第248話 特別試合



 ―― 一体、何が起こっているの? ――



 カサンドラは円形闘技場、一階の本部として用意された席に呆然と座っていた。

 事の成り行きを見守るしか出来ず、事情を知らされていない自分は彫像のように固まっている。


 近くに立つアイリスに聞いても、彼女も首を傾げるばかり。

 一体何があったのでしょうね、と。だが試合が続くという事で騎士団のお偉いさんたちに飲み物を振る舞って来ると言って席を立つ。


「アイリス様、わたくしもご一緒します」


 だが彼女は大いなる含みを持ったにっこり笑顔で、カサンドラの申し出を丁重に断った。


「何を仰るのです、カサンドラ様。

 王子がお出になるのです、お傍で応援なさってください」


 そう言われては、浮かせた腰をストンと下ろすしかない。


 カサンドラ様ほど上手に淹れられませんが、と言い残すアイリスは何故か嬉しそうだった。




 既に剣術大会の優勝者はジェイクと決まったのだし、後は授与式と閉会式を待つばかりだと思い込んでいたカサンドラにとってはまさしく寝耳に水状態。

 唐突で、何の前触れもなかったのだ。




 ものの一分もかからず、決戦相手を会場中央に一太刀で沈めたジェイクの姿を思い出す。

 それは本職の凄味が誰の目にも明らかな次元の違いを象徴していたものだが――

 すぐに試合を決めたのは変だなぁ、と思ったも事実だ。


 一応ジェイクも騎士であると同時に、生徒会の役員だ。

 一月以上前から入念に事前準備を行い、こんな即席の施設まで週末に用意させた。

 かなり大きな祭典であることは彼も重々承知していたはず。


 晴れの舞台の決勝トーナメント、いわゆる『見世物』の花形を、こんなにあっさりと終わらせて良いのだろうか?

 拍子抜けも甚だしい。ダグラス将軍だって、確かに面白くないと思うかも。


 恐らく大会全体の”出来栄え”を気にするシリウスあたりはお冠だろう。


 それだけの実力差があれば、ある程度周囲を盛り上げるような戦い方が出来るだろうに。

 場を盛り上げることも大切な役目だ、圧倒的な地力の差で相手を捻じ伏せる様子は準決勝で見せてくれたのだから。

 皆が呆気にとられるほど速やかに終わらせた、それはそれで凄かったけど。


 せめて決勝くらいは……と、カサンドラでさえ違和感を抱いたのである。



 ジェイクは優勝が決まった後も飄々とした態度。

 その上でとんでもないことを宣言してのけたのだ。



 このまま終わらせるのは大会最後の時間として盛りあがりに欠ける。


 皆も期待外れだろうから――特別試合を開催すると。


 実際、手抜きや手加減で試合が白熱して盛り上がるわけがない。本職の騎士が紛れ込めば、この事態は避けられないことだ。


 リゼのように格上の相手にも食らいつき肉薄し、追い詰める程の気迫は決勝の相手にはなかった。

 決勝でジェイクと相まみえた男子生徒は、普段剣術講義で毎日のように剣を合わせ既に互いの腕の差に絶対的な差があることは重々承知だったろう。無駄な足掻きはしなかった。

 勝負の行方は一瞬で、誰もが予想する通りの幕引きとなった。


 そこに感動だの興奮など覚える時間さえ存在しなかったわけだ。



優勝者おれが本気になれる奴って言ったら、この学園には一人しかいないな』



 突然特別試合が宣言され、しかも相手が王子とジェイク。そう矢継ぎ早にポンポンと告げられ、会場は騒然とどよめきを発する。

 カサンドラは全くその場の雰囲気についていけなかった。


 皆は王子が二階の観覧席から降りてくる姿に大きな声援、歓声でその場を遠慮なく湧き立たせる。

 今日は彼の出番はないのだと諦めていた生徒達は、突然のサプライズ敢行を諸手を上げて歓迎したのだ。


 そりゃあカサンドラだって嬉しい。

 王子が望んだように、皆の前で剣をとって戦えるというなら素直に喜ぶべきなのだ。


 だが、近くの席で一連の流れを見据えるシリウスの不機嫌オーラがとっても怖い……!


