第242話 <リゼ>



 ―― や ら か し た 。



 リゼは食堂で昼食を進めつつも、心の中は大嵐でその身を捩らせていた。

 壮絶な嵐は全くおさまる気配はなく、リゼを後悔の海に叩き落していく。



 冷静になった今、一体自分は何をしていたのだ!?

 と、テーブルに拳を叩きつけてしまいたい衝動に駆られる。


 ジェイクが優しい人で良かったなぁ、と浮かれている場合なんかじゃない。


 リゼは人参のグラッセに鋭いフォークをグサッと突き刺す。

 そのまま先程の記憶ごと貫き食べつくしてしまいたい……そんなわけのわからない事を考える程、今のリゼは混乱状態だった。


 自分の確認不足、勘違いのせいでフランツには時間を浪費させるわ、カサンドラを困らせるわ、ジェイクには気を遣わせるわ……

 リナやリタに話しかけられてもろくな返事が出来ないくらい、精神状態は良くなかった。


 グサ、グサ、と。

 行儀悪くも肉の塊を親の仇のような感じで突き刺し続ける。


 欲しい、と一旦思ってしまったらそれを手に入れるためにどうすればいいのか、それしか頭の中に浮かばなかった。

 黄色い的に当てれば手に入るのなら当てれるようになればいいのだ。

 その考えはとても分かりやすく、シンプルだ。

 リゼも俄然やる気になって、じゃあ練習すればいいのだと張り切った。


 まさかそれが全くの見当違いだなんて、恥ずかしすぎる。


 あのペンをジェイクに交換してもらえるのだと浮かれた気持ちも、高揚が鎮まるにつれ徐々に「やらかしてしまった」という自責の念にすり替わる。


 第一ジェイクだって、あんな大きなくまのぬいぐるみなんかもらってどうするのだ。両腕に抱きかかえるのにちょうどいい大きさの可愛いくまさんを、彼が何に使うと? 迷惑以外の何者でもない。


 すぐに処分してくれるなら幾分気が楽だが、困らせることになるかも知れない。

 いや、あれを抱えて道を歩かせるとか想像しただけで申し訳ない気持ちだ。

 交換する景品が小さな箱だとかペンダントならまだしも、存在感がありまくりの可愛いくまさんのぬいぐるみだなんて……


 過ぎてしまった事を今更悔いてもしょうがない。

 もっと場を広く見極めるようにならなければ、とリゼは大きく息を吐いて居たたまれない気持ちを静めた。

 視野が狭すぎる自分に、誰より自分が一番驚いてしまう。


 手段に拘泥しすぎるあまり、リゼは――今日、弓術の指南役がジェイクでなくフランツで良かったと心から思ってしまった。それもまた頭を抱えたくなる記憶。

 今思えば本末転倒、そこはジェイクが来てくれなくてがっかりするシーンだっただろうに。


 ……彼にだけは来て欲しくない、教えて欲しくないと真剣に願っていたなんて。

 主客転倒甚だしい話ではないか。


 でも、もしもジェイクに教えてもらっていたら自分は的に当てることは出来なかったと今でも思う。

 練習に全然集中できず、まともに矢を飛ばすことも出来ず、彼を呆れさせていたかもしれない。かつて避暑地のラズエナで乗馬を教えてもらっても一向に上達しなかった時のように。

 

