第249話 届く声


 シリウスの手前どうしても露骨に大騒ぎする事は憚られる。

 やや控えめの試合観戦を強いられ、カサンドラは気を引き締めた。



 これは全試合の日程が終わった後、公的な記録に残ることのないお遊びであり、お祭りだ。

 ある意味で生徒会役員からの出し物のようなものかも知れない。


 現役騎士であり、鬼神と畏れられた将軍ダグラスの血を濃く受け継いだジェイク。

 彼の現時点での実力は他の生徒を寄せ付けない圧倒的なものである。

 

 子供の大会に大人が混じるようなもので、手を抜こうが本気になろうが決して大きな盛り上がりを見せることはできないだろう。勿論、王子との特別試合が検討されていなければそれなりに形になる決勝戦にしてくれたかも知れないが。


 彼に一撃を与えでもしたら騎士団内定だなんて発奮材料を撒いても結局のところ、奏功せずに終わったようなものだ。

 ジェイクだって参加する以上、易々と相手に勝ちを譲る気もないのだし仕方ない。周囲を焚きつけた結果、絶対負けられないという意味でジェイクも手を抜く理由もなくなって瞬殺である。


 彼が関わらない試合の方が観ていて面白かったとなるのも、また皮肉な話だった。


 ――はからずも大会を荒らすようなことになってしまった、だからこうして改めて本気で剣を振るう事を了承したのだ。


 王子が大会に出たがっていたのはジェイクもわかっていた事、友人想いの彼ならこんな特別試合を組むくらい何でもないことだと思われる。




 指先が、足先がむずむずとして落ち着かない。

 何のしがらみもなければ大きな声を出して応援したいのに。



 丁度視線の先で王子とジェイクが剣戟を繰り返しているわけだ。

 彼らが大きく動く度に歓声が湧く。


 王子の普段の所作が殊更優美なものだから、その記憶と比較して今の彼の闘争心に満ち大きく立ち回る姿はインパクトが強い。

 何処にそんな体力が隠されていたのだろうと疑問に思ってしまう。


 彼は俊敏な動作で相手の重たい一撃全てを軽やかにいなし、お返しとばかりに真剣な表情で上から下への連撃を叩き込む。

 その研ぎ澄まされた雷撃のような軌跡さえ、ジェイクもまたあっさりと剣の腹で軽く受け流すのだからカサンドラも面食らった。

 果たしてどうすれば彼に有効打を与えられるのか、カサンドラには全く分からない。


 普通大柄の剣士と言えば、パワータイプで力任せ、大振りだというイメージが湧く。

 だが彼は力任せに動くことはしないし、全く理解しがたいことにはやかった。剣を振り下ろした後の動きも柔軟で、大きな隙など全く存在しない。

 もしもよろめいたように見えても、相手の油断を誘って挑発しているのかと瞬間、判断に迷って攻勢に転じることも難しいのだ。


 しかも幼いころから騎士団の実力者から剣を学び、ロンバルド家の嫡男という由緒正しい軍門の血が流れる青年だ。

 才能に慢心することなく日々の鍛錬も怠らないのだから、そりゃあ普通の人間が勝てるわけがない。力もある、技もある、速さもある、戦闘に特化した血筋の生まれなだけでもズルいと思えるほどなのに。


