第261話 親睦会『ミランダ』



 ――何故、自分はここにいるのだろう。



 ウェレス伯爵家長女、ミランダ。

 彼女は己が決めた事とは言え、余りにも違和感を生じるこの場に混じっていることに疑念を抱かずにはいられなかった。






 ※




 今日は事前に打診を受け、その後正式にカサンドラに招待された会食の日である。

 アンディに諭され、そしてミランダ自身も納得してこの日を迎えたはずであった。


 だがどこか現実感を持てなかった。

 支度をしている間中も、向かっている最中も。



 ……本当にキャロルやシャルロッテが来るとは思えない……



 と、一気に現実に引き戻されて真顔になっていた。




 カサンドラに食事会の招待を受けて乗り込んできたものの、実際は半信半疑だったのかも知れない。

 一応約束もし、アンディに勧められた手前招待を受けた以上断ることは出来なかった。


 もしも理由なく招待を断ったとすれば、仲立ちを受けてくれたアンディの顔を潰すことになる。

 それにミランダは彼にがっかりされたくない、よって自分が参加しないという選択肢は無かった。


 とりあえず顔だけ出すけれど、全員が揃うことはないかもしれない。

 そう、漠然と考えていた。


 ロンバルドとエルディムとヴァイルと、この三家に関わる令嬢が誰も伴を連れることなく一堂に会するなんて想像したこともなかったのだ。


 ミランダはアンディの期待を裏切りたくないのでこうしてレンドール侯爵家の別邸に足を運んだわけで。

 でも……


 キャロルやシャルロッテはそんな義理立てをする相手がいるとは限らない。

 怖気づくか、今後の事を考えて前触れなく欠席するのでは……? 四人が揃う確率は低いに違いない。


 ああ、きっとそうだ。

 どちらかは急に都合が悪くなっただとか、用事が出来ただとかで顔を見せない可能性が高い。


 そうなったら、とんぼ返りすればいい。

 全員が揃っていない不均衡な状態で話など出来ないのだから、今回の件は無かったことに――と、カサンドラに告げて帰宅する。

 恐らくそうなるだろうと呑んでかかっていた。

 その方がずっとずっと、想像しやすかった。


 だというのに!


 何故かシャルロッテもキャロルもミランダより先に到着していたのだから目を疑うことになる。

 使用人に案内され屋敷の扉をくぐると、カサンドラだけではなく彼女達も既にその場に集っていたのだから目が零れ落ちるかと思った。

 あっさりと予想が外れたせいで、動揺を顔に出してしまう始末だ。


 来て早々帰ることになるかも知れないという予測はしていた。

 新調したばかりのアフタヌーンドレスを着ての参加になったものの、毛皮のコートを脱ぐこともないかも……

 そんな心配とは裏腹な現実に遭遇したミランダの笑顔は、半分引きつっていたかもしれない。



「改めまして皆様、本日はお寒い中お越しいただきありがとうございます。

 どうか楽しいひと時をお過ごしください」


 招待主ホストとして自分達を歓迎してくれる侯爵令嬢、カサンドラ。

 彼女は濃淡のグラデーションの美しいマーメイドラインのドレスを着ていたが、彼女の持つ雰囲気によく合っている。

 学園内で見かける時にはいつもハーフアップで、長い金髪を腰のあたりまで伸ばすカサンドラが髪をまとめ上げている姿は一層大人っぽく見える。


 同性、しかも彼女の方が年下なのに、と若干ショックを受ける。

 彼女の方がすらりと背が高いせいだろうか、自分と彼女が並べばカサンドラの方がお姉さんに見えるに違いない。


 屋内のホールに吊り下げられたシャンデリアの灯りが彼女の美しい金の髪と白い肌を照らす。

 その姿に目を細め、ぎゅっと己の手を握りしめた。



 ミランダは自分の赤銅色の髪が好きではない。

 こればかりは幼いころからのコンプレックスだ。


 兄は母親の金の髪を受け継いでいるのに、ミランダは父譲りの赤銅色の髪。必死に毎朝整えているものの、結構な癖ッ毛なのも気に入らない。皆は綺麗な髪だと褒めてくれるが、毎朝時間を掛けて整えていることなど知らないのだ。

