第259話 リタの決意
果たしてリタが自分にどんな『相談』があるのか、とカサンドラは内心ドキドキしていた。あまり想像がつかなかったからだ。
彼女は毎日楽しく過ごしているようだし、何かに躓いているとは思えない。
馬車の中では深刻な話ではなく、彼女のアルバイトの話を主に興味深く聞いていた。
彼女があのシャルローグ劇団の裏方として働いている事に今でも驚いているが、彼女の人懐こく明るい性格を思えば自然と溶け込めている様が容易にイメージできる。
決して華やかな舞台に上がることない裏方の主に力仕事を生き生きとこなしている彼女に、カサンドラもつい表情が綻んだ。
だがそんな雑談をするために寒空のした長時間カサンドラを待ちわびていたわけではあるまい。
一体彼女が何を思い煩っているのか、自分に何が出来るのかという事を新調に見極めなければ。
リゼのイベントが上手くいったとそこで気を緩ませている場合ではない。
――それに、カサンドラだって自分側の問題が遅々として進んでいない事に焦りも覚えている。
結局カサンドラがキャロルたちを招いての食事会の予定を先に入れてしまったので、王子達との街中散策が来月に延びてしまったことも焦りの要因だ。
このままでは試験勉強に支障が出るからとまた三学期以降に話を持ちこしされかねない。
流石にそれは嫌なので、何とか実現できるよう働きかけるしかないだろう。
心強いことに、ジェイクも強く実現を願っているはずだ。
勉強はどうにでもなる、息抜きも大事だと説得しなければ。
「とても寒かったことと思います。
……わたくしに何か出来る事があるのでしたら、どうか遠慮なさらず仰ってくださいね」
カフェの奥のスペース、窓ガラスで外の景色が良く見えるテーブルに腰を下ろす。
店内は相変わらず落ち着いたシックな雰囲気で、騒々しさとは無縁だった。
出来る限り声を潜めているつもりだが、学園関係者が入店すればすぐに分かるよう奥側の席に座ってチラチラと出入りの客を気にするカサンドラ。
「わざわざすみません!
……何だか私、自己嫌悪って言うか……このままじゃ駄目だー、ってちょっと気分が落ちてたんです。
自分でもヤバいと思ったんですけど、相談できる相手がカサンドラ様以外いなくって……」
「?」
彼女があっけらかんとした様子で、不似合いにも『落ち込んでいる』などと宣っていることに目を瞬かせた。
普段彼女を見ているけれど、とても何かにショックを受けて落ち込んでいるようには見えない。
カラ元気には思えない程、毎日充実した様子に見えていたので驚いた。
「私、多分……リゼや、リナみたいに真剣に向き合っていなかったのかなって。
あ、ラルフ様を好きなのは本当だし、本心です!
……あんな人が恋人だったら、どんなに幸せだろうって毎日思ってるくらいで」
リタは慌て、大袈裟に手をブンブンと振って己の発言を己でフォローする。
幸い他の客から席が離れているので迷惑そうな顔はされなかったが、普段大きく明るい声音であるリタの声は良く透る。
向かい合うカサンドラもちょっと冷や汗ものだ。
「真剣ではない、とはどういうことでしょう。
わたくしはリタさんが真剣に課題に取り組んでいないとはとても思えませんが」
「……うまく言葉で言うのは難しいんですけど」
基本はフィーリング、という彼女本来の性格が遺憾なく発揮されている。
気持ちを言語化し、まとめ、自分を納得させるリゼとはそもそも事物の捉え方が根本的に違うと思う。
「私、ラルフ様に話しかけてもらえたり、たまに会えたり――誕生日にプレゼントを渡せたり。
それだけで、凄く満足してたんです。
やった、距離が縮まったなって」
彼女の言い分は決して間違っていない。
常にべったり傍にいるわけではないが、要所要所でのラルフのリタへの好感度は高いと外野から見ていて思う。
お互いに積極的に会おうと働きかけるわけでも、関わりを増やそうとしている動きはないけれど。
そもそも……
攻略対象へのアプローチは、シミュレーションゲームの場合は何度も思うが『点』と『点』なのだ。
その一つ一つのイベントで相手の心の好感度を上げる事が出来れば、その好意が積み重なった結果必須イベントを起こすことが出来るというもの。
好感度が上がるに連れ相手の反応も次に会えば変わったりする、そういう変化も楽しめるわけで。
「……でも、どこかで私、カサンドラ様の
いえ、信じていないって言い方も違いますね。
今の状況が自分に出来る精一杯なんだって勝手に決めて、満足しちゃってたと言うか」
そう言って彼女は肩を落とした。
リタが苦笑いを浮かべ、言葉の取捨選択をしながら話してくれる内容。
それを完全に理解することは難しかったが、要は――カサンドラが想定している『攻略』なんか、自分に出来るはずがないと思い込んでいた。
アイドルに対して憧憬の念を抱くのに近い。
あくまでも相手は手の届かない高嶺の花だという認識に捕らわれ続けていた。
カサンドラの言う通りに講義を選択していたらいつの間にか彼と距離が縮まった気がする!
