第243話 素直じゃない?


 その日の夜、カサンドラは夢を見ていた。


 うっすらと己の中に過去の残滓として漂う記憶。その景色が、目の前に広がっているようだった。

 真っ黒な真四角の枠が視野の端にずっと映っている。


 それは――在りし日の世界で、このゲームを遊んでいる時の記憶そのものだ。

 この世界に馴染むにつれて細かなところがぽろぽろと記憶からこそぎ落されていっている気がする。

 勿論全てを忘れるわけには行かないが、流石に現実の世界で半年以上も経てば先々のイベントの事も徐々に曖昧になってくる。それはとても困る。

 こうして夢の中で思い出せる状況は、まだマシなのか。


 そう言えばこんなこともあったなぁ、という朧げな霞が掛かった風景。




 画面の中には、赤髪の男子生徒の姿が映っている。

 良く見慣れた生徒で、彼は屈託ない笑みを浮かべて”自分”を励ましてくれた。



『緊張する必要なんかどこにもないだろ、お前に剣で勝てる奴が予選にいるわけないしな。

 今までの努力を皆に見せてやれ。大丈夫。俺が言うんだから間違いない。

 ……頑張れよ』




 ……恋愛ゲームと言っても、その形態は様々だ。

 自分はどんなゲームであっても楽しめる雑食プレイヤーだったが、乙女ゲームというものは大まかにざっくり分けると二種類あると考えていた。


 ノベル形式かシミュレーション形式か、だ。

 他にも諸々種類はあるだろうが、これらの違いは特に大きい。


 ノベル・アドベンチャー形式は基本的に要所要所で主人公が選択肢を選び、物語を進行する物語である。

 つまり――途切れることなくエンディングまで一本の線で繋がっている、一冊の小説を読むに等しい。

 攻略対象との会話やイベント時に描写される文字情報が多いことが特徴だ。


 だが逆にシミュレーション――育成型の乙女ゲームは、無数の行動を選択し時として大いにランダム要素が絡む。

 イベントとイベントが飛び石状態で配置されていて、その飛び石に上手に飛び移って前に進めるように主人公のパラメータなどを成長させる。

 自分で好きなように予定を組み、数値を上げ、イベントを起こし、攻略対象を”落とす”。能動的、明確なプレイヤーの意思が反映されるという大きな楽しみがある。


 その点一つ一つの挿入イベントはノベル・アドベンチャー形式のものと比べて文章量が少ないものが多い。


 どちらが優れているという問題ではなく、表現方法の違いである。

 会話ウィンドウ形式を採用し、育成型で行動予定などを逐一入力するようなゲームは地の文の描写がないものが多い。

 あって擬音や場所、最低限の状況描写くらいだと、前世の自分は無意識にそう思っていた。




 ゲームで遊んでいた時のことをのべつ幕無し思い出していると、ふとこの会話シーンの記憶がぶわっと全身に広がった。


 ジェイクの好感度と剣術パラメータが一定以上で、予選前に彼が声を掛けてくれるシーンだ。

 本当にワンシーンで、イベントと呼べるような登場ではないのだが。


 実際は――もしも主人公に彼が励ましに行くとしたら、簡単な一言だけで終わるとも思えない。

 画面の外からでは見えない、他に伝えた言葉があったのかもしれない。

 ノベル形式だったら、もっと詳しいやりとりが描かれていたのだろうか。


 でもノベルの場合だったら、きっと主人公は一人だけだったはずだ。

 こうだと決められた性格を持った、その物語において唯一無二の主人公。


 主人公のタイプを選んでストーリーを進められ、三者三様のアプローチで相手を攻略していく過程の”差”が出せるのはシミュレーションならではの試みだと思う。

 もしもノベル形式のゲームだったら、わざわざ同じ容姿で別の性格の主人公で同じような物語を作ることは無いだろう。

 その場合は”彼女達”は存在していなかったのかもしれない。

 



