第257話 二律背反


 三つ子にあげる誕生日プレゼントは、可愛い手袋にしようと思っている。

 高価なものをあげても気を遣わせるか最悪受け取ってもらえない可能性があるので、何個所持していても困らない季節のプレゼントとして思いついたものだ。


 マフラーをあげるなら手編みというイメージがあるし、女子生徒から女子生徒への手編みのマフラーはちょっと違うと思うし。

 何より三人分も短期間で編み上げるスキルは持っていない。


 雑貨屋に売っているような可愛いデザインのお揃いの手袋をあげれば、きっと喜んでくれるのではないかなと思った。

 まさしくこれから冬本番だし、出番はいくらでもあるだろう。

 しかもシンシアが選ってくれるような可愛らしい手袋なら、身に着けるだけで魅力も上がりそうだと期待も持てる。

 「励めよ」と言わんばかりの実用的な品より、カサンドラは自分が彼女達に心からあげたいと思う品を選ぶことにしたのだ。





 ――カサンドラは放課後、メモ帳を開いて自分の書いた図形をじーっと眺めながら、王子が訪れるまでベンチに座っていた。



 そこには三つの図形が記されている。

 文字を書くことに比べ絵を描くのは得意ではないけれど、単純な記号くらいならカサンドラにも描ける。


 ペン先を顎のあたりに添え、カサンドラは瞑目したままイメージを重ねていた。

 想像力は逞しいと自負しているものの、中々上手く思い描いた線が脳裏に像を結ばない。



「そんなに真剣な表情で何を見ているのかな?」


 急に手許を覗き込まれながら、不思議そうな王子の声が頭上から降って来た。


「……!

 王子……!」


 午後の選択講義が終わった後、王子と少しながらの会話を許された時間。

 一週間に一回という頻度ではあったが、一学期の頃からその習慣は続いていた。曜日を変わったが頻度は変わっていない。


「ああ、ごめん。覗き見をするつもりはなかったのだけど、もしやまた何か変な依頼を受けたのではないかと」


 カサンドラがビクッと肩を跳ね上げて恐縮していると、彼は若干慌て手を横に振った。

 王子からしてみれば、またカサンドラが待ち合わせの時間に渋面を作って手元の何かを凝視しているシーンは以前食い入るように図鑑を見ていたことと重なるのだろう。

 あれは確かに、思い返せば奇行と捉えられても仕方のない事だ。

 一気に恥ずかしさが全身を駆け巡る。


「その節は、王子にも大変なお気遣いを頂戴し恥じ入るばかりです……」


 王子が練習がてらに作ったと言っていた蝶の玩具はカサンドラの自室に飾られている。

 冬でも花瓶に花を活けてくれる使用人達のおかげで、気温は冬だけれどカサンドラの室内に限ってはまるで春のような穏やかな光景になっている。

 花と蝶という組み合わせだけでこうも違うのかと驚いていたくらいだ。


 だがジェイクのとんでも依頼を受けてしまったために、王子とついでにシリウスまで巻き込んでしまったのは事実だ。

 それを思い返すと大変申し訳ない想いになる。


 尤も、無駄ではなかった。

 あの一件がアレクの手先の器用さで落着したおかげで、ミランダに色よい返事をもらうことが出来たのだ。

 そして今週末の食事会に繋がった――わらしべ長者か、と自嘲するけれども。

 全ての物事は繋がっているのだと思う一件であった。


「気にしなくていいよ。私も久しぶりに集中して楽しむ時間を作れたからね」


 そう言いながら、王子は隣の二人掛けのベンチに腰を下ろす。

 冷えた空気、少しでも風が起こると首筋を竦めたくなる『冬』。 


「ところで、その図形は?

