第244話 恋する人たち
剣術大会の予選は滞りなく進んでいた。
あまりにも忙しないものだから、昼休憩に行って来いとシリウスに指示されるまで時計の針が一時を回っていたことに気づかなかったくらいだ。
※
カサンドラも自分の担当に手一杯で、予選の様子を観戦する余裕などなかった。
目まぐるしいとはこんな状態のことを言うのだろうと、まさにてんてこまい。
剣術講義の修練場として建てられた別棟は三階建ての円柱状の建物で、階段を使って行き来しなければいけない。
全ての階で同時に試合が行われ、しかも時間制限があるわけでもない。
一瞬で勝負がつくこともあれば拮抗して時間がかかることもあったり、万が一怪我人が出てしまったら対応に走る。実際に、途中転んで頭をぶつけた生徒が医務室に連れていかれた。擦り傷を負って手当てを求める生徒も数人。
誰が勝ち上がって次の会場は使える状態かなど、刻一刻と進む時間と百人を超える生徒達の対戦カードを役員で捌くことは想像以上に忙しない事であった。
意外なことに――シリウスとラルフは免除を申請するわけではなく、普通に一般の生徒として大会予選に参加している。
それが一層手が足りない要因でもあっただろう。
午前中、彼らは大会参加者ということで本部の仕事から抜けていたわけだから当然参加していないカサンドラやアイリス、そして王子やジェイクの負担は大きかった。
騎士団の人員助力がなければ運営は困難だっただろう。
ラルフ達が予選に参加するとは聞いていたが、二人の事だから――特にシリウスなどは早々に「やっていられるか」と投げ出して不戦敗扱いになるのかなと勝手に想像していた。
ラルフだって楽器を扱う立場なので指が命、こんな危なっかしいことで怪我をしないように名目上の参加で終わると思っていたのに。
でも予想は裏切られ、全く違った。
カサンドラが勝手に思い込んでいただけなので、悪いのは確認を怠った自分なのだけど。
彼らは剣を合わせないまま不戦敗、なんてそんな不真面目な手段は採らなかった。
ちゃんと剣を構え、平等に籤を引いて対戦相手と組んで試合を行っている。
誰もが認める程の凄腕ではないものの、ひ弱なお坊ちゃんに負ける程ヤワではない。
ラルフ本人がたまに言うように、自分の身は自分で守れる程には武術を嗜んでいるようだ、それは大袈裟ではなかったらしい。
尤も、彼らは怪我をするわけにはいかない。
そしてそれ以上に、自分達の立場を分かっている生徒である。
彼らは相手と剣を合わせ、しばらくやりとりをした後に――自分よりも腕が未熟だと判断した初戦の相手は一方的に押し切って勝ち上がった。
シリウスなどはスタミナがないので大きく肩で息をしていたそうだが、自身の苦手分野であるにも関わらず凄く真面目に参加している。
弱音や面倒だなど愚痴も言わず、淡々と決められた手順を皆と同じようになぞっていた。
――当然、勝ち上がれば相手の強さも一層上がる。
明らかに剣の腕で格上の相手と対戦カードが決まってしまったのだそうだ。
実力勝負では相手生徒に勝つことが出来ない、はた目にも明らかな差があった。
でも相手生徒は、剣を構えるのだって震えている始末。
自分が戦っているのがエルディムのご子息だヴァイルの末裔だと自覚して剣を振るわなければいけないなんて、想像したらカサンドラだって背筋がぞわっと戦慄く。
いくら学内行事の上とは言え、彼らを自ら叩きのめすなど心理的抵抗が強すぎて出来るわけがない。
万が一手が滑って骨折でもさせたら……
ゆえに及び腰になってしまう相手の気持ちを慮って、シリウスはその段階で
ラルフはもう一回勝ち進めたそうだ。それで勝てば本選に出場できるというところだが――次の相手が余りにもわざと負けようとしているのが見え見えで――シリウスと同じく手を挙げて試合を降りた。
格下の相手に易々と負けてやるつもりはないが、予選を公正な状態に保つ必要がある。彼らなりの手心を加えたわけだ。
