第252話 行動が早い人


 三日を要する武術大会が終わり、カサンドラも流石にこの土日はぐったりして屋敷内でのんびりしていた。


 リゼの恋愛イベントが終わって、本格的にジェイクの攻略ルートに乗ったということもまた、嬉しい出来事だ。

 このまま順当に進めばリゼとジェイクが卒業パーティで一緒に――という光景も決して夢物語ではなくなる。ぐっと現実味を増したと言っていい。


 当然この後起こるイベントで大失敗をしなければ、の話だが。

 パラメータの数値さえ足りているのなら、特に捻くれた条件の必要ないジェイクは順当に攻略できるはず。

 これから学園の内外で起こる様々なイベント、それに個別デートを存分に楽しんで欲しいものである。


 ジェイク編は攻略ルートが二つある。

 一年目の剣術大会で上位に入るケース、そして二年目の剣術大会で同じく上位に入るケース、だ。二つというよりは、イベント時期が早いゆえの救済措置か。

 一年目でルート入りした場合、二年に進級した後入学してくる彼の義弟グリムとの接触も多くなる。

 間違いなくそこでゴタゴタするのだろうが、リゼの性格を考えると安易にグリムに肩入れするような事も無いだろうし。それこそ余計な世話だ。


 ヤキモキしていた心が少し落ち着き、カサンドラも大きな局面を乗り越えてホッと一息。

 しかし――『リゼ』が一年目でジェイクルートに入れるとは、それを望んでいた身でも少々驚きを禁じ得ない。

 素で運動系のパラメータが上がりづらく、大会上位に要求される剣術パラメータまで届かない事が普通のキャラだ。


 勿論他の全てを捨てて剣術や体術に集中すれば達成できる値であるが――普通、運動が苦手で興味もないという少女が、ただ一人の想い人のために全てそれのみに傾注できるかと言われると凡そ現実的ではない。

 余程の根性、明確な意思がないと成し遂げられない偉業だろう。


 しかも彼女の場合はちゃんと成績もキープしているのだから驚異的なことだ。

 もはやゲームシステムの枠を根性で捻じ曲げているとしか思えない力技である。


 後はジェイクメインのシナリオで、その場その場で適切な対応をすればいい。

 ジェイクは選択肢に罠がないからまだましな方だ。

 素直に好意を伝えて行けばいいだけなので……ん?



「素直……素直…………?」



 カサンドラは自室で王子に手紙をしたためつつ、そのキーワードに思い至ってヒヤッとした冷たい感触が足元を這うのを感じた。

 リゼはあまり素直な性格とは言いづらい。

 そう言う設定であるし、努力家で勤勉、真面目で負けず嫌いという性格の主人公だ。



 でもゲームを攻略していけば選択肢を選ぶのは、”リゼ”ではなくプレイヤーだ。いくら当人が素直じゃないと言っても、攻略するにあたっては好感度が高くなりそうな選択肢を選ぶのが乙女ゲームというものだ。

 主人公はこの性格だからこの提案は嬉しいけどキツめに断ろう、なんて選択をするプレイヤーは滅多にいない。相手の反応を確認したい時にロード必須で選ぶかもしれないけど。


 主人公が恋愛を進められるように導くのがプレイヤーなのである。



 でも、この現実にリゼを操って言葉を選んであげる『他人』は存在しない。

 リゼはあくまでもリゼという人格を持った一人の少女だ。


 今まで通り負けず嫌いゆえに意地を張り続けてジェイクを遠ざけるような選択ばかりしてしまえば――

 あの人はそれを素直に受け取って、ルートが閉じる。攻略失敗だ。


 彼女にその場に応じた正しい反応を指示してくれる人はいない。

 そのままの性格で事に当たれば、リゼとジェイクの関係はその場で破綻しかねないのでは!?



 何という盲点!

 ジェイクルートは後は流れに沿って適当に好ましい選択をすればいいなんて気楽に構えていたが、むしろそれの方がリゼにとっての難問ではないだろうか。





   カサンドラの知らない内にフラグを叩き折ってそう。





 リタやリナなら恐らく心配要らないのに、よりによってリゼか。

 その理屈で言うと、リタも……!