 フランツは普段剣術の指導を受ける際、当然のように腕や肩など遠慮なく掴んでくる。

 そこには女子生徒だからどうだとかの意識はなく、リゼも何とも思わない。慣れてしまったというのもある。

 彼は口調こそ軽いけれど剣については常に真面目で信頼も置ける教師だ。


 ……だからその延長線上で、弓術指導で腕や肩、手などを触られてもなんとも思わない。

 全く何も意識することなく練習に集中することが出来たのだ。


 あれがもしもジェイクだったらと思うと、それどころじゃなかっただろう。

 弓は特に姿勢が大事だ、全く相手の体に触れることなく教えるなど不可能に近い。


 社交ダンスの時は何とか乗り切ったものの、果たして今回はどうだっただろう。

 あの時耐えられた理性も、今は耐えられず逃げ出してしまったかもしれない。


 時を重ねるごとにずっと想いが強くなっている。

 もっと仲良くなりたいという自分勝手な我儘な気持ちばかりに振り回される。


 とてもではないが、ジェイクに教えてもらっても身にならなかっただろうな。

 勿論それは想像でしかなく、いざとなったら案外どうにかなったかも知れないが。


 でもジェイクが去って行った時はこれで心が乱されることなく集中できる……と安堵しただなんて、どれだけ自分はアホなのかと歯噛みしたくなる話では無いか。


 しかも結局、的に当てようが当てられまいが望む景品をゲットすることは出来なかった。

 最後の最後でジェイクの手を煩わせるという、なんとも頭を掻きむしりたくなる結果に終わったことに後悔の嵐に襲われている最中なのである。


 だが後悔したところで時は巻き戻らない、切り替えよう。



 それに――


 結果的にジェイクに温情をかけてもらえたのだから、フランツとの練習は無駄にならなかったんだ、と自分で自分を慰める。

 ちゃんと真面目に取り組んだから、的を射当てることが出来た。

 勘違いの結果だと言っても、ちゃんと一定の成果を出せたから最後の最期で運が回ってきたのだ。

 無駄なんかじゃなかったと前向きに考えることにした。


 


 そうでないと、今日の自分は果てしなくアホで手のかかるクラスメイトと思われて終了の一日である。

 惨憺たる有様ではないか。

 明日の剣術大会の予選を早々に勝ち抜いて、本番でしっかりと戦えるのだというところを見てもらっても挽回できないマイナスなのでは!?


