第253話 <リゼ>



「よくやったじゃないか、俺も驚いたぞ!」



 良く晴れた晩秋の午後。

 リゼが選択した剣術講座に向かった先は、当然フランツのいる野外修練場だ。

 場所を変えろという指示も受けていないのに、のこのこと別棟の修練場へ向かうのは憚られる。


 フランツの顔を見て、ホッとした。

 つい最近会ったばかりなのに。


 全くの初心者に特別に教えてくれる講師として彼は呼ばれた。

 険しい顔の彼から剣を教えてもらって、もう随分長いこと経った気がする。

 まだ半年かそこらしか経っていないというのに時の流れに戸惑いを覚える程だ。


 立ち止まって振り返ることは出来ても、時を遡ることはできない。

 過ぎ去った時を思い出し懐かむだけだ。


 ああ、自分は彼にこんなに満面の笑みで褒められるまでに至ったのだな、と。

 感慨深く胸が梳く思いであった。


「まさかお前がジェシカに一発食らわせるとはねぇ……

 はは、試合を観てたジェシカの兄貴どもが顔面蒼白になってたぞ。

 こりゃあどえらい連中に目をつけられたんじゃないか?」


 ニヤニヤと楽しそうに、からかいを含んだ声を掛けてくる中年のオジサン。

 いわゆる中年太りとは無縁の筋肉質で精悍な男性である。


「え、ちょ……」


 しかしジェシカに試合で勝ったことで、彼女の兄である騎士達に対して強烈な悪印象を与えたのではないかと言われてしまった。


 今度はこちらが血の気が引く。

 何せジェシカはロンバルド派でも名家のお嬢様として有名人とのことだから、当然兄達は騎士団でもかなり幅を利かせているに違いない。


 いきなり騎士団関係者から目をつけられるなんて、とリゼは目の前が真っ暗になるくらい慌てた。

 だがフランツのごつごつした重い掌がリゼの頭にそっと乗った。


「何、冗談だ。あいつらも十分楽しんでいたさ。

 八百長や出来試合が大嫌いな奴らだからな、本気の遣り合いが観れるのは貴重なことだ」


 それならばいいのだけど、と胸を撫でおろす。

 真剣に相手と試合をした結果、卒業後の進路希望である騎士団のお偉い人に恨まれたなんて笑い話では済まない。


「今回の大会、私にとっての限界が明確に分かった感じです。

 ジェシカさんが最初から全力でかかってきていたら私は勝てなかったと思います」


「うん、うん。

 そうだな。まぁそういうのも含めて時の運、勝負運。勝ちは勝ちだから誇って良いんだぞ」


 まるで自分が勝利したような――いや、それ以上に嬉しそうに持ち上げてくれるフランツにちょっと戸惑った。

 彼の事だから、こんな結果ではまだまだ、これから先も鍛えてやる、なんて発破をかけてくると思っていたのに。


 あたかもこれ以上教える事は何も無いみたいな雰囲気を醸し出されると、リゼも落ち着かない。

 ジェイク達のグループに混じれるかもしれないことは嬉しいが。

 でもいざこうしてフランツと対面していると彼が日常からいなくいなってしまうことに心細さを感じた。


「あの、フランツさん。私は、明日からもここに来ていいんですか?」


 すると彼はニコニコ笑顔だったのを、スッと目を細めて真顔に変える。

 頭から手を離し、腕を組むフランツの姿にドキドキが止まらない。


 ある程度覚悟はしていた事だ。



「――結論から言うと、お前は今後ジェイク達に混じって講義を行うことになる」


「そ、そうなんですね」


 快哉を叫びたいくらい嬉しいことのはずなのに。

 フランツを前にして宣告されるのは……ほろ苦いものがある。ずっと教えてくれると言ったじゃないか、見ていたいといってくれたではないかと言いたい。

 でも個人の心境や感情ではどうにもならない”決定”があるなら、それに従う他はないことは理解できる。


 フランツは学園に雇われた教師で、リゼは学園に通う生徒だから。

 ルールを作る側ではない。


「ただ、月曜日はここに来ていいからな」


「月曜日?」


「そうだ。

 週に一回お前に教えてやってもいいとさ、学園長の許可済だ」


「良いんですか、そんな特別待遇」


「学園側としても今回のお前の活躍ぶりを見て、剣術にも初心者枠を取り入れたらどうかって話になったらしくてな。

 案外やってみれば伸びる人材もいたかもしれないし。

 ――実際にずぶの素人リゼをここまで伸ばしたんだから、俺に初心者講師役として残ってくれってさ。

 それは構わないんだが、初心者枠があるからって参加する生徒がいるかはまだわからん。

 籍だけ置いて何もしない給金泥棒状態になったら嫌だしな、週に一回くらいはお前の面倒をみていいって話はつけた」


 ということは。


「月曜日にはフランツさんに会えるって事ですか?」


「あ、他の曜日はちゃんとジェシカ達のところで訓練して来いよ」


 それはリゼにとって余りにも都合の良い話ではないか。

 フランツに個別指導を受ける機会を得ながら、ジェイクやジェシカのいるグループで他の指導者の下につけるということだ。

 いいとこどりにもほどがあって、リゼは逆にそわそわ落ち着かない気持ちになった。


 確かに剣術は今まで習ったこと、齧ったことがある男子生徒であることが前提のクラス分けがなされている。

 素人の女子がいきなり参加するなんて想定していなかったことらしいので、存在自体が無駄だと初心者枠がなかったわけだ。

 だが剣に触ったこともないポッと出の自分が、突然大会でジェシカに勝つという大金星を挙げてしまったことで方針転換されたということだろうか。


 別に崇高な理念があって剣を習おうと思ったわけじゃない。

 本当に不純な動機でしかなかった。

 それでもここまで脇目も振らずに続けて来た結果、念願のジェイク達のグループにも参加できるし。師匠と呼ぶべきフランツともまた指導を仰ぐことができる。



 良かった、途中で諦めなくて本当に良かった……!


 

 最初の頃は意地で続けていたが、いつぽっきりやる気が折れてもおかしくない状況だったことは間違いない。

 一瞬でも正気に返っていたら、やってられないと放り出してもおかしくなかった。


 不思議と色んな事情が自分に味方してくれた結果、『今』があるのだ。



「そういうことで、だ。

 お前も言ってた通り、まだまだジェシカに勝ったなんて大きい顔が出来るわけじゃないな?

 今後も体力つけて、来年はせめて準決まではいけるようにビシビシしごいてやるから覚悟しろよ?