 ここで自分が他の一般生徒と同じように手を振って喜びを表現でもしたら後ろから魔法の槍で貫かれるんじゃないかという恐怖さえ感じた。


「何故、王子が……シリウス様は前以てご存知でしたか?」


 恐る恐る、カサンドラは彼に問いかけた。

 いくらジェイクや王子の二人の起こす行動とは言え、シリウスに事前許可なくこんな暴挙には及ぶまい。

 閉会後、どんな嫌味や皮肉が待っているか分からないではないか。


 王子の大会参加に強硬に反対していたのは他ならぬシリウスなのだから。


「ああ、打診はあった。

 全試合終了後、アーサーとジェイクの特別に試合をしてもいいかとな。

 ……ジェイクが優勝し、時間が余っているならという条件で許可は出している。

 まったく、アーサーも無意味で無駄な事をするものだ」


 辟易とした表情を隠す事無く、シリウスは低く声を発する。


 彼の黒い瞳がうんざりとした感情に染まっていた。


「あの、王子にとって大会参加は危険なことだと仰っていたのでは……?」


 例え特別な試合カード、エキシビションだとしても。

 剣を取って戦う以上、怪我の危険や万が一と言う事態を完全に排除できはしないだろうに。



「カサンドラ。

 ……お前、あの二人を何だと思っているんだ?」  


 何故かシリウスに小馬鹿にされた。

 ふん、と彼は微かに鼻を鳴らす。



「互いに互いを怪我をさせるなどありえん話だろう。

 それが危険なら、毎週のようにり合っている機会も没収する必要が出て来る。

 私もそこまで干渉したくはないな」


 要するに、毎週のように特別寮の敷地内で王子とジェイクは剣の鍛錬を一緒に行っているらしい。

 そんな話、普通の男子寮に住む生徒だって知らないに違いない。だからカサンドラも猶更知る由もない事だ。


 お遊び程度だが、気晴らしにシリウスやラルフも仲間に入れてもらうことも儘あるそうだ。だから基本的な剣の型を知っていて、予選で勝つこともできたのだと知る。


 本当に仲が良いな、この幼馴染達……


 そう言えばジェイクも楽器は苦手だとか言いつつ、ラルフにお遊びがてら教えてもらったこともあると言っていたな。

 友人同士、得意分野が重ならずに突出しているのが仲良く出来るコツなのかもしれない。

 そして彼らに普通にそれぞれの分野でついていける王子のハイスペックぶりが際立つことにもなる。



 王子は剣も凄腕なのだとは聞いたことがあるけれど、そんな光景ならカサンドラだって是非見てみたいものだ。

 実際王子は剣術講座を受ける時もジェイクと同じグループに所属するというのだから、互いに熟知した間柄なのだろう。


 シリウスとしても大っぴらに賛成できないが、王子の相手が慣れ親しんだジェイクなら大丈夫だろうと考えた。


 勿論、いくらジェイクと言っても、人間である以上不注意で相手を怪我させてしまうこともあるかも知れない、可能性は決してゼロには出来ない。

 こんな大観衆、全校生徒が証人の状態で万が一が発生した場合の責任は許可を出したシリウスもとらねばならないだろう。

 ロンバルドのお坊ちゃんが公衆の面前で王子に傷をつけたなんて、例え試合という体をなしていたとしても大騒ぎになる。


 万が一の危険を避けるか、場内の盛り上がり、つまり大会の締めが成功したと言えるものになるかの二者択一。

 シリウスは彼らの提案を苦々しく見守ることにしたのだ。 



 ――こんなにも圧倒的にあっさりとジェイクが決勝を終わらせてしまっては、ここまで苦労して場を整えた意味がなくなってしまう。


 劇的な幕切れまではいかなくとも、最後の一戦は盛り上がってしかるべきだ。

 



 いきなり名指しされた王子が階上から降りてくるが、当然剣を帯びているわけでもないし、試合用の格好に着替えていたわけでもない。


 王子のため、控え室で防具を身に着けるなどの準備時間が設けられる。

 一同騒然とどよめきを残しての休憩時間になってしまった。




 ようやく事情を知ることが出来たものの、それで動揺が収まるかと言ったらそれは無い。

 疑問は解けた後に押し寄せるのは、これから王子が眼前で剣の試合を見せてくれるという事実への期待、歓喜……!



 そんなの観たいに決まってる……!