 猶更失敗できないと自分を追い込むことになる。



 いつも美味しくいただく昼食も今日ばかりは砂を噛むようで味気なかった。


 暗い気分を引きずりながら、ようやく最後のデザートを食べ終えた時には既に生徒達の姿もまばらだと気づく。

 午後からも当然ブースを回らなくてはいけないが、リナもリタも自分が弓の練習をしている間に他も回ってきたという。


 適当に一人で回ろうかな、とリゼはその椅子を引いて立ち上がろうとした。




「あ、リゼ君! ちょっといいかな」


 テーブルに手を乗せ、体重を掛け立ち上がる。

 そんな日常動作の途中に名前を呼ばれてリゼは目を瞬かせた。

 声には聞き覚えがあるし、その人物の名も覚えている。


 だが話しかけられる理由を思いつけず、怪訝顔で振り返った。


「どうかしました?」


 クラスメイト、教室での座席が近い男子生徒の顔と名前くらいは憶えている。

 流石に離れている生徒の名前まで全員覚えているかと言われると、顔と名が一致するか自信がない。……興味がないもので。


 クラスメイトでも、特待生以外は大体貴族の子女である。

 中にはシンシアのような商家のお嬢さんもいるが、結局身分や財力の面で言えば庶民はこの学園で最下層の存在。

 妹以外は敬語で話しかけるのが日常になってしまった。

 幸い、カサンドラが親しくしてくれるお陰か特待生だからと悪意を以て接せられたことはない。

 陰口はあるかもしれないが、自分に関わりのない有象無象の言葉に一々耳を傾けはしないので実害はゼロだ。



「午後から僕と一緒に回らない?」



「……は?」


 リゼはポカンと口を半開きにして、今自分が何を言われたのかもう一度脳内で反芻する。

 ついつい間の抜けた声を出してしまったが、それも致し方のない事だ。

 今までリゼは男子生徒――生徒に限らず、異性から声を掛けられたことがない。


 村の皆は自分の性格を知り尽くしている上に、そもそも女の子扱いなどされたことはない。

 道を歩いていても声を掛けられるのは同じ顔でもリナの方で、完全スルーされる。


 その待遇は望むところであったが、女子力の無さを如実に表していると言えるだろう。



 ……いざ声を掛けられてみると、大変対処に困るものだとリゼは言葉に詰まった。



 変な人から声を掛けられたら逃げなさい、ハッキリ断りなさい。


 それは妹に対してよくよく言ってきたことだが、この状況だと自分の想定の範囲を越えるので一切役に立たない助言である。

 第一相手はクラスメイトで知らない人ではない。


「いえ、私は他の人と回りますので」


 丁重にお断りしたい。

 リゼの表情はかなり引きつっていたと思う。


 嫌だ、と無駄に素っ気ない態度をとるのも宜しくない。



『私ら庶民に声かけて何が楽しいんですか、そんな奇特なクラスメイトなんていませんよ』



 そう言って今朝、カサンドラの疑問を一笑に付したのは誰あろう自分である。

 まさかそんな奇特な人物が同じクラスに存在していた事に、リゼは信じられないものを見るかのような想いだ。

 珍獣を見る時だってもっと優しい表情になるだろう。



「リナ君達は先に行ってしまったよ?

 一人残されたんじゃないかなって思って」


「後で合流するつもりでした。

 それに何故私なんです? 仲の良いお友達、いますよね?」


 基本的に今在籍しているクラスの男子は皆仲が良かった。

 女子のように派閥で纏まって完全にグループが分かれているというわけではなく、皆和気藹々とした雰囲気で居心地も悪くない。

 だが首を横に振って、リゼと一緒に回りたいと無邪気に宣った。完全に挙動がフリーズする。


 彼が言うには、以前授業中に問題を当てられた時に答えに窮していた彼にこっそり教えてあげたのが自分だと。

 その礼がまだできていないし、一人でいるリゼを見てつまらないだろうと思って声をかけてくれたらしいのだ。


 大変困った。

 言われてみれば斜め前で問題に答えられずに汗だくになっている彼に単語を教えてやったのは自分だ。

 だがそれは親切心というわけではなく、あの指名後の沈黙――停滞し淀んだ居たたまれない空気が耐えられなかったから教えてやっただけのことなのだ。


 彼に恩を着せたつもりもない。

 落ちた筆記具を拾ってやっただとか、身を挺して何かやってあげたならともかく。

 無味乾燥にぼそっと一言呟いただけで礼をしたいと言われても……


 だが嫌だと突っぱねるのは角が立つ。


 学園に入るまで、対人関係に悩んだ事など無かったのに。


 家族は家族、他人は他人。

 自分が他人にどう思われるかなど意識したことはない。


 嫌な事をきっぱりと”嫌だ”と言ってそこで縁が切れようが、嫌な奴だなと思われようが、自分にとって重要なことではなかった。

 今、そんな過去を悔いている。

 もう少し人付き合いの大切さを学んでいれば、こういう時に適切な応対が出来たのだろうか?




 村には貴族なんていなかった。

 自分に声を掛けるような奇特な男子などいなかった。

 そして――家族でもないのに毎日嫌でも顔を合わせる『クラスメイト』などいなかった。


 恩に感じられるより、嫌われた方がよっぽど気楽だ。

 そんな自分だから、このシチュエーションは胃に汗を掻く程痛みを伴う問題だった。



 一時間くらい一緒に回ればそれで気が済むのか?

 リゼは自分が会話下手なことを自覚している。知らずに相手の虎の尾を踏んで機嫌を損ねられても困る。

 かと言って万が一好感を持たれても、もっと困る。




「まぁ、リゼさん。まだ食堂こちらにいらしたのですね。

 少々お時間宜しいですか?」


 返答に窮するリゼを救ってくれたのはカサンドラだ。

 こちらが困っていることを見かねて声を掛けてくれたとしか思えないタイミングで、リゼは俯きかけていた頭を上げて彼女の方を向く。

 にこやかな表情を浮かべゆっくりと近づいて来る彼女の姿は、今は完全に天使にしか見えなかった。


「お話中のところ大変申し訳ありません。

 これからリゼさんに明日に関わることでお伝えしなければならないことがあります。……わたくしが彼女と同行しても構いませんね?」


「明日というのは不思議な話ですね、カサンドラ様。

 剣術大会の予選がある日、女子生徒は関係のないことなのでは?