 ――それに、兄貴の指導は俺よりもっとキツいからそのつもりでな」




 フランツがにんまり笑って告げた言葉に、リゼは一瞬怯みそうになった。


 が、すぐに拳を固めて大きく頷く。



「望むところです、今後ともよろしくお願いします!」




 澄んだ青空に、リゼの気合の入った声が木霊した。





 ※




 月曜日と言えば、当然ジェイクの家庭教師のアルバイトの日だ。

 忘れるはずもなく、リゼは軽やかな足取りで生徒会室に向かった。――その腕に、大きなくまさんのぬいぐるみを抱えて。





「うわ、改めてみるとデカいな」 



 生徒会室前。

 先に着いてリゼを待ってくれていたジェイクの視線が、そのくまのぬいぐるみに釘付けになった。


「この度は……本当にすみません……」


 昼食が始まる前、クラスに待機する生徒達に武術大会の景品が配られた。

 弓術施設にて、的当てを行った際に各々がゲットした景品だ。

 当てられなかった生徒も、ランダムで配られてその景品を手に取って楽しそうな光景が広がったのを覚えている。


 彼女達のようなお金持ちならいくらでも買えるだろう景品だが、特にくまのぬいぐるみは一抱えもあってファンシーで一際異彩を放っていて話題の的。

 どデカいぬいぐるみを机の上に乗せたリゼを羨ましそうな顔で見つめるクラスメイト何人か分の視線が、背中に刺さった。


 なかなかお目に掛かれない特注品との話だが、リゼはこのぬいぐるみを手に入れるために長時間矢を番える練習をしたのではない。

 全てはあの高価で書きやすそうだと一目惚れをした羽ペンが目当てだったのだ。


 男子生徒用の景品と言われて身体中の力が抜ける程ガックリしたが、その様子を哀れに思ったジェイクが景品を交換してもいいと言ってくれたのだ。

 面倒をかけたことについては申し訳なく思うが、交換してくれると言われて嬉しかった。


 羽ペンが手に入るというだけではなく、一瞬でもジェイクの私物だったものが手に入ることが――凄く、嬉しい。


 ジェイクと一緒に生徒会室に入り、リゼはそろそろと彼の机にくまのぬいぐるみを置いた。

 いくらゆっくりと置いたとしても大きなぬいぐるみの存在感を減らせるものではなく、机の空きスペースを占拠するぬいぐるみ。

 デフォルメされ、愛らしさを前面に押し出したふかふかのぬいぐるみは、無機質な生徒会室の机の上にあまりにもアンバランスな存在である。


 見れば見る程、本当にジェイクがこんなもの持って帰ってどうするんだ、という申し訳なさで表情が引き攣る。


「ほら、これ。

 約束通り、交換な」


 ズイッと眼前に突きつけられる長い箱。

 彼に手渡されたまだ箱に入ったままの景品をリゼは受け取った。


「今日使ってもいいですか?」


「そりゃ勿論。だけどそれ、どう見ても男物だけど良いのか?」


 ジェイクは首を傾げて、キラキラ輝く顔で包みを凝視するリゼに問う。

 彼にしてみれば、女子生徒は可愛いだとか綺麗なものを好むのだという固定概念とはあまりにもかけ離れた感性のリゼが不思議なのだろう。


「全然! むしろシンプルで好みです!