 星に、太陽……かな?」


 王子に指摘され、カサンドラは手元のメモに視線を落としてそう訊いてくれた。

 拙い図形であるが、一応彼にも判別してもらえたことにホッとする。

 猫を描いたら犬に、熊を描いたら虎に思われるような絵心のないカサンドラである。


「そうなんです。

 ……実は近々リゼさん達のお誕生日ということで、贈り物を考えています。

 その際、ただお揃いの品を差し上げるのではなく分かりやすいようにシンボルマークを施してお贈りしたいと」


「シンボルマーク?」


「贈る予定の品は可愛い手袋を考えているのですが、分かりやすくそれぞれに似合ったマークの飾りをつけてはどうかと」


 淡い色より多少濃い色の方が冬の制服には合いそうだ。

 リボンに始まり、いつも色で三つ子の差別化を図っているがイメージをシンボルに見立てて贈るのも新鮮ではないかと思いついた。

 いつもリゼは赤でリタは黄、リナは青というのも芸がないというか。


「太陽に月に星、それぞれに合うものを選んでいるんだね。

 空をモチーフにした図形で纏めたい、と」


 彼の言う通り、今回はシンボルで選んでそれに合った色の手袋を選ぶ予定だ。

 その手袋の飾りとして、各々の形で作った飾りを短いチェーンに通し留めるのも可愛いかも知れないと思った。


「仰る通りです。

 リタさんは太陽なのはすぐに直感で当てはめたのですが、リゼさんとリナさん、どちらが月で星なのかと少し悩んでしまいまして」


 というのも、月は太陽の光を反射して光っている。

 決して自ら光を放っているわけではない。それを人物に当てはめるのは良くないかも知れないなと躊躇いが生じていた次第だ。

 これならいっそ、海や花などの統一性のないイメージを施してもらった方が良いのかなと思わなくもない。


「私が選ぶなら、月はリナ君のイメージ……かな。

 月明かりは夜道を優しく照らしてくれるものであるし」


 しかし王子は特に異を唱えることなくそう言葉を発した。

 彼のように思慮深く慎重な人なら、カサンドラと同じ理由で躊躇いそうなものだが。


 違和感を抱いた直後、ああ、と手を叩きたい気持ちに駆られる。

 この世界に月がどうやって輝いているのか何て正確な知識がもたらされているわけがなかった。

 空を飛ぶような乗り物も、長距離を大勢移動するような乗り物さえないファンタジーの文化水準でそこまで深く考えるのは無粋である。


 星も月も等しく夜空を照らす優しい光である。それが共通の認識だ。


 月光が太陽によってもたらされる煌めきだなんて知りようがない。そもそもこの世界の天体事情などカサンドラにだって知りようがない話である。実は月が自ら輝いている可能性は否定しきれない。