 真っ赤な血の涙を流す勢いで切望していた彼の雄姿をこの目に出来るなど、信じられない幸運だ。

 事前会議での様子を知っているから、今回王子の出場はあり得ない事だという意識が根底にあった。残念だがしょうがないのだ、と。


 だがいざその前提が覆ると、終わりに向けて緩みかけていた緊張が一気に上昇する。





 ※




 準備時間ももうすぐ終わり、王子とジェイクが再び白い円石畳、決闘場の場所に戻ってくるのだ。

 それを今か今かと待ち望みつつ、落ち着かずそわそわと椅子に座ったり周囲をそれとなく気にする素振りで歩いてみたり。

 気がそぞろとはまさにこういう心境をさすのだろうなとはやる心を抑えていると、背後から呼びかけられる。

 ドキッと、心臓が大きく跳ねた。


「…カサンドラ様……」


 肩越しに振り返ると、そこにはよろよろと覚束ない足取りのリゼがいた。救護室から出て来たのだろう。

 救護室は本部席に近い箇所に設営されているので、彼女がそこに運び込まれたのはカサンドラも当然知っている。



 コロッセオの裏通路を通って来たジェイクが、彼女を抱えていたのを見た時は度肝を抜かれた。

 しかも『リゼが倒れた』なんて言うものだから、役員一同騒然としたのも少し前の話だ。

 到底勝てるはずもないだろうジェシカを相手に、善戦どころか全力を賭して勝ちをもぎ取ったリゼ。

 傍目にも胃に痛い程――彼女は一生懸命で、本気で、生命力を削りながら戦っているのではないかと足が震えた事を思い出す。


 怪我ではなく極度の疲労。しばらくの間休息を要していた彼女が、よろめきながらこちらに近づいてくる。

  

 近くの椅子、テーブル、支柱などに身体を持たせる彼女の姿はとても元気で無事とは言い難い有様だった。

 だが顔色は良くなっている。

 ジェイクに寝台の上に転がされた時の彼女は、紙のように真っ白で血の気がない顔色だったから。


 血色も良いし、一人で歩ける元気もあるようだ。


「リゼさん、大丈夫ですか?

 お辛いのでしたら、どうか寝台にお戻りください」


 そう言いながら彼女の肩を手で支えるも、彼女は首を横に振る。

 いいえ、としっかりとした意志を持った言葉を紡ぐ。




「これから、王子とジェイク様の特別試合が始まるんですよね……!?」


 彼女は力強い眼差しで、喉の奥から絞り出すようにカサンドラにそう尋ねたのだ。

 蒼い瞳をカッと大きく見開き、よろよろの身体だというのにこちらに掴みかかって来そうな勢いを感じてカサンドラは仰け反った。


「何故そのことを?」


 完全に気を失って眠っていた彼女が、何故エキシビションの事を知っているのだろう。

 少なくとも、決勝が始まる直前まで彼女は全く起きる気配もなく深い眠りについていた。


 決勝戦にジェイクが出場するのだから見たいかも知れないと思って様子を伺ったのだが、あまりも静かに昏々と寝入っている姿に起こすなんてとてもできなかった。

 あれから二十分やそこらで自然と起き、これから行われる試合のことを知るなど不可能に思えたカサンドラである。


「さっきリタに起こしてもらった時、教えてくれました」


「そ、そうだったのですか……」


 それはそれは、気が利くというのか。

 あんなに消耗して安らかな深い眠りに陥っていた彼女を遠慮なく叩き起こせるという彼女の豪胆さに驚くべきか。

 並みの神経では遠慮して起こせないだろうに。


 でも、こうして絶対に観るんだという強い意思を眼前にすると、リタの行動は――リゼにとってのファインプレーだ。


「ええと、観覧席まで……上がれますか?」


「観たいです……! でも……あの、端っこでいいから、ここで、観せて下さい」


 彼女は肩を震わせ、カサンドラに懇願する。

 既に足腰から力が抜けているように思う。下級生に用意された二階席まで上がるのはとても難しそうだった。


 あと数分もしない内に王子達が控室から姿を現すことは間違いない。

 ここは本部席だから本当はリゼが留まっていて良い場所ではない、カサンドラは困った。


 会場全体の様子を伺う。

 生徒達は皆本部で何が起こっているかなんかより、間近で行われるだろう特別試合のことしか考えていないようだ。

 女生徒にとっては小難しい剣術の何たるかに興味がなくとも、王子が剣を振るう姿は見たいと思うだろうし。

 男子生徒だって、あんな瞬殺レベルの決勝戦なんて拍子抜けもいいところだ。

 もっと熱くなれる試合を観たいのだと、場内に籠る熱量が物語る。


 誰も本部の様子を見ることなどないのなら……

 いや、一応公式にはリゼは生徒会の雑用係として学園に申請されている。ジェイクの家庭教師として生徒会室を使用出来るよう、名目上だけの生徒会のお手伝いになっているはずだ。 


