第255話 『三人、それぞれ』


 その日、シャルロッテは王都内の自邸でお気に入りの紅茶を飲み、優雅な午後の一時を楽しんでいた。


 彼女は所謂エルディム侯爵家に連なる名門貴族出身の生粋のお嬢様だ。

 一つ年上の兄は王立学園の学級委員長、生徒会メンバーの一員に数えられる。


 物腰柔らかく淑やかな深窓の令嬢――というのが、現在彼女の学園内での評価である。

 ルブセイン伯爵家の長女のシャルロッテは学園内で同じエルディム派の女子生徒達を取りまとめる役割を自然と任されるようになっていた。

 別に『今度は貴女が派閥の長ね!』なんて誰かに引継ぎを受けたわけでもないにも関わらず、入学した瞬間からまるで自分は女王様か何か? と不思議に思う程丁重に扱われていた。


 今現在、学園内のエルディム派の支流傍流を眺めてもシャルロッテの立場を脅かすような立場のお嬢様など存在しない。

 ごく自然に、シャルロッテは学園内のエルディム派に属する女子生徒の面倒をみることになってしまった。


 尤も、派閥の長と言ったところで、シャルロッテ自身が何かしているわけでもないのだけど。


 自分の側近というか、気づけば何かと手助けをしてくれる同級生達がシャルロッテに出る幕を与えないというか。

 シャルロッテ自身、他の女子生徒と楽しくお喋りをした記憶がほとんどない。


 その取り巻きこそが、実の兄ビクターが手配したシャルロッテ抑制機能であることには気づいている。

 あの人はとても苦労性と言うか、心配性な人だ。

 立場だけ人より抜きんでているシャルロッテを学園内に自由に解き放ち、公衆の面前で失言されては敵わない、と。入学前から自分の持てる人脈をフル活用してシャルロッテの周囲をガチガチに固めてくれた。


 そこまでしなくても家族に迷惑をかけるようなことは言わないわ、と最初は怒ったものの――

 今となっては、それさえどうでもいいとすっかり覇気を失っていた。

 窮屈過ぎて、退屈過ぎて、そして上辺だけのやりとりに倦み過ぎて、あと一年のお務めだからと黙々と学園に通い続けている。

 あまりにも儘ならない毎日に、いっそ退学届けを学園長の鼻づらに叩きつけてやりたいと思った事はあった。

 流石にそこまでやらかしたら勘当モノだろうからぐっと踏みとどまっている。


 自由が欲しいと思っても、やはり彼女は生粋のお嬢様だ。

 親兄弟の庇護なく、一人でポイっと市井に放り出されては生きていけないことくらい理解している。

 だからこの十五歳から三年といういわば青春、人生で最も多感な時期を心を殺して生きていくことを受け入れていた。


 長い豊かな蜜色の髪を波打たせ、物憂げな表情で彼女は一人ティータイムを楽しんでいる。


 本当は自分が好きな”友達”と一緒に過ごせたらどんなに楽しいだろうかと考える。

 シャルロッテには取り巻きはいるが、友人はいない。


 いま傍であれこれ世話を焼いてくれ、シャルロッテを守ってくれている側近は二人いる。

 どちらのことも嫌いではないし、いつもニコニコだ。でもいつも下手に出る彼女達に対し、シャルロッテの存在が緊張を強いているような気がするし。

 遊びに行く時だってどちらか一人を誘うわけにもいかず、どこに行動するにも常に二人セットで声をかけなければいけない――というのは、かなり窮屈なものだった。


 かと言って彼女達を抜きにして他の女子生徒と遊べるかと言われると、それも難しい。

 蔑ろにされたと彼女達に不満に思われては、今後関係がギスギスしてしまうし兄にどんな報告をされるか分かったものじゃない。



 シャルロッテが口数が少ない清楚で目だない女子生徒だと評されるのは当たり前のことだ。

 自分が何かしようとする前に替わりに誰かがそれをやり、何かを言おうとすればそれを替わりに代弁される。


 出来るだけボロをださせるな、ということは露出の機会を減らすしかないのである意味では仕方のない事かも知れない。



 でも……



 シャルロッテは大き目なクッキーに手を伸ばし、深窓の令嬢にあるまじき形相でそれを『ボリィッ』と噛み砕く。

 歯ごたえのあるクッキーをまるでせんべいのように音を立てて貪り食べながら、顔中に不満の意を凝縮させていた。


 周囲に侍る給仕たちはそんなシャルロッテの様子にも慣れたもので、一切動揺することもない。


 「もう少し硬い方が良いですか?」なんて、平然とした顔で問うてくるのだから筋金入りだ。

 幼いころからシャルロッテに付き従っている召使たちは年季が違う。



 カサンドラ当人にも言った通り、彼女が羨ましい。

 あの人は取り巻きはいないが友人はいる。

 そして誰にでも自由に話しかけられ、行動に制限なんてされていない。

 自分の意思で動くことが出来る、家に招待する生徒も自分で選べる。




  いいなぁ、いいなぁ。 

 