 あまりにも素直過ぎてラルフルートの罠選択肢にひっかかりそう!


 ……攻略ルートに乗ったから安泰だなんて、甘い話だった。


 これが相性が良くない組み合わせの洗礼だというのか……



 カサンドラは机に座ったまま、しばらく手紙の内容を考えるよりもリゼとジェイクの今後を想像して一人顔を青ざめさせていたのである。



 カンペを渡すわけにもいかないし、未来のイベント内容を予告して教えるわけにもいかないし。

 一体全体、どうしたら。





 ※




 週明けの月曜日。

 カサンドラが手紙を王子に渡すために早めに登校する日であり、すっかり恒例となってしまって早起きも辛いとは思わない。

 無人の生徒会室の王子の机に、カサンドラが手紙を置くだけだ。

 直接手渡すことはないけれど、中身はちゃんと読んでくれているのだろう。

 毎週彼と中庭で話をする際には、必ず手紙の内容について触れてくれるから。


 鞄の中に萌黄色の封書を入れたことをしっかり確認し、カサンドラは誰もいない校舎廊下を静かに物音を立てずに歩いていく。


 今日の手紙は何回も書き直しをしたもので、渡すことに躊躇いが生じている。それを抑え込むように、一歩一歩意識して生徒会室に向けて前進した。


 カサンドラは手紙の中に自分の感情をあまり記さないようにしている。

 勿論常識の範囲内でお礼を言ったり喜んだりはするけれど、多大な王子への気持ちがはみ出てしまい彼にドン引かれる事だけは避けたい。

 毎週毎週手紙を定期便のように持って行くだけでも王子が内心どう思っているか分からないというのに。


 そこに超重たくウェットな感情が込められたら、貰う方が重荷になると思う。

 否定的感情をおくびにも出さない人だが、礼儀正しい人ゆえに、そんな想いのこもった手紙をもらえば返事を書かなければと思うだろう。

 返事を強要していると感じられるかも知れない。


 単純明快、分かりやすく簡素な文。


 だからこそ返信は要らない、というラインを保てているのだ。

 何枚も何枚も王子についてしたためた、あたかも呪詛の如き手紙を彼に渡すわけにはいかない。


 そう思っているのに――

 先週の王子の特別試合エキシビション・マッチがあまりにもカサンドラにとって思い出深く夢に見る程の光景であったものだから。

 ついつい、普段は書かないような単語まで持ち出して王子への賛美の言葉をしたためてしまった。


 何度も何度も推敲したけれど、逆に平易な文章でいつも通りの所見文のような書き方ではカサンドラも納得できない。

 かと言って当然話題として触れない理由がないので、はしゃぎすぎないように何度も何度も重たくない程度に書き直した。

 ファンレターを書く時だってこんなに何度も書き直しはしないだろう。


 出来れば直に渡したいものだが、先週の今日だ。

 王子も疲れているだろうし、何なら今週も水曜日の語らいの時間はとらないのではないかとそんな不安にさいなまれつつ。

 カサンドラはそっと生徒会室の扉を開けた。



「おはよう、カサンドラ嬢」


「……おはよう……ございます……!」


 全く予期していなかったことに、生徒会室内には――何故か王子が一人で立っている。

 自分の夢想か、幻覚か。

 都合の良い夢を見ているのではないかと、カサンドラは無意識の内に頬に指を添えた。

 もう少し寝ぼけていたら、本当に頬を抓って痛がるという奇行を王子の前で晒していたことだろう。


 窓から射す朝の柔らかい陽光に照らされ、にっこりと微笑む王子を前にカサンドラは息をするのも忘れてしまう。

 真っ白な学生用ブレザー、赤いネクタイはやはり彼のために造られたような制服だなぁ、なんて今考えなくてもいいことまで思考が飛んでしまう始末だ。


「王子、今朝はとてもお早いのですね」


「うん、確認したいことがあったから早めに登校したんだ。

 ……それに、ここで待っていればカサンドラ嬢に会えるかと思って」


 何気なく彼がそう言い放ったので、やはり夢の続きではないか……?

