第258話 木枯らしの中
毎週金曜日の放課後、生徒会役員の定例会議は講義が終わった後の放課後に招集される。
それに参加するため、カサンドラは講義室を後にし廊下を歩いていた。
集まりそのものが好きなわけではない。
誰にも咎められることなく王子と一緒にいられる時間なのだ、二人きりではないにせよ金曜日が楽しみなのは当然のことである。
すれ違う顔見知りの令嬢達に『ごきげんよう』と定型句の返事を出来るだけにこやかに返しながら、スタスタと廊下を歩く。
早めに歩くのは見目好い事ではないのだが、会議に遅れるのは嫌だ。
何より、またアイリス一人に茶器の準備などをされてしまうと考えるととても居たたまれない。
先を競っているわけでもないけれど、申し訳なさがカサンドラを衝き動かしていた。
「おい、カサンドラ!」
すると、背後から声を掛けられて肩をビクッと跳ね上げた。
この学園で自分にそんな風に呼びかけてくる生徒など、生憎三人しか知らない。
その内、ベルナールは積極的にカサンドラに声を掛けることは無いだろうからすぐに候補から消える。
シリウスにしては、あまりにも大声で乱暴な物言いなのでそれも候補から消す。
いや、消すも消さないも……
声を聴けば振り返る必要さえなかった。
「ジェイク様、何でしょう?」
廊下のはるか後方から自分を目敏く見つけ、遠慮なく走り寄って乱暴にカサンドラを呼び留める生徒がジェイク以外にいたらそっちの方が怖い。
周囲の生徒も、一体何事かと驚いているではないか。
ただでさえ、彼らは単品でも目立つのだ。
それに自分をまきこまないでもらいたい、と心の中で軽い抗議を唱えた。
「……いや、お前に聞きたいことが……
あー……いや、やっぱりやめた」
「??」
何やら自分に質問事項があるらしいが、彼は口を開きかけた後にすぐに思い直したように首を横に振った。
これから始まる会議の進行に疑義でもあるのか? まさか、ジェイクが? と、ポカンと口を開けたカサンドラ。
だが彼は既にカサンドラを無理矢理呼び止めた事などなかったことのように、スタスタとこちらを追い越し先に生徒会室に向かって行った。
一体、彼は何がしたかったんだ……? と、首を捻りかけたカサンドラ。
もうこれ以上彼に質問を受けたり相談される事は無いだろうと思っていたので驚いた。
その上肩透かしを食らうとは、一体何のつもりなのか。
彼を捕まえて訊き返したところで「何でもない」と言われるに決まっているから、真意を測りかねる。
「ああ、もしかして……」
二日前に聞いた王子の話を思い出し、そこで漸くピンときた。
三つ子の誕生日が来週だから、それに関わる相談だったのではないか。むしろそれ以外、彼が自分に声を掛ける理由が思いつかない。
何となくそう当たりはつけられたものの、確認する術はない。
それを前提に考えると、成程。
王子の言う通り、ジェイクの様子がいつもと違うと不審に思う気持ちもよく分かった。
敢えて誰も指摘しないだけで、王子だけではなくこの場にいる全員が彼の様子がおかしいことに気づいているのではないだろうか。
今日のジェイクは明らかにいつもと違う。
会議が始まる前も、そして始まってからもぼんやりしている時間が長かった。
元々真面目に会議に参加するという人間ではないけれど、ぼんやりと言うよりはボーッとしている。
それがやたらと顕著で、ただテーブルを挟んだ向かい側から見ているカサンドラの方が冷や冷やものだ。
こんなに上の空状態ではシリウスの雷が落ちるのではないか?
