第246話 大会の行方


 予選会とは違い、本選は一試合ずつ行われる。

 それまで役員の一人、それも大会参加義務のない女子役員として忙しなく動き詰めだったカサンドラであるが、漸くじっくりと試合を観ることができる。


 ――尤も、開始前にダグラス将軍にコーヒーを持って行かなければいけない。


 開始時刻まで時間があるとは言え、定刻があるものなので気ばかり急いてしょうがない。


 何で自分が指名を受けたのか意味が分からないが、給湯室でサイフォンをぼんやりとコーヒーが湧く様子を眺めていた。

 淹れてくれと言われればいくらでも淹れるけれど、ダグラスに頼まれた時は不安感やモヤモヤで胸中が騒めいた。


 将軍の眼差しを思い出し、今になって身震いする。

 あれは間違っても『好意的』な眼差しなどではなかった。


 ラルフの父ヴァイル公爵レイモンド、シリウスの父宰相エリック、彼らと面通しの機会があった時とは少し違う。

 いや、本当は彼らとて地方貴族の娘が王妃として立つことを苦々しく思っていることに変わりはあるまい。

 決してカサンドラに良い印象を抱いていないことは分かっているが、そこはまつりごとの世界で生きている老獪な大人たちだ。

 露骨に敵意を孕んだ視線を浴びせるなど、あからさまなことはしない。


 敵対関係であろうがにこやかに挨拶を交わし、当たり障りない会話くらい作法の一つとして心得ているわけだ。


 勿論ダグラス将軍も傍目から明らかに敵意を抱いているという素振りを見せることなく、敢えてこちらを視界に入れないように振る舞っていたと思うのだけど。

 わざわざカサンドラを指名し、飲み物を持って来るように言い出したものだから混乱を来してしまった。


 でもあの冷酷というか、情の皆無な鋭い視線は心臓に悪すぎる。

 騎士達がダグラス将軍に畏怖を感じる理由も良くわかる、彼に全く怯むことなく話しかけることのできる王子の凄さに脱帽モノだ。


『私にも一つ馳走願おうか』


 王妃になるカサンドラが”そんなこと”を得意であっても何の役にも立ちはしないという嘲笑を含んだメッセージだったのか。 

 それとも、自身が『上』だと言う事を改めて知らしめるための言動だったのか。


 ……そもそも穿ちすぎで、単に美味しいコーヒーが飲みたかっただけなのか……?


 コポコポと揺れる焦げ茶色の湯をうつろに見遣り、カサンドラは大きな溜息をついた。


 どうにも、将軍は苦手だ。


 ジェイクを髣髴とさせる外見を持つというのに、あまりにも性格が違う。

 何もかもが真逆、似ているのは容姿と戦闘技能だけの歪な親子。


 互いに情など微塵も存在しない殺伐とした関係なのは知っているが、実際に目の前でそれを匂わせられると胃が痛いものだと知った。



 ※



 剣術大会本選、開始の鐘が鳴る。


 いつも講義の開始時間、終了時間を知らせる鐘と同じものだ。

 静まり返った場内、円形闘技場の上から覆いかぶさるように、耳に馴染んだ鐘の音が厳かに広がった。


 幸い将軍はカサンドラの出した飲み物を受け取り、褒めるでも貶すでもなくすぐに解放された。そのあっさり具合に、ただコーヒーが飲みたかっただけなのかと思い直し、考え過ぎの自分に少々呆れてしまう。


