第264話 投げられた賽
キャロル、ミランダ、シャルロッテ。
それぞれの立場、思惑はあれども無事に揃って今日この日を迎えることが出来たのは重畳だった。
もしも誰か一人でも欠けていたら、その人の抜きにして親睦を深めるわけにはいかなかったからだ。
どこの派閥にも属さず、もはや根無し草のように浮いているカサンドラであるとしても。
王妃候補という立場に揺らぎはない。
やろうと一念発起すればもう一つの勢力を学園内に作り出すことも決して難しい話足りえない。
だからこそ、そんなつもりは毛頭ないのだとアピールしつつ彼女達に公平平等に接することが求められている。
カサンドラにとって、正念場だった。
今日一日の食事会がどんな形で終わるのかで今後の学園生活の難度が変わる、そんな意気込みをおくびにも出さないよう出来るだけ自然体で彼女達を歓迎した。
実際は常に胃が痛みを訴え、キリキリと片頭痛に苛まれそうだ。
派閥だなんだの政治色の強い駆け引きは苦手である。
レンドールという南部地方でお姫様扱いで悠々自適の生活を送っていたカサンドラにとって、学園内はまさに魔窟そのものだ。
孤高を気取っているものの、勢力争いが苦手だから、行儀よく上品に争う方法を知らないからそこに飛び込めないだけという一面も心理を衝いている。
そんな自分が果たして、そういう序列社会の荒波にもまれてきた彼女達と対等に渡り合うことが出来るのか。
蓋を開けてみなければ判然としない状況だった。
だがこれも自分のため、アイリスのため、そして――キャロルのためでもある。
アイリスの義理の妹の凄まじさはカサンドラも入学前に目の当たりにした経験があり、彼女らが来年度以降学園内を我が物顔で跋扈するのかと考えると今から憂鬱だ。
尤も、王子の婚約者で殆ど関わり合いの無いカサンドラには絡んでこないかもしれない。
その分割を食うのはキャロルだろう。
……もしも彼女が困ることがあった時、手を差し伸べることが許される環境でありたい。
理想は三つの派閥が拮抗している上に円満な関係であること、だ。
あの姉妹たちが少々騒いだところで誰も耳を貸さないような盤石な体制になれれば完璧だが、焦って上手くいくものでもない。
一気に求めることはできないだろうとカサンドラもよくよく理解しているつもりだ。
今のままでは学園内でカサンドラがキャロルに接触をはかるのも困難なので、そこだけでも緩和出来れば牽制になる。
キャロルだけではなくミランダやシャルロッテにも気を配りつつ、個人的な交流を周囲にアピールして受け入れてもらいたいだけなのだ。
カサンドラにとってそんな想いを乗せて送った招待状。
集まれなかったという最悪の状況を回避し、ミランダの機嫌も上向きになり。
残りの時間を何事もなく恙なく過ごせばいいと、半分以上ミッションを進行させたつもりでいたカサンドラだった。
「……シャルロッテさん、ミランダさん。
ご気分を害されたとしたら大変申し訳ありません。
実は……――」
急に決然とした様子で、今まで大人しく皆の話を聞いていたキャロルが話を始めたのでカサンドラは内心酷く焦った。
キャロル側の詳しい事情を敢えて詳らかにする必要はないはずだ。
それは突き詰めればケンヴィッジ家の手落ち、管理不行き届きを意味し。
家族を御せないのだとアイリスのイメージを損ない、更にキャロル自身の心象を著しく下げることではないのか。
いくら和やかに食事が進んでいるとは言え、あくまでも対等な関係であるべきなのだ。キャロルだって自分から言い出したいことではないに違いないのに、一体何故急に?