シリウスも何度か隣で頬杖をついたままぼんやりとしているジェイクを睨み据えてはいたものの、その都度呆れたように吐息を落として舌打ちをするだけだ。
良かった、こんなところで「何があったんだ」なんて詰め寄られても場の空気が一層冷え込むだけである。
この集まりが終わった後はどうか知らないが、彼は皆が集っている会議中などに特定個人に厳しい叱責を飛ばすことはない。
意外と場の雰囲気、流れを大事にする人だ。
かつて心ここに在らず状態で会議に参加していたカサンドラにもそうだったように。
舌打ちで済ませる当たり、まだ有情だと感じる。
誕生日プレゼント……か。
実際彼の立場で何を贈るかというのは、カサンドラ以上に悩ましい問題であることは間違いない。
ゲーム中の彼は一年目では何もプレゼントをしないからだ。
いくら仲良くなっても、攻略対象は一年目は主人公に贈り物をすることはない。
贈り物をしないというのは語弊があるが、どの主人公だろうが攻略対象だろうが贈り物は決まっていた。
自分の誕生日に最も好感度の高い攻略対象が、誕生月の花をプレゼントしてくれる。
これは別にルートに入ってようがどうであろうが、相手からの好感度のみの判定なのであまり目安にはならない。
十二月が誕生日だったらカトレアだったなぁ、と思い出す。
……だがそれだけで終わらせられるような心情でないとするなら、彼もまた選択に苦慮するであろう。
元々贈り物を選ぶという作業自体、今までやってきたことがないのではないか。
山のように誕生日プレゼントをもらっても、そのお返しを考えるのは自分ではない。他の攻略対象もそうであるように、全て従者や家の者任せなのだ。
そんな人物が本気になって誰か一人に贈り物をあげたいだなどと言い出すことになったらどうなるだろう。
それこそ何でも用意できるだけの力があるから怖い。
ドレスどころか城でも土地でも送り付けそうでぞっとする。
あまりにも常識はずれなものをポンと贈れば、リゼが「あ、良いです」と受け取りを拒否する姿が容易に想像できた。
その辺りの事はジェイクだって百も承知の上で現在悩んでいるわけだ。
贈り物を用意できる期限は残りわずか。
カサンドラだって明日シンシアの家に伺う約束としているが、それで間に合うか戦々恐々としているくらいなのに……
リゼ以外のことなら誰にでも相談できるだろうが、今回ばかりは難しい。
先程呼び止められても『やっぱりやめた』と考えを急に硬化させたように、カサンドラに何も言って来なかったのが何よりの証左だ。
以前までの彼なら、リゼが何が好きそうか教えてくれと言ってきたと思う。
……こちらに悟られてはいけないと彼自身もようやく自覚し、直前で踏みとどまって踵を返した。それは――本格的に、彼が想いを自覚し人知れず悩んでいるということに他ならない。
尤も、胸の裡など既にシナリオという形でお見通しのカサンドラには無意味だが。
何なら王子だけではなく他の二人にもバレているのではなかろうか。
二週間前の武術大会以降、彼の内心はそれ以前と大きく変容している。
随分と慎重になったものだと、若干感心した。
女の子に何をプレゼントしたらいいのか分からず、ここまで悩み続けるジェイクを前に、カサンドラは生温い視線を向けてしまう。
うっすらと口元の口角を上げたくなる。
――これがつい最近、蜘蛛の玩具を嬉々としてリゼに送った人間の姿かと思うと、ちょっと笑えるんですけど。
ジェイク当人にしてみれば、コペルニクス的転回な状況に大いに困っているのだろうが。
何も口は出せないが、巻き込まれた身としては心の中でそう思うくらい赦して頂きたいものだ。
※
二学期の大きなイベントが終わり、カサンドラも後は学期末試験に向けての本格的な勉強に入らなければいけないなと気を引き締める。
役員会議も特に大きな議題があるわけではなく、三学期に入って行われる卒業パーティの事に多くを割くことになってしまう。
会議で出て来た卒業パーティとは別に、卒業してしまう最上級生の役員のアイリス達と生徒会単独でお別れ会のようなものが出来れば良いとカサンドラは考えていた。
シリウスに促されずとも、これに関してはカサンドラが動くことになるだろう。
むしろアイリスのことを思えばやらせて欲しいと手を挙げたいくらいだ。
一年間微に入り細に入りお世話になった彼女に最大限の感謝の意を示さなければ。
来年度は頼れる先輩どころか、話が出来る女子役員までいなくなるのかとちょっと絶望に瀕していたカサンドラ。
だが、来年はシリウスルート入りをするリナが彼の強い推薦を受けて正式な生徒会メンバーになるはずだ。
三学期の試験で上位陣に入り、更にシリウスの好感度が高ければ自然とフラグが建ち翌年度学級委員長になる。
だから自分一人が女子生徒というわけではないのだと思えるだけ、ホッとした。
リナがシリウスルートに入る条件を満たしていることを祈る他ないのだけど。
それについてはリナ個人の頑張り次第なので、カサンドラはやはり遠くでヤキモキするしか出来ない。勉強を頑張れとしか言いようが……!
