第254話 少しの変化


 武術大会という二学期最後の大きなイベントが終わった。

 後は一か月、いつもと変わりない平穏な学園生活を過ごしていくことになる。


 ただ、全く何もしないというわけにはいかない。

 カサンドラは二学期の間にどうしてもやっておかなければいけない事が待っていた。


 別に三学期になってからでも遅くはない――と思うのだが、折角シャルロッテにキャロル、そしてミランダという三人の令嬢に食事会参加に前向きな返答をもらったのだ。


 出来れば彼女達の気が変わらない内、状況が変わって今より動きが制限されるなんて事態が起こらない内に。

 彼女達を家に招待し、集って友人同士の歓談という形でそれとなく親密さをアピール出来れば良いと考えている。

 実行に移す時が来たのだ。


 カサンドラが誰か一人と一緒に親密だ、なんて噂が出回るのは得策ではない。

 そして三人を恫喝して支配下におこうとしているだと思われないために、デイジーの水面下での協力を得て何かカサンドラの近辺で大きな出来事が起こっても、先走った行動をとらないようにと言い含んでもらっている。


 これを契機とばかりに派閥に属さない令嬢達がカサンドラを神輿に担ぎ上げてもう一つの対抗勢力を作ろうなど――学園内に爆弾を設置して回るようなものだ。


 あくまでも個人的な付き合いであるという体裁を整えることに意味があるのだと考えている。


 本来ならそんな面倒な采配を取らずとも、険悪な女子間の中で出来るだけつかず離れずを保って傍観者的立場に徹するだけでも三年間やり過ごせたかもしれないが。

 流石に信頼する先輩のアイリスからあんな話を聞かされて、何の対策もなく魔の二年生を乗り越えられるとは思わない。

 起こるのが分かり切っているトラブルの種を摘むため、迂遠ながらもカサンドラが出来ることはやっておこうと心に決めた。

 何よりアイリスたってのお願いなのだ、気が進まないなんて言っている場合ではない。彼女に受けた数々の配慮は返さねば。


 来年アイリスの義妹達がヴァイル派の中をゴチャゴチャ荒らそうとしたり、対立を煽ろうとしても皆が冷静になって騒ぎに乗じて混乱を来すことがあったら大変だ。

 ラルフや王子達の権力ちからを使わないと女子間の揉め事も御せないのかと思われるのも、カサンドラとしては避けたい話。


 少なくとも、シャルロッテはキャロルやミランダ達とも友好的に接するだけの価値観、素地がある。

 ミランダとて、残り一年のんびりと過ごせるのなら表面上は二人と仲良くするフリくらいはしてくれるだろう。

 二人にキャロルを支えてくれとは言わないが、カサンドラが気にして何かと接触することがあるかもしれない事態に理解を示してもらえれば十分だ。



 ここで自分が下手に動いて、現状は薄氷の上で保っている派閥間の緊張を粉々にしかねないという恐怖はある。

 いま動いて失敗すれば、それはカサンドラの責任だ。

 来年以降の話をしたってしょうがない。


 もしも――自分が御三家どこかに連なる家の出だったら、王妃候補としてその派閥に属する生徒から全員に明確に守られていたのだろうな。

 その他の二派閥は内心どうであれ王妃候補に敬意を払うことで争いを回避し、しょうがないと思うだけだ。

 同じ派閥から王妃候補が連続で立つことはないので、そこは持ち回りと皆納得するしかない。


 だというのに、今回に限ってはちょうどいい候補がいないからと、王様の鶴の一声で地方貴族令嬢のカサンドラが抜擢されたわけだ。

 派閥の後見、それこそジェイクだラルフだシリウスだの後ろ盾など一切ないどころか悪感情を持たれていて、書類上の王子の婚約者というだけで学園に放り込まれたとか、冷静に考えれば立ち回りを一つでもミスったら即アウトの状態である。


 今更自分の置かれた状況に気づいて、冷や汗を掻くカサンドラだった。


 


 ※ 




 自宅を使っての食事会ともなれば、また家令やメイド長に手配を頼まなければいけないし、恐らく在宅であろう義弟にも伝えておかなければ。 

 アレクにとっては関係ない女子間の問題――とはいかない。

 彼だってレンドール侯爵の跡取りとして養子に迎えられた少年である。


 カサンドラが何かしら学園内で影響を及ぼしたことは、次期レンドール家当主の彼にも普通に波及する。

 自分が卒業した二年後に学園に入学した時の彼の立ち位置にも関わることなると思う。


 先々の事、将来を見据えて動くには『それより王子や世界は三年後も無事なのか?』という先を知るという障害が邪魔をするが。

 カサンドラが望む通りの明るい未来を迎えることが出来たら、その時になって「手をこまねいているだけではなく、先んじて何かしてけばよかった」と後悔することになるかもしれない。それは嫌だ。