なら最初から参加しなければいいような気もするが、三家の人間だからと行事を免除されるのは”示しがつかない”。そう言われてはカサンドラも沈黙する他なかった。
王子は王子と言う立場故に特別だが、彼らはそうじゃない。
侯爵家の人間だから特例だなんだと不参加を決め込めば、今後貴族の子女に学園内のイベントに快く参加してもらえないだろう。
学園の大多数はやんごとなき身分の特殊な立ち位置の生徒ばかりだ。
御三家の人間であってもやるべきことに変わりはないと内外に示す。彼らがそう判断した以上、やり方は尊重するべきだ。
責任を伴う立場に押し上げられた彼らも、色々大変なのだろう。
特別に参加免除してやれというのは簡単だが――何でも特別扱いと言うのは示しがつかない。
勝手に不戦敗でリタイヤするのだろうと思っていた自分は、彼らの責任感を甘く見ていたのかもしれない。
怪我をする覚悟でもちゃんと真面目に参加する意思を見せるのは大事なことだ、「行事に参加するのは義務だ」と口で言うだけでは人はついてこない。
――などという話を、カサンドラは昼休憩の時に王子から聞いていた。
残すところ数試合、試合消化数は予定通りで順調だ。
だがカサンドラの予想できないこともいくつかあったようで、訓練場の横の控室で王子と二人で食事をしている時間中――彼の話に感心したり驚嘆してばかり。
今日と明日に限っては食堂で過ごす段取りがつかず、バスケットの中のサンドイッチを食べることになっている
少しでも早く会場に戻らなければならない、今の時間も粛々と対戦カードの消化が続いているのだから。
早く持ち場に戻る必要があるので、のんびりしていられない。
折角運よく王子と二人で食事の時間が重なったというのに、話の内容は当然大会がらみのことばかり。
それは仕方ないが、その大会がらみの話がカサンドラの予想を超えたものになっていて、驚くしか出来ない。
カサンドラは、ラルフとシリウスが真面目に試合に参加していたが、『降参』という手段で勝ちを譲った事を知り。
そしてリゼが他の対戦者を瞬殺する勢いで早々に予選突破を決めた事を知る。
運も絡んでいたのだろうが、リゼは先ほどの午前最後の対戦カードで僅か数秒で本選入りを決めたそうだ。
もしもカサンドラがリゼの戦っている姿を探したとしても、無駄に終わったかもしれない。
そんな短時間であっさりと試合を決められては、もはや心配だとか応援だとかハラハラ要素なんて微塵もないではないか。
サンドイッチを食む手が止まるのもしょうがないことである。
カサンドラが名簿確認、勝敗結果報告、生徒の会場案内などと慌ただしく、周囲に気を配る余裕などない間に王子は予選の全容を大方把握しているようであった。
実は王子には目と耳が他に二対くらい備わっているのではないか? と。
王子の現場把握能力にもカサンドラは驚きを禁じ得ない。
「リゼさんが本選出場が決まったことは伺っておりましたが、まさか圧勝状態だとは存じませんでした」
彼女が勝ち抜いたという話は当然カサンドラも係から報告を受けていた。
その時は良かったという安堵するよりも、他の階を回らなければと気が急いていて――実感したのは、王子から話を振られた今になってのこと。
それにリゼが本選に残るだろうとは、半ば予想通りのことだ。
問題は明日、どこまで勝ち上がれるかという話であって。
「リゼ君が出る度に会場の空気が変わって、見ている分には面白かったよ。
あんなに速く一凪で喉元に剣先をあてがわれてはね、……対戦相手もどうしようもない」
カサンドラは興味深そうに頷き、彼の話に聞き入った。
シリウス達がちゃんと真剣に行事に臨んでいたことにも驚いたし、リゼの実力が相当並外れているのだという事実にも恐れ入る。
「うん……。
リゼ君は凄いと思うよ。ただ……私は彼女に申し訳ないことをしたのかもしれないと、昨日から後悔していることがあってね。
彼女を見かけるたび、心苦しく感じていた」
話の途中、リゼの話題になった後。
