第245話 ダグラス将軍


 リゼが無事に予選を突破し、大会三日目に開催される剣術大会本選に出場できて本当に良かったと改めて安堵する。


 もしもここで彼女が大きなミスをしてしまったら、結局何のイベントも起こることなく終わるところだった。

 恋愛イベントを来年に持ち越しというのは時間的に大きなロスであろう。


 ――もしもジェイクルートで真エンディングを目指すのだという計画を立てるなら、全然『有り』な攻略法だけど。

 真エンディング、つまり王子が悪魔に乗っ取られた黒幕だと糾弾するためにはただ一人の好感度を上げればいいというわけではない。

 他の人には脇目も振らず本命のみ追いかけるというプレイでは普通のグッドエンディングで終わってしまうのだ。


 物語の続きは想像にお任せしますという、一枚スチルつき告白エンディング。

 それはそれで存分に学園生活を楽しめたという事で良い終わり方かもしれないが、結局のところ王子が暗躍して王国中を混乱の坩堝に叩き落すことに変わりはないわけで根本的な解決にはなっていない。


 シナリオの中で起こった凄惨な出来事は未解決のままのエンディングだから、恋愛は楽しめても将来的には近い内に必ず爆発する爆弾を抱えているようなものだ。


 ゲームであれば、周回すれば良い。

 事件の真相を暴くために相性のいい相手と恋愛をしつつ、他の二人の好感度もそれなりにあげて助力をもらわなければいけないと分かれば対応方法はある。

 スケジュールを練り直し、何度でも挑戦すればいい。


 ジェイクの恋愛イベントはとりあえず来年に置いて、まずはラルフとシリウス用にパラメータ調整して好感度を上げつつ、二年目から本格的にイベント起こす。

 カサンドラもリタとジェイクで真エンディングに辿り着いた時はそうしたはずだ、本来の攻略キャラをとりあえず放置状態で選択肢のみ好感度を上げるように振る舞い、ラルフとシリウスと仲良くしつつ――でも二人の恋愛イベントは回避する。

 一旦誰かのルートに入ってしまったら他のルートは閉ざされてしまうので、そこは慎重に。

 ある程度目途がついたら本命のジェイク用にパラメータを整え、休みの日にはお誘い三昧で好感度を稼ぐ。


 リアルで実行したら他の女生徒から刺されかねないが、効率を考えたらそれが一番楽なのだ。


 ”操作している主人公”の人生はその周限りで何らかのエンディングを迎えるが、プレイヤーの知識や経験は蓄積される。

 徐々にコツを掴んでいく過程で、現実なら絶対できないような行動もとるようになる。


 だがここはゲームの世界観を基に創られたまさに”現実”。一回こっきりの人生。三つ子も同じ、何度も同じことを繰り返す事など出来ない。

 セーブロードで正解不正解を確かめるわけにも、時間を巻き戻すわけにもいかない。


 ゲームの世界だというのに、本来想定されている機能を一切封じられているのだ。

 特に三つ子にしてみれば、初見でノーセーブノーロード縛りプレイを強いられているようなものである。


 それだけならまだしも、難易度の高い相性が最も悪い相手を対象にしているという事実。

 いくらカサンドラが助言をしていると言っても、果たして思うようにうまくいくか……



 この本戦でリゼに勝ち上がって欲しい。

 そして彼との関係を一歩前に進めて、カサンドラの記憶が羅針盤になるものだと――教えて欲しいのだ。


 本選に出場できる生徒は二十人の生徒である。

 シード枠というものがあるし、籤の状況によっては優勝まで試合数が多く組まれるトーナメント方式になっている。


 リゼとジェイクは端っこと端っこ同士なので仮に対戦することがあるとすれば、決勝しかありえない。

 これはリゼの籤運が良かったのか悪かったのか何とも言えないところだ。


 リゼは決勝まで四回勝たないといけないのに、ジェイクは二戦で済む。

 不公平と呼ぶべきか、彼と当たる対戦相手が少ないからある意味で公平と呼べるのかカサンドラには何とも判断しかねるのだが……

 長年の慣習でこのような対戦方式なら、全く知見のない自分が異議を申し立てることも憚られた。


 既に決まった事なのでああだこうだ考えてもしょうがないことだ。


 試合回数が多いのは悪い事ばかりではない、実戦で経験を積んで強くなれるという側面もあるだろう。

 リゼは予選は圧勝状態だというが、だから一層ちゃんとした実戦経験に乏しいという事である。


 本選では簡単に勝ち上がれないとジェイクも言っていたように、そこに”壁”があるに違いない。

 乗り越えるには、一戦一戦が大事な糧となる。



 リゼは今、緊張しているのだろうか。

 他の生徒よりも早く学園に訪れたカサンドラは、来賓である騎士団のお偉いさんを歓待するための準備に追われていた。


 騎士団の人は苦手だという印象が未だに強く、気が重い事にも変わりないのだけど。




 ※



 