 努力する天才が目の前に高くそびえ立つとするなら、乗り越えようとさえ思えずに早々諦める者の方が多そうだ。


 才能というものは、残酷だ。

 いくら努力しても届かないのは、辛い。

 己の限界を知ればそこで心が折られかねない。



 そんな彼に引けをとらず、真正面から剣を合わせることの出来る王子は本当に何者なんだろう。

 もしも今後のシナリオを知らなければ、神に寵愛された存在なのかと勘違いしてしまいそうだ。



 ぶんっ、とジェイクがその太い腕を大きく振り、半円の銀孤の残像を空中に描く。

 それは予備動作のない唐突な一撃で、もしも相手がぼんやり油断していたら――その胸元を真一文字に切り裂いていただろう。

 特に彼はリーチも長い、間合に入れば一凪で相手を黙らせることが可能だ。



 いくら防具としてブレストプレートを纏っていたとしても、その金属の板ごと肋骨を粉々に砕きかねない威力。

 王子は後ろに跳んでその斬撃を避けたが、皆が彼の怪我を予想して悲鳴を上げた程の紙一重だった。


 僅かに彼の鎧を掠めたのか、王子の胸中心部に白く削れた一本の線が残っている。

 刃を潰した剣で僅かに触れて、金属を抉り落すのか。あんなものが生身に向けられたら斬殺というよりは殴殺に近い。



 もしも王子が避ける動作ではなく攻撃しようと一歩前に踏み出していたら、無防備な白い首筋にその切っ先が当たりかねなかったぞ?

 背筋がぞわっと戦慄き、恐怖に支配される。

 遊びという名を借りた本物の実戦だ。


 自分が致命的な怪我をする寸前だったと理解しているにも関わらず、王子は愉しそうだ。


 その不敵な笑みさえ、いつもとは違う彼の魅力的な一面に思えてしょうがない。



  ……何故、この世界は動画記録装置が無いのだ……!?



 再び無茶苦茶な文句を込め、心の中で地団太を踏んだ。

 もうこんな彼の姿は見ることは出来ないかもしれないではないか!


 見ることが出来たとして年に一回の大会くらい。しかも来年も特別試合がある確証はない。

 どちらにせよ貴重な光景であることに変わりは無かった。


 彼らの住む男子寮奥に建設された特別寮には、他の生徒が足を踏み入れるなど出来ない。

 普段王子が幼馴染達と日常的に行われているやりとりの一切を、カサンドラは垣間見ることなど出来ない。剣を振るう王子なんてレアな光景が今までも寮内であったなんて……



 王子の幼馴染であるというだけで、それを間近に出来るなど、なんて羨ましい……!



 見当違いの嫉妬とは分かっていても、きっと学園に通う生徒の知らないような側面が王子にはまだまだ沢山あるのだろうなぁと少し悔しかった。

 敗北感と思える程には、彼らに対抗したことはないのだけれど。


 一学期の最初と比べたら、王子の婚約者とある程度存在を認容されている気がする。

 もっと彼らに認められれば、王子の素顔に近づくことが出来るのだろうか。




 小さく、大きく。

 低く、高く。

 彼らの剣は互いにぶつかり合い、その度に生徒達は固唾を呑んで成り行きを見守る。


 ジェイクが危うく致命的な一撃を王子に食らわせる寸前だったからだろうか。

 その瞬間場内の空気がヒヤッと水を打ったように鎮まり、女子生徒の多くはまるで天に祈りを捧げるように手を組んでハラハラと見つめるようになった。


 きゃあきゃあと黄色い悲鳴を上げる者も徐々に減じ、ただ純粋に――彼らの手心を加えるでもない真剣な打ち合いに見入っていた。


 