 本当にありがとうございます」


 緊張し、呼吸を整えた後包みを開く。

 新しい羽ペンは、景品棚で目にした時より、一層ピカピカ輝いて見える。

 黒曜石のような硬質な光を放ち、若干太めの芯のペン。

 そして渡り鳥の美しい銀と金の入り混じった光沢をもつ羽の何と目に映える事か。


 勉強が好きなリゼは、筆記用具にもそれなりの拘りがあった。

 手に馴染んでいた愛用のペンを騙し騙し使っていたが、このしっかりした造りのペンなら長い間保ちそうである。


 指で挟んで笑みを堪えられないリゼを、ジェイクは苦笑いで眺めていた。

 今まで人からもらったものでこんなに嬉しいものはないと思っているが、それが彼にしてみれば何の変哲もない景品程度のペンだという事実。

 彼がノーコメントなのもしょうがない、どうコメントしても嫌味か皮肉にしかならないだろうし。


「とりあえずこのデカいのは邪魔だから……よし、シリウスの机に一旦置いとこう」


 そう言って彼はくまのぬいぐるみをひょいっと持ち上げた。

 絶妙な弾性を持つ縫いぐるみを両手に持って、そのまましばらく静止する。


 ピタッと彼の動きが止まったのを訝しむリゼ。


「ジェイク様?」


「意外と触り心地良いな、こいつ……」


 そう言いながらその大きな手でもふもふとくまのぬいぐるみの胴体を掴んで圧して離してを繰り返すジェイクの姿は面白い。

 普段縫いぐるみなどとは無縁の生活を送っている彼は、中に詰まった絶妙な加減の綿の弾力をしばらくの間楽しんでいた。


 見た目が簡略化された愛らしさ全開のぬいぐるみを興味深そうに弄る、大柄な男子生徒。意外にも愛嬌があって可愛い光景だ。

 その微笑ましさに吊られ、口が滑った。


「そのぬいぐるみ、ジェイク様みたいじゃないですか?」


「は?」


 彼は完全に心外だと言わんばかりに、縫いぐるみを両手で宙ぶらりんにしたままこちらを見据えた。

 流石にこんなファンシーなぬいぐるみと同じと言われては聞き捨てならなかったらしい。

 リゼもつい口が滑ったことに後悔したが、一度出た言葉は取り消せないのだからしょうがない。何とか取り繕わなければ。


「ジェイク様も大きくて、えーと……熊さんみたいじゃないですか。

 でも実際は、そのぬいぐるみみたいに……うーん、親しみがあると言いますか」


「……。」


 彼は自分を見下ろし、胡乱な視線になる。

 いくら自分のテンションが高かったからと言って、彼に向けて良い言葉ではなかった。

 熊みたいだと言われて嬉しい人などそういないだろうし。

 ましてやぬいぐるみみたいに愛嬌があって可愛いという言い方も、馬鹿にしているのかと思われてもしょうがない。


 自分の口の迂闊さに、背中に大量の汗を掻く。


 彼はやおら、「はぁ~~」と大きな大きな長い吐息をつく。


「ぶっ!?」


 そして――持っているくまのぬいぐるみを、突然何の前触れもなく顔に押し付けられた。

 丁度子供の顔ほどの大きさのくまの顔面に急に視野を奪われ、リゼは変な声を上げる。


 ぐいぐいと斜め上から押し付けられるぬいぐるみの弾力は、確かに絶妙で気持ちいい。

 だがそれを何故顔面でとくと味わわなければいけないのか。



「いくらデフォルメされて可愛かろうが、熊は熊。

 知ってるか? 熊って人を襲うんだぞ」



 完全にからかい口調で熊を押し付けられたが、何とかその攻撃を手で押しのけて大きく深呼吸。