 と、やかましくがなり立てる心臓の鼓動に振り回されながら、カサンドラは平静を装うのに精いっぱいだ。

 危うく一歩後ろによろめいてしまうところだった。


「わたくしに……ですか?」


「あまり人前では相談しづらいことだからね」


 カサンドラが置き手紙をしていることを把握しているからこその王子の行動だ。

 彼が自分の事を気にかけてくれているのだと思うと、自然と頬が緩みそうになる。


「ああ、その前に。

 先週はお疲れ様、大会も滞りなく終わって本当に良かった」


「全く以て仰る通りです。

 王子とジェイク様のお陰で、最後にとても盛況な様子を騎士団の皆様にもご覧いただけました。

 改めてお礼申し上げます」


「……私も何とかして参加したいと思っていたからね、ジェイクに協力してもらったんだ。

 やはり自分だけ蚊帳の外なのは寂しいものがあるからね」


 少し照れたようにはにかみ、彼は小さく頷いた。

 しかしながら、大会に関わることの話があってカサンドラを待っていたのだろうか?

 途中で救護室行きになったリゼの様子が気になるのかも知れないが、それこそ教室でリタやリナに聞いた方が早く済む話だろうし。


 彼はドキドキと様子を伺うカサンドラに、本来の目的を告げるべく口を開いた。


「――では本題に入ろう。

 この間、大会が終わって落ち着いた頃に一緒に街を散策したいという話をしたと思う」


「はい、楽しみにしております」


 予想だにしないところで彼とのお出かけのチャンスが巡って来た。

 全くの偶然とはいえ、一度膨らんだ期待をそうそう容易く萎ませることなど出来はしない。


 だが、わざわざこんな早朝にカサンドラに持ち掛ける相談内容か? という疑念が湧く。

 行き先の希望にしても彼らの行動予定にしても、また落ち着いた時に――いつのように中庭ででもゆっくり詰めれば良いだけの話ではないだろうか。

 まさか話が頓挫した?

 ガン、と勝手にショックを受ける。


「実は昨日、ジェイクに打診を受けてね。

 その街中散策の日、リゼ君も誘って構わないかと」


 彼は言いづらそうに、若干視線を逸らしつつカサンドラに伝えたのだ。


「リゼさん、ですか」


「……。私とカサンドラ嬢、そしてジェイク。三人では手持無沙汰になると言われてね。

 護衛を増やすのはカサンドラ嬢にとって知らない同行者が増えるだけで、あまり気も進まないと思う。

 君も良く知ったリゼ君なら同行するのに不都合はないだろうし、彼も暇を持て余さなくて済むのだとか」


「はぁ……」


 呆気に取られすぎ、呆けた返事を返してしまって焦る。

 王子の何とも言えない、微妙な表情が物語っている。


 ジェイクめ……

 なんだかんだと理由をつけて、リゼと一緒に出掛けたいだけではないのか? 



 先週の今日で! 行動が早過ぎるわ!


 脳裏に浮かんだジェイクの姿を軽くめつけ、カサンドラは状況を整理しようと試みた。



 彼の心中の細かいところまではトレースできないが、リゼの事が気になって一緒にいたい、仲良くなりたいと望んでいるのは確かだと思う。

 それについてはカサンドラとしては諸手を上げて賛意を示したいところだ。

 是非とも、リゼと交友を深めていただきたい。リゼにとって、とても楽しい学園生活になるだろうから。


 ただ自分と王子の街中散策の護衛の件をダシに使われるとは思っていなかった。

 確かに王子の護衛役として、カサンドラもジェイクと半日一緒にいるわけで……


 チラ、と王子の表情を見遣る。


「ジェイクという護衛がいるとはいえ、もしも万が一私に関わることでトラブルが発生した場合、同行しているリゼ君の身に危険が及ばないと言い切れない。

 護衛としてジェイクは私を守らなければいけないし、私とて切羽詰まった状況下なら……

 カサンドラ嬢の身の安全を確保することが精一杯かも知れない」


「勿体ないお言葉です」


 恭しく頭を下げながらも、心臓が爆発しそうだ。

 王子がもしも何らかの身の危険に遭遇した際、彼はカサンドラだけは守ってくれるとそう言ってくれているようなものだ。

 先週までならいざ知らず、彼の試合においての立ち居振る舞いを見た後だ。

 本当に人一人守れるだけの自信があるのだと分かっているからこそ、その言葉が直截に胸を穿つ。


 それは素直に嬉しい、もしも正面に王子がいなければ興奮しすぎて近くのテーブルを拳で叩いていたかもしれないくらい嬉しい。



 万が一の確率でも、普通にリゼが街を歩くのと王子が街を歩くのではその危険の深刻度は段違いだ。

 少しでも一般人であるリゼの危険を考えるなら、いくらジェイクの申し出であっても断るべきではないのか?