 それにしても、本当に御伽噺から飛び出てきたような王子様だ。

 文武両道を地で行く、まさに白馬の王子様。

 舞い散る汗の珠さえキラキラと煌めいている。


 隣に座るリゼから息を呑む音がし、ちらっと視界の端に入れてみた。

 カサンドラと同じように全神経を集中させ、まじろがずに見る彼女の眼差しは会場中央に注がれている。

 が、その視界の中心にいる人物はお互い違う。


 大声で応援することは出来ないが、心の中では一心不乱に声を張り上げている。


 何にせよ、名試合は好敵手同士がいないと成り立たない。

 互いに伯仲する者同士の真剣勝負だから、その様に心を打たれるものだ。



 その点二人はどちらも遠慮をしているようには見えない。

 だが、次第に王子の方が守勢に回ることが多くなった。――やはり相手が力を込めて放つ重撃を幾度のその腕で受け止めれば、疲労も蓄積されるものだ。

 王子が見た目以上に鍛えた体であることはカサンドラは知っている、でもジェイクの隆々とした太い腕とは比べればどうしても細く見えてしまう。

 よくも腕を折らずに剣を支えられるものだ、とカサンドラは息を押し殺して僅かでも彼の姿を見落とすことのないよう。

 いつの間にか前のめりになっていた。ぐっと握った拳に一層の圧をかけて見守った。




 ――長い好試合にも終わりが訪れる。



 王子が動いた。

 恐らく己の体力配分を考え、悠長に剣の打ち合いを続けるわけにはいかないという判断なのだと思う。

 その動きはカサンドラも見逃すくらい速いものだったはずだ、王子はジェイクの腹に向かって剣を一閃させた。




 鈍い音が地面に鳴り響く。

 ジェイクは王子の行動選択など最初から見通していたかのように僅かな動きで躱し、あっという間に間合を詰める。


 ……あっ、と声が漏れた。


 王子の首筋にジェイクの長剣の刃がピタッとあてがわれたまま静止する。

 ジェイクはその長い剣を握る両の手に血管が浮き出る程の力を入れて、振りぬくのを留めた。

 剣を止めるタイミングが僅かでも遅ければ大惨事が起こっていただろう。

 

