が困った時には力にならないと、と肝に銘じるのみである。


 袋から丁寧に取り出して実物を確認すると、確かに渡したチャームを手袋に綺麗にとりつけられていた。

 リゼにはルビー、リナにはサファイア、太陽リタにはエメラルドの小さな宝石が填まっている。


 これなら姉妹間で取り違える心配もないだろう。



「本当にありがとうございます、何とお礼を申し上げれば宜しいのか……

 丁寧なお仕事ぶり、わたくし感動いたしました」


「いえ! その程度のことでしたら……

 私の取り柄なんてそれくらいしかないですし」


 わたわたと彼女は両手を左右に振る。

 約束などしていなかったのに、今日早く登校すれば三つ子に知られずに現物の受け渡しが出来ると自ら動いてくれたのだ。

 何と気の利く女性だろうか。


 ……本当にベルナールが相手で良いのか、とカサンドラは想像の中で偉そうに不敵に笑う彼の姿を思い浮かべて複雑な気持ちになった。

 まぁ、本人達は至って幸福そうだからカサンドラが嘴を挟むことでもない。


「カサンドラ様のお役に立てたのなら嬉しいです」 


 あくまでも彼女は控えめで、遠慮がちなのだけど。

 ――良い子過ぎて、その眩しさに目がくらみそうだ。 


 三つ子ヘのプレゼントが入った包みを胸に掻き抱きながら、カサンドラは翡翠色の目を細めて彼女を眺めた。

 黙ってじっとしていれば地味で目立たないその他大勢の女の子なのだけど。

 リナと気が合うはずだなぁ、と今更ながら納得だ。


「お誕生日と言えば――もうすぐ王子のお誕生日ですね。

 もう十二月に入ってしまいましたし」


 照れた様子のシンシア。

 彼女はカサンドラからのこれ以上の感謝の言葉を逸らすように、人さし指を一本高い天井に向けてピンと立てそう言い放った。

 

 唐突に聞こえたが、確かに王子の誕生日をどうするかというのは目下のところ白紙状態、まだ具体的に何も考えていない状態である。

 何せそこに辿り着くまで、王子との再度の街中散策やら学期末試験やらも待ち構えていた。

 年末が遥か遠くに感じられていたが、言われてみればもうすぐである。


「私がお聞きして良い事かはわかりかねますが、プレゼントをどうされるかお決まりですか?」


「いえ、まだ検討中なのです。

 とても難しいですね、王子は何でも手に入れることが出来るお立場でいらっしゃいますから」


 カサンドラは肩を竦めた。

 王子の誕生日を祝いたい気持ちは山々だが、果たして腕時計のお返しに何をプレゼントすればいいのかは大変難しい問題だった。

 同じように腕時計をプレゼントするのは僭越すぎる。


 王子が身に着けるものは基本的に王宮なら侍女が、寮でなら使用人が一手に引き受けてコーディネートしているはずだ。

 そこに自分が選んだものが混ざり込むというイメージが全く湧かない。


 かと言って露店に売っているような小物をあげるわけにもいかない。何もあげない、気持ちだけなんて選択も当然NG。


 しかしながら「これだ」というアイデアがあるわけでもなく、そもそも誕生日に二人きりになれるのかさえ定かではない。

 カサンドラにとって王子の誕生日は遠い先の話の感覚だったが、シンシアの言う通り既に用意に動くべきタイミングなのだろう。


「そうですよね、私の家が取り扱っているものをお勧めするなんて畏れ多い事ですし。

 こればかりはお役に立てそうにも……」


 するとシンシアは、両の掌を合わせて黒い双眸を輝かせる。



「カサンドラ様、手編みのマフラーなどはいかがでしょう!」

 


 ゴゥ、と。

 正面からまごうことなき突風が吹きつけ、カサンドラの心象風景は大混乱の様相を呈していた。



 て、てあ、手編み……だと……?



 有名な職人に作らせても王子のお眼鏡にかなうか自信がないというのに。

 素人以下の自分が作成したマフラーなど、一体どんな顔で渡せというのか。

 頬に片手を添え、ぴくぴくと引きつりそうな表情筋を何とか宥めようとするカサンドラ。


「え、ええと……」


「王子がお金で手に入れる事が出来ない、唯一無二の品と言えばカサンドラ様手ずから作成したものではないでしょうか」


「生憎編み物の心得がありませんので、到底お渡しできるような作品を用意できるとは……」


「実は私、ベルナールさんにセーターを編んでいるところなんです。

 もし差支えないのでしたら、是非一緒にいかがですか?

 マフラーの図案なども……

 あ、すみません……

 調子に乗ってしまって、つい」



 カサンドラの前でしゅんとなるシンシアを見て慌てる。

 彼女を落胆させたいわけではない。


 だが手編みというと余りにも重たいというイメージが付きまとってすぐに頷くことは出来ず、とても困った。


「それにリナさんも、セーターを編みたいと毛糸をいくつか購入していましたし。

 私が頼りないということでしたら、リナさんにお声を掛けても良いのではないかと……」


「え、リナさんが……!?」


 まさかシリウスに手編みのセーターを……!? 彼女は勇者か!


 彼の誕生日は三学期に入ってすぐなので、セーターを使用する季節と言えばギリギリ範疇だろうが。



 色んな想いがぐるぐると渦巻く。


 ……手編みの、と枕詞になると確かに重みが増してしまうものだ。

 それに贈り物の体を成すほど上手く編めるとも限らない。


 しかしシンシアはカサンドラに善かれと思って進めてくれていて、実際にアイデアも浮かんでいないのだ。

 一応編挑戦してみて、もしもプレゼントに相応しくない出来栄えだった時の事も考え別のプレゼントも用意して……




 着るものはハードルが高い。

 でもマフラーくらいなら……




 そんな葛藤に苛まれ、懊悩しているとぽつぽつとクラスメイトが登校してくる時間になってしまった。







   お金では買えないもの――か。





 



 自分の掌を、じっと見つめた。

 不器用な自分に、果たしてそんな真似が出来るのだろうか。  


 心中がざわざわとして、落ち着かない。

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