第251話 イベントの後で



 果たして今、リゼはどんな様子なのだろうか。

 疲労困憊状態で歩くのも困難な状態なのに、ジェイクが出るからと叩き起こされ特別試合を観にやって来た。


 無茶をしたせいで容態が悪化したのではないかと思われる。


 既に生徒達は閉会式を終えて帰宅しているし、助力をお願いした騎士達も既に撤収済。

 最後に円形闘技場の内部をぐるっと確認し、役員は一度生徒会室に集まった後に解散する手筈となっている。


 他のメンバーは役目を終え、くたくたに疲れた体を引きずって生徒会室に集まっているはずだ。

 だがカサンドラはリゼが未だに救護室で寝入っているので、当然それが気にかかって闘技場を後にすることはできない。


「リゼ・フォスターがまだ救護室に残っているのだろう。

 ……そのまま放っておくわけにもいかない。

 カサンドラ、彼女が動けるようであれば付き添って帰宅するように。

 万が一移動が困難な状態なら人を呼んで構わない」


 シリウスの指示は当然のもので、ここは同じ女子生徒かつクラスメイトのカサンドラが付き添うことは自然の流れだ。

 もしも怪我をしているなら大事おおごとだが、疲労のために休んでいるなら話は別。動けるまで回復したら、寮まで送ってあげるべきだとカサンドラも思う。


 王子やシリウス達は先に生徒会室に向かっている頃合いだろう。


 ではいつまでもリゼをここに一人残しておくわけには行かない。


 カサンドラは救護室の幕を開けようと手を添え――

 中から話し声が聞こえ、思わずパッとその手を離して後退する。


 よく聞かなくても、今救護室の中でリゼと一緒にいるのはジェイクに間違いない。

 危うく恋愛イベント中に乱入するところだった、間一髪ギリギリセーフ!


  ドッドッドッ


 カサンドラは動悸を激しくして、遠巻きに救護室を眺める。

 どうにも落ち着かず、周辺をうろうろと動き回る姿はまるで手術の成功を祈る患者の家族のような様であった。



 リゼとジェイクの恋愛イベントの初回はどうだったかな、と思い出す。

 恋愛イベントもそれぞれの主人公に用意されているが――今まで興味を抱いていた主人公のことを、『好きだ』と自覚する段階であるのは共通している。


 今まで何かと接触をはかり好感度を上げて来た攻略対象、彼らはそれぞれ抱える事情故に己の感情を真正面から向き合うことを避けていた。それは無理矢理逸らすものであったり、無意識に抑えつけるものであったり、別の感情にすり替えるものだったり。


 最初の恋愛イベントは攻略対象が主人公に『好意を抱いているのだ』と気づくキッカケになっているのだろう。

 それはリナであってもリタであっても結果的には変わらない。

 途中からほぼ両片思い状態で進むせいだろうか、攻略ルートに乗ってからのイベントは須らく”甘い”。


 ジェイクの恋愛イベントは試合が終わった後、彼に話しかけられることで発生する。


 リゼの場合はあまりにも無茶が過ぎるものだから、ハラハラするし放っておけないという感覚が実は特別なものだと気づく流れだった。

 ゲーム内ではリゼが試合中に足を怪我し、歩くのが難しいとジェイクが気づいて話しかけるシーンから始まる。


 それにも関わらず、怪我を隠そうとしたリゼに詰めよる内に――彼は気付いてはいけない己の本心に気づいてしまう。


 細かい状況に差異はあるものの、試合が終わった後にリゼとジェイクが話をしているという事はそこでイベントが進んでいるのだろう。


 敢えて見ないふりをしていた感情に気づく。

 キッカケが恋愛イベントの初回で、イベントを起こした段階で攻略ルート入りが決定し、その後は相手の抱える”事情”を深く掘り下げて行くことになるわけだ。

 事情というかほぼほぼ闇である。

 