 これは自分がぬいぐるみに例えた事への抗議だったのか。

 そりゃあ確かに、ジェイクはただの可愛い熊さんとは全く異なる。


 ――その力が人間に一たび向かうようなことがあれば……


 食いちぎるという表現にはならずとも粉々に骨ごと砕くような純粋なパワーを持っている。

 彼に本気で斬りかかられたら、一秒も経たずに斬り伏せられるだろう。

 素手でも首の骨を容易くポキッと折られそうだ。



 ジェイクは宣言通り、隣のシリウスの机の上にくまのぬいぐるみをデンと置いた。

 シリウスのきっちりと整理整頓されて一分の無駄もない綺麗な机の上は、一層ファンシーなぬいぐるみが違和感を醸し出していっそシュールな光景である。



「ぬいぐるみ……忘れて帰らないでくださいね」


 もしシリウスが目撃したら青筋を浮かべそうだ。


「そうだな、こんなの置いてたら強烈な嫌味を食らうだろうし。

 これ持って皆と同じ時間帯に帰れとか言われても困る」


 リゼとの家庭教師が終わる時間になれば、一般生徒は既に学園内から帰っている頃だ。

 こんな目立つ巨大なぬいぐるみを抱えても、人目につくことなく部屋まで帰ることが出来るだろう。勿論、寮に持って帰る道すがら何人かに目撃されることは避けられないだろうが。

 大変申し訳ない…!


 逆に皆と同じ時間に持って帰れば絶対にヒソヒソされる、下手をすればジェイクはこんなぬいぐるみが趣味なのかと思われて学園を挙げての大々的なプレゼント攻勢が起きかねない。

 学園にファンシーなぬいぐるみが大量発生して喜ぶのはリナかシンシアくらいなものだろう。




 景品交換を長々としてもしょうがない。

 先週は殆ど大会で潰れて授業の進度もいつもの半分以下だ。

 時間的に余裕があるものの、雑談をしていればあっという間に時間は過ぎる。



「そろそろ始めましょうか。早くこのペンの書き心地、実感したいですしね!」



 浮き浮きとペンを掴む。

 リゼは椅子を引っ張り出してそこに座り、彼の姿を見上げた。




 立っていてもその身長差は大きく、目を合わせようと思えば首が痛いほど見上げないといけない。

 それがこちらが座っているのだから、見上げるというよりはまさしく仰ぎ見る状態だ。逆光になっているから余計に圧迫感がある。



 もしも本物の熊が目の前に立ったら、これくらいの心理的威圧感を感じるのだろう。




 でも彼は本物の騎士である。

 要するに、正義の味方だ。



 だからその腕や剣が善良な一市民に向けられることはないし、本物の熊と違って安全なのだ。




 それこそ、くまのぬいぐるみみたいに愛嬌があって親しみやすい――と言葉にすればまたムッとされるだろうから、それは心の中にしまっておいた。




 

 

 ※






 その後勉強合間の雑談で。


 カサンドラと王子が王都散策する際に護衛でジェイクも同行するという話を聞きながら、新しいペンの素晴らしい書き心地にうっとりしつつ計算式をノートに書いていたのだが――


 散策それに同行しないかと声をかけられ、動揺の余り危うくペン先を潰す寸前まで指に圧がかかる。




 嬉しくて叫びだしそうな心を必死で抑え、リゼは真顔で何度も頷いた。

 コクコク、と。

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