 休日に即席に造られた円形闘技場、職人の努力の結晶が使用される時がついに訪れた。

 広い運動場のど真ん中に威圧感を放って建てられたコロッセオもどきの建物は、朝から剣術大会の観戦を楽しみにしている生徒達が詰めかけている。

 全生徒が白石畳の中央部で行われる剣の試合を眺める事が出来るよう、全方向に備えられた観戦席。

 選ばれた二十名の剣士たちが剣の優劣を競い合い、白熱した試合に男女の別なく盛りあがる。


 二十名の中での上位――表を眺めていると、リゼは二回勝てばジェイクに認められるというわけだ。

 一見簡単そうな条件だが、本選に残った生徒達は一筋縄ではいくまい。

 順当に勝ち上がれば、リゼは三戦目でジェシカと戦うことになる。


 いや、本当に良かった。

 今のリゼの実力ではきっと彼女に勝つことは不可能な話だが、彼女に負けたとしてもジェイクのイベント条件は満たせるはず。


 いきなり彼女と遣り合って勝たないといけないとなったら、絶望していたに相違ない。


 彼女ジェシカに打ち勝つチャンスはまだ来年もあるし、それまで順調にパラメータを伸ばして行けばきっと余裕で勝利することができるだろう。

 ジェイクの場合は他の要求パラメータも高くないし、攻略するだけなら本当に初心者向けだと思われる。


 ただ、それもいざリアルに直面すると――口を引き結び叩くなる。

 

 主人公リゼは普通の華奢な女の子、しかも入学当初は運動が苦手だ。

 そんな普通の女の子が本気で騎士を目指す実力派揃いの剣術会で本選に残って上位にならなければいけないなんて、知力や気品のパラメータを上げるよりも困難なことではないだろうか。