と、あくまでも彼女のスタンスは好きは好きでも、”近づきになること”が目的になっていた。
身分もあるし、恋愛関係になることは難しいが個人的な話が出来るくらいの距離感。
好きだと思う気持ちは、リゼやリナと何ら変わることはない。
だが彼女にとってその情熱を
本当に結ばれることはないけど――夢を見ることくらいは自由だよね。
誰に対してかの言い訳をしながら、たまに訪れるラルフと話が出来る瞬間を待ち侘び、精一杯楽しむ。
それが彼女にとって一番やりやすく、傷つかない接し方だったのだろう。
フツフツと燻る好意を自分で蓋をし、関係性の限界を勝手に決めつけ。
自分はその限界まで至ったのだと満足していた。
ただの一ファンがこんなに彼と接点を持て、顔や名前を憶えてもらえ、普通に話が出来る、誕生日プレゼントも手渡せた。
それ以上何を望むのか?
だから彼女は二学期、選択講義に身が入らなかった事もあったと述懐した。
一生懸命になろうとしても、頭の片隅でブレーキがかかる。
どうせ、これ以上は進展しないだろう。
自分が彼の特別になることなどありえない。
特にリタの場合は、伸ばさなければいけないパラメータが『気品』であるということがネックだった。
そもそも上流階級でもお嬢様でもない一派庶民の女の子が、いきなりそう振る舞えと言われてもかなり無理があるのはカサンドラも分かる。
単語で気品というのは簡単なものだが、礼法作法だけではなくそれは『生き方』、ある意味では人格そのものの表れと言っていい。
明るく元気で快活な普通の女の子、というリタのアイデンティティ崩壊の危機だ。
リタはその問題を『演ずる』ということで解決策を見い出したものの、当のラルフは「普通のリタで良いんじゃない?」という言動をしてくれる。
嬉しい反面、自分のやっている事に意義を見い出せなくなり迷走することになる。
無理はないことだ。
カサンドラは最初に三学期のラルフのパートナーを選ぶ舞踏会で選ばれなければいけないと言ったが、普通に考えればそれはリタには無茶な話なわけで。
それも合わさって、今のままの自分の方が良いとラルフがいうのなら、わざわざ悔しさや出来ない劣等感を抱えてまでカサンドラの指示してくれた選択講義に出る必要などないのでは……?
と、出席はするがあまり成果の無い日々を送っていた。
まさかリタがそんな状況だと知らなかったカサンドラは、愕然とした思いだ。ガツンと横から殴られたような衝撃を受ける。
ウェイトレスが持ってきてくれた紅茶に口をつけることも出来ないくらい、身体が硬直してしまったのだ。
…… 知らなかった。
彼女が毎日楽しそうで明るく振る舞っていたのは、彼女が現状に満足していたからだ。
ラルフとそれなりに親しく、仲良く話が出来るようになって。
気にかけてもらえて嬉しい、プレゼントを受け取ってもらえてマフラーまでかけてもらえて嬉しい。
……そう、彼女は満ち足りていたのだ。
それ以上の先を望めない程に。
だがそれは……
ここがゲームの設定がそのまま適用される世界なら。
本来彼女が頑張れば届くはずであった想いが届くことなく、ただの知人、友人という関係で終わってしまう事を意味する。
それは彼女にとって、不幸ではない事かも知れない。
でも、とても勿体ない事だと思う。
目的の頂きに手がかかっているのに、それを自ら手放そうというのだから。
「でも、私、それは違うなって思ったんです。
リゼが本気でやればちょっと前までできっこないような事も出来る奇跡のようなことまでやってのけて。
ジェイク様と一緒にいるのに、誰にも文句を言わせないような状況を自分でやり遂げたんですよ?
で、街の散策にも誘われたとか……普通、ありえない話ですよね。
そうかと思えばリナはリナで、二学期に入ってシリウス様を自分から声掛けて――最初は断られたと悲しそうだったのに今じゃ週末ごとにどこかに遊びに行ってるとか聞きました」
それは初耳だ。
というかリナが意外にも行動的な娘で一瞬聞き間違いかと思った。
まぁ、シリウスとは今の内に色んなところを回って着実に一つ一つのイベント条件を満たしてもらわなければ困るので、正しく攻略中と言える状況なのだが。
「二人を見てて、自分が満足してるのが、違うんじゃないかって思って。
……レミィの前で『自分は努力してますー』って啖呵切ったのに、結局あの子の言う通り幸運にのぼせあがってただけだって気づかされたというか。
今してるのは努力でもなんでもないし、リゼやリナと比べたら恥ずかしいって言うか」
リゼが己の努力で、今後普通にジェイクと親しくなれる権利を手に入れたというのなら。
リタだって、ラルフが何と言おうと彼と一緒にいて恥ずかしくない
「お嬢様になりきるために、演技の質をもっとあげたいなって。
今のままじゃ……これ以上ラルフ様とお近づきになるのは無理だなって自分でも思います。
万が一、億が一ラルフ様が私を気に入ってくれたとしても、恋人だなんて誰も認めてくれない上に恥を掻かせてしまいます。
あの人と一緒にいるには、皆に認められる
そのままで良いなんて言葉に甘えてたら、先は無いって改めて気づきました」
恋人になれる? そこまで親しくなれるわけないでしょう。
どこか懐疑的だったのかも知れない。
でも実際にその段階を脇目も振らず一歩一歩進んでいる姉妹が傍にいたら――本気で信じてみようかなという気になった。
我ながら現金ですよねー、とリタは困ったように笑う。
カサンドラの言うことを信じてなかったわけではない。
信じて努力し、頑張った結果ここが限界なんだと勝手に満足していた。
その先は、彼女にとってまさに夢の話だったのだ。
三つ子とは言え、流石長女……。
知らない内に妹の道標になっているのだから、お姉さん適性があるのだなぁと乾いた笑いが浮かんでしまう。
今までリタが頑張っていなかったというわけではないだろう。
ラルフの事を他の姉妹以上に慕っていなかったというのとも違う。
「要するに私、二人が羨ましいんです!!