 彼女と話していると、無いものねだりな気持ちばかりが湧いて来る。


 本当は、あの庶民の出だと言うがリナともっと話をしてみたいと思っているし。

 バーレイド子爵家というあまり貴族名に興味のない自分でも知っている貴族のお嬢様なのに凄い剣の使い手で強い強く凛々しいジェシカとお近づきになりたいと思っているし。

 ヴァイル派の女子生徒にだって話をしてみたい女の子はいくらでもいる。


 カサンドラの友人だという同郷のデイジーも気になるし、こんなに大勢の女子がいる中で自分が自由に話が出来る生徒が二人だけってどういうこと?

 と内心悶々としている。


 相談だってトラブルがあったとかの深刻な話も、シャルロッテが知らないままに既に終わっていたこともよくある。

 多分兄の手回しや助言を受けて側近が”シャルロッテから”ということで場をおさめているのだと思われる。


 全く、どれだけ兄からの信用が皆無だというのか。





「――シャルーーーー!!」




 優雅かつ、鬱々としていたそんな昼下がり。

 急に部屋の扉がドンドンドンドン! と外から叩かれる。


 騒々しい喚き声に、シャルロッテは眉を顰めた。


「まぁ、何事ですのお兄様」


 従者たちが扉を開けた途端、部屋の中に文字通り転がり込んでくる兄ビクターの姿を見下ろしシャルロッテは怪訝顔だ。


「お、お前、カサンドラ様に一体何を……!?」


「はい?」


 ビクターが握りしめている一通の手紙に気づいた。

 どうもその封書の飾りから察するに、ただの手紙ではなくて招待状のように見える。


 招待状?


「お前宛ての招待状、送り主はカサンドラ様。

 ……これは、招待状の名を借りた呼び出し状なのでは!?

 一体どんなお叱りを受けるようなことをしでかしたのだ、お前は!」


「失礼な事を仰らないでください」


 彼が震える手で握っている封書を奪い取り、追いすがる兄の薄い胸板をどんと片手で突くシャルロッテ。

 確かに未開封のそれは、自分宛て。

 そしてカサンドラが送り主であることも確かだ。


 頭を抱えて蹲る兄の胸中など知ったことはなく、シャルロッテはゆっくりとその封蝋を解く。




「………まぁ!」



 一見してすぐにわかる。

 これは前回シャルロッテが招待した事に対する返礼で、カサンドラ邸で行われる食事会への招待状なのだと。



 胃を痛める兄のことなど知ったことではなく、シャルロッテは久しぶりの嬉しい知らせだ。


 それまでの憂鬱を吹き飛ばして再び椅子に座ってティータイムの続きにかかったのである。 





 ※



 それと全く同時刻、マディリオン伯爵邸にも嬉しそうな声が響いた。

 

 亜麻色の髪を腰まで伸ばし、愛らしい顔立ちの少女キャロル。

 大きなガラス玉のような丸い瞳は金色で、まるで猫のような印象を与えるお嬢様である。


 元は明るく人懐こい性格だったというのに、今ではすっかり人見知りで内気な性格になってしまった。


 キャロル自身もこのままではよくないと分かっているのだが、実際に相談できる相手が従姉のアイリスだけという状況で。

 しかも彼女が義妹達をどうにもできない事は分かっている。

 彼女がいなくなった来年の事を考えると、今から寝込んでしまいそうな心労を感じるキャロルであるが――



「お姉様、見て下さい!」



 丁度自分の様子を見に来てくれたアイリスに向かって、はしたなくドタバタと走りながら一通の封書を持って駆け寄る。

 キャロルがケンヴィッジ邸に自発的に訪れることなどないが、月に一度はこうしてアイリスがキャロルに会いに来てくれた。

 学園内でももっと頼りにしたいのだが、あまり弱弱しく情けない姿を他の生徒に見られるわけにもいかない。

 自分の心の内を言葉にする機会は、あまり多くなかった。

 問題を起こしてくれるなよと強く望む親兄弟の視線に、いつも死んだ魚のような目で頷くだけだ。

 

「これ! この招待状、カサンドラ様から届きましたの!