 実際ゲームの中では態度が露骨に変わるので中々愉快なことになるし、関係の進み具合が目に見えて楽しかったことは記憶にも残っている。


 この現実世界のイベントと、カサンドラがゲームを通じて体験したイベントは若干の差異がある。

 王子に関わることもそうだし、全くトレースしてなぞっているわけではない。

 そのため本当に通称恋愛イベントと言われるイベントが起こるのか? 条件は大丈夫か? という不安は常にカサンドラの中にあった。


 何とか恋愛イベントを起こすことが出来たのなら、一応この世界でカサンドラの記憶が有効だという証になる。

 良かった、本当に良かったと胸を撫でおろす。


 ここで何事もなかったとしたら、リゼを焚きつけて一心不乱に剣術を学ばせたことについて言い訳も出来はしない。


 ただ、そこまでシナリオに狂いが生じるなら設定が根底から違うということで、案外王子がラスボスなんて話はなかったことになっている可能性も考えられたかもしれない。


 現状はその可能性も同時に失われた――ということか。


 今生きている世界があのゲームの世界観を参考にして造られただけの世界で、その中のイベントやら現実世界は全く別の設定なら……王子は、悪魔なんかに操られずに済むのではないか。ふと、そう考えてしまった。けど、無意味だ。


 見えない事、分からない事をいくら考えあぐねても仕方ないと首を横に振った。

 少なくともカサンドラがゲーム上で知るイベントは実際に行われていた。主人公が三つ子と言うのは異常事態だが、それを除けば確かにゲームのシナリオをベースに日付が進んでいる。