だから――もっと真剣に真面目に頑張ります!」
大変素直で分かりやすい感情表現に、カサンドラはホッと胸を撫でおろす。
――出来れば彼女の恋も上手くいって欲しいと思うのは、カサンドラの偽りない本心だから。
リタが恋に破れて泣くところは見たくないなと思う。
「それで、ですね。
カサンドラ様にこんな事をお願いするのは、図々しいと分かっているんですけど!
私、他に当てが無くて」
「何なりと仰ってください」
ハッキリ言って今更だ。
カサンドラにして欲しい事があるというのなら、これを機に余すところなく教えて欲しかった。
「以前カサンドラ様のお屋敷で礼法作法を教えてくれた、コンラッド夫人……
私、あの人にお会いしたいんです!」
意を決した様子で、彼女は膝の上で拳を握りしめてそう言った。
その意気込みはまるで愛の告白をも連想させる熱の入り具合であったが。
……六月の生誕祭に参加する自信がないと言っていたリタのために、確かに個人的に招待をした記憶がある。
コンラッド夫人について基礎的な作法を学んだはずのリタは、生誕祭でもそれ以降もそつなく学園行事をこなしていたように思う。
「学園の講師は、私に対して全く無関心と言いますか、ええと、足を引っ張る出来損ない的扱いなんですよね。
まぁ、それも間違ってないんですけど。
で、私も自力で学ぶなら……私、あの人だったら良いなって思いまして」
「まぁ」
カサンドラは緑色の目をぱちくりと瞬かせる。
予想外の申し出に呆気にとられてしまったが、成程彼女の言い分は決して間違ったことではない。
リゼのように信頼できる講師がいないというのなら、そこをカバーできるのは確かにカサンドラくらいなものだろうし。
「勿論タダでとは言えません! リゼに知られたらぶっ飛ばされます」
リタは顔を青ざめさせて顔をこわばらせた。
現在のリゼに殴りかかられたら、並みの男でも軽やかに遠くまで身体を吹っ飛ばされそうだ。
彼女の言葉は真に迫っていて、カサンドラも困惑する。
「ちゃんと講師代、お支払いします。
もし、冬休みにお伺い可能な日があれば教えてください!」
講師代と言っても、リタが一人でそれを負担するのは難しいだろう。
そもそも彼女はレンドール家が雇っている講師で、アレクも世話になっているはず。
だが夫人も三つ子の事は気にしていたし、カサンドラが連れて来た『友人』ということで好印象を持っているはず。
教えてやって欲しいと言えば二つ返事で了承してくれそうな気もする。
「それではリタさん。
冬休み、アルバイトを一つ増やしませんか?
我が家でメイドとして働いていただく傍ら、コンラッド夫人に指導を受けるという形式でいかがでしょう」
「え!? それ、良いんですか?」
「双方が納得して雇用契約を結ぶなら問題はないでしょう。
リゼさんはロンバルドに、リナさんはエルディムに雇われているのですから。
わたくしがレンドールの名の下に正式に契約を結ぶことに、第三者が異議を申し立てる理由がありません」
彼女がやる気に満ち、本来伸ばすべきパラメータ上げに真剣に取り組んでくれるならそれくらいどうということはない。
まだ間に合うはず。
三学期に入ってイベントまでのカウントダウンが始まる直前の話でなくて本当に良かった。
彼女が気持ちを入れ直し、今現在足りないかもしれないところを自分でやり遂げようとしてくれるのなら。
コンラッド夫人にお願いするくらい、取るに足りない事だ。
リゼはたまたま、一対一で教えてくれる、信用のおける教師が傍にいてくれたからここまで頑張れたのだと思う。
学園の講師がリタにとって信用ならないと思うなら、彼女が納得して教えを乞える人物にお願いするのは決して間違ってない。
「ありがとうございます!」
彼女は手を叩いて喜んだ。
その屈託ない満面の笑顔に、カサンドラは漸く緊張を解いて紅茶を口にした。
羨ましい、か。
「同じ三つ子なのに
じゃあ自分も頑張るしかないよね、と意気込む彼女は、やっぱり根が素直で真面目なのだと思った。
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