だが当人が話したいという事をカサンドラが差し止める権利はない。
願わくば、シャルロッテやミランダが彼女の告白に対し付け入るような邪な感情を抱かない事を祈るのみだ。
個人個人は良い人であっても、集団の長ともなれば立場が変わる。
属する者への利益、見返りが望めるのであれば積極的に相手の失点を突いて足場を崩すくらいの強かさがないと派閥をまとめる役などやっていられない。
キャロルは嘘や誤魔化しなく、ハッキリと自分の状況、そして来年度以降訪れるだろう不安事項をシャルロッテ達に語る。
多少言葉や事実関係を濁せばいいのにと傍で耳を
アイリスがわざわざカサンドラをガーデンパーティに招待し、その上で漸く打ち明けてくれたキャロルの事情。
彼女の可愛い妹分を残して卒業は出来ないと、身内の恥を晒して申し訳ないと言いながらもアイリスが話してくれた事がここで話として再現される。
まぁ、カサンドラにしてみれば一度傍若無人な義妹達に会ったことがある上、王宮舞踏会の招待状を目の前で破るような人たちだと知っているので『さもありなん』と納得できたのだけど。
果たして他の二人はどう思うだろうか。
派閥内のゴタゴタで自分達に迷惑をかけないで欲しいというのが、彼女達の本音ではあるまいか?
「……という事情ですので、来年度以降、頻繁にカサンドラ様にご相談する機会が増えることと思います。
情けない事だと恥じ入るばかりですが、全くお二方には関係の無い相談事とご理解いただきたく、お心に留め置きください」
彼女はペコっと頭を下げた。
緊張で何度か口籠ったけれど、それが実際に酷い目に遭わされたのだろうなというイメージしやすい効果を発揮する。
少しだけ空白の時が流れた。
ドキドキと彼女達の反応を伺う。
こればかりはカサンドラにも予測がつかな――
「何て痛ましいお話なのでしょう。
そんな物語の悪役のような性悪三姉妹が実在するなんて驚きです!
いつか天罰が下りますわ、間違いありません」
掌を大きく開き、口元を隠すように覆うシャルロッテ。
だが静寂を打ち破る遠慮も何もない鋭角を突いた発言に、思わずカサンドラは仰け反った。
そうだ、この娘はこういう子だった。
宰相を指してクソ爺呼ばわりをしてきたシャルロッテの令嬢にあるまじき物言いは予想できたはずなのだけど。
ごく自然に可愛らしい顔と声で、ギャップのある言葉を放つものだから、聴いている周囲はポカンと呆けたように口を開けたままだ。
目を丸くするとはこのことを言うのだなぁ、と遠い目をしてカサンドラは考えていた。
「……私もアイリス様の義理の妹さんのお話は聞いたことがあります。
実際に会ったのは私ではなくジェシカさんなのですけど」
しばらく硬直していたミランダだが、ふむ、と何事か記憶をたどった後に言葉を紡いだ。
「何やら酷い暴言を吐かれたと激怒していましたね。
数年前、どこぞの避暑地で狩りをしていたら狩人の娘と勘違いされたとか」
ジェシカは学園に通っている姿、パーティに出る姿こそ良家のお嬢様として何ら遜色ない立派な女性である。
だが私生活は結構わんぱくでお転婆だったとの話も聞いている、お嬢様らしからぬ行動を見られて庶民の娘が! と三姉妹に暴言を浴びせられたというなら……
それは彼女もイラっとするし、愚痴りたくもなるだろう。
その場に居合わせたらジェシカの怒気を察知し裸足で逃げ出したくなるかも知れない、凄い空気の圧を想像して三人とも身震いした。
ジェシカの剣の腕前は先の剣術大会でもしっかりと示された後なので余計に。
まぁ、普通のお嬢様が狩場でトストスと得物を狙い撃てるわけもないので姉妹が勘違いしたのもしょうがないかも知れない。
特にロンバルド派の貴族令嬢など、学園にでも通わなければ会う機会も与えられないはず。王宮舞踏会に招待を受けられないということは、それだけ世間が狭くなるということ。
「そ、それは……ジェシカさんに大変失礼なことを」
まるで自分がしでかしたことを陳謝するかの如く、キャロルはひたすら恐縮していた。
「キャロルさんが気にされる必要はありません、勘違いされても仕方のない状況であったとご本人も仰っていましたから」
それでも余程イラっとさせられるような態度をとられたのだろう。
サバサバした男勝りの性格に見える彼女が愚痴を言う姿はあまり想像できないが、ミランダに言いつけてしまうくらいにはお冠だったのだろう。