 お家へご招待して下さるそうで……!」


 招待状というものにあまり良い思い出はなかった。

 どうせヴァイル家絡みの集まりに顔を出すことになり、高確率でアイリスだけではなく彼女の義妹達と顔を合わせることになる。

 格式高いパーティの時は彼女達に会わずとも済むけれど、その場合は――大勢の大人たちに囲まれる。


 高位貴族の令嬢として恥ずかしくないように社交的な立ち回りを要求され、精神的疲弊が重なるのだ。

 あまり人と話をすることが好きではなくなった自分にとって、とても辛いものだった。


 誰も彼もが自分を鬱陶しいと思っているだとか、嫌っているだとか、延々と呪いのような言葉を代わる代わるぶつけられてきた彼女の自己肯定感など現状皆無に等しい。


 しかもそんな状態で、周囲の人間はラルフとの関係はどうなっているのかと遠慮も何もなく詰問してくるのだ。

 圧力しか感じない。

 一族の人間にとっても、キャロルがラルフと婚姻するかどうかで想定内、想定外の出来事が多くあるのだろう。

 だから早く進退をハッキリしろと責められても、キャロルの一存でどうにかなる問題でない。

 公爵であるレイモンドはいつものらりくらりと人当たりの良い返事ばかりで、ラルフの今後のことをどう考えているのか決して詳らかにしようとはしなかった。


 もしもラルフに選ばれなかったらどういうことになるのか、今からキャロルは心臓が縮み上がりそうだ。

 だがだからと言って彼に積極的に話しかけるような強靭な精神は持ち合わせていない。


 一応彼も自分の立場を尊重して、ある程度親しく気にかけてくれているが――

 結局はその他大勢の一人なのだろうなと思う。周囲の令嬢達があんなにも勇んで我先にと学年を跳び越えて会いに行くという行動力を持っていることに圧倒されるばかりだ。


「まぁ、良かったわねキャロル。

 ……楽しんでいらっしゃい」


 アイリスは慈愛に満ちた微笑みを向け、そう励ましてくれてホッとする。

 彼女の下には招待状は送られていないのだろうかと気になった。

 お茶会のメンバーが誰なのかまで事細かに書かれていない事が不安材料だが、この間のガーデンパーティやアイリスの様子から察するに、他のメンバーの予想はつく。


「あまり驚かれているようには思えませんが、もしかしてお姉さまはご存知だったのですか?」


 普通、カサンドラの立場から自分に招待状なんて中々吃驚案件であると思う。

 だが彼女は全く泰然とした様子で、「良かったこと」とニコニコ微笑むのみだ。 


 何せアイリスは女生徒でカサンドラ以外唯一の生徒会メンバー。

 それに彼女とも親しい間柄であることは知っている。

 自宅で催すガーデンパーティに王子を連れてのカサンドラを招待出来るなんて、そんな芸当が出来るのは彼女くらいではなかろうか。



 ふふふ、と微笑むアイリスの本当のところは分からなかったけれど。

 今まで絶望に瀕していた心に、ほんのりと希望の火が灯る。



 来週とは結構急な話だけれど、都合などいくらでもつけられる。

 何より、彼女の招待状はキャロルの事情を慮ってくれる、とてもあたたかい文章であった。

 義務感でとりあえず、という姿勢が少しでも垣間見えたらと冷や冷やしていたが――ホッと一安心だ。




 ※




「――呆れましたわ。

 随分急な話だと思いません?」


 ミランダは、自宅に招いたアンディに対しカサンドラから送られてきた招待状を差し出した。

 丸い木造りのテーブルの上、真っ白な封書が照明に照らされてぼんやりと淡い金色の光を発しているように見える。


「今くらいしか声を掛けるタイミングがなかったのだから、仕方がないよ。

 年末は何かと忙しないだろう」


 アンディの言う通り、確かに十二月に入れば皆予定がぎっしり詰まっていることだろう。

 冬休みは王子の誕生日もあり、誕生パーティに招待されるかどうか多くの生徒がそわそわしている頃だろうし。

 年末年始は実家で過ごす者も多く、冬休みの準備に余念がないはず。


 何より学期末試験もある月だ、そんな時期にのほほんと食事会への招待状を出されてもミランダは開口一番文句を言っただろう。


「でも、まさか本当にシャルロッテさん達と一緒にお食事会だなんて。

 自分が頷いたこととは言え、現実感がありませんわ」


 正直、彼女達の性格だの生い立ちだの、ミランダは全く知らない。

 だから一体どんな集まりになるのか予想もつかないのだ。


 ただこれでカサンドラへの義理が果たせ、恩を売れるのであれば決して悪くない話ではある。

 別に来週、大きな予定が入っているというわけでもないのだし。



「友達が増えるのは良い事だよ。

 僕の時代は男子間でも派閥のことで煩くて、立場が違うクラスメイトと挨拶も出来ないような状況だったからね」


 それがたった数年前の話なのだから、今の男子生徒達が状況が如何に恵まれた状態であるか分かるだろう。

 人間、特に嫌う理由もない相手に喧嘩腰になったり嫌味や悪口を言ったりするのは嫌なものだ。

 勿論嬉々としてそんな不和状態を楽しんでいた性格の悪い生徒もいただろうが、アンディの性格上そんな状況は辛かっただろうなと思う。



「……どちらにせよ、急に何かが変わるということもないでしょうし。

 まぁ、興味深いメンバーのお食事会ということ、可能な限り楽しんできます」




 ミランダの言葉に、彼は穏やかな表情で頷いた。 


  

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