 ゲームとしてはボタン一つで終わる、数秒でこなしていくスケジュール。

 でも、リゼは文字通り血のにじむような努力をしてここまでたどり着いたのだ。


 簡単だ攻略しやすい、なんて口が裂けても言えるわけがない。

 好きな相手と近づけるからと、本当にここまでやりきる根性を持った少女、そうそういるはずがない。


 だから彼女は、選ばれし主人公なのだろう。

 荒唐無稽な目標だろうが投げ出さず真面目に努力が出来る、それも才能の一つだろうから。


 カサンドラが今、同じことをやれと言われてもまず無理だ。

 ジェイクに好かれる条件が分かっていても、実現など出来はしない。



 そんなことをつらつらと考え、徐々に埋まっていく観覧席を眺めるカサンドラ。

 出場者は準備場に集まって自分の順番をひたすら待っているわけである。


 ジェイクも当然そこにいるべきだが、試合順の関係で彼の出番は少し後のこと。


 それに騎士団のお偉方を迎え入れる際に彼がいてくれると大変心強いので、カサンドラは彼が同行してくれると聞いて胸を撫でおろした。

 王子もいるし、シリウスもいる。

 そして騎士団は貴族側の人間で、怖がる必要はないと頭では分かっていても物々しい重厚な雰囲気とガチャガチャと存在を誇示する剣の音が重なると緊張が走る。

 相手はいつでも、力を以て誰かを切り伏せ命を絶つことが出来るのだと――本能的な恐怖を感じる。


 騎士団一行が円形闘技場に辿り着く前に、入り口前で並んで到着を待っていた。

 時間に厳しいと評判のロンバルド侯、ダグラス。


 俄かに空気が騒がしくなり、緊張が全員に走る。

 将軍が到着したのだ。


 彼は厳つい黒い甲冑に身を包み、随従を伴って勇壮にゆっくりと近づいて来る。


 手伝いでやってきた騎士は皆学園の卒業生なので懐古も混じった話をしていたものだ。今年はどうだ、去年はどうだったなど他愛もない雑談が多かったと思う。

 思い出の学び舎に、騎士となって晴れがましく凱旋帰還するような誇らしさもあるのかもしれない。

 ジェイクのように入学前から叙勲を受けられる生徒は少なく、大抵は卒業後に何年もかかって厳しい試験を突破することになるそうだから。


 だが将軍は一切周囲の景色に注意を奪われることなく、無言のままのっしのっしとやってくる。

 彼にしてみれば一年に一度必ず訪れる場所であり、懐かしいなどという感傷はとうにないのかもしれない。

 巨躯の壮年男性は燃えるような赤髪と、橙色の双眸を持ついかつい顔立ち。


 今のジェイクと彼は似通っているようで雰囲気がベツモノ。

 将軍の若い頃はジェイクと瓜二つだったというが、ジェイクが二十年くらい歳を経たらこのような威圧感を放つ大人になるのだろうか。

 いまいちピンとこないが、顔の造りは確かに親子。血の繋がりは見ればわかる。



「将軍、ご無沙汰ですね。

 本日は御多忙中、ご足労頂き深謝申し上げます」


 王子がそう言って、正面で立ち止まる将軍に声を掛けた。

 彼の声は鎮静効果があるのかと思う程、カサンドラの緊張を解く響きを持っている。

 にこやかな笑顔で話しかける王子の姿にホッとし――だが、隣で表情を無くし無言で目を細めるジェイクの表情に心臓がぎゅっと縮む。


 彼が父親を嫌っているのは分かるが、仕事中は私情を出さないように徹しているはずなのに。

 少しでも話せば暴言が出るから、敢えて沈黙を保ち目を合わせないようにしているのか。

 奥歯を噛み締めている彼からにじみ出る嫌悪感に、カサンドラは生きた心地がしなかった。


 こんなところで親子喧嘩をされても困る。


「ああ――久しぶりだな。王子も息災のようで何より」


 低い声だ。

 空気を鈍く震わせ地を這う、重低音。貫禄がある、その巨躯のせいだろうか。


 ヴァイル公爵やエルディム侯爵と違い、バリバリの現役武闘派の覇気は一学生のカサンドラには当たりが強すぎる。

 彼自身、ロンバルドの当主と考えても傑物でまさに鬼神のような強さを誇るのだとか。

 流石ジェイクの父親というか、その才能を彼も余すところなく受け継いでいるわけだ。 


「何やら予選で番狂わせもあったと聞く、今年も愉しませてもらうとしよう」


 将軍の傍には、静かに付き従う騎士の姿があった。

 ジェイクの剣の師でもあり、現在彼の剣術授業の教官をしているライナスだ。

 フランツの兄という事だが顔立ちや雰囲気は全く似ていない。真面目な次男と風来坊の三男、と言ったところか。

 将軍に負けないしっかりした体格の男性二人が外套を風に靡かせて威風堂々と佇む姿は遠目から見れば壮麗なのだろうけど。


「生憎これより三年、将軍にとって詰まらない試合運びとなってしまう事は心苦しいですね。

 今の内に謝っておかなければ。

 優勝者が決まっている大会程、観ていて退屈なものもないでしょう」


 ジェイクは重たい空気を更にズドンと言葉で重石を乗せ、空気さえも凍らせる。

 口角を上げて笑みを取り繕っているものの、ジェイクの橙色の双眸は完全に据わっている。

 挑発的というか、慇懃無礼と言うか。


 将軍はジェイクの姿を一瞥する。

 だがその声には一切答えることもなく、僅かに眉宇を顰めるだけに留めた。

 どこからどう見ても血の繋がった親子なのに、この険悪な空気は胃に悪い。周囲の騎士達も、そして王子も困ったようにその二人の間に立たされているではないか。



「ではそろそろ、案内願おうか」


 彼がそう顎をくいっと上げると、王子が先導して板で組んだ階段を上り二階席に案内する。

 石壁で塗り固めているわけではないので、彼のような体重の重たそうな人間が大挙して押し寄せたら床が抜けるのではないか。

 そんな心配をしながら、カサンドラは彼が来賓席に向かっている姿を見送っていると――



「ああ、そうだ。

 そこにいるのはレンドール侯の娘だな」


 急に段の途中でこちらをギロッとにらみながら振り返るものだから、カサンドラは悲鳴を上げそうになった。

 殺気が混じっているわけでもない、ただ淡々と声を掛けてきているだけなのに。

 彼に見下ろされると、蛇に睨まれたカエル状態になってしまう。


「さようでございます、将軍閣下。

 レンドール侯クラウスが一女カサンドラと申します、お目もじが叶い光栄に存じます」



「王子の婚約者殿の淹れるコーヒーは格別に美味いのだと聞く。私にも一つ馳走願おうか」


 えっ。


 カサンドラはニコニコ笑顔でいるけれど、内心は汗だく。

 将軍自らの指名を受け、予想もしていなかった事態に卒倒しそうだった。


 自分の淹れたお茶やコーヒーを褒めてくれるのは嬉しいが、まさかそれがこんな形で仇になって返ってくるとは……。

 下手なものなど出せるはずがなく、いきなり高難度のミッションを課せられたカサンドラは頭を下げながらも目の前がぐるぐる廻っている。



「畏まりました、すぐにお運びいたします」




 将軍は満足そうに一度頷き、先へ進む。

 彼の姿が観覧席の中でも、最も視界が開け見やすい来賓席にあらわれた瞬間。


 それまでざわざわと騒がしかった場内が水を打ったように静まり返ったのが、建物外からでも分かる。




「おい、カサンドラ」


 額に浮き出る汗をハンカチで押さえ、給湯施設に向かおうとした自分を呼び止める声がした。

 振り返れば、苦虫を噛み潰した表情のジェイクが仁王立ちしているではないか。



 彼は憮然とした表情のまま、とんでもないことを言った。




「あいつに淹れる飲み物に雑巾搾った水を入れてもいいんだぞ?」




「そんなことできるわけないでしょう!」





   毒を盛ったと勘違いされて殺されるわ!





 父親が嫌いな彼の気持ちをカサンドラにまで波及させないで欲しい、と。

 カサンドラは耳を塞ぐ仕草とともにその場を後にした。

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