彼は珍しく、憂いを帯びた表情でカサンドラからそっと視線を外す。
お腹は空いているものの、王子の話を聞きたいと全力集中で彼の姿を凝視するカサンドラ。
一体、彼がリゼに何をしたというのだろう。
胸の奥がざわざわと、さざめく。
「予選のこととは関係はないことだよ。
……実は昨日の朝、リゼ君達に声を掛けようとしているクラスメイトが目に入ってしまってね」
「まぁ、それは……」
デイジーがチラっとそれらしいことを話していた気がするが、詳しいことはカサンドラも把握できていない。
「手伝いをしてくれる生徒を探していたこともあって、考えるよりも先に彼らに声を掛けてしまった。
……つい、頭の中にジェイクの顔が浮かんでしまって。
それはリゼ君にとっては……その、勝手な行動で”きっかけ”を奪ってしまったも同然なのではないかと」
彼は気まずそうに、そう呟く。
――ようやく合点が入った。
昨日、彼女達に声を掛けようと意気込んでいたクラスメイト達。
彼らは当日朝、三つ子に声を掛けて回ろうと思っていたのだろう。
意気揚々と運動場で彼女達の姿を探していた彼らの姿に王子が気づき、彼女達から遠ざけるために彼らに荷運びの手伝い要請をしたのだ。
もし三つ子、要するにリゼとクラスの男子が一緒にイベントを楽しんでいたら、ジェイクがどう思うのか王子も確信がない状況だけれど。
嫌な予感がしたのかもしれない。
手伝いをお願いするのは誰でもよかった。
クラスメイトでも、誰でも。
だから条件反射でつい声を掛けてしまったのだ、と。
そりゃあ王子に手伝いを依頼されたら、クラスメイトは一も二もなく飛びついて三つ子どころの騒ぎではなくなるだろう。
三つ子狙いだったクラスメイト達は、王子に呼び止められたことで結果的に声をかけることもできず、話が流れてしまった。
彼女達は他に誰からも声を掛けられることなく、催し事に自由に参加できたのだ。
王子はジェイクの友人で、彼がリゼに好意を抱いていることに気づいてしまっている。
だからこそ、余計な世話だと分かっていても……
敢えて遠ざけるような真似をしてしまった。
王子が気に病むことではないが、元々権力を嵩に着て事を起こすことが嫌いな王子だ。
いくら友人のことが思い浮かんだからと言って、立場を利用して便宜をはかるような真似は良くない事だと思い返したのかも。
だから今になって後悔しているし、浮かない顔なのだ。
友人のために他のクラスメイトの邪魔をしてしまったのだ、と罪悪感を抱いている。
「……いえ、王子のお気遣いをリゼさんが知れば、きっと彼女は感謝すると思います。
実は昼食後にリゼさん、その中のお一人に改めて声を掛けられていらっしゃいまして……。
お断りすることも難しいご様子で、対応に苦慮されておいででした。
朝の内にお誘いを受けていたとしたら、もっとお困りだったのではないでしょうか」
だから王子の行動はリゼにとっては”機会”を奪ったものではなく、天の助けのようなものだったのだ、と。
カサンドラは彼に訴えかける。
「そうなのだろうか? だとすれば……
いや、違う。本当はこういう行動は良くない事だ、以後気をつけなければ。
――ただ、カサンドラ嬢のおかげで少しだけ心の荷が軽くなったよ、ありがとう」
ありえない事だが、そこでクラスメイトの男子達と三つ子との楽しい時間が展開され、恋愛に発展したりお付き合いが始まる可能性だってあったかもしれない。王子はその機会を自分が故意に摘んでしまったのでは? と気に病んでいたのだ。
カサンドラの証言で、少しでも罪悪感が薄らいでくれるといいのだけど。
彼はようやくいつの通りの柔和な笑顔に戻り、食事を再開した。
あまりゆっくり食べているとシリウス達に叱られてしまうね、と苦笑する彼を見て胸の中がじんわりと熱くなる。
規範意識の強い王子が、友人のために他人の恋路を邪魔するような真似をしてしまうなんて。俄かには信じがたい事だ。