 ならば教師に見咎められても言い訳は利くか。

 出来るだけ周囲の視線が向かないような壁際の位置に二つ椅子を並べる。


 カサンドラは彼女を片方の椅子に座らせ、その身体を支えるように隣に座った。


「す、すみません。我儘を言って」


「いえ、今日はリゼさん、とってもとっても頑張ったのですから。

 誰も文句など仰いませんよ」


 彼女は第一関門をクリアできたのだ。

 この大会が終わった後、ジェイクと話をする機会があるだろう。今日をきっかけに、二人の関係が少しでも進展するのだと想像するとカサンドラの方が浮足立つ気持ちだ。


 勿論いきなり好きだ嫌いだ、惚れた腫れたの話にすっ飛ぶことはないけれど、彼に恋愛対象として意識されなければその先はない。

 ……今日のリゼなら及第点どころか満点だ。


「ありがとうございます。

 あ、ジェイク様」


 リゼが視線を上げた先に、長剣を携えて入場してくる二人の男子生徒の姿がある。

 王子は王子であるというだけで光輝を放ち、美しい『王子様』という生物。


 それが今は普段の柔和な表情がなりを潜め、伏し目がちの真剣な表情で剣を手に堂々と歩いているのだ。

 その姿は威風堂々とし、様になっていた。


 凛々しいという表現がとてもしっくりくる王子の姿にカサンドラは思わず手をリゼから離し、口元を手で押さえた。

 変な言葉が出そうだったし、口元がにやけて歪んでしまうのを誰かに見られるのは恥ずかしい。

 ただ口元を両の掌で覆ったところで、カサンドラの周囲に舞う期待に満ちた光を隠すことはできない。



 そして奇しくも、カサンドラと同じようにリゼも己の口元を手でもがっと押さえつけるように覆い、視線を横に逸らして叫びだしたいのを堪えているように見える。

 耳の裏まで真っ赤だ。



 ……二人ともカッコいい。



 それぞれ単体でも十分見栄えが良く、人目を惹く容姿の二人だ。

 普段仲の良い友人として接する彼らが、互いに闘争心剥き出しで剣を構える姿は視覚に訴える暴力としか思えない。



 何故!

 この世界は! カメラが! 映像記憶装置がないの!?



 心の中で文句を言い募りたいくらい、口惜しい。

 適度な緊張感に支配されるこの場で。


 二人が不敵な表情で互いに視線を交差し合う一瞬一瞬を切り取って心の中のアルバムに仕舞うしかないのだ。





「――始め!」




 合図役の騎士がスッと手を挙げて宣言すると、二人は同時に剣を打ち出す。


 

 重い打撃音のはずなのに、両者の間で響く音はテンポが良くて軽やか。

 洗練された流麗な動き、弧を描く合間合間の銀の軌跡が美しい。


 はぁぁぁ、とカサンドラは感嘆の声を出す。


 息がぴったり合う、互いの癖を熟知した動きは極めて質の良い剣舞を見ているようだった。





 カサンドラは侯爵令嬢だ。

 王子の婚約者だ。

 王妃候補だ。




 だから観客席で見下ろし試合の行方を見守る多くの女子生徒のように黄色い悲鳴を上げて声援なんか。

 はしたなくて送れない……


 だが絶え間なく揺れる王子の金の髪が綺麗なこと。澄んだ空に、良く映えること。


 何より、二人が同時にガンッと剣を重ね、互いに譲らず剣を押し合うその静止した姿が得も言われず格好良すぎる。




『きゃー!』




 示し合わせたわけでもないというのに、隣合って座るリゼとカサンドラは、互いに互いの両手を合わせ叫んだ。




    ――はしたなく、甲高い声で。




 思わず叫んだあと、誰にも見られなかったかと周囲を見渡す。



 ヒヤッと背筋が凍ったのは――第三者の視線とバチッと噛み合ったせいだ。





「…………。」





 若干離れた席に足を組んで座るシリウスが、物凄く冷ややかな視線でこちらを睥睨しているのが分かる。





 浮かれた行いに恥じ入って、シュルシュルと縮こまるカサンドラだった。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る