 本心ではそう考えているけれど、ジェイクの気持ちを考えれば快く頷くべきか――王子もまた、正解が分からずに悩んでいるようだった。


 だから同行者であるカサンドラの意見を聞きたいと、こうして朝早く生徒会室に訪れたのだろう。

 まぁ、実際に他に用事があったのならもののついでという事かも知れないけれど。



 ただカサンドラが思うに、このジェイクの提案は悪くない。


 以前王子達と街中を散策している時は、今よりも王子と会話をしていたわけではなくて……

 王子も自分より話しやすい友人のジェイクと頻繁に話をしていたのを覚えている。

 ちゃんと彼と向き合って二人きりで話が出来たのは、カフェに入って二人席に案内されてからのことだ。


 今回ももし王子とジェイク、カサンドラだけで街に出れば同じような状態になってしまうだろう。

 ジェイクと自分は特に親しいというわけでもないし、彼らの積み上げて来た年月に太刀打ちできずに聞き耳を立てることしかできない。


 そこにリゼが同行していたら……

 カサンドラも彼女とは仲良く話が出来る間柄で、気まずいという事もない。

 何よりジェイクの興味がリゼに向かうのなら、自然に王子とカサンドラが会話をする流れになるだろう。


「リゼさんが丘の上の孤児院に同行されることに問題は無いのですか?」


「シリウスの名さえ出さなければ問題はないと思っている。

 孤児院への慰問自体、一般人がおこなってはいけないという決まりはないからね」


 それは確かに。

 あの孤児院がシリウスが管理しているものだという事を言わなければ、王都にいくつか建っている孤児院に慰問に行くこと自体に問題などない。

 王族や貴族が慈善事業の一環でしばしば行うことだが、一般人が随行しても構わないだろう。


「リゼさんも一緒に来て下さるのであれば、わたくしも嬉しく思います。

 王子の仰る通り、万が一という可能性は心に留め置かなければならないでしょう、

 ですが過日の大会でご覧になった通り、リゼさんはジェシカさんにも後れをとることのない剣の使い手。

 王子の護衛要員の一人ということになったとして、何らおかしな話ではないのではないでしょうか」


 逆転の提案をする。王子側が守るべき同行者が増えたのではなく、王子の守り手が一人増えると考えれば良い。

 少なくとも彼女は自分の身くらい自分で守れる、そのくらいの実力を持っているのだ。


 すると王子は苦笑し、頷く。


「……成程ね。

 私としても大会ではジェイクに協力してもらったものだから、今回の申し出を断りづらくて。

 カサンドラ嬢に快諾してもらえたのなら、私も胸のつかえがとれた気がするよ。

 気を遣ってくれていつもありがとう」


 ホッと安堵したような様子の王子。

 彼も立場だとか、カサンドラへの打診だとか、諸々のことを休み中気にしていたのかもしれない。

 カサンドラの返答次第では、彼はジェイクに「NO」を突きつけることになった、それは気が進まない話に違いない。


「とんでもないことでございます。

 わたくしが何かのお役に立てたのであれば光栄です」



 これで王子の相談ごとは終わりのはずだ。

 王都散策がいつになるかは定かではないが、この日も楽しい一日になればいいと思う。



「これで私の用件は終わりなのだけど。

 ……カサンドラ嬢、今日は――直接渡してもらえるのかな?」



 そう言って彼はその白い手をスッと前に差し出した。

 一瞬何の事かときょとんとしたが、即座に思い出す。







 バタバタと慌て、今日彼の机に置くはずだった手紙を彼に手渡す。




 いつも手紙を彼に読んでもらっているはずなのに、こうして直に渡すのは――凄く、緊張して手が震えた。



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