彼にとって本当にジェイク達は特別な存在なのだと改めて感じてしまう。
そこまで王子に気を回してもらえる彼が、若干羨ましくもあった。
複雑な想いを綯い交ぜにしたサンドイッチを、パクっと
※
ようやく全ての試合が終わり、明日の本選に出場する生徒が出そろった。
そこにリゼの名前があることは、勿論最後に確認している。
リゼに対する周囲の目は色んな意味で変わりつつあるが、そんな他人の視線など彼女は一々気にしていない。
予選会場の後片付けの手伝いに手を挙げてくれたリゼは、全く普段通りの様子で周囲のヒソヒソ話の対象になっても知らん顔だ。
剣など扱ったことのないような華奢、更に勉強が得意な
ダークホースもダークホースな存在で、遠巻きにされている状態である。
「リゼさん、本選出場おめでとうございます」
試合に使った用具を抱えて一旦倉庫に運び入れるリゼに、カサンドラは万感の思いをこめて彼女に声を掛けた。
「……ありがとうございます」
彼女はぺこっと頭を下げた。
リゼが片付けのために抱えている学園所有の模造剣を少し預かり、一緒に階段を降りるカサンドラ。
倉庫の中に剣を立て掛け、重たい扉をリゼと一緒に引いて閉じる。
埃の舞う暗がりから抜け出し涼しい外気に触れ、カサンドラは大きく息を吸ってリゼに向き直った。
「まだまだ予選ですし、本番は明日です!」
彼女は力強い意思を持った瞳を輝かせ、再度気合を入れて大きく頷く。
自信に満ちて、生き生きとしている。
「リタさんが心配していたのですが、全くの杞憂でしたね。
まさに獅子奮迅のご活躍だったとか」
「う……。
そりゃあ……朝までは、緊張してましたけど」
緊張していたというには、あまりにも出来過ぎた結果にカサンドラは首を傾げた。
リタの言う通りガチガチになっていたのなら、王子も驚くような素晴らしい活躍など出来なかったのではないだろうか?
「でも、ジェイク様がわざわざ声を掛けに来てくれたんですよ!?
……あの人が大丈夫だって言うなら絶対大丈夫なんだって、緊張も一瞬で軽くなりました」
大丈夫の一言で緊張や不安が一瞬で解消してしまうなんて、彼の事を心から信頼している証拠だ。
好きな人に励まされてそんなに嬉しかったなら、何故ジェイクを目の前から追い払うような物言いをしたのだろうか。あまり素直とは言えない、あんな言い方で。
「折角ジェイク様が来て下さったのですから、もっとお話なされば宜しかったのでは?
一人にして欲しいだなんて、少々勿体なかったのでは?」
するとリゼは……
次の瞬間、カーッと赤面した。以前結構よく見た表情で、懐かしいとさえ思う。
瞬時に蒸気が噴き上がり、両手をブンブンと左右に振って言葉を失うリゼを前にしてカサンドラも面食らった。
最近はすっかりジェイクの存在に慣れたのか、あまり大袈裟なリアクションをとることもなかったのだけど。
ここまで動揺するのは夏休み以来かも知れないな、とそんなことを呑気に考えていた。
「ち、ちが……違うんです。
ええと、その……」
彼女はそのまま顔を両手で覆って、その場にしゃがみこむ。
「あの時、ホントに吃驚して嬉しくて……
もう、すっごく感激したんですけど!
勢い余って、危うく好きですって告白しかけちゃって、ああ言う以外に方法が……!」
しゅるしゅるとそのまま地面の中に潜り込んで消えゆきそうな彼女の言葉に、カサンドラも返す言葉が見つからずしばらく両者の間に沈黙が続いた。
「確かに時期尚早なのではとわたくしも思います……
我慢出来て、良かったです……ね……?」
「はい……。」
流石に今告白されても、彼は応えられないだろうから。
リゼの対応は最善、賢明とも言える判断だった、だが真相を知ると何となく気恥ずかしい。
蹲って顔を覆うリゼの姿はどこからどう見ても、恋する乙女そのものだった。
本当に、色んな意味で極端な娘だと思う。
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