 金髪や銀髪の明るくキラキラしたストレートの髪には憧れさえ抱いている。


 決して可愛らしいだとか一緒にいて安らぐというタイプの女性ではないが、カサンドラの華やかで美しい容姿は羨ましいと思う。


 顔の作りがもう少し柔らかければ完璧なのに勿体ない。

 あの鋭い眼光を放つ瞳が多くの人にプレッシャーを与え、無駄に遠巻きにされるのだろう。


 目は口ほどに物を言う、との言葉通りだ。


 ――釣り目がちの彼女に無表情で見据えられると、それだけで怖いと言われるものしょうがないことである。


 アイリスとはまた違った方向での孤高な人と言うか、近寄りがたい人だ。


「まぁ、ミランダさん。

 ごきげんよう」


 呆然とその場に立ち竦んでいるとシャルロッテがにこやかに声を掛けてきて肩を跳ね上げて驚いた。

 長い蜜色の髪はゆったりと波打ち、まるで美術館に飾られている絵画に描かれた妖精のような可愛らしいお嬢さんだと思う。


「……ごきげんよう」


 シャルロッテと直接会ったのは、これが初めての事だ。

 ああ、彼女はこんな声なのだと間近で聞いて知る。


 ミランダは取り巻き達と一緒に行動するもしないも自由で、一人でも割と平気で行動できる環境に置かれているが――


 彼女シャルロッテは、常に左右に側近を従えている。

 何をするにも彼女達がしゃしゃり出てくる様子は何度も目にした。


 シャルロッテはいつも後ろの方でニコニコ微笑んでいる印象しかない。

 第一周囲の監視の目を跳ねのけてまでシャルロッテに話しかけに行く用事もなく、為人を知る機会は皆無と言って良い状況。



 それはキャロルも同じで、彼女達と個人的に話をするなどよっぽどの奇跡がない限りありえないことだ。


 均衡した勢力同士の三カ国が睨み合い牽制している緊張状態で、その三つ国の王女同士が随伴もなく集って語らい合えるのか――国と言うには大袈裟かも知れないが、現状はそれに近い。