 即座に場を離れることが出来てホッとした。

 玉座もかくやと言わんばかりの大きな椅子に足を組んで座り、眼下の闘技場を無言で見下ろす将軍。

 彼の切れ長の瞳は、ゆっくりと会場内を鳥瞰する。


 そそくさと辞したカサンドラはアイリスに労われ、ようやく人心地つくことが出来た。

 第一試合に組まれたリゼの試合を見なければいけないのに、それ以前の段階で息も絶え絶えになろうとは。


「相変わらず威圧感のあるお方ですね」


 カサンドラに半ば同情的な視線を向けるアイリス。

 彼女もロンバルド家現当主のダグラスを怖い人だと思っていることに変わりはないようで、良かった自分だけがビクビクしているわけではないのだとホッと安堵する。


 愛嬌のあるくまさんがジェイクだとしたら、ダグラス将軍は獰猛な灰色熊グリズリーだ。

 あんな人を前にして普段通りに振る舞うなど一学生には難しい話だと思う。


 将軍の隣には同じく観覧席を用意された王子が座り、和やかに話をしながら試合前の独特の空気を過ごしている。

 試食会の時にシリウスが実の父を相手にうんざりした様子で接待していたが、流石に今日はジェイク本人も試合参加とあって歓待役は出来ない。


 ジェイクと将軍の組み合わせでは空間がギスギスして周囲の騎士達が一足早い極寒猛吹雪、ブリザードの中で時間を過ごすことになっただろうから、結果オーライか。

 人当たりの良い王子の手が空いていて助かった。

 彼はおしゃべりというわけでもなく、相手を見て話題を選べる人。

 口数の少ない将軍が不快にならないよう、かといって退屈しないよう適度な按配で対応できるのだから対人関係では年季が違う。



 カサンドラ達は会場一階の役員本部用に設置されたスペースで、大会の進行を行っていく。





 大会本選第一試合に、リゼが出場するということはかなりの驚きを場内に齎した。

 アイリスを含め、役員は先日唖然としていたものだ。

 ジェイクとカサンドラを除いた役員は、まさかリゼが大会本選に出場できるほど剣の腕があるだなんて想像してもいない。


 ただのガリ勉じゃなかったのか、と同学年別クラスの学級委員が呟いていたのが印象的だ。

 一学期末試験でシリウス、王子に次ぐ順位を貼り出された特待生の女生徒――そうなれば、ガリ勉という認識になってもおかしくないかも知れない。


 そしてトーナメント表を見て最初に思ったのが、リゼとジェイクの位置。

 これなら早々に対戦することは無い、そこまでは良かった。


 次に気になるのは現状絶対リゼが勝てないと思われるジェシカの位置、そこも三回戦まで当たることがなくてホッ。

 ……最後にリゼの初戦の相手の名の確認。



「リゼさんのお相手は……確かカサンドラ様と同郷の方でしたね」


 アイリスは既に学内生徒の全ての身元を記憶しているに違いない。

 そのトーナメント表をちらっと視界に入れ、彼女はにこやかに微笑んだ。


「まさかベルナールがお相手だとは想像もしていませんでした」


 リゼと一緒に中央の闘技場に現れた人物の名をカサンドラは良く知っている。

 彼も運動神経はそこそこ良い、身体を動かすことが好きだという当人の言は間違っていなかった。


「ロンバルドの生徒が占めるこの本戦に出場できるなど、お二人とも素晴らしいことですね」


 彼女が感嘆したのも無理はない。

 ロンバルドと近しい家は、男子であれば武芸を嗜むのが常識のような風潮だと聞く。

 勿論向き不向きがあるので全員強いというわけではないが、やはり意識の差が歴然としているのは見て取れる。

 二十名の本選出場者の内、リゼとベルナール以外は皆ロンバルド派出身の男子生徒だ。


 ここまで偏りがある年も珍しいとのことだが、次期当主のジェイクが入学した年度ということもあって例年以上に気合が入っているらしい

 彼に一太刀でも浴びせたら騎士団内定なんてそんな美味しい話はそう転がっているものでもないので。


 将軍の鶴の一声に文句を言う人間はいないが、発奮材料に使われるジェイクとしては面白い話ではないだろう。


「ええ、全くですね」


 カサンドラは試合開始のベルを鳴らす。

 華奢な女の子が本選に出てくる、その上相手は普段不真面目で学園に全く馴染む素振りの無かった半端者のベルナール。

 最初の対戦カードにして生徒達の予想を全く覆す組み合わせで、開始直前までどよどよとしたどよめきが場を覆いつくしていたのだ。