「……。」


「……。」


 ひんやりとした冷たい金属の剣。それを首筋に当てられながら、それでも王子は動揺することもなかった。

 しばらく二人は睨み合ったままだったが、流石に両者のその体勢を維持させるわけにはいかない。


 試合終了の合図が鳴ると同時に、二人は離れる。


 同時に半歩ほど後方へ後じさり、己の手に持っている剣を利き手に持ち直したジェイクと王子。


 向き合う二人の間に、涼しげな一陣の風が抜き抜ける。汗で顔に貼り付いた髪が、その試合の激しさを物語っているだろう。



 ニッと挑戦的な笑みを浮かべた後――互いに下腕を軽く当て、更にバシッと大きな音を立ててのハイタッチ。   

 互いに健闘を称え合うものであるが、それは大変爽やかで、清々しい空気を会場内に齎すものだ。勝敗など意味がないかのように、遺恨など一切残らないやりとりである。



 本戦でさえ見ることのなかったその観戦席の盛りあがりだ。

 二人は軽く手を挙げて彼らに向けられる声援に応え、朗らかに微笑む。


 剣をとって勇ましく戦う王子の姿はそこに無く、会場に立つのは普段の穏やかで優しい王子に戻っていた。


 彼は軽く手を振りながら自身を労う声に応えつつ、ぐるっと観戦席を見渡す。



 会場にはあたたかみのある拍手が満ち響き、カサンドラも彼の雄姿に感動して手をずっと叩いていた。

 形の上では負けということになるかも知れないが、彼がこんなにジェイクと肉薄できる、本気の鍔迫り合いが出来るなんて想像もしていなかった。


 王子もそれなりに剣が使えるだの、王子に護衛なんか必要ないだろ、というジェイクの言葉は誇張はなかったわけだ。

 多分学園で、ジェイクの次に腕が立つ。

 しかもその下を遥かにちぎっての二番手である。



「………!」



 王子が、チラっとこちらに視線を向ける。

 カサンドラが椅子から飛び上がって直立し、惜しみなくパチパチと拍手を続けていると、彼は面映ゆそうなはにかんだ笑顔を見せた。


 それだけでカサンドラは眩暈で後ろに倒れ込みそうになるくらい動揺した、何故かこちらも方まで照れてしまってどうしようもない。


 どうにも落ち着かず、俯くと手もとの腕時計の盤面が目に飛び込んでくる。

 時間は丁度閉会式予定時刻を指していた。

 もしかして全て計算された上でのやりとりだったのだろうかと、若干戦慄を覚える。




 エキシビションとは言え試合を終えたのだから、当然ジェイク達は控室の方に一旦戻ることになる。


 本部席のある方とは真逆の方向なので、この直後の高揚した気持ちを直接言葉にして伝える事が出来ない。


 こちらに直接帰投するというのなら、カサンドラだって彼を労いつつタオルの一枚でも渡すことが可能だっただろうに。



 俯いていた顔を上げると、彼がジェイクと並んで退場しようとする姿を目の当たりにする。カサンドラに、スッと背を向けて。

 ……それは自然な行動だ。


 むしろ本部席側に退場してきた方が、大丈夫かと彼の判断能力を心配しなければいけなくなってしまう。


 なのに――背中を向けられて心の奥がチクチク痛い。



「……王子!」



 場内は未だに歓声がとどろいて、騒々しい。

 鳴りやむことのない拍手に包まれ、きっと彼らが姿を場内に戻した後もその喧騒は落ち着くことはしばらくないだろう。


 だからカサンドラが彼を呼び止めたとしても、これだけ距離があったら聴こえるわけがない。

 きっと他の多くの雑多な声援に紛れ、掻き消えてしまうに違いない。


 呼んだところで振り返るわけはない――



 だが彼はもう一度立ち止まって、カサンドラの方を確かに振り返ったのだ。

 衝撃で息が止まりそうになった。


 少しだけ驚いたような、彼の澄んだ蒼い目に射抜かれる。



 

「と、とても素晴らしかったです……!」



 果たして声が届くのかどうか。

 力ある限り叫ぶのは流石に難しく、控えめな賛辞になってしまったかも知れない。



 だが彼は、嬉しそうな笑顔になって手を振って応えてくれた。

 声は本当に届いたのだろうか。


 こんな騒々しい、耳を塞ぎたくなるような喧騒の中。

 カサンドラの声をちゃんと聴き分けてくれたというのなら、それは本当に嬉しい事だ。


 ただの偶然かもしれないけれど、ずっと心臓がどきどきと煩い。


 がたっと横で音がする。



 そう言えば、すっかりリゼの事を途中から忘れてしまっていた。

 全く声も発しないし、そこにいるのかが疑わしいほど静かだったから。



「流石ジェイク様はお強いですね、リゼさん――」



 会場の熱気の渦をその背に控室に戻る彼らを見送った後、リゼのいるはずの横を振り向いた。

 彼女だって貴重な光景を間近で見ることが出来たのだから、嬉しくないわけが無いだろう。


 ああ、二人とも格好よかったなぁ、と感嘆ゆえの溜息さえ漏れるカサンドラだったが――




「リゼさん!?」



 リゼはいつの間にか椅子から降りていた。

 しかし――ずるずると身じろぎする内に椅子から落ちてしまったのか。

 そのままへたりこんで、顔面を椅子の上に乗せてしがみついている。


 ぷるぷると小刻みに肩を震わせ、本来腰を掛けるべきところに顔から突っ伏しているという珍妙な格好のリゼに大いに慌ててしまった。

 膝を折って地面につけ、時折思い出したように握った拳でドンドンと座席を叩く。

 完全に身悶えモードに入っている……!


「り、リゼさん。

 あの、そろそろ閉会式ですが……

 もう一度救護室に戻りませんか? 座っていることも難しいようですし……

 先生に許可をいただきますので、しばらく横になられた方が」


 カサンドラが躊躇いがちに彼女の震える肩に声を掛けると、漸く自分が変な格好で悶えている事に気づいてしまったリゼ。

 彼女は顔をパッと跳ね上げ、カーッと全身真っ赤に色を変じた後、頭を抱えて頷いた。




 お気遣い感謝します、と呟く彼女に手を貸して。

 カサンドラは再び彼女を救護室まで連れて行くことにしたのである。




 いくら目立たない場所とは言え、椅子に突っ伏して思い出し震えるリゼをそのままにしておくのはしのびなかった。


 

 リゼの大きな瞳の中には、無数の小さなハートマークが浮かんでいるような気がする。

 鏡もなしに自分で自分の目を見ることはできないが、もしかしてカサンドラもリゼと同じ状態だったのではないか、と。





 急に恥ずかしさがこみ上げ、救護室に辿り着いた後は終始無言のままだった。

 

 

 

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