 

 アレクにも今回の件はしっかりと相談して、年下の彼に意見を聞くのは情けなくもあるが――アドバイスなどを受けてほのぼのとした雰囲気の中、食事会を成功させたい。


 招待状の文面もしっかりと考えないと、とカサンドラは教室の自分の席に座ってノートにペンを走らせる。

 出来れば代筆で書かせたようなテンプレートな招待状ではなく、カサンドラが自分で考えて送りたいものだ。


 教室には既に半数程度の生徒でにぎわっていたが、カサンドラは最も後ろの席ということでその雑多な喧騒から逃れることは十分可能である。

 考え事をすると眉間に皺が寄るため、あまり難しく考えず思いつくままにさらさらと試しの招待文章を書き綴っていた時の事。



 俄かに教室が騒がしくなる。

 毎朝毎朝良く飽きないものだと思うが、王子達四人が教室前方から入って来たから起こった騒めきだ。


 相変わらず常人には纏うことの出来ない特殊なオーラを持つ人たちである。

 もはや見慣れた――とは言え、やはり四人揃っていると迫力が違う。


 しかもそれぞれがギスギスした関係なら外野はハラハラしてしまうが、実際に仲が良いのも周知の事実。何も思うことなく、我先にとそれぞれにコンタクトをとりたがる。


 彼らが教壇前の四人固まった席に着くと、そうしなければいけない義務でも存在しているかのように彼らの周囲に生徒達が集った。

 廊下から様子を伺っていた違うクラスの生徒や、また上級生たちが我が物顔で朝のクラスに入り浸るという。

 こうして改めて見ると、付き合う王子達も大変だなぁと思うカサンドラ。


 しかも毎日顔ぶれが違って、アイドルの握手会場を背後から覗いている気持ちである。

 実際は取り囲んで話をするだけなのだが、彼女達の顔は笑っていてもどこか真剣だ。



 まだまだ一発逆転を諦めていない。

 もしも彼らに見初められれば、勝ち組だ。勝者だ。

 仮に婚約者がいたとしても、喜んで破棄して嫁入りするだろう。

 勿論そこまで倫理観が無いわけではない生徒達も多いだろうが、次期当主たちの目に触れる機会はとてもとても貴重なものだ。

 学園を卒業してしまえば、年に一回か二回姿を見る機会が得られるだけ。


 それが同時期に学園に在籍し、会おうと思えば毎日会える状況など幸運すぎる。

 これから本格的に社交界入りする貴族達にとってはボーナスステージみたいなものだ。

 何とか覚えを良くしてもらおうとアピールに走るのは特におかしな話ではない。


 それは朝の日常的な光景だった。

 入学当初はその人垣に戸惑いを禁じ得なかったが、慣れとは恐ろしいものである。



「おはようございまーす」


 そんな時、カサンドラの近くで元気な声が響いた。

 教室後方の扉を開けて入ってきたのは、リタ達三つ子だ。


 彼女達の席は前方なのでそこから入れば挨拶の機会も多いだろうが、前方の入り口を遮っている生徒達の姿に苦笑した。

 あんな教室前方に居座られ、目的の人物に話しかけることは出来ずともキャアキャア遠巻きに眺める女生徒がいれば後ろから入るしかあるまい。


「おはようございます」


 リゼとリナも、ぺこっと頭を下げてそのまま自席に向かう。

 そこまでは何の変哲もない普通の光景だったのだ。カサンドラもノートから顔を逸らし、挨拶を返せるくらいには。



「……お、リゼ!」



 だが教室内の雰囲気がざわっ、と。大きく一つの波が打ったようにどよめいたのは――ジェイクが自分の席を立ってこっちに向かって歩いてきたからだ。

 しかも呼びかける相手がリゼということは、間違いなくわざわざリゼに話しかけるために席を立ったということ。


 直前まで自分が話をしていた生徒を無視するような行動ではないだろうか?