 たまたま貴族の子女は学園通う義務があり、ごちゃ混ぜにしたクラスで過ごしているとは言え陣容を分かつ間柄。


 一線を引いてお互いの存在をほぼ無視し合う奇妙な空間。

 耳に入る話は、他勢力の聞こえの良くない噂話や陰口、醜聞スキャンダルばかり。


 そういう状況が当たり前なのだとずっと疑問にも感じなかった。

 だけど今の男子達の様子を見ていると、確かに会話することさえ目くじらを立てられるような生活は不自然かもしれないとも思う。



 カサンドラと一緒に邸内の廊下をゆっくり進みながら、ミランダはちらちらと内装を視界の端に映していく。

 地方貴族のお嬢様とは言え、王族の婚約者として指名されただけの事はある。


 ミランダはウェレス伯爵家というロンバルドに所縁がある家としてかなり優遇された地位を有しているようで、他にいる伯爵家とは一線を画しているという自覚はあった。

 だからいくらカサンドラが侯爵家の娘だと言っても、実態は自分の方が立場が上に違いないという妙な自負があった。

 爵位こそ序列はあれども、実態を伴っているとは限らない。

 自分の方がよっぽど立場が上なのだ、と。


 今までミランダは地方を治める貴族の娘と話をしたり親交を深める機会などなかったのである。

 皆が地方だの田舎だのと蔑んだ言葉で言うし、そうに”違いない”という思い込みがあったのかも知れない。


 だがこうして招待を受けると、財力だけでもかなりのものだと察せられる。

 相当な金持ちだ。

 使用人達の質も良い。


 ……世が世ならカサンドラは一国の王女だと耳にした時には鼻で笑いかけたけれど、成程。


 王国南部、レンドール地方。

 かなり昔にクローレス王国に併呑されたとは言え、元は数多の豪族たちが覇権を争い合っていたお国柄だ。

 最も有力な豪族だったレンドール家がその地方を統治する正当な権利としてクローレスの王様が高い爵位を与えられ、今でも順当にその地を支配し続けている。

 かなりのお金を中央に納めているという話は聞くが、その額を支払えるだけの強固な地盤があって出来ること。


 中央の場に表立って出てくることはないから軽んじられていたけれど、レンドール侯はかなりの曲者なのではないだろうか。

 娘を王族に嫁がせるなんて大したことだ。

 それなのに未だに大人しく、カサンドラに表立った後援をしてやるでもなく我関せずとばかりに自身の領地に籠っている。

 一体何者なのだ。


 地方出身だから、野蛮で粗暴な田舎者だなんて限らない。


 ミランダは彼女に会って、初めてそう思うに至った。

 恐らくそういう生徒は自分以外にも大勢いるに違いない。

 

 最初は王子の婚約者なんて……とやっかみも入って彼女を良く思っていなかった者が多かった。

 だが彼女は意外にも謙虚でしっかりしているというか、出しゃばることもないし王子の婚約者という立場を以て何かを成すこともなかった。

 肩透かしのような状況だったが、彼女の立ち居振る舞いは正しかったのだ。


 誰も敵に回さず、孤高を貫くことで争いごとを避けいかなる失点もしなかった。

 過失がなければ王族の取り決めた公の婚約者に表立って逆らえるはずもない。


 ……カサンドラがただの浮かれた成金田舎者であれば、今頃周囲から顰蹙を買って誰かの姦計に陥れられていたかも知れない。


 ミランダであればアンディの傍に、いや、それが当時追い求めていたジェイクであっても有象無象が付きまとっていれば穏やかではいられない。

 彼女のように静観なんてできなかった。


 顰蹙をかわないようにそっと事態を静観するだけなんてプライドが許さなかっただろう。


 結果的に彼女は賢かったのだと思う。

 派閥を作るでもなく、それでいて庶民にも友好的で――派閥関係なくあらゆる層の生徒と対話が可能な立場を得たのだから。

 

 確かに初めて会った日に、この人は変わっている、とは感じた。

 あの時はリゼへの憤りや思う通りにならない現実へのもどかしさで頭がどうにかなってしまいそうだったから隠れていた想いだが……


 たかが特待生の一人くらい見過ごしておけばよかったのに。

 わざわざ嘴を突っ込んできて、こちらの非を論って来た。

 アンディの言う通り、彼女の踏み台にされてもおかしくない失態を犯してしまったのに、その後もカサンドラはミランダには不干渉を貫いた。


 ミランダとぎくしゃくするかもしれないというリスクを冒してまでリゼを助けた割に、彼女は自分にとってメリットのある方法を一切選ばなかった。

 ただの善意だったのか?