 王子にあっさりと受け入れてもらえ、漸くカサンドラは前世の己の知識に引きずられていたのだなと自分で気づき苦笑した。

 このところ、リゼのイベントの件で前世の知識を引っ張り出そうとする機会が多かったせいか。


「ならリゼさんは星ですね。

 星というよりは流れ星でしょうか、一瞬の強烈な煌めきはあの一閃を思い出します」


 あの素早い剣の一閃は多くの生徒の目に焼き付いていることだろう。

 今でも中々信じ難いものがある。最初は自分と同じくらい運動が苦手だったあのリゼが、と。


 カサンドラもようやく自分で納得し、メモに彼女達の名前を入れた。

 シンシアの家に立ち寄った際、選んだ手袋にシンボルマークを施すことは可能か聞いてみることにしよう。


「そうか……」


 彼は小さな声で、そう苦笑と共に声を落とす。

 それは何とも言えない、諦観も入っていたし憔悴も入っていたし、儘ならない彼の心境を如実に表したものだったのかもしれない。

 急に彼の気落ちするような声が聴こえ、カサンドラはドキッとした。


 頭をフル回転させて彼が憂鬱とも呼べる愁いを帯びた瞳になった理由を考える。


「も、申し訳ございません!」


「???」


 体中に電流を流し込まれたような衝撃を受け、カサンドラはメモ帳を音を立てて閉じてその場に立ちあがる。

 顔面は蒼を通り越して真っ白だったかも知れない。


 王子はぎょっと瞠目し、こちらを見上げる。


「その、星、月などの、夜空を連想させる単語を……王子にお聞かせしてしまって」


 以前王子が天体観測についてあまり話題にするのに気が進まないと言われた事を今になって思い出す。

 その居たたまれなさ、申し訳なさ加減に走って逃げ出したい気持ちになった。


 だが彼は軽く首を横に振る。


「逆にそこまで気を遣わせて申し訳ない、カサンドラ嬢。

 日常の中の会話で単語に触れて一々感傷に浸る程、私は繊細ではないから。

 大丈夫だから気にしないで欲しい」


 優しい彼なら、恐らくそうフォローしてくれるだろうとは思っていた。

 だが本当は過去を一瞬でも思い出して悲しかったのではないか。

 だから、あんなに瞳を翳らせたのでは?


 カサンドラは恐々こわごわと、もう一度ベンチに座って彼の顔に視線を向けた。


「私が気にかけていたのは全く違うことでね。

 ……そうか、彼女達の誕生日が近いのかと得心がいっただけの話だったんだ」


「リナさん達の誕生日がどうかなさったのですか?」


 王子は直接三つ子と関係がない。

 お茶会に招待した、された関係はあれどもあれはカサンドラが同席を求めたという形なわけで。

 プレゼントを贈るだなんだという関連性はないはずだ。

 万が一生徒会長だから全校生徒の誕生日にはプレゼントを渡すという義務感を持っているにしても、それならそれで一々三つ子の誕生日だからと困った顔はしないだろう。


 首を傾げ、彼に視線でも先を問う。


「最近ジェイクがやたらと悩んでいるように見える。

 訊いても要領を得ないしどういう事情で困っているかもわからず不思議に思っていたんだ。

 その謎が解けたというか、何というか」


 彼は「うーん」と難しい顔で肩を竦めた。


「まぁ」


 カサンドラもつい口元を覆って驚いた。


「本人の誕生日の時にあれだけの力作をもらった手前、お返しは難しいとは思っているけどね」


「ですよね……」


 彼の一学期の成績が皆が吃驚するほど上の方だったのはリゼのお陰と言っても過言ではない。

 その功績があって、リゼは今彼の家庭教師役としてアルバイトをしているのだから――そのありがたみはジェイク自身もしみじみと分かっている事だろう。


「王子。

 わたくしにはジェイク様の胸中は分かりかねますが、仮に王子の仰ることが真実だとして。

 その時は王子は、どうなさるのでしょう……?

 正確にはどのようなお立場を表明なさるのか、という事ですが」


「……。」


 王子は彼ら幼馴染達と仲が良い。

 その上で、普段と違うジェイクの態度などを見てほぼほぼ確信していると思って間違いない。

 だが本当にそうだった場合、彼は一体どんな見解を示すのだろうか――確認しておきたかった。


 ゲームの中で王子は三つ子の恋愛自体に干渉することはなかった。

 だが、今はカサンドラという本来とは考え方を全く変えた状態の”悪役令嬢”がいる。

 だがその悪役令嬢は邪魔をするどころか積極的に主人公の恋を応援している状態だ。だがその異常事態に触発される形で、王子にも影響が及んでいたら?


 『ジェイクはリゼを好きなのか』なんて突然思い悩んだようにカサンドラに確認をとろうとしたことが、今でも引っ掛かっている。

 彼が恋愛模様に関与するというのであれば、歯車と言うかシナリオが狂うのでは?