 少なくともカサンドラは、そんなジェイクの姿を見るのは初めてだ。


 そもそも能動的に女子生徒に話しかけるような人ではない。

 当然、ジェイクとそれまで仲良く話をしていた生徒は面白い気はしないだろう。


 思わずペンを握るカサンドラの手が震えた。


「お、おはようございます」


 急にいつもと違う応対をされれば、リゼも嬉しさよりも疑念が先に湧くものらしい。

 不思議そうな顔をしつつも、ジェイクにも頭を下げていた。 

 彼が話しかけて来たのに無視するのもあり得ないわけで。


「お前今日、選択で剣術採ってるんだよな?」


「はい、そうですが」


「今日はジェシカが不在の日だから、替わりに俺が連れて来いってライナスに言われてさ」


 リタとリナは、そのやり取りを固まったまま間近で見ている。

 カサンドラも近くで行われるごく普通の会話に目を丸くして成り行きを見守るだけだ。


「わざわざありがとうございます」


「迎えに行くから、時間内には待機しておいてくれ」


「じゃあ小径の途中にある大岩あたりで待ってていいですか?」


 話から察するに、剣術講座のグループ分けの件か。

 言われてみれば、あれだけの成績を修めたリゼが今まで通りマンツーマンでフランツに教えてもらうのも不自然な話だ。

 クラス替えの話が起こってもおかしくない、ジェシカがいないのなら唯一顔が分かるジェイクが案内役になるのもおかしな話ではない。


 不審な点は何一つないというのに。

 これが異様な光景であるかのように周囲に遠巻きながらも凝視されているのが恐ろしい。


 こりゃあ、ジェイクの周囲に屯していたロンバルド派のお嬢さん達もさぞや気分を害して、苛立っているのだろうな。

 彼に悪気はないのかも知れないが……

 こんな風にリゼと普通に話せるほど仲が良いのだと知られるような真似をすれば、リゼ自身がまた以前のように非難の対象にされかねないではないか。


 以前あれほど彼らの持つ影響力について自覚させるよう促したのに、このままでは……



 と、恐々とした表情でカサンドラは前方を眺めた。

 今しがたジェイクと一緒に話をしていた数人のお嬢さんには、カサンドラも見覚えがある。



 ――あ、あの日……リゼの頭を噴水の中に実際に押し込めた実行犯達じゃないか。



 ミランダが命じたから仕方ないとはいえ、易々と他人を害することの出来る彼女達の気分を害せば、またぞろ問題が……


 そう危惧したカサンドラ。

 しかし何故か彼女達は顔を見合わせ、更に顔を青ざめさせている。しかも顔を突き合わせて話をしたかと思ったら。

 そのまま、こそこそと逃げるように教室を去って行ってしまったではないか。



 え?




 怒っている……というには、かなり焦り慌てていた感じに見えたが。




 不審に思ったカサンドラは、しばらく考えようやく理解に至った。



 先週のリゼの武術大会の活躍は、全校生徒が目の当たりにしたのだ。

 絶対勝てるわけがないと思われていたジェシカを時の運とは言え打ち倒し、決死の形相で倒れる寸前まで挑むその姿を。


 あれは何かが乗り移っていましたと言われても納得できる姿であったが、実際にあの試合を観て肝を冷やしたのは例の実行犯なのではないだろうか。



 華奢で運動能力もなさそうで、何の力もない一般人が相手だと思っていたからあんな暴挙に出れたのだ。

 よってたかって彼女を押さえつけ、酷い目に遭わせたという自覚はあるだろう。


 それが半年経って剣を振るい堂々と強敵を凪ぐ姿のリゼを見て、とんでもない相手にとんでもないことをしてしまったのでは……? と焦りを感じるのはさもありなん。


 しかもジェイクと同じ剣術グループに入るだなんだの話を始められたら顔も蒼褪めるか。


 自分達が本人は忘れてその気はないとはいえ、リゼの”復讐対象”に値するなんて、いかほど不利な立場かと震えるだろう。

 これ以上リゼに関わっていたら後が怖いと逃げ出すのも無理なからぬことである。


 そしてクラスメイトも他の生徒も、女だてらにジェイクに認められるくらいとは凄い奴だという評価に繋がる。

 嫉妬や妬み、出し抜いたというネガティブな感情が介入する余地がない。


 そりゃあ話も合うだろうなぁ、と納得してしまう説得力。



 ゲームの中では大会が終わった後のクラスメイトとのやりとりだとか、特殊なイベントでもない限り知りようがない。 

 基本的にゲームは選択した毎日のスケジュールの成否、数値の変化を追うものだから。


 『皆に褒められ、健闘を称えられた』という表現でサラッと流されてしまう。


 

 彼女が自力で普通に教室内でも話が出来る権利を勝ち得たということまで言及はなかった気がする。


 こんな風に実生活にも変化があるのだなとその潮目の変わりざまに、カサンドラは驚くと同時に嬉しく思えた。




 ふと、視線を感じた気がして、目線を更に横にズラす。


「……!」


 ジェイクの突然の行動に、苦笑を浮かべて肩を竦める王子と目が合った。


 友人ではあるものの、ジェイクは大貴族の嫡男だ。

 その立場を誰よりも理解しているから積極的に応援しているとも言いづらく、カサンドラとは違って王子は素直に喜ぶわけにはいかない。

 現状、複雑な心境なのだろう。



 彼の困惑ぶりに同調するように、カサンドラも同じように微苦笑を浮かべて首を傾げた。

 


 彼らがくっつくのは当たり前、自然の流れなんです! なんて。

 とても言えはしないから。

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