 ……観客席の中に、リタとリナの姿を探す。二人とも不安そうな気持ちを紛らわすように話をしているようだが、当然会話の内容までは聴こえるわけもない。

 替わりに気になったのが、そしてリナの隣にいる女生徒だ。


 クラスメイトのシンシアがこわばった表情で祈るように階下を見下ろしており胸がズクンと痛んだ。


 ベルナールはいわば昔馴染みで、彼の中途半端な立場に同情もしている。

 休日はシンシアに良い所を見せるのだとカサンドラ宅の庭を貸してくれとまで言われ、自主練習まで行って。


 もしも相手がリゼではなかったら、カサンドラはシンシアと同じように彼を応援していたことだろう。

 だがこればかりは心の行き場は変わらない。


 どうしても今日、リゼは勝ち上がらなくてはいけないのだ。

 例え相手が誰だろうが、ジェイクとの仲を進展させるにはここで満足しては駄目、初戦で負けるわけにはいかない。

 それはリゼも覚悟して臨んでいることだ、カサンドラは目を鐘を鳴らした直後一瞬、視線を伏せた。


 

 高い金属音が一際大きく鳴り、澄んだ青空の下に響き渡る。

 校舎、そして樹の上、闘技場に建てられた旗の上。静かにとどまっていた小鳥たちが一斉にけたたましい羽音を立てて飛び立った。


 流石に本選、男子勢から選ばれた凄腕の剣士達が揃っている。


 そこにベルナールが肩を並べて出場していることにも驚いた、去年は本選に彼の名前がなかったのできっとやる気がなく大会自体をボイコット寸前だったのだと推測される。


 彼もまた彼女にいいところを見せようと張り切り、実力を発揮してここに立っている。

 確かに真剣な表情で剣を構え、自身の得物を構えて相手に斬りかかる堂々とした姿は精悍そのもの。

 普段の口の悪い態度の彼を知っていてもやたらと格好良く見えるのは間違いない。


 全校生徒、そして騎士団のお偉方からも注視されるこの舞台の上で――彼は真剣な眼差しで剣を振り仰ぐ。


 予選では一瞬で勝負を決めたと聞いたリゼだが、流石にここに至っては即座にカタが着く程甘くない。

 そもそも出足の瞬発力で相手の急所に得物を突きつけるやり方は、対戦相手がリゼの事を全く知らずどう戦うかもわからず、そして油断しているからこそ出し抜けたものだ。


 侮られていることを逆に武器にして、一瞬で試合を決める。

 雑然と騒々しい会場内、手の内を晒す事無く勝ち進み本戦まで出場できたのだ。


 当然ベルナールも一日あれば、リゼがどんなスタイルで勝利をもぎ取ったかの情報収集くらい出来るだろう。

 もしくは実際に気になって観ていたか。


 ――リゼの素早い初撃をベルナールも剣で受け止め薙ぎ払う。


 予選では誰も躱すことの出来ない速さの一撃を跳ね返され、リゼも大きく後ろに跳んで距離を取った。

 それだけで、生徒達の視線が双方に釘付けになったのが分かる。


 再度剣を握り直し、互いにじりじりと距離を詰め。

 睨み据える二人が同時に足で石畳を蹴り、断続的な剣戟の音が小気味よく火花を散らせた。


 どちらが強いのかということは戦いに明るくないカサンドラには判断しかねるところだ。

 だがどうしても華奢な女性であるリゼを見ていると、長く戦うに従って不利になるのでは? と不安でしょうがない。



 互いに互いの剣の軌跡を遮るように器用に剣を動かし、決定的な一打を防ぐ。



 その姿を見ていると、カサンドラは胸に込み上げてくるものがあった。

 剣どころか体力が無くて運動下手で、”向いていない”という特性を神から与えられた主人公である。

 それでもコツコツと真面目に習い続けることで、ここまで上達したのだなぁ、と。


 最初は自分と同じくらい、へろへろだったのに。

 あまりにも不慣れで学園側が対応に困り、わざわざ別の教官を呼び寄せられ――まるで隔離、匙を投げられた状態だったのに。

 彼女が偶然や運だけでここに立っているのではないと、彼女の堂に入った剣捌きが知らしめられる。


 可能性の塊だ、と彼女本人にも言ったことがある。

 まさにその通りに事が運んでいるのを、まだ何も終わっていないのに体が打ち震える始末だ。


 役員という立場上表立ってどちらか一方を応援することはできないけれど、もしも声を出せるならリゼに声援を送っていたに違いない。



 