 ……実際にリゼとジェイクのイベントが起こったということなら……


 この世界において、王子は黒幕として断罪される存在という前提は変わらないということではないか。

 リゼの気持ちを思えば複雑な想いだが、襟を正さねばならない事態なのは間違いない。


 予想して予測して、実際にイベントが起こったことを素直に喜びたいのに。

 肝心の王子のことが一切情報にないから、カサンドラの不安は増すばかりだ。

 果たしてゲーム上では単なるお邪魔キャラの悪役令嬢に、一体何が出来るというのだろう。



 それにしてもさっきは本当に危ういところだったと肝が冷える。

 恋愛イベントで好感度や能力値が足りずに失敗に終わる時、カサンドラが『ちょっとお待ちになって!』と主人公と攻略対象の間に割り込むことになっている。

 カサンドラが来たらリセットだ、というプレイヤー共通認識の中――


 もしも何も考えずにリゼの様子を見に入ったら、カサンドラがイベントを失敗に導いていたかもしれない。

 笑えない話だと、表情筋も引きつった。

 もっと慎重に行動しなければと自分に言い聞かせるのに、ちょっとしたことで油断してしまう。

 本来屋外のイベントだったから油断したなんて言い訳に過ぎないのだ。


 他のイベントでは気をつけようと一層強く心に決めた。




「………。」



 救護室と外界とを隔てる一枚の天幕が、スッと開く。

 勢いよく開かれた幕の音に、カサンドラは驚愕の悲鳴を押し殺して振り返った。


 ジェイクが出て来たという事は、イベントは終わったのだろう。

 結果がどうかなんてわかり切っている話だ、果たして彼はどんな顔をしているのだろうかと意地悪い感情が湧いたことは否定できない。


「まぁ、ジェイク様――」


 たまたま今のタイミングでリゼの様子を見に来た風を装い、ジェイクに涼しい顔で声を掛けようとしたカサンドラ。

 だがしかし、彼の形相に言葉を失う。


 彼は無言で顔を顰め、殺気に近い憤りを纏って橙色の双眸を据わらせていた。

 恋愛的なドキドキではなく、命の危機を察知した瞬間に感じるドキドキをカサンドラに突きつける。


 昏い表情。

 この世の全てを憎悪するような、殺気の籠った険しい表情。


 まさか恋愛イベントが失敗でもしたのかとぞっとする、そんな彼の様子にカサンドラは言葉が浮かばなかった。

 おかしい。

 耳をそばだてていたのではないけれど、終始彼らの会話は穏やかだった気がする。

 言い争う声も聞こえなかったし、もしもここまで彼が怒り狂うような事態が発生すれば薄布一枚隔てたカサンドラが気づかないわけがない。

 リゼと仲違いして、恋愛イベントに『ならなかった』……という雰囲気ではなかったのに。



「……これ、返してくる」



 彼はカサンドラの顔を見ないまま、足早に闘技場内から去っていく。

 ザッザッ、と不穏な足音を鳴らし、彼は普段の彼の様子からは全く想像できない陰鬱さを纏って視界から消えた。

 手に持つ軽鎧はリゼが身に着けていたものだろう、小柄な彼女が防具として利用していたそれを抱えたまま――言葉少なく。


 リゼとの話の後、急にカサンドラに会って照れこそすれ殺気を纏われるなど想像もしていなかったことだ。

 一体どんな会話があったのだろう、とカサンドラは一気に血の気が引く思いだ。


 リゼが彼を怒らせてしまったのだろうか。





「……リゼさん、お休みのところ失礼します。

 お身体の調子はいかがですか……!?」



 慌ててリゼのもとに駆け寄ったカサンドラだが、彼女は心ここに在らず状態。

 寝台の上、一人その場に惚けたように座り込んでいる。

 ぽわ~~っと、まさに浮き立つ心境をそのまま表しているようだ。


 両頬を手で覆い、真っ赤な顔でその場に佇むリゼの姿は、とても言い争いをした後には見えなかった。

 顔どころか耳の先まで真っ赤にして、カーッと頬を染める彼女はカサンドラに気づいて即座に顔を伏せる。


「え、ええと。

 大丈夫……です。すみません、今、落ち着かなくて、ええと……!」


 混乱に混乱が重なっているリゼ。

 だが彼女の周囲には薄い桃色の幸せオーラが立ち上って見える。


 カサンドラの予想通り、ここで彼らの関係が一つ前に進むような展開があった事は間違いないだろう。

 頑張り屋で、意地っ張りのリゼ。

 真面目でひたむきで、でも傍にいると危うさも垣間見える女の子だ。



 ただのクラスメイトだという以上に、自分にとって何故か気にかかる彼女。

 そしてその感情が果たして何を意味するのか、彼は自覚してしまったのだ。

 自覚を促すためのイベントなのだから、それは当然のことなのだけど。




 ここで初めてジェイク目線で考えてみた。


 ――本来気づきたくなかった想いを、最悪の形で突きつけられたことになる。

 タイミングは、考える限り最悪。よりにもよってというクリティカルだ。何も今でなくとも――

 彼が世界を恨みたくなるのもわかる。



 ……自己嫌悪に陥りつつ、アイデンティティ崩壊の危機という状態だから、あんな顔になったのか。

 やるせなさをぶつける先が見当たらないまま、人一人殺した後のような凄い顔に歪んだというのも恐ろしい話だ。



 あの殺気はリゼに向けたものでもカサンドラに向けたものでもない事だけは分かる。



 自分自身にか。それとも父親か。

 ……もしくは、流れる血か。逃れられぬカルマにか。



   


「何かありましたか? 今しがた、ジェイク様とすれ違ったのですが」


 リゼは猶更顔を赤くし、もう真っ赤に熟れた林檎状態。

 耐え切れず、その場に身を屈めて身悶える。


「ええと……あの、凄く、嬉しくて。

 あああ、すみません!」


 彼女の動揺は今まで見たことがないくらい大きなものだ。

 まともに息が出来ているのかと心配になる。



 彼女にとって幸せな時間だったのだろうと思う。




 先ほどのジェイクの顔を思い出すと未だに背筋が凍るものの、きっとリゼの前では絶対に出すことは無いだろう。

 まさか攻略対象の、主人公目線では決して見ることの出来ない一面を間近にしてしまうとは……




「ふふ、ジェイク様と今までより仲良くなられたのでしょうか?

 それならば、良かったですね」



 彼の葛藤はしばらく続くかも知れないが、相手がリゼなら何の心配も要らない。

 彼女の純粋で前向きな想いがあれば、結局のところ彼の悩みそのものは無いに等しいことだから。




「はい……!

 来年は、もっともっと勝ち上がってみせます!」



 ちょっとピントがズレた意気込みではあったが、彼女の表情は明るく嬉しさを察し余りあるほどだ。






 恋愛ゲームでは、大方の場合において攻略対象に何か事情があったり恋愛成就に困難な状況であるものだ。

 障害のない恋愛より、障害を乗り越える過程を共有できる方が感情移入できるし最後によかったねと思えるから当然のことかも知れない。


 もし主人公が一人しか無かったら、主人公に選ばれなかった攻略対象は解けない事情を抱えて生きなければいけないのだな、とふと気づく。

 シナリオの後に運命的な出会いがあるならともかく、そんな奇跡は彼らには訪れないだろう。



 リゼが、リタが、そしてリナが。

 それぞれの恋愛が成就するという事は同時に彼らが救われるということでもあるのだと気付く。

 

 




 同時に、脳裏に王子の姿が過ぎった。

 彼もまたこの世界の主要な人物として描かれたのであれば――攻略することは同時に彼を救うことになる。


 



 彼にもイベントが用意されている世界なのだろうか、だとしたら、いつ、どこで…?



 リゼの前でにこにこと微笑みつつ、心の中で気ばかり急いた。

  

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