 それが良い方向なのか悪い方向なのか、今の段階では判断もつかない。


「カサンドラ嬢に折りに触れ相談した手前、大変言いにくいことなのだけど。

 私は――金輪際、彼個人の人間関係に恣意的に関わらないようにしようと考えている」


 そう言って、彼は真面目な顔でカサンドラに胸の裡を打ち明けてくれた。



 武術大会の際にジェイクのためと一瞬考え、己の立場を利用してクラスメイトの男子をリゼから遠ざけた事をずっと気に病んでいたらしい。確かにあの時の王子はかなり落ち込んでいたように見えた。


 それに何より、自分の立場では彼の想いについて何も言うことが出来ないのだと王子は自嘲した。


「……ジェイクにとって、彼女はとても素晴らしいパートナーになる可能性もないわけではない……と思う。

 だけどそれがリゼ君の幸せかと考えれば、そうとも限らないと私は考えている。

 身分の差なんて言葉は好きではないけれど、生きてきた世界が違うものだから」


 ジェイクに幸せになって欲しいと同時に、リゼにも不幸になって欲しくない。

 だが、恋愛とは結局本人の意思が優先されるもので、そこに正邪は関係なく『王族』の自分が干渉するべきではない。


 ゆえに二度と彼らに積極的に関わったり、首を突っ込んだりすることは止めようと決めたのだそうだ。


 それはカサンドラとは真逆の立ち位置であるが、彼の誠実な人柄がとてもよくわかる言葉だと思った。

 彼は王族である以上、身分とは絶対に切れない世界で生きている。

 身分に纏わるあらゆる面倒事や厄介事、想いだけではどうにもならない事情を知っているのだ。


 それが必ずしもリゼの幸せに繋がると言えないから、と言葉を濁す。

 友人想いなら協力しようと言い出してもおかしくないのに、己の影響力の強さを考えて一切無関係を貫こうと決めたのだと。


「勿論、邪魔をしようとも思っていないよ。

 市内散策の件でジェイクが彼女と同行したいと望んだ事を呑んだように、彼の行動に反対をするつもりは今のところない……かな」 


 仮にジェイクの想いに王子が鈍感で気づかなかった場合でも普通に呑んだ話を、敢えて無理矢理拒絶するようなことはない。


「以前私がカサンドラ嬢にこの話を相談したのは――ジェイクの件を、君の心に留めて置いて欲しかったからなんだ。

 ……もしもジェイクの感情が彼女を悩ませたり困らせているようなら、私に改めて相談して欲しかったからね。 

 その気持ちは今も変わっていないよ」


「お心遣い感謝します。

 ――勿論、王子の仰ったお話は胸の裡に留め置き、必要を感じればご相談にあがりたいと存じます」




「そうか、それなら安心だ。

 いくら普通でありたいと願ったところで、私達は『普通』ではいられない。

 無自覚でも身分を嵩にして他人の行動を縛ったり強制するようなことがあれば、進退に関わりかねない。

 尤もリゼ君の場合は、仮にジェイクに言い寄られるようなことがあっても嫌なら嫌と言えるような女性だと思っているから――今のところはあまり心配していないかな」




 王子が突然ジェイクの事を言い出した時はどういう事かと心臓が縮み上がったけれど。

 彼もまた、思い悩んでいたのだろうなぁと分かった。


  リゼもジェイクの事が好きなんですよ、と言えれば彼の悩みも軽減するのだろうか?

 当然そんなことは言えはしない。

 この世界の”根底”を覆すようなネタ晴らしをした結果、彼女達の恋愛がうまくいかないなんてことになったら一生後悔する。


 仮に言ったとしても……

 彼は決して「良かった」と安心したりしないだろう。

 むしろ、より複雑な想いを抱きそうだと思った。そんな茨の路を歩かなくても、と逆にリゼの事を心配しそうだ。




 全ての物事に公正で公平に接するなど無理だ。

 でも可能な限り、全方向に向かって誠実であろうとする。


 見ようによっては、賛成も反対もしない本人たちに任せる傍観。

 でもそこに至るまで彼も葛藤があったのだから、カサンドラも無責任だなんて思えない。


 立場上はやんわり遠ざけるべきだし、友人としては上手く言って欲しいしという二律背反状態。




 それが彼の彼たる軸にあたる部分で、カサンドラはそんな彼の事を改めて好きだなぁ、と思った。


 

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