 頑張れ、頑張って……と、心の中で祈るように同じ言葉を繰り返し、もしここでベルナールに負けてしまったらと思うと足が震えた。

 皆が固唾を呑んでその剣戟の速さに目を凝らし身を乗り出す。



 リゼはそれまで緊張しているのか気を引き締めているのか、ずっと真顔でベルナールと対峙している。

 だが彼女が僅かに笑った気がした。


 愉しそうに口角を上げ、そして――互いの剣が重なり離れる僅かな間隙を縫い、身をスッと屈める。

 まさに目瞬きの間。



 ベルナールが態勢を整える間際に、彼の剣の柄ギリギリを抉るように両手でしっかと切り上げるたのだ。


 僅かに身体の反射が遅れたベルナールの手元から、剣が弾き飛ばされた。

 大きく高く大空に弧を描き飛んでいく剣は、石畳の外。


 ぐさっと鈍い音がした。


 ベルナールが今しがたまで振るっていた剣は、まるで抜かれるのを今か今かと待つ聖剣のように大地に突き刺さっている。

 刃を潰した剣であっても、あんな風に地面につき立つことがあるのだなと妙なところで感心してしまった。


 彼の顔が驚愕、そして悔恨に歪む。

 だが既にその時点で勝敗は決し、リゼの模造剣が彼の首筋スレスレにあてがわれている。



 試合時間だけを考えれば十分にも満たないやりとりだっただろう。

 だが目まぐるしく剣をる彼らの姿は、熱を帯びた視線で観てしまう程迫力があるものだ。


 それも勝って当然、強くて当然の前評判の高い生徒ではない。

 予想だにしないところからポッと出現した二人のやりとりは、大会の初戦に勿体ない程の緊張感と高揚感を会場全体に齎す。


 勝者として名を呼ばれ、深呼吸を繰り返すリゼは剣を静かにゆるゆると下ろした。

 額に汗でへばりつく前髪を掌で除ける。


 ベルナールは悔しそうだ。

 あーあ、と彼は不満そうに口を尖らせたが、場内の拍手はとても温かいものであった。

 真剣に物事に取り組む人間というのは、普段の何割も増しでかっこよく見えるものだ。

 シンシアも残念そうだが、でもクラスメイトが勝ったのも嬉しいと複雑な表情でパチパチと拍手する。



 ――抜けるような天を仰ぎ見た後、リゼはベルナールに向き直りお辞儀を一つ。

 小声で手合わせの礼を言ったリゼ、そんな彼女とカサンドラは目が合った。






 リゼはカサンドラに向かって控えめなピースサインを向け、次の試合に向けて休憩所へ向かう。

 その後ろ姿は、とても頼もしく映った。






 彼女はそう簡単に負けないだろうなと、その笑顔に確信を持つことができてカサンドラも笑顔になる。



 実際は二回目の試合も、全く臆することない堂々とした態度であっという間に勝ち上がってしまった。


 カサンドラが拍子抜けするくらいあっさりと、イベント成功の条件を満たしてしまったわけだ。

 それに気づいて、カサンドラは飛び上がりたい程嬉しくなった。



 案外ベルナールも、相手がリゼでなかったらもっと善戦できたのかもと思えるくらい、カサンドラの心にようやく余裕というものが生じたのである。




 ジェイクに関しては優勝者は決まっていると豪語するだけあって、全く相手を寄せ付けることなく余裕で勝ち抜いている。


 あの人、人間じゃないのでは? と恐れ戦く次元の違いにちょっと引いた。





 何はともあれ、最低限のノルマを達成したことでカサンドラは誰にも見えない陰でぐっと拳を固めて勝利の余韻に浸っていた。



 勿論、『条件』なんてリゼの与り知らぬことであり、彼女は今な次の戦いに向けて集中を続けているはずだ。




 ……もう大丈夫だ、無理することは無い。そう彼女に伝えてあげたい。

 根拠なんて示せないから、とても言えたものではないけれど。


 カサンドラは明日リゼに会ったらなんて言って祝おうかと、既に思考は次のステップに進んでいた。

 

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