 今となっては等身大実物を見慣れたジェイクを画面越しに眺めつつ、ぼんやりとそんな事を考えていた。




 『――な、リタ』




 夢の中で自分はリタを操作しており、画面の左下の彼女の顔が元気いっぱいの笑顔に替わる――






「………!」




 強制的に意識が覚醒した。

 上半身をガバッと跳ね起こし――毛布の端を掴んで硬直。

 まだ夜明けにも至っていない、ひんやりと冷えた身震いする部屋の中。


 カサンドラは全力疾走した後のように心臓が早く動き、ドッドッドッ、と強く体内を揺らし続ける。


「ゆ、夢……」


 分かり切っていた事だが、これは精神的にとても宜しくない。

 せめて操作している主人公がリゼであったなら、まだ心安らかだっただろうに。



 でもリタは励まされた時に凄く素直で嬉しそうで、見ているこっちが可愛いと思えるので印象には残りやすいのは確かだ。

 素直過ぎてたまにアホの子にも見えるのもまた、彼女の特徴なのだけど。



 しばらく寝台の上で、ぐるぐると取っ散らかった思考をひとまとめにするのに時間を掛けることになったカサンドラである。





 ※





 ――夢見が悪い。



 出来るだけ何事もなかったかのように振る舞おうと思っているのに、翌朝リタの顔を見た瞬間軽い悲鳴が喉から飛び出そうになってしまった。

 まさか彼女リタという主人公を通してジェイクを攻略していた記憶を夢に見ました、だなんて言えるはずもない。

 当然理解もされないし、頭がおかしくなったかと心配されるだけだろう。


 だが確実にカサンドラは気まずくて、真正面から彼女の笑顔に向き直る事が出来なかったのだ。

 今日も元気溌剌で明るいリタ、彼女は何一つ昨日と変わっていないのに。


「おはようございます、リタさん」


 何とか平静を装い、カサンドラは口元を笑みの形に持ち上げた。


 今日は武術大会二日目ということで、女生徒は先日と同じく学園側が用意した武芸の施設に赴き、遊戯に参加したり見学したり、という平和な一日を送る。

 全ての男子生徒は剣術修練用に建てられた別棟に集合し、そこで明日の剣術大会の本選に出場できる生徒を決定するのだ。


 一般女子生徒の見学はなく、籤を引いて当たった者同士が剣を合わせて模擬戦をしていく。

 敗退した男子生徒はその場で解散、再び運動場に戻って女子生徒達と同じように施設内遊戯などを楽しめる。


 当然、あまりにも早い時間の合流だと「すぐに負けたのだな」と一目瞭然なので男子達も出来れば一回くらいは勝ちたいと燃えている。

 初戦敗退だけは避けたい気持ちは分かる、いくら自分は剣に向いていないと開き直ったところで女子生徒の生温い「お疲れ様」感満載の空気は耐え難いものがあるだろう。

 皆、一端に高いプライドの持ち主ばかりなのだから。


 ジェイクやジェシカのように予選を経ずに本番に参戦できる生徒はほんの数人で、残りの本選出場の椅子を掛けての勝ち残り式トーナメント方式だ。

 それは本選と同じ形式で、運が悪かったら最初に手ごわい相手とカードが組まれて負けてしまう……なんてことになる。

 正確に実力をはかるなら総当たり戦のようなやり方が良いのだろうが、時間がかかり過ぎるから困難だ。

 それに予選を勝ちぬけば騎士団のお偉いさんどころか将軍自ら、本選を観戦。その腕を見てもらうことが出来るのだ。


 騎士を目指す生徒にとってはまたとないアピール機会。

 本選で早い段階で負けてしまっても、才能を認められれば後々声が掛けられることもあるのだとか。

 一番良いのは優勝して武を示すことだが、年度によってはジェイクのように誰も勝てないような大物がいるので――早々に対戦して負けた者にもスポットは当たる。


 ジェイクの父、現大将軍のダグラスは在学中誰も寄せ付けない鬼神のような強さで優勝を掻っ攫っていたのだとか。

 勿論ジェイクも、主人公が突出してパラメータ上げをしなければ三年優勝確実なのだが。

 ……リゼの根性を考えると、案外最終年にはジェイクと拮抗しているのかもしれない。

 三年も経たずにジェイクに対抗できるようになるのか……。

 パラメータに忠実すぎる世界もちょっと怖く感じる。

 