 ……ミランダに盾突き意見しただけというのが不思議だ。


 裏表なくそういうことが出来るような人だから、今日の食事会が実現したのだろう。

 だが、カサンドラだって聖人君子ではないはずだ。

 何か大きな目的がなければ、わざわざこの三人を誘おうなんて普通思わない。


 大きな目的――それを見極め、自分は安易に懐柔されまいと腹の底に力を込める。





 食堂に通された後、ミランダ達はそれぞれ勧められた席に座った。


 自分を守ってくれる、失言を咎めてくれる、相手を攻撃してくれる頼れる側近もいない。

 文字通り身一つでこの場に三人が揃っていることは、つい一月前であれば想像もつかなかったこと。


 この食事会が何事もなく和やかに終われば、それはカサンドラの手柄になるのだろう。


 ……少し、悔しい。



 それはミランダが生粋の中央貴族の荒波の中に揉まれて来た過去の経験、プライドがそうさせるのかも知れなかったし。

 素直に相手を讃えられるほど、カサンドラと親しいわけではなかったからかも知れない。


 ありていに言えば、癪だった。



「それにしても、カサンドラ様。

 私、今日はとても驚きました」


 四人は丸い大きなテーブルに等間隔に座っている。

 ミランダの正面にはカサンドラが上品に微笑んでいて、この状況に一向に臆する気配もなく堂々としたものだ。


「キャロルさんやシャルロッテさんと同席する機会を得られるなんて……。

 どのような誘い方をなされば、一人も欠けることなく招集出来るのでしょう。

 まさかとは思いますが……

 私達が貴女に恭順であるか否かをお試しになられているのでしょうか?」



 ミランダの言葉で、場の空気が凍り付く。



 のこのこと三人、雁首揃えてカサンドラの前に現れたという事は、お題目がどうであれ彼女に膝を折って屈せよと言われ実際にそうしたと看做されても仕方のない状態だ。

 勿論ミランダだって、会食に出席することで事なきを得るのなら参加した方が良いというアンディの勧めに頷いてここにいる。


 だが三人揃って愛想笑いを浮かべながらカサンドラに付き従うという形になって、それを呑んだということになれば。

 カサンドラとの明確な上下関係が事実化し、不利益を被るのではないかという不安が胸をざわめかせたのだ。


 簡単にカサンドラに服従などしてやらない。


 ミランダが虚勢を張ってそう牽制したわけではない。

 きっと他の二人も心の底では自分と同じ想いを抱えているに違いない。

 様子伺いで誰も言わないのなら、とりあえず自分が一言、カサンドラに釘を刺しておかなければ。



 他の二人が事前にカサンドラに脅迫だか圧迫だか弱みを握られるだかしてこの会が成立したのだと仮定すれば猶更自分が声を上げる必要がある。



 カサンドラは良い人なのかも知れない、敵ではない……でも、どこか彼女は得体が知れない。

 自分達の学園生活における立ち位置など些末な事と、もっと別の何かを見据えて動いているような不気味さも確かに感じるのだ。






 すると全く予定外の声が、ミランダの両脇から同時に襲ってきた。

 ガタッと椅子から立ち上がる、シャルロッテとキャロル。






「ミランダさん、それは違います。

 私が、この席を設けて欲しいとカサンドラ様にお願いしたのです」


 穏やかににっこりと微笑むシャルロッテは己の胸元に手を添え、ハッキリと。



「あ、あの、違います、ミランダさん!

 その、皆で一緒に仲良くできれば心強いと、カサンドラ様にお願いしたのは私なんです……!」

 


 対しキャロルは、つっかえつっかえの小さな声であるものの、身振り手振りで一生懸命。

 手を組んで何かを訴えかけるような眼差しで。





 全く声質の違う二人の声が左右から突き刺さり、ミランダは絶句した。




「え……?」




 

 キャロルもシャルロッテも三人で話がしたかった、と?

 何故?

 今までそんな兆候など一つもなかったのに?


 互いに不干渉、不介入が暗黙の了解だったではないか。




 まさか自分の知らない内に二人が仲良くなっていて、ミランダは全く蚊帳の外だったとか……?




 だが意外にも、席を立った二人が互いに顔を見合わせて目を白黒させている。

 それはお互い示し合わせたわけではないという事を表していたが、ミランダは一層混乱を深くした。






 カサンドラが首謀者、いや主催者だと今の今まで思っていたのだからいきなり前提がひっくり返ったようなもの。

 まさかの二人同時のカミングアウトに、頭を抱えたくなったのである。



  

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