それにしても、ジェシカが自制心のある人間で助かったと言わざるを得ない。
彼女はバーレイドで待望の女の子という立場で、大層一族から可愛がられているという。
彼女の兄達は有力な騎士であると聞くし、妹を大事にしていることは間違いない。
ケンヴィッジの人間に妹を馬鹿にされたとあれば、そこで平穏ではないいざこざが起こっていた可能性も……
ミランダに愚痴るくらいでおさめてもらえてよかった。キャロルも顔が真っ青だ。
「何にせよ、そんなお話をお聞きしたからには何もしないわけにはまいりません。
カサンドラ様にご相談されるのは勿論ですが、いつなりと私にもお話を聞かせて下さい。
ふふ、妾腹という言葉は好きではありませんが……
親の立場を振りかざして輪を乱すようなことがどれほど愚かしい事なのか、是非ともその方達には身を以て学んでいただかなくてはなりませんね」
シャルロッテがにっこりと微笑んで怖い事を言う。
周囲に花を散らしそうな朗らかな笑顔だというのに、言っていることが不穏当過ぎてカサンドラの頬も若干引きつった。
「学園内には学園内の規律、暗黙のルールがあるのは確かです。
今までのように、簡単に親が出てくることはできません。
――キャロルさんさえ呑まれることが無ければ、身を滅ぼすのは先方でしょうね」
ミランダも小さく頷いてシャルロッテの言動を補完する。
身分、生まれによって学園内の序列は決まる。それは絶対の掟だ。
あの無慈悲な食堂の席順を見ても、優遇される者そうでない者の落差はいかんともしがたい。
いくら騒ごうが、相手を蹴落とそうと画策しようが所詮は嫡子ではない者。
妾腹という事実は覆ることはない。
わざわざ愛人の娘のために、何かあるごとに学園に訴えを起こし大騒ぎするなどということがあれば侯爵の立場も無いだろう。
外面が良いというのであれば猶の事。
キャロルが臆することなく対峙できれば、状況は大きく響くことは無いだろうと彼女達は言っているのだ。
今まで通りには決して行かない、堂々と立ち振る舞えば窮するのは相手側なのは確かだ。
心理的にそれが難しいということは、先ほどのキャロルの弁でよくよく分かってくれたのだろう。
「ルブセインの人間としてどうかという以前に、私、友人を酷い目に遭わせるような方を野放しにはできません。
キャロルさんのお話を心に留め、私も出来る限り波風を立てないように皆の様子を注視しようと思います。
……真正面から庇うことが出来ないのは心苦しい事ですが」
シャルロッテは心底口惜しそうに、唇を尖らせた。
ここまで話が早いと本当に狐に化かされているのではないかという気持ちになる。
だがカサンドラよりも、キャロルの方が動揺し落ち着かない様子でそわそわし始める。
「……友……人……?」
「こうして共にお互いのことを話し合える関係を友人と呼ぶのだと思っていましたが……
もしかして違うのでしょうか」
「いえ!
……決して不満とかそうではなく、あの、驚いてしまって」
シャルロッテ本人が言っていたように、彼女は同じような立場の彼女達と話をし――仲良くなりたかったのだ。
だからカサンドラが中心になって皆を集めて欲しいだなんてとんでもないことを言い出したわけで。
もはや彼女にとって、胸襟を開いて話を聞かせてくれた彼女は友人扱いなのだと分かる。
きょとんとした顔のシャルロッテに慌てるキャロルの図はとても微笑ましいやりとりだ。
こうして思った事を条件反射でぽんぽんと軽快に口に出すシャルロッテは、共にいると楽しいけれど周囲の人にとっては微笑ましいでは済まないだろうな、とも思えてしまう。
ただ、今はその細やかなことを気にしない素直な彼女の性情が有り難かった。
カサンドラ一人が仲良くしましょうなんて示したとしても、皆が畏まって視線も合わせないようでは軋んだ雰囲気の中気まずい時が流れたはずだ。
「はぁ、学園にいる時にもこうして話が出来ればいいのですが……
私もリリム達の手前、難しくて。
……カサンドラ様」
彼女は急に思い立ったかのように手を叩き、こちらにくるっと顔を向ける。
とても見た目は本当に深窓のお嬢様としか表現が出来ない楚々とした美少女なのに。
直截な者の言い方、言葉の選び方のせいで聞いている方が困惑してしどろもどろになりそうだ。
「何でしょう、シャルロッテさん」
「また皆さんで集まる事は出来ませんか?