 役員なのでこれから予選会場に向かうのだと言うと、リタはぐっと拳を固めた。


「リゼ、今日予選突破できるといいですよね。

 あんなに頑張ってたんだし、これでこけたら私、慰めようがないので是非勝って欲しいです」


「ええ、無事に勝ち抜くことが出来るといいですね」


「心配と言えば心配なんですよねぇ。

 朝から緊張し過ぎてガチガチで、いつも自信満々なのに今日はそういう感じじゃなかったので」


「そうなのですか……」


 緊張とは無縁そうな少女だが、自分が今まで挑戦したことのない分野で大きな目標を掲げて事を起こそうとしているのだ。

 それに対し、全く平常心でいるというのは難しい事。

 周囲は全員男子生徒で、身の置き場がないかも知れない。


 男子生徒の中には柄の良くない者も混じっているから、士気を挫かれるような言葉を投げかけられている可能性だってあった。

 彼女なら実力通りに淡々と結果を出すだろうと、あまり悪いことは考えないようにしていたのだけど。



 リゼの姿を探して、声をかけて緊張を解いてあげるべきなのだろうか?

 しかしカサンドラが大丈夫と言ったところで何の役にも立ちはしない。

 ド素人の自分が適当に励ましたところで彼女にプレッシャーを与えるだけではないのか。


 腕を組み、悶々とした気持ちを抱えたままカサンドラは予選会場となっている剣術別棟に向かい歩いていた。

 すると、建物の入り口ではなく全く別の方向から――良く見知った目立つ青年が姿をひょっこりと現す。


「カサンドラか」


 彼が歩いてきた方向には覚えがある。

 リゼがいつもフランツに剣術指南を受けている、茂み奥の修練場。彼はそちらの方から草木を掻き分けカサンドラの目の前に立つ。

 


「ジェイク様?」


 彼がこの忙しい時間帯に単独行動しているとは思わなかった。

 そう首を傾げ、そして彼が出現した方向から考え。


 ジェイクの大会前の励ましの会話があったのかと、まるでパズルのピースがパチッと填まったような感覚に陥った。



「どちらに行かれていたのですか?」


「ん? ああ、もうすぐ本番だって言うのにリゼの姿が見えないから探してたんだ。

 ……受付は終わってるから、校内にいるんだろうって」


「まぁ、リゼさんが」


 行方不明ということはないだろうが、あと十分ほどで初戦が始まる逼迫した時間である。

 ジェイクが気になって探しに回ったのも半分は役員としての仕事で、半分は……個人的に気になっていたから、なのだろう。

 そうであって欲しいと思う。


 今リゼに対するジェイクの好感度はとても高いはず。そして大会で本選に出場できるほど剣の腕も成長し、条件を満たしている。


 ならば彼は緊張するリゼを勇気づけるために声を掛けにいったに違いない。

 カサンドラの百の励ましより、彼の一の声掛けの方が効果的に決まっているではないか。


 自分が心配することは無かったと、カサンドラは心の中でホッと安堵の息を落とす。

 彼がリゼをわざわざ探し当て、そして励ましの声を掛けてくれたなんて……

 彼女にとってどれだけ大きな力になるだろう。

 予想通り彼がリゼのことを気にしていたということで、カサンドラも我が意を得たりと嬉しく思った。



「ったく、あいつ……。

 面白い奴だよな」


 喉の奥で笑いを噛み殺すように、彼は可笑しそうな表情を隠さない。

 余程機嫌が良いのだろう、普段と雰囲気が違った。


 彼がここまで愉しそうに瞳を爛々と輝かせるなど、一体どんなやりとりがあったというのだろう?