 何故リゼ君を呼ぶ必要があるのですか」


 完全に出鼻をくじかれたと言った様子のクラスメイトは、ムッと眉を顰めた。


 あまり印象に残らないごく凡庸な……という言い方は大変失礼に当たるか。

 しかしながら眩いばかりに輝く王子を筆頭にこの学園は街に一人いるかいないかの美男美女が普通に歩いている特殊な環境である。

 そのような中で平凡なリゼ達と同じように、彼もまた激しい光輝に覆われる側なのは間違いない。

 

「その剣術大会の予選にリゼさんは参加申請されています。

 女子生徒の参加はジェシカさんとリゼさんのお二人ですね。

 前年度参加者のジェシカさんとは違い、彼女は全く勝手の分からない状況です。

 ――女子という立場での伝達事項もありますからね。

 リゼさんをお連れしても宜しくて?」


「ええ!?

 ……リゼ君が……大会に!?」


 晴天の霹靂という言葉を表すように、彼は物凄い衝撃を受けてその場に立ち尽くす。

 リゼが大会に出ることを知っている人は役員だとか、リナやリタ、ジェシカくらいなものだ。

 自分から「出ます」なんて吹聴する相手もいない上、剣術講座は特別にフランツと一対一。


 自分が剣を学んでいることなどクラスメイトは知りようがない。

 他のクラスメイトが選択講義でリゼの顔を見ないなと疑問に思うことがあったとしても、別の講義に出ているのだと納得する他ない状況だ。


「驚いた、君は運動が苦手なものだとばかり」


 はは、とリゼは愛想笑いを浮かべた。


 淑女の嗜みに乗馬だとか、もしくはギリギリで弓術が該当するとして。

 剣をぶん回すようなお嬢様など絶滅危惧種だと皆認識している。

 ジェシカはそういう生徒だと知れ渡っているが、他に出場する女生徒がいるなんて彼も思わなかったに違いない。


 しかも運動音痴だと決めつけていたリゼが出ると聞いて、動揺が完全に顔に出ている。


「さ、リゼさん。本部まで案内いたします」



 カサンドラに連れられて食堂を後にする。

 ……バタン、と大きな扉を後ろ手で閉めた後、リゼはへなへなとその場に腰が砕かれたようにしゃがみこんでしまった。



「カサンドラ様、ありがとうございます……!」



 今まで経験したことのない窮地を脱せたのもカサンドラが声を掛けてくれたおかげだ。

 もしも声を掛けてきた役員がカサンドラではなかったら一緒についていくだとか言い出しかねない勢いだったので、振り切ることは難しかっただろう。

 カサンドラに対等に話しかけられる男子生徒など王子か王子の友人たちくらいなものだ。




「まぁ、リゼさん。お話があるので貴女を探していたのは本当なのですよ?

 ですが良いタイミングでしたね。

 ややこしいことにならず、わたくしも少々安堵いたしました。

 お相手の気分を害されないよう、真正面からお断りするというのは……大変難しい事ですね」



「はい、今後は気をつけます……

 と言っても、どうすればいいのかわからないんですよね」


 ただ授業中に答えをぼそっと呟いただけで”助けてもらった”なんて恩に思われるとか予想外過ぎる。

 そういう時は答えが落ちてきてラッキー、儲けもの程度に受け取ればいいのに。



「お困りの時はわたくしの名を使って下さいね。

 ――無理なお誘いはなくなるでしょう」



 カサンドラにそう言ってもらえて、心の拠り所が出来た気がした。




 それと同時に、ズン、と心が沈む。



 何とも思っていない相手に声を掛けられ、角を立てずに断ることがこんなに負担になるなんて……



 今までジェイクに話しかけたりしてきた事が走馬灯のようにザーッと頭の周囲を回っていく。

 ホントは諸々負担だったんじゃないかな、と一気に心が細くなる。




  人の心は目に見えず、決して単純に割り切れない。



 対人関係そのものが、リゼにとって答えの出ない難問そのものなのかも知れない。

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