今年度の役員活動で来年の事なんかとてもではないけれど考えが及ばなかったけれど、卒業パーティの話が出てくれば自然と想像がつく。
リゼのように名目上雑用係という立場ではなく、正式なメンバーとして参加できるわけだ。
結構楽しみな事ではあるものの、やはり今の段階では手放しで来年の事を考えられない。
卒業パーティの本格的な準備も気が滅入りそうなくらい煩雑な仕事が待っているのだ。
これをしっかり乗り切らなければいけないと気を引き締める。
下級生や上級生は卒業生のパートナーでなければパーティに参加することはできない。
事前準備、おもてなしをする側であるものの先にその雰囲気を知れるのは楽しみなのだけど。
王立学園の卒業パーティは国王様も出席するそうだし、まさに『王立』という言葉が伊達ではない事を表している。
会議の後始末を終えた後、カサンドラは枯れ葉舞う空を仰いだ。
慌ただしかった今月ももう終わり。
十二月は勉強に専念できるだろう。
少し気が楽になり、足取り軽くカサンドラは下校の路に着く。
まだギリギリ陽が照っている時間帯だというのにすっかり寒くなり、足元から冷える外気に首を竦めた。
足早に落葉樹の並木道を進み、外門から外に出ようとしたその時の事だ。
「……カサンドラ様!」
いつぞやの記憶が脳裏に呼び起される、そんな声を掛けられてカサンドラは立ち止まる。
ゆっくりと視線を横に向けると、外門の横を飾る花壇の傍に三つ子の一人が。
下校途中に声を掛けられるのは初めてではないとはいえ、こんな寒い中待っていてくれたのかと思うと大変申し訳ない気持ちだ。
「まぁ、リタさん。もしや教室にお忘れ物ですか?」
恐らくそうではないのだろうが、万が一教室に忘れ物があるとしたら一緒についていくことは全く構わない。
下校した後の校舎に侵入するのは結構勇気が要ることだし。
役員でもない一般生徒のリタが構内をウロウロしていては教師も何をしているのか? と声をかけてくるかも知れない。
教師の中には特待生を好いていない層が一定数存在する事も事実。
ここは貴族の子女ばかり、資産家の跡取りばかり通う特殊な学園だ。
特待生が放課後一人でウロウロしていたら、他の生徒の私物を漁りに来たのか! なんて謂れもない注意を浴びせられかねない。
「カサンドラ様を待っていたんです。
会議、おつかれさまです」
栗色のふわふわの髪に、黄色いリボン。
いつもニコニコ、元気な笑顔が似合うリタはいつも通り朗らかな笑顔でそう言ってくれた。
「わたくしは何もしておりませんが、労って下さりありがとうございます。
ところでわたくしに何の御用でしょう?」
「……。」
すると珍しくリタはたじろぎ、視線を泳がせる。
カサンドラに一々声を掛けてくること自体、恐らくラルフ絡みの事だろうというのは推測できるのだけど。こちらの方からラルフの事かと聞き出すのも無粋な気がした。
「ええと、その……相談したいことがあるんですけど、宜しいですか……?」
はて、この時期にリタから相談事とは予想外のことだと首を捻る。
彼女に纏わる大きなイベントは三学期なので、今から相談というのも気が早い事だし。
誕生日のことにしたって、カサンドラに相談されてもラルフの贈るものなどコントロールできるわけもない。
そもそもリタが何か要望を出すというのもあり得ない話だ。
「わたくしは構いません。
ですがしばらくすればラルフ様も下校されるでしょうし。
立ち話をしていてはあの方に見咎められてしまうでしょう、リタさんこそお気になさるのでは?」
「あっ……
そうですね、それは困ります!」
もうあと十分のしない間に、彼らも生徒会室を出るのではないか。
カサンドラは普段から彼らより先に退室するので詳しい時間は分からないけれど、あの人達だって暇ではあるまい。
「では、ゆっくりお話が出来るところに参りましょう」
彼女が寮に帰るでもなくずっと校門外でカサンドラを待っていたのだとしたら、一時間以上この寒空の下で凍えながら待っていてくれた事になる。
「一緒に温かい紅茶でもいただきませんか?
今日は寒いですからね」
カサンドラが駄目押し気味にそう言うと、目を輝かせて大きく頷いた。
ありがとうございます、と彼女はペコっと頭を下げる。
他人の厚意にすんなりと乗ってくれるのは彼女のいいところの一つだと思う。
迷惑だろうからとか、そこまでしてもらうわけには、と遠慮されるのは誘った方も遣りづらい、なんてことも往々にしてあるものだ。
それは図々しさと紙一重ということでもあるが、彼女の嬉しそうな笑顔を前にすれば気になるものでもない。
逆に、誘って良かったなと思えるから――そういう素直さは彼女の持つ親しみやすさに繋がっているのだろうと思う。
リタと一緒に馬車に乗り、いつも彼女達とお茶をする時に利用させてもらっているゴードン商会経営のカフェに向かうカサンドラだった。
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