 カサンドラはそれが気になってしょうがなかった。


 良い雰囲気だったのかな?



「まぁ、リゼさんとお話をされていたのですか?」



「いや、話なんかしてないぞ。

 集中したいから一人にしてくれって追い払われたし」



 何とも言い難い彼の申告に、カサンドラは自分の聞き間違いであればいいと思った。

 だが現実はカサンドラに彼女の言動を無慈悲に伝えてくるのみである。


 一気に深い穴の底に突き落とされたような絶望感に襲われた。


「………。」


 まさしく、絶句。



  リゼ――!!



 瞼の裏に思い起こすリゼの姿に突っ込みを入れざるを得ない由々しき事態に、カサンドラは泡を吹いて倒れる寸前だ。

 


 励まされる会話イベントなのだから、普通に喜びを表現すればいいだけの話ではないだろうか。

 せめてわざわざ会いに来てくれて嬉しいとか、もっと想いを伝える手段はあるはずなのに。


 いくら緊張しているからと言って、そんな淡々と相手の手を払いのけるような事をしなくてもいいではないか。

 リゼに”素直になれ”というのはとても難しいことだと分かっている。

 でも限度というものがあるのでは?

 ゲームの中のリゼはもう少し性格がマイルドだった気がするのに、どうしてこうなったのだろう。


 条件反射で好きな相手に無駄に冷たくしてしまう、それは物語だからセーフなのであって……


 チラ、とジェイクの様子を伺う。

 好意や親切心を無下にされて嬉しい人などいるはずがない。あまり他人の感情の裏を探ろうとしない、素直な反応をそのまま受け止めるのが彼である。

 気を悪くしていなければいいのだけど……


 何故かカサンドラの方が窮地に立たされたような心境で喉を鳴らす。


「――全く、あいつらしいよな」


 だが意外にも、ジェイクは肩を竦めて笑った。


「ジェイク様、怒っていらっしゃるのでは?」


「は? なんで?」


 彼はきょとんとした表情を浮かべる。

 追い払われたんだと言った割には何だか楽しそうな様子にも見える。


「明日は絶対に負けないって面と向かって言うんだぜ?

 はは、俺にそんなこと言う奴――この学園中探してもいないぞ」


 彼が橙色の瞳を細めてニヤッと笑う。その不敵な笑みを前に、今度はカサンドラの方が混乱を来す。

 彼は、いや、彼女達は一体何を言い合っているのだろう?


 ”明日”はということは、今日勝ち上がることはリゼも完全に自信を持って想定しているということ。

 励ましの言葉など必要ない、当然自分は本選に上がるという確固たる自信がなければ宣言できない事だ。


 朝から緊張していただなんてリタは言っていたが、きっと勘違いか見間違いに相違ない。


 なんという鋼鉄の心臓アイアンハート……!




「上等上等、その心意気に免じて明日あいつと当たったら遠慮なくらせてもらおうじゃねーか。

 俺に大口叩いたんだ、手加減なんてぬるい真似はしないことにした」



「ええと……あの、お手柔らかに……リゼさん、女の子ですから」



 何と言って良いのか言葉を探した結果、毒にも薬にもならない事しか言えなかった。

 


「当たったら、の話だ。

 本選は簡単に勝ち上がれるものじゃないし」




 本当にこの二人の話を聞いていると、これから起こる出来事が急転直下過ぎて……見ている自分が温度差で風邪を引きそうだな、と。




 カサンドラは彼の話を聞きながら上の空。


 適当に相槌を打つしか出来なかった。






 おかしい。

 リゼはあんなにも真剣にジェイクの事を好きで、想っているというのに。

 ジェイクも彼女の事を好意を抱いているに違いないのに。

 





 パッと見、恋愛っぽい関係に思えないのは……何故?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る