その方がキャロルさんも心強いと思いますし、何より――
折角カサンドラ様がいらして下さるのですもの。
せめて貴女が学園に在学される間は、少しでも過ごしやすい雰囲気になればと私も思います」
今現在男子間で殆ど目立ったいざこざがなく、派閥だ何だと面倒な事を言う生徒がいないのは間違いなく王子達のお陰だ。
今の世代は奇跡だと言われるくらい、お互いそれぞれ仲が良い。
王子自身が特に大きな支持基盤を持っているわけではないが、幼馴染達の中心にいるおかげで風通しのいい関係性を周囲に与えている。
互いに険悪なら代理戦争も辞さぬという血気盛んな者も、あのツーカーの仲の良さを目の当たりにすればいがみ合っていることの方が失点に繋がると理解できている。
ただそれが可能なのは彼らの仲の良さが周知の事実で、そして彼らが何者にも縛られない『次期当主』という立場だから出来ること。
シャルロッテ達は彼らの下に属するもので、しがらみを完全に取り除くことはできない。
彼らのように自由には振る舞えないのだ。そして女子特有の派閥への帰属意識は、男子生徒のそれとは少々異なるのだ。彼らほどスマートに簡単にはいかないだろうとカサンドラも何となく感じ取れる。
……――でも。
自分達が敵対的でない、個人的に親しいのだということが認知され反目しあう必要はないと分かれば、彼らほどとはいかずとも空気は軽くなるはずだ。
それはシャルロッテの望みが叶う瞬間でもある。
永続的な融和を意味するものではない。
今の代は穏やかに過ごせても、時を下ればまた同じようにギスギスして話しかけるのもありえない! なんてもっと強い縄張り意識で諍いが生じる時が来るかもしれないのだ。
でもそれを何とかするのはその時在学している生徒達。
今まではこうだったから、とか。
自分達がいなくなったらまた雰囲気が悪くなるだろうから……とか。
過去や未来に遠慮して従って、自分達が仲良くなれないというのは間違っているのではないか。
シャルロッテはそう言いたいのだと、話を聞いていて理解できた。
元々三つの拮抗勢力というのは、絶妙なバランスの上に成り立つものだ。
いつの時代も仲良くいられるというのはありえない話だけど、折角現状話が出来る状態なのだ。
急には無理でも、少しずつ今の状況が変わって過ごしやすくしていきたいというシャルロッテの希望。
そしてそういう状況が願ったりなキャロル。
……だが、ミランダは……どうだろう。
少々気になって、眼前に座り渋面を作る彼女を見遣った。
「まぁ……
たまにこのような会をもうけていただけるのでしたら、参加しない理由はありませんけれど。
少なくとも、知人に招待されるパーティよりは……退屈しませんものね」
彼女は澄ました表情で、カサンドラからついっと視線をずらす。
どうやら、満更でもなさそう。
楽しくない事を我慢し、無理して参加することは我慢できる。そういう日常を送って来たから。
でも楽しいと分かっていることを我慢することはとても難しいものだ。
彼女がそう思ってくれたことが嬉しく、カサンドラは表情を綻ばせ肯定の意を示す。
賽を振ってみるまでどうなるか分からない一日だった。
――ここにいる誰にとっても、